パソコン絵画徒然草
== 1 月に徒然なるまま考えたこと ==
1月 1日(月) 「迎春」 |
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明けましておめでとうございます。旧年中は多数のご来訪、ありがとうございました。本年も「休日画廊」を宜しくお願い致します。 さて、年末の喧騒から一夜明けて、いよいよ2007年となった。ミレニアムなんて言って21世紀の到来を祝ったのは、ついこの前のような気もするが、気が付けばあれから随分と月日が経ったことになる。光陰矢のごとしとは、よく言ったものだ。 ところで、大晦日から元旦への意識変換を、日本人ほど巧みに出来る国民はいないのではないかと、かねがね私は思っている。年末の慌しい雰囲気が、一晩寝ると一変して、厳かで静寂に包まれた元旦となる。この気持ちの切り替えはなかなかすごいと思うのだが、どうだろうか。 昔ながらの元旦は儀式づくめである。家族で食卓を囲み、縁起物にちなんだ朝食を食べる。この元旦の朝食メニューは、各地域・各家庭でまちまちだろう。お雑煮の食べ方も勿論異なる。このときばかりは家の主人が、家族を前に一言新年の挨拶をしたりする。そして、子供たちにお年玉が配られ、あとは年始挨拶やら初詣やらに出掛ける。初詣先のルートも家ごとに決まっていて、毎年同じようなコースをたどりながらお参りをし、親類や知人宅に挨拶に出向く。 私の子供時代の正月も、一日のスケジュールが決まっていた。いや、正月だけでなく、大晦日の夜以降の過ごし方が毎年同じだった。大掃除と正月の飾付けをした後、まずレコード大賞を見て、その後年越しソバを食べながら紅白歌合戦を見る。その傍らで母親や祖母がおせち料理を作っていた。番組が終わる頃、近くの神社から除夜の鐘が聞こえ始める。中学以降は、その鐘の音を聞きながら風呂に入っていた記憶がある。元旦の朝は家族が揃って食卓を囲むことになっており、父親から新年の挨拶があった。それからそろって神社へ初詣に出掛けた。 そんなふうに毎年同じことを行っていたわけだが、どういうわけだか、そのワンパターンの行事が正月気分を一層盛り上げるのである。他の日とは違った特別の日であるという雰囲気が、毎年行われる儀式めいた行事の端々から感じられた。子供心に、それは心地よい緊張感であり、振り返ってみると、その一つ々々の習慣が、妙に懐かしく感じられるのである。 そういう正月の行事は、形こそ違え、どの家庭にもあったのだと思う。しかし、いつの頃からか、年末年始に国内や海外の旅行に出掛ける人が増え、そういう予定のない人でも、自分の好きなことをして大晦日・元旦をすごすケースが多くなった。ヘタをすれば、家族がバラバラに自分の時間を過ごし、毎年違う形で年末年始を迎える家も多いのかもしれない。楽しければいいじゃない、と言われればそれまでだが、昔の風景が少しずつ消えていくようで、何やら一抹の寂しさを感じる。果たして、家族揃って昔ながらの儀式めいた正月を迎えている家が、どのくらいあるのだろうか。 時代とともに生活が変化していくのは当たり前のことで、今の時代には今の時代なりの年末年始の過ごし方がある。昔ながらの正月の過ごし方は古臭くワン・パターンかもしれないし、他に楽しいことが一杯増えたのも事実である。だから、昔は良かったなどと愚痴るのは、いささか時代遅れの世迷言の感があるが、どうも少し寂しくなるのである。 こうした話をし始めると、結局正月らしさとは何かという議論に行き着く気がする。今やそれは人それぞれで違うと言われればそれまでだが、みんなで同じ「らしさ」を共有できた時代が懐かしくもある。あの頃、概ねみんなの価値観は同じだった。子供たちは野球やドッチボールに興じ、マンガといえば同じものを見ていた。アニメキャラでも歌でも、ちょっと人気が出ると、たちまちメガヒットとなる。レコード大賞が流行歌の尺度だったし、紅白歌合戦への出場が一流の歌手の証しだった。今日より明日は明るくなると信じられた時代。悩みより希望の方が多かった時代。今より貧しく不便だったが、心は豊かで幸せだった時代。そんな時代は、平成の到来とともに終わったのかもしれない。 みんなそれぞれの正月を迎えておられることと思うが、今年一年幸多かれとお祈りしたい。良いお年を。 |
1月 9日(火) 「寄席」 |
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既に先週のことになるが、正月三が日には初詣がてら都内のあちこちに出掛けた。幸い雨も降らず風もなく、まずまずの日和で、東京はいい正月だったのではなかろうか。 正月休みの最後の日である3日には、湯島天神への初詣の帰りに池袋で下車し、池袋演芸場へ新春の寄席を見に立ち寄った。あまり落語に対する素養がなく、寄席に行くなど初めてのことだった。 切符を買って、窓口で込み具合を尋ねると、立ち見になるから今から並んでおいた方がいいと言われた。開演までには1時間以上あったが、ないしろこちらは初めてのことなので、助言に従い地下2階にある演芸場の階段に並んだ。 なるほど窓口の人の言う通り、列はどんどん長くなり、たちまち踊り場から更に上に待ち人があふれた。あまりしげしげと見たわけではないが、全体の印象として年配の人が多い。当たり前といえば当たり前かもしれないが、若い人たちはあまりこういう場所には来ないのかもしれない。 ほどなく年配の男性が一人、演芸場入り口の係の女性に近寄って行き、足の具合が悪いのでどこか座って待てるところはないかと訊いた。女性は実に素っ気無く、みんな並んで待っているし、順番が分からなくなるから立って待っていて欲しいと言う。男性は仕方なく、また階段を上がって元の場所に戻った。 また暫くして、足取りのおぼつかない老人が介添えの婦人と共に降りて来て、立って待てないのでどこか座れないかと係の女性に問いかけた。さすがに階段に立って待っていてくれと言えるような様子ではなかったので、廊下奥の椅子に座ることは許したが「みんな立って待っているのだから、一番最後に入ってくれ」と言い添えていた。 私はその言葉に「えっ?」と思った。先ほどの切符売り場の人は、立ち見が出るから今から並べと言っていた。そうすると、最後に会場に入れというのは、立って見ろと言っているに等しい。一つの部が3時間近くあるのである。1時間立って待てない人間が、3時間立って落語を聴けるとは到底思えない。 確かに順番は順番である。1時間以上も待っている人の前で、誰かが割り込むのは納得がいかないことは分かる。それを考えての措置だとは思うが、足の悪い人や足元もおぼつかない老人が優遇されたからといって、並んでいる人が怒り出すのだろうか。二人とも、割り込ませろと言っているわけではない。ただ、順番をキープしたまま座って待てないのかと頼んでいるだけである。何か工夫はあるような気がする。 寄席に来る人は、横丁のご隠居や八つぁん、熊さんの話を聞こうと集まって来た人たちである。世相が荒れる中、せめて正月くらいはあたたかい庶民話を聞いて、幸せな気分にひたろうとしているのではないか。そんな人たちが、義理と人情のあやが分からぬはずはなく、身体の不自由な人や老人に優遇が与えられたからといって、文句が出るとは思えない。満員の通勤電車の中ではないのである。 なんだか納得のいかない気分のまま開演となり、狭い会場にドヤドヤと人が入った。窓口の人が言ったように、立ち見も出た。足が悪いと言っていた男性や、あの老人が座れたかどうか分からなかったが、時間通りに演目は始まった。 出て来た落語家の何人かは、演芸場に人がなかなか入らないと嘆いていた。今日は正月だから立ち見も出ているが、普段はかなり空いていると愚痴をこぼしていた。そりゃそうだろうと私は思った。映画よりもはるかに高い料金を取りながら、あの客あしらいではファンが増えるわけがない。入っている客層から見て、中心は中高年から老人である。若者は少ないから、客を増やそうと思えば、得意客となる高齢者に厚いもてなしをしないといけない。客商売の基本であろう。 問題は、高齢の客が多いと分かっていながら、身動き取れない急な階段に1時間以上も並べて平気で待たせるセンスにある。そしてその根本には、殿様商売的な意識があるのではないか。はるかに安い料金の映画館ですら、観客の待ち時間を減らそうと、予約席システムを導入するところも出て来ている。残念ながら、寄席はそういうサービス精神を持ち合わせていないらしい。最も人が集まるときこそ宣伝のチャンスなのに、このサービスではリピーターはそう生まれまい。これで客が来ないと嘆いても仕方ない。自分で自分の首を絞めているのである。 出し物は面白かった。プロの話芸というのは、やはり聴く価値がある。しかし、芸というのは、その瞬間だけが大切ではない。見る方、聴く方は、会場に入るときからその芸の世界にひたり始めている。これは落語だけではない。音楽会にしても展覧会にしても、会場そのものが芸術空間である。どんなに立派な演奏を聴かせても、ホールがゴミだらけなら聴衆の感動は半減する。どんなに高尚な絵画が飾ってあろうと、観客へのサービスが悪ければ、絵の印象は悪くなる。料理だって同じことで、器あっての料理である。使い捨ての紙皿に、高級フランス料理を盛られても、おいしそうには見えまい。 人は理屈で芸術を楽しんでいるのではない。感性、言い換えれば感情で芸術を評価している。鑑賞の土台となる精神状態が良くないときに芸術に接すれば、それが如何に素晴らしいものであっても評価は半減する。だから、芸術を見せる側、聴かせる側は、観客の精神的コンディションを万全なものとするよう、細心の注意を払うのが基本であるはずだ。そういう観点からは、芸術そのものが評価の基準になることは勿論だが、それを盛る器も大切な鑑賞要素なのである。 私はあの日の寄席の印象として、口うるさい親父のいるうまい寿司屋を思い浮かべた。ネタはうまいが、客には口うるさい。どっちかというと「食べさせてやっている」風の店である。親父は自分の方が偉いと思っているから、客の感情などお構いなしである。それでも寿司はうまいから、客は我慢してやって来る。もっとも私は、いくらうまくてもそんな店はご免こうむりたいが…。 |
1月24日(水) 「ウォーターフォール再び」 |
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この前の週末、三番町にある山種美術館まで、「千住博展」を見に行った。 千住博氏のことは、以前にもこの「パソコン絵画徒然草」に書いたことがある。国内の代表的な公募展には属さず、ニューヨークを拠点に活躍する日本画家である。輝かしい業績の中で、彼の名をとりわけ忘れがたいものにしているのは、生涯のテーマとも言える滝の絵の素晴らしさであろう。 今回の山種美術館の展覧会は、新たに制作された米国フィラデルフィアの「松風荘」襖絵を中心にしたものである。松風荘とその襖絵については、正月にNHKが日曜美術館の特別番組として放映していたから、ご存知の方もあろう。 松風荘は、昭和29 (1954)年にフィラデルフィアのフェアモント公園内に建てられた書院造りの日本家屋である。建設の趣旨は日米友好ということで、発案はロックフェラー3世によるものだという。戦後まもなく建てられた日本の建築物を、米国の人々はどう受け止めたのか、興味のあるところである。いずれにせよ、松風荘は日系米国市民を中心とした団体により管理され、今日まで人々の目を楽しませて来た。 松風荘の襖絵は、当初東山魁夷が描いたが、長い風雪のうちに損傷してしまい、今はない。新しい襖絵の制作のために白羽の矢を立てられたのが、千住博氏だったわけである。NHKの番組では、米国の気候風土に耐えられる画材を求めた千住博氏が、従来の日本画の画材ではなく、アクリル絵具を選んだことを紹介していた。 私も以前日本画を描いていたときに思ったが、日本画の画材は天然原料が多いので、長期保存が利きにくい。古い寺社の障壁画の損傷など見れば明らかであろう。私自身が描いた作品の中にも、顔料を接着するのに使う膠にカビが生えてしまったものがある。 社会人になって、手間のかかる日本画をやめてアクリル画に転向したが、小規模な公募展に応募する際、日本画部門の画材としてアクリル絵具も認められているのに気付いた。私は、アクリル絵具にマット・メディウムを混ぜて和紙の上に描いたのだが、一見するとアクリルとは思えないような質感だった。アクリル絵具は、顔料をアクリル樹脂で定着させるもので、戸外での使用にも耐え得る頑丈な絵具である。乾くとカチカチになって筆がダメになるという点を除けば、扱いは日本画の画材に比べて圧倒的に楽だった。現在活躍している日本画家の中にも、アクリル絵具の愛用者がかなりいると聞く。 以前見た千住博氏のウォーターフォール・シリーズは、墨の上に胡粉(日本画の白絵具)を流して制作していたように記憶しているが、アクリル絵具になると、印象が変わるのかどうか、その辺りを見るのが楽しみだった。 正月番組の直後は大混雑するだろうと踏んで、暫し鑑賞を先延ばしにしていた。そろそろ皆さんの足も遠のく頃かと、わざわざ天気の悪い日を選んで行ったのだが、さすがは千住博氏、なかなかの大盛況である。ただ、絵がゆっくり見られないというほどではなかったため、まぁ待ったかいはあったかもしれない。 感想を言えば、やはりアクリル絵具でパネルの上に描かれていても、この人のウォーターフォールは素晴らしい。弘法は筆を選ばずというが、名画家は画材を選ばないということかもしれない。 ウォーターフォールを見るたびに思うのだが、描かれているのは、具象画としての滝なのだが、暫しその絵に取り囲まれているうちに、抽象画を見ているような気分になる。その滝は、白糸の滝でも華厳の滝でもなく、ただ純粋の滝なのである。滝というものから美のエッセンスだけを取り出して描いた抽象的な滝。そんな印象を受ける。 この人の滝の絵は、テレビや雑誌で見ても充分美しいが、本当の魅力は、直接作品をその目で見ないと分からない気がする。圧倒的な美しさで迫る大きな絵に四方から取り囲まれて鑑賞したときのぞくぞくするような美の感覚は、テレビや雑誌では得られないだろう。 千住博展は3月4日(日)まで。その後は、おそらくフィラデルフィアまで行かないとこの作品は見られないのではないだろうか。 |
1月30日(火) 「暖冬」 |
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昨年秋から、運動不足解消を兼ねて週末の午前中はウォーキングに出掛けることが多い。うっすら汗をかく程度に歩き、昼ご飯の頃に家に戻る。ついでに、行った先で絵の題材も拾って来て、午後からパソコンに向かって絵を描き始めるというのが、私の平凡な休日の過ごし方である。 この前の土日も2日間とも午前中歩いていた。今年の冬は暖かいので、コートやブルゾンはいらない。厚手のワークシャツにトレーナーといういでたちで歩くのだが、これでもうっすらと汗をかく。こんな気候では冬物衣料が売れなかろうと、衣料品店に同情したくなる。 最近のニュースを見ていると、暖冬にまつわる話題が多い。昨年は大雪で日本海側を中心に相当の被害が出たが、今年はうって変わってスキー場に雪がなく、逆に冬なのにゴルフ場が繁盛しているなんてニュースを見た。また、季節外れの花が咲いていることを取り上げている報道もある。 週末の散歩でも、蝋梅と紅梅が見頃になっていたし、白梅も咲き始めていた。水仙は少々盛りを過ぎたような気がするし、さざんかは終わったという感じである。木蓮の花も、来月ぐらいには咲き出しそうなつぼみのふくらみ具合である。冬の散歩は花が少なく味気ないものだが、今年はどうも様子が違う。やはり暖冬だなと改めて思う。 異常気象になると、またもや地球温暖化が話題になる。確かに世界的に平均気温は高くなっているようで、この前はニューヨークで初夏並みの気温になったという。ニュースでも半袖シャツでマンハッタンを闊歩する人々の姿が映っていた。また、海水温の上昇で極地の氷が溶け出し、海水そのものの膨張とあいまって海面が徐々に上昇しているとも聞く。海抜ゼロメートルの土地が多い海洋国家にとっては深刻な問題で、集団移住を計画している国もあるという。 環境派の人々に言わせれば、これはもっぱら人類が排出した温室効果ガスのせいだということになる。産業革命以来、我々は石炭をたき、石油を燃やし、その他の温室効果ガスを作り出して天に向かって放出してきた。それが地球を断熱材のように包み、熱が大気圏外に逃げるのを妨げる。よく言われる地球温暖化のメカニズムである。以前、地球が温暖化してから急激に冷えて氷河期がやって来るという映画「デイ・アフター・トゥモロー」を見たが、あれはまんざら空想の世界ではなく、ああいった事態も起こりかねないと真面目に心配している学者もいると聞く。 一方、そもそも極めて長い周期で地球は暑くなったり寒くなったりしており、たまたま今が暖かくなる時期と重なっているという説も唱えられているようである。我々は、産業革命後の100年くらいを見て温暖化が進んでいると言っているが、それ以前の地球は、人類の自然への影響力が格段に低かったにもかかわらず、暖かくなったり氷河期が来たりということを何度か繰り返していたというのが根拠らしい。 私はこの種の問題に科学的知見があるわけではないので、どちらが正しいのか分からないが、ふと思い出した話がある。 子供の頃に理科の授業で火山について習った。その中に活火山、休火山、死火山という分類があり代表例が示されていたが、先生が余談として面白いことを言っていた。死火山というのが本当に死火山かどうか分からないというのである。例えば、1万年周期で噴火を繰り返す活火山があったとしよう。前回の噴火の際には人類はまだ確たる文明を持っていなかったから、記録が残っていない。そうなると、記録に残る限り噴火していないので死火山と見られている可能性がある。ところがある日突然噴火する。死火山が噴火したと人々は驚くが、本当はれっきとした活火山かもしれないのである。先生の言いたかったのは、人類の認識する時間の感覚と、地球規模の時間の感覚では、相当の開きがあるということだった。 地球は誕生してから46億年と言われているが、その長さからすれば1万年なんてあっという間の出来事である。しかし、それが人類には途方もなく長い時間に映る。我々人類は、急激に科学を発展させ地球を我が物にしたような気になっているが、地球から見れば、人類など長い歴史の僅かの間に咲いた小さな花に過ぎないのかもしれない。 地球温暖化も、思いあがった人類に対する地球の警告ということだろうか。気温上昇で右往左往し対策に悩む人類を、神様はこっそり見て笑っているに違いない。 |
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