パソコン絵画徒然草

== 1月に徒然なるまま考えたこと ==





1月 1日(木) 「年頭に思う」

 新年明けましておめでとうございます。本年も「休日画廊」を宜しくお願い致します。

 さて、年が明けて1月1日になると、僅か一日のことなのに気分が改まるのは不思議なことである。おそらく、我々が慣れっこになっているから気付かないが、年末年始に儀式めいた行事が目白押しになっていることと関係あるような気がする。

 年末に大掃除をして1年間のすすを払う。年賀状を書き、正月飾りを出し、新年を迎える用意をする。更に、1年間を振り返る特集番組を見て、年越しソバを食べ、年を越す心の準備をする。そして除夜の鐘を聴いて、1年の締め括りをする。これだけやれば、否が応でも気分は改まる。

 しかし、これだけ新年を迎える準備に手間をかけるのは、世界的にも珍しい気がするが、どうだろうか。私が米国で暮らしていたときの経験からすると、西洋文化の下では、新年を迎える行事は、日本ほど仰々しくない。休むのも元旦一日だけだし、年末年始の挨拶になんか行かない。新年のカウントダウンをして、"Happy New Year!" と陽気に騒ぐことはあるが、それは国民的行事ではなく、お祭り好きな人達が集まってやっているイベントに過ぎない。

 翻って考えると、日本人はどうしてこんなに年始を大切にするのだろうか。私なりの答は、最近はやった「リセット」という言葉に関係ある気がする。新年を迎えるときに、全てをリセットして、いちから始めるよう心を切り替える。そうすることによって、過去1年間の様々な苦労や、あとに引きずりたくない出来事を断ち切って、原点に戻って生活を再スタートすることが出来る。

 リセットという言葉は、そもそもTVゲーム用語から発しているようだが、「今の若い世代は何でもリセット出来るものと勘違いしている」と、社会的に攻められたことがあった。記憶が定かではないが、殺人を犯した若者が、逮捕されたあとの取り調べで、「人生をリセットしたい」と言ったとかいうことで、マスメディアで批判されていたように思う。

 しかし、年末年始の行事の在り方を考えると、TVゲームが登場する遥か昔から、日本人はリセットの必要性を知っていたことになる。おそらくそれは、今の若者感覚とは異なり、生きることがやっとで幸せなことがそうない時代に、過去の不幸を引きずらないよう願って編み出された庶民の生活の知恵なのであろう。そう思うと、大晦日に聴く除夜の鐘が、百八ある人間の煩悩を1つずつ消し去ってくれるという仕立て自体が、妙に庶民的哀愁を帯びて物悲しく思えるのである。

 大晦日に、本棚から東山魁夷の画集を引っ張り出して、「年暮る」を見た。京都ホテルから見て描いたという京都の古い街並みに、静かに雪が降っている絵である。私はその絵の中から、除夜の鐘が深く重く鳴るのを聴いた気がした。その音は、ゲームの世界から来たリセットの感覚ではなく、遠い昔から庶民が切に願っていた新年への祈りを帯びていた。

 昨今の打ち続く閉塞感の中で、私もまた、今年こそ良い年であるようにと願う一人である。そして、皆様にとっても良い年であるよう、願ってやまない。




1月 8日(木) 「深夜画家」

 最近は、家人が寝静まった後に、深夜パソコンに向かって絵を描くことが多くなった。いつの頃からそうなったのかは定かでないが、自然にそういうスタイルに移行した。以前は、休日の午前中に制作していて、そこから「休日画家」というハンドル・ネームを考えついたのだが、いつの間にか「深夜画家」になってしまった。

 昨年秋に引越しをしてから、夜はとても静かになった。以前は、比較的交通量の多い道路に面していたため、深夜でも車やオートバイの音がうるさく、むしろ休日の午前中の方が交通量が減って静かだった。今の家は住宅街の真ん中にあって、休日・平日の区別なく、いつもひっそりとしている。そんな環境変化も、制作時間が変わった一因かもしれない。

 深夜に絵を描く習慣は、大学時代以来である。ただ、絵画制作は本来、昼間自然光の中で行うべきものであり、一般論としては、夜描くのはお勧め出来ない。大学生の頃深夜に絵を描いていたのは、単に、当時の私が宵っ張りだったという理由に過ぎない。絵を描かれる方ならご存知だろうが、蛍光燈の下で描くと、色使いが微妙に異なってしまうことがある。昔何かで読んだことがあるが、漫画家の手塚治虫氏が「ジャングル大帝」の主人公である白いライオン「レオ」を創作したのは、普通のライオンを描くつもりで裸電球の下で黄土色を塗ったところ、翌日見たら誤って白を塗っていて、白いライオンになってしまったというのがきっかけらしい。人工の光というのはそんなもので、色の選択、特に微妙な色使いをするときには注意が必要である。そんなわけで、大学生の頃の私は、深夜に描いて、翌日の昼間に自然光の中で前夜の成果を確かめていた。

 しかし、パソコンで描くようになると、モニター画面で色使いを見るため、自然光云々は気にする必要がない。一日のうち、いつ描いても、同じ条件で色を確かめることが出来る。部屋の明るさは、制作上の重要要素ではないのである。この辺りは、パソコン絵画の大変便利なところである。そんな利点も、深夜の絵画制作を後押しする一因だと思う。

 深夜に音楽もかけず無音の世界で絵を描いていると、妙に神経が研ぎ澄まされていく気がする。「明鏡止水」という言葉があるが、こういう精神状態のときを言うのかなと思うことがある。心が静かになる分、絵も静かになる。いや、静かな絵が描きたいから、静かな心持ちでいられるような制作環境を、自然と欲しているのかもしれない。心の状態と作品とは深い関係にあるから、騒がしい中で静かな絵は描けないものである。勿論、どんな環境にあっても素晴らしい作品を生み出せる崇高な精神をお持ちの画家もおられようが、少なくとも私は、そうした域には達せそうにない。

 一日の終わり、静寂の中で一人パソコンに向かって絵を描く。心も静まりかえり、ひとときモニター画面の中にある私なりの風景の中で遊ぶ。眠気を催したところで寝室に行ってベッドに潜り込むと、仕事のことなどすっかり忘れ、ぐっすり安眠出来る。慌ただしい日常の中で、そんなささやかな休息の時間が、とても大切なのかもしれない。




1月14日(水) 「作為なく描く」

 正月早々、銀座の松屋に「川合玉堂展」を見に出掛けた。何かのついでということではなく、まさにこの展覧会のためだけに銀座まで足を運んだのである。

 この「休日画廊」を訪問して下さる方の中で、川合玉堂の名前と作品をご存知の方がどれ程おられるのかは知らない。明治生まれの日本画家で、活動時期は昭和初期まで。しかも、横山大観、下村観山など新しい日本画の流れとは少し離れたところにいた画家だから、一般の方にはあまり馴染みがないのかもしれない。ただ、川合玉堂は私が最も敬愛する日本画家の一人なのである。私の作品とは全く画風が異なるので、意外に思われる方も多いのだが、私が玉堂を尊敬しているのは、その驚異的な画力だけでなく、自然を見つめる目に天性の才を感じるからである。

 プロ・アマチュアを問わず、世にあまたある風景画を見ていると、人工的な作為を感じることが多々ある。それは別に悪い意味ではなく、作品として仕上げる過程で、本来の風景にはない創作を入れ、構図や色合いを変えて、自分なりの風景を作っているということである。絵である以上、実際の景色と寸分たがわず描かねばならないという決まりがあるわけではなく、実のところ、私の作品も創作的な要素を、ふんだんに取り入れている。画家自身はカメラではない以上、自分なりに創意工夫を加えて作品を作って行くのは当然のことであり、それこそが、絵画が芸術の一分野であるゆえんであろう。

 しかし、そうした画家自身の作為が、鑑賞する人にはっきり見えることもある。すなわち、絵に描かれた風景が、現実の景色を元に画家自身によって作り変えられた人工のものなのだと、明瞭に分かることがある。誤解なきよう申し上げるが、私はそれを責めるつもりはない。現実にはない理想の風景を、画家の力で画面に再現するというのは、風景画の一つの形だからである。現に私の作品も、多分にそうした傾向がある。要するに、それが現実の風景ではないと分かっていても、見る人がその画面に心地よく引き込まれていくなら、作品として高い完成度を誇っていると、私は思うのである。

 ただ、川合玉堂の作品を見て私が感銘を受けるのは、そうした人工的な作為が全く感じられず、見たままを描いたように見えるのに、作品としての完成度が非常に高いことにある。それが彼の驚異的な描写力によるものなのか、まさに絵に描いた通りの風景を見つけ出す彼の慧眼によるものなのか、私は詳しく知らない。しかし、彼の作品に描かれた通りの世界が、彼が活躍した明治・大正時代の日本に、間違いなく存在していたように私には感じられるのである。つまり、これらは全て自分の目で確かめた現実の風景であるという説得力を、玉堂の作品は持っているのである。最近の公募展を見ていると、こういう力を持った画家は少なくなったと思う。

 私は彼の画力には到底及ばないものの、彼のような目で風景を見つめ絵を描いていきたいと、ずっと思ってきた。私は本格的に絵を描き始めて25年になるが、改めて展覧会で玉堂の作品を見ると、実は彼の足元にも遠く及ばない位置になおいることを思い知らされるのである。それが再度確認出来ただけでも、新年早々の「川合玉堂展」は意義があったと、私は思う。自分が向かうべき道を確かめること。自分がその道のどの辺りにいるかを知ること。いずれも絵を描いていく上で大切なことである。

 道は未だ々々遠い。前に進む余地は幾らでもある。私の絵は永遠に未完成かもしれないが、一歩でも前に進むことは価値あることである。




1月20日(火) 「見られなかった風景」

 冬になって、景色はすっかりモノクロになってしまった。昨年の秋は仕事が忙しく、紅葉の季節をゆっくり楽しむことが出来なかった。こちらもプロの画家ではないから、絵よりも仕事優先になるのは仕方ないと分かっている。しかし、今となっては、見逃した美しい秋の風景が何かと想像されて、残念な思いが増す。釣り逃した魚は大きいということわざ通り、私の心の中では、実際に見に行っていたら、とても出会えなかったであろう紅葉の美しさが浮かんでは消える。清少納言の「枕草子」に、「花は盛りを、月は隈なきを見るものかは」という有名な章があるが、私には、そんな風流な楽しみ方は似合わないらしい。

 実際には出会えなかった風景というのは、妙に心をくすぐるものがある。見られなかった無念さが想像を膨らませ、こんな風景だったのではないかと、勝手に思いを巡らせたりする。しかし、そうして心に浮かぶ風景は、現実から離れた理想的なものになりがちである。

 米国に住んでいた頃、こんなことがあった。

 私が住んでいたニューヨーク郊外の町から車で2時間ほど北上したところに、ウッドストックという小さな町がある。ウッドストックと聞いて懐かしい思いに駆られた方は、私よりも上の世代だと思う。1969年にロック史上最大のフェスティバルが開催された場所の名前だからである。私には記憶がないが、のちに写真などでコンサートの様子を見たことがあるし、音楽誌などで何度かこのロックの祭典について読んだことがある。日本でも70年代に、この有名なロック・フェスティバルを真似て、大規模なフォークソング・フェスティバルが開催されたとも聞いた。

 ウッドストックまでドライブしたのは、夏のことだった。こじんまりとした町で、周囲は森に覆われている。しかし、この町が他の米国の田舎町と違ったのは、通り沿いに沢山のハーレーダヴィッドソンが無造作に止められ、皮ジャンを来たアウトロー的なおじさんがウロウロしていることだった。私は、昔見た「イージーライダー」という映画を思い出しながら、観光案内所横の駐車場に車を止めた。

 如何にもそれらしい雰囲気の町だったが、昔写真で見た、ロックコンサート会場らしき広大な草原は、道中のどこにも見当たらない。私は、駐車場脇の観光案内所に入って、昔ロックコンサートをやった広場はどこにあるのかと尋ねた。優しい感じの初老のおばさんが笑いながらこう答えた。

 「あなたのような質問をしに来る人が毎日一人はいるけど、ロックコンサートをやったのはここではありません。もっとずっと南の草原の中です。行ってみたいなら場所を教えますけど。」

 地図を広げながら教えてくれた場所は、ウッドストックからゆうに1時半かかるところで、何の目印もなさそうな場所だった。そのおばさんは更に、ウッドストックの祭典というのは、音楽だけでなく芸術一般に関するものだったこと、ウッドストックの町は音楽ではなく美術の展示会場だったことなどを、丁寧に説明してくれた。

 町を出て分かれ道に差し掛かったところで、「教えてくれた場所まで行くの」と女房に訊かれたが、とても寄り道している時間はなかった。心残りはあったが、「またいつか」と思いながら自分の家の方角にハンドルを切った。結局そのまま、ロックコンサート会場になった草原に行く機会を得ることなく、翌年には帰国の途につくことになった。

 米国滞在中に一度だけ、その地を訪れたことがあるという現地駐在の日本人から話を聞いたことがある。「行ってみたけど、たいしたことなかったですよ」というのがその人の感想だった。しかし、私の頭の中には今でも、ロックコンサートが開かれた草原のイメージがある。かつて相当数の若者が集まりコンサート期間中騒然とした雰囲気だった草原は、今では訪れる人もない無人の荒野となっているはずだ。「夏草やつわものどもが夢の跡」の句ではないが、今その場に立てば、荒野を渡る風に吹かれて、何がしかの寂寥感が湧いて来るのではないかと、想像は膨らむばかりである。

 私が描く草原のイメージには、このついぞ行く機会のなかったロックコンサート会場跡のイメージが幾ばくか反映しているのかもしれない。もし何かの機会に「あの場所に行ってみますか」と訊かれたら、私は実際に行ってみるのだろうか。これだけ想像が確固たるものになっていると、実際行くには、若干の勇気が必要かもしれない。けれど、結局は行くような気がする。私が想像した通りの場所があるのではないかと期待しつつ…。その思いは、絵を通じて心の風景を追い求めるのと同じことなのかもしれない。




1月29日(木) 「自画自賛」

 昔の話なので詳しい内容は忘れてしまったが、何かの雑誌を読んでいて、ある小説家へのインタビュー記事が目に付いた。その小説家は、自分の書いた小説を読み直して感動し、ときに泣くことがあると述べていた。それは、自分の作品の宣伝のために大袈裟に語っているのではなく、本当のことを言っているのであろうと私は感じた。

 この話を、一般の人達はどう受け止めるのであろうか。その小説家は自意識過剰だと批判的に捉える方もおられるだろうし、純粋な人だと好意的に受け止める方もおられるかもしれない。私自身は、実に正直な心情の吐露であるとまず感心した。そして、自分の制作した絵を自分自身はどう感じているのかについて、つらつら考えてみた。

 私は、自分の作品を見て泣いたことはないが、しみじみとした気分になったことは何度もある。そう言うと、くだんの小説家と同じく自意識過剰だというお叱りが飛んで来るかもしれない。しかし、自分の心の琴線に触れる主題を絵にしておいて、それに自分自身が全く心動かされないとすれば、思った通りに描けていないか、そもそも主題の設定に問題があるかのいずれかである。そんな未完成な絵を自分の作品だと銘打ってホームページに展示してみても仕方ないし、見に来てくれた方に対しても失礼な気がする。

 自分が心動かされないものを展示して、それに他人が心動かされる確率は、どれくらいあるのだろうか。ゼロとは言わないまでも、限りなくゼロに近い気がする。こちらとしても、人の心を動かすためにサイトを開設しているわけではないが、見に来てくれた人の心に響かないと分かっている絵なら、展示すること自体が虚しい行為となってしまう。せっかく展示する以上、鑑賞者の心に入り込む作品であって欲しい。それが展示する側の偽らざる心理なのではないか。

 これはホームページだけの問題ではない。私は、世に名作として伝えられている絵画作品はいずれも、描いた画家自身が自分なりに感動出来る作品だったのではないかと思っている。満足度合いがどの程度だったのか、後々まで気に入っていたのかは別にして、制作時点では皆、自分の心に響く作品だったに違いない。そしておそらく、他人に売らずに画家が死ぬまで手元に残しておいた作品には、作者自身が一度ならず感動した経緯があると私は確信している。殆どの場合、画家自身は自分の個々の作品への思いを書き残していないので、正確なところは分からないが、そうでなければ、絵を売ることを生業として生活しているプロの画家が、ずっと作品を手元に残しておくわけがない。

 絵を描くのを趣味にしている方の多くは、作品を展示する機会がないとしても、絵を描き続けるであろう。展示したり売ったりすることが目的ではなく、描くことそれ自体が、その人にとってかけがえのない行為だからである。そして、描いた作品の中から、「この絵は人に見てもらいたい」という気持ちが湧き出て来るのは、自分なりの感動を他の人と共有したいという思いが根底にあるからだろう。それなのに、「私は自分の作品に感動しています」と素直に言えないのは何故だろうか。

  「自画自賛」という言葉があるくらいだから、そういう手前みそな態度は恥ずべきことだという考えが、無意識のうちに湧いて来るからだろう。あるいは、自分の作品に厳しくあろうという姿勢が強過ぎるのかもしれない。ただ、自分の作品に感動するのは何らおかしいことではないということだけは、絵を描く者として心の片隅に留めておいた方がいい。人を感動させることが出来るのは、自分の感動が絵を通じて人の心の琴線に触れたときだけだからである。




目次ページに戻る 先頭ページに戻る


(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.