パソコン絵画徒然草
== 2月に徒然なるまま考えたこと ==
2月 3日(月) 「天才って何」 |
|
天才は何ゆえ天才なのか。例えば、ゴッホやモネ、セザンヌなど、近代絵画史の先頭ページに名を残すことになった画家達は、どうして天才と認められたのか。別に美術学校を首席で卒業したわけではないし、権威ある賞を立て続けに受賞したわけでもない。ついでに言えば、人一倍絵がうまかったわけでもない。何よりも彼らは、当時主流派だった批評家からは、酷評どころか、罵倒・嘲笑され、世間からは無視された。しかし、今では天才画家として皆が知っている。何故なのか。 私は何よりもまず、彼らに理解を示し、その才能を認めた人達がいたということに注目したい。例えば、印象派の画家約30人が最初に展覧会を開いたのは1874年4月のことである。このときにモネが出品したのが、印象派の名前の由来となった「印象・日の出」であり、かなり偶然に付けられたこの名前(本当は単に「日の出」という題だった)が、近代絵画史の最初の1ページに残ることになる。しかし、有名な批評家達から、モネのみならず展覧会全体が考えられる限りの罵倒と嘲笑の言葉を浴びた。これほどの酷評を浴びたのは、マネの「草上の昼食」「オランピア」以来という説もある。これらはいずれも、今やオルセーをはじめとした有名美術館に所蔵されている作品ばかりなのだが…。 ただ、皆が皆、彼らを物笑いの種にしたわけではない。例えば、印象派の画家達が2年後に第2回目の展覧会を開こうとしたときには、画商のデュラン・リュエルは自らの画廊を会場に提供したし、一部の批評家達は印象派の主張に理解を示した。また、彼らの作品を購入し始めた収集家もいた。つまり、有名批評家の罵倒と嘲笑の中に置かれた彼らの作品を、自分なりの価値観で認めた理解者がいたのである。 天才は一人では天才でない。理解者がいてこそ天才である。理解者が一人もいなければ、変人扱いされて終わりである。私は時々思うのだが、目立たず活動したがゆえに、一生理解者に出会うこともなく、変人扱いされて歴史の闇の中に消えて行った天才が沢山いるのではないだろうか。天才を見抜く目を持った誰かに、人生のある瞬間に出会っていれば、彼らも世に認められ、歴史に名を残していたのかもしれない。しかし、運命の神は彼らに微笑まず、その作品とともに無名の天才達は歴史の闇に埋もれてしまったのではあるまいか。 こういう話を考えるとき、批評家の責任の重さというものをつくづく感じる。優れた批評家とは、わざと難解な用語を使って小難しい評論を書く人ではなく、天才を見抜く慧眼を持った人である。その眼を養うのは容易ではないが、そうした優れた鑑識眼を持っているからこそ、批評家は頼りにされる。厳しい言い方をすれば、一生かかって一人の天才も見出せなければ、一匹も大物を釣り上げられなかった釣り師と同じである。釣竿だけ立派でも仕方あるまい。批評家もプロを名乗る以上、自らの批評にそれぐらいの厳しさを求めなければいけないのではないか。 絵を鑑賞する我々もまた同じである。批評家の言葉に惑わされず、自分なりの視点で作品を見ることが求められている。ピカソを天才と思えなければ、無理に思わなくてもいいが、それなら自分なりの基準で天才を見出す心意気は必要である。現代にも天才は必ずいる。ただ、容易には見えないだけである。 |
2月 7日(金) 「枯れる」 |
|
暫く前に、宇治の平等院まで足を運んだことがある。何十年ぶりかの訪問だった。院内にミュージアムが新設され、藤原頼通が建立した当時の鳳凰堂がどんな感じだったか、3DのCGで再現されていた。これを見ると、創建時の堂内には緻密な文様や絵が隙間なく描かれていたことが分かる。そして、その色鮮やかさには少々驚かされた。現在の渋い雰囲気の堂内からは想像も出来ないくらい、けばけばしい色合いに感じられるのである。この鮮やかな色合いは以前見たことがあるなと、ふと思った。 今から十数年前になるが、出張で東南アジアに行った。たしかマレーシアでのことだったと思うが、目的地への道中で休憩がてら、華僑の人達がお参りする仏教寺院を覗いたことがある。赤を主体とした極彩色で塗られた院内はけばけばしく、所変わればお寺も変わるものだと思った記憶がある。しかし、平等院の再現CGを見ると、建立当時の屋内装飾の派手さは、その華僑のお寺と似ている。実は、所変わってもお寺は変わらなかったわけである。変わったのは、時の流れとともに、日本の寺院の内装が色あせたということだけだった。 最近では様々な科学的検証により、昔描かれた絵や、建物の室内装飾が、かなりリアルに再現出来るようになった。それを見ると、今に伝わる歴史的名品の多くは、制作された当初、かなり鮮やかな彩色だったことが分かる。これは日本の作品だけでなく、海外の絵画や壁画も同様らしい。時間の流れが絵具に変化を与え、色あせたり、色落ちしたりして、今日の渋い姿となっているようである。 科学の力によって再現された鮮やかな彩色に、素直に感動する人は多いが、私には少々戸惑いがある。あの日本の古典的な作品が持つ渋い色合いが好きだからである。いや、それにずっと慣らされて来たと言った方がいい。古来の日本の色調というのは、ああいう地味なものだと思い込んで来たし、それが日本美術のアイデンティティーだと認識していた。「侘び」や「寂び」といった日本独特の感覚も、そうした色合いと同じ根を持つ日本人の感性だと思い続けていた。しかし、あの色は、絵師によって故意に作られたものではなく、時の経過によって変化した偶然の産物だという。ちょっとしたカルチャーショックである。 そんなことを考えながら、家に残っていた古い美術雑誌をパラパラとめくっていたら、平山郁夫、加山又造、川崎春彦の対談(凄い顔ぶれ!)があって、その中で、中国の水墨画家達の話が出ていた。中国の画家達は、墨に含まれる膠の枯れを重視するらしい。十年、百年と時が経ち、膠が枯れた状態になって初めて、水墨画の味が出るというのが彼らの考え方だと、加山又造氏が解説していた。私は素直に頷いた。その後をついで、平山郁夫氏が概略こう語る。 墨が枯れ紙も古くなってから味が出て来る。本当にいいものは美しく老いていく。絵巻も修理しなければならないくらいに痛んでくると、それが何ともいえない味になる。それを元通りに修理してしまったら、格調が落ちるんじゃないか…。 私は、それを読んでもう一度頷いた。しかし、と同時に考えた。パソコンで描く絵はデジタルなので、何百年経っても枯れない。アクリル画も頑丈な素材を使っているので、容易には枯れない。今や耐久性の時代である。この絵具は百年持ちますというのが宣伝文句になっている。枯れない画材の時代になったのは、いいことなのか悪いことなのか。少なくとも、枯れた末の美しさというのは、次第に忘れ去られていくのかもしれない。 |
2月12日(水) 「忘れ去られた歴史」 |
|
忘れ去られた歴史というのがある。例えば、15世紀末にコロンブスが新大陸を発見するまで、そこでどういう人類の歴史があったのか。世界史の教科書にも書いていないし、歴史研究家も本当のところは知るまい。イヌイット(エスキモー)やネイティブ・アメリカン(インディアン)の歴史がどんなものであったか、その社会の成り立ちがどんな変遷を経て来たのか。今では伝説や言い伝えが残るだけであろうし、それがどの程度真実なのか、確かめるすべもない。だから、人類の歴史というと、ある程度事実と検証されている地域の歴史だけが登場する。具体的に言うと、ユーラシア大陸とその周辺だけがまず登場し、大航海時代以降になって南北アメリカ大陸が出て来る。しかし、それ以外の地域についても、有史以来、そこに住む人々の歴史があったことだけは間違いがない。ただ、正確な事実が分からないだけである。 同じことは美術の歴史についても言える。我々が知っているのは、主に西洋美術と東洋美術の歴史であり、イヌイットの美術作品を見たことのある人は少ないだろう。私はたまたま、カナダでそれを見た。首都オタワにナショナル・ギャラリーという立派な美術館があるが、その一角にイヌイットの美術作品のコーナーがあった。そこにある作品は、現代美術なのだがどこか素朴で、自然の一部であるかのような雰囲気を持っていた。極北の地で、厳しい自然と対峙しながら何万年も生き抜いて来た人々の感覚は、おそらく我々と同じではあるまい。だから、彼らの美意識が我々のそれと違っていても、何ら不思議はない。彼らが、西洋美術をどう評価しているのか知らないが、もしかしたら、彼らの生活観や価値観とは合わないのかもしれない。西洋美術や東洋美術の美意識が、世界中にあまねく暮らす全ての人々に受け入れられる保証はないわけで、我々はそういう事実を率直に認めなければならない。 16世紀前半に、コルテスやピサロを中心としたスペイン人達が、中南米のアステカ帝国やインカ帝国を滅ぼした際、そこにあった数々の美術工芸品は、西洋の金銭的価値で評価され、例えば純金を素材にして作られた装飾品や美術品は、溶かされて金の延べ棒にしたうえで本国に持ち去られたと言われている。お蔭で、アステカやインカ美術の全貌は今もってよく分からない。おそらく、ルネッサンスにわく当時のヨーロッパの美意識からすれば、インカなどの工芸品は芸術品と見なされなかったのかもしれないが、逆にアステカやインカの人々からみれば、ルネッサンス芸術も、何ほどの価値もなかったに違いない。いずれにせよ、アステカ・インカ芸術の全貌は歴史の闇に消えてしまい、今では破壊を免れた幾つかの作品をもとに、様々な推理が語られるだけである。我々現代人からしてみれば、忘れ去られた芸術ということになるのだろう。 異なった価値観を持つ美術品について、優劣を決することは不可能である。油絵と水墨画で、どちらが優れた芸術であるか論じることを考えれば、答は誰にでも簡単に分かるはずだ。しかし、人類は長い闘争の歴史の中で、このおよそ出来ないはずのことをいくつもやって来た。そのお蔭で、沢山の芸術品が破壊され、人類の記憶から葬り去られた。人々の争いとは所詮そういうものだと言ってしまえばそれまでだが、人類全体として見たときに、失ったものは計りしれないと感じるのは、私だけだろうか。 我々日本人は今でも、東洋美術と西洋美術についてしか学校で学ばないのではないか。少なくとも、私はそうだった。しかし、世界の様々な地域にルーツを持つ人々が集まって国を作っている欧米各国では、もう少し色々な地域の芸術について学び、美術館や博物館にも展示スペースを確保しているような気がする。日本は単一民族社会である分、欧米に比べ、そういった点で無頓着なのかもしれない。学習指導要領や授業時間の制約もあるのだろうが、世界には、あるいは人類の歴史には、それ以外の美術もあるし、全く異なった美意識もあるのだということは知っておくべきだと思う。それがおそらく、現代文明の勝者側にいると勝手に自負する先進国の人間の、敗者側の人々に対する償いでもあると思う。 |
2月18日(火) 「回り道」 |
|
私は、子供の頃から絵を描くのが好きだったが、本格的に絵画制作に取り組み出したのは、大学に入ってからである。クラブ活動で美術部の門を叩き、油絵から始めて、水彩画、日本画、水墨画と、様々な絵に挑戦した。ただ、思い返してみると、その頃と今とでは、絵を描く姿勢が違っていた。良くも悪くも、当時は気負っていたと思う。 大学生というのは暇なものである。有り余る時間を趣味に費やすことが出来る。そうなると、絵を描くだけでなく、絵に関する勉強もするようになる。絵画の歴史を書いた文献やら絵画技法の指導書やらをひも解き、歴史上の有名画家の生涯や絵画哲学などを調べたりする。そういった勉強は悪いことではないが、のめり込み過ぎると、頭でっかちになる。その結果、「絵とはこうあるべき」といった理念が先行し、描き方も、技巧や特定のスタイルに走りがちになる。構図論や描画技術はとても大切なものだが、それだけではいい絵は描けない。そこで、色々思い悩むはめに陥る。 私はあるとき、かなり計算し尽くされた構図と色合いと技法を使って絵を描いたことがある。描く前から成功が約束された気分になっていたが、描き進めるにつれて、何か満足がいかない。しかし、それが何か分からない。やがてどうにもならなくなって、筆を止めてしまった。日本画だったので、描き直しはきかない。かくしてその絵はボツにした。今にして思えば、その絵に込めようとした私自身の思いが、絵画技法と構図論によって押し潰されていたのであろう。あるいは、理屈の詰まった哲学や計画のようなものに沿って、絵を特定の枠組みに無理に押し込もうとしていたのかもしれない。 今、私は、あまりそういった哲学や技術にこだわらず、恬淡と描く。無理に高度な描画技法を使おうとはしないし、構図論もときとして無視する。描きたいように描く。そんなふうな描き方に変わったのは、社会人になり自由な時間が少なくなってからのことである。最初は、緻密に構想を練る時間がないことに内心忸怩たるものがあったが、そのうち諦めて、感じたままを素直に絵にするスタイルに変えた。それはつまり、絵に凝らないということである。そして、その方が今の自分に合っているし、仕上がりも満足いくものが出来るような気がして来た。 今では、ふとインスピレーションのように浮かんだ風景を絵にしているだけで、何故それを絵にしようと考えたのか、論理的に説明出来ない場合も多い。昔なら、そこに無理やり立派な説明をこじ付け、自分なりの絵画哲学に沿った作品が出来たと納得していたのだと思う。しかし、そんなことをすればするほど、頭でっかちの哲学に絵が縛られる。絵を頭で描き始めると、またぞろ理念先行の絵になってしまう。 惹かれた理由もうまく説明出来ない風景を、特に凝った演出もせずに心の赴くままに描いていると、絵を見た人から「如何にもあなたらしい絵だ」と言われることがある。そうした無意識のうちに出て来る絵の傾向は、幾つかの作品を並べてみるとよりはっきり見えて来るようで、描いた本人も気付いていない点について、色々なコメントを頂く。どうも、絵に表れる自分らしさの何割かは、この本人も意識していない部分から生まれて来るものらしい。 大学生だった私は、この「絵の中における自分らしさ」をどう形作るかを、様々な技法論や構図論、有名画家達の絵画哲学の中に探していたのではないかと思う。しかし、今になって結局分かったことは、絵は頭で描くものではなく、心で描くものだという単純な真理である。私はどうやら、理念や哲学の迷路の中で、迷子になっていたらしい。思えば、随分回り道をしていたものである。 |
目次ページに戻る | 先頭ページに戻る |
(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.