パソコン絵画徒然草
== 2月に徒然なるまま考えたこと ==
2月 2日(水) 「やせ我慢の日々」 |
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「休日画廊」で展示している作品のジャンルに「静物画」というのがあるが、実態は、皆が想像するような室内の静物ではなく、野に咲く花や草を題材にしている。これが何故静物画なのかといぶかる向きもあるかもしれないが、そもそも静物画とされている作品の中にも、花瓶に活けられた花が題材になっているものが多数あるから、野に咲いていようが、花瓶に活けられていようが、同じではないかという思いが私にはある。 また、日本画には「風景画」とは別に「花鳥画」という分野が伝統的にあり、花や鳥などを題材に描く。この分野は今でも健在で、人気のある著名画家も多い。私も時々そうした作品を見ることがあるが、いい雰囲気作りをしている佳作が多い。名前こそ「静物画」としているが、そうしたジャンルを意識して草花を描いている面もある。 さて、この「静物画」のコーナーであるが、冬になるとめっきり題材が減る。私の場合、風景画に関しては想像で描いている面が多いが、植物に関しては基本的に見たものを描く。勿論、構図を組む都合で、実際に見た通りではなく、花・葉の付き方や枝ぶりを変えたり、脚色を入れたりはするのだが、現実に見たものが何らかの形で画面に反映されていることは間違いない。であるがゆえに、現実の題材探しが重要になり、実際にいい素材に出会うことが出来るかどうかが勝負の分かれ目になる。 最近の傾向では、冬になると、椿やスイセンを取り上げることが多い。それ以外にあまり花が咲いていないし、何よりモノトーンの世界と化した冬の戸外で、こうした花が目立つ存在だからである。冬には花が咲かない。これは当たり前のことで、花を咲かせても受粉のために訪れる昆虫はいないからである。それにもかかわらず、どうして上に掲げたような花は冬に咲くのか。答は、椿の場合には鳥が蜜を吸いに来て受粉し、スイセンの場合には、花は受粉のために咲いているのではない、ということらしい。いずれの場合も特殊ケースということだろう。 さて、実を言うと、今年の冬については、この椿とスイセンを素材に絵を描くことを、私は意識して避けているのである。冬の公園を散歩していると、この2つの花は確かに目立つし、何とはなしに描いてみたい思いに駆られるのだが、少なくとも今年は題材にすることを自粛している。理由は、こうした代表的な冬の素材以外に、今まで見逃していた"隠れた題材"を発掘したいと思っているからだ。 描き慣れた題材は、描く側にとって何がしかの安心感があるし、過去の経験もあるから、実に取り組みやすい。お蔭で、他に目立った題材が見当たらなくなると、同じ素材を繰り返し選びがちである。しかし、そんなことをしていると、マンネリに陥りやすいというデメリットのほか、そうした花の陰でスポットの当たらない新しい素材を、半永久的に見逃す結果になりかねないという問題も生じる。そんなことから、この冬は、新しい素材にチャレンジするべく、今まであまり目の行かなかったようなところをじっくりと見て、題材を探すよう心掛けている。 今年に入ってから描いている、ありふれた草、木守りの柿といったものは、そうして見つけた題材である。そのあまりに何気ない存在感から、一般的には取り上げられない素材なのだろうが、実際に描いてみるとそれなりの魅力はある。 この努力、最終的にどの程度実を結ぶのかよく分からないが、続けていく価値はあると思っている。自らの得意技を封じたところに見えて来るものが何なのか、ひと冬つぶして見極めるのも悪くないのではないか。あるいは、単なるやせ我慢なのかもしれないが…。 |
2月 8日(火) 「グランマ・モーゼス」 |
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芸術の秋は遠く去ったが、新年早々都内では、話題を集めそうな展覧会が幾つか開かれた。平山郁夫氏の平成洛中洛外図を展示した「平成の洛中洛外 平山郁夫展」(日本橋三越)、アールヌーヴォーの代表的作家の一人アルフォンス・ミュシャの作品を展示した「ミュシャ展」(東京都美術館)、幾多の国宝と東山魁夷氏の障壁画を並べた「唐招提寺展」(国立博物館)と、固定ファンが多そうな催しが目白押しだったが、その影に隠れてひっそりと「グランマ・モーゼス展」(東急Bunkamura)も開催されていた。 グランマ・モーゼスの名前は、多くの日本人にとってあまり馴染みがないだろう。日本にどの程度の固定ファンがいるのか定かではないし、実際、今回の「グランマ・モーゼス展」がどの程度賑わったのかも知らない。かくいう私も、実は会場に足を運んでいない。「あぁやっているんだなぁ」とは思ったが、結局行かず仕舞いだった。しかし、その名前を聞いて、ある種の郷愁のような思いが湧き上がった。 グランマ・モーゼスは、米国で大変人気のある作家である。米国で暮らしたことのある者なら、彼女の作品、あるいはグランマ・モーゼス的な世界が、どれ程米国の一般庶民に愛されているか分かるに違いない。私もニューヨークで3年ほど暮らしたが、その程度の生活経験しかない者でも、グランマ・モーゼスと聞くと、何かしら懐かしい思いに駆られる。彼女の作品に描かれたような風景は、近代化が進んだ米国内において今や出会うことが難しいが、それでも郊外の至る所で、そうした風景の残された場所を保存しようとしたり、あるいは観光用に復元しようとしたりしているのを見ることが出来る。あそこに描かれた世界は、米国人の原風景ということになるのだろうか。 グランマ・モーゼスの作品を仔細に見れば、その絵画技術水準は決して高いものでないことが、誰でも容易に分かるだろう。現に彼女は、絵について誰かの下で学んだことはない。元々農家の主婦であった彼女は、70歳を越えてから独学で絵を描き始めた。であるがゆえに、絵の描き方は教科書的ではない。イーゼルを使わずキャンバスを手に持って描く。パレットは使わず、直接チューブから絵具を筆に付ける。デッサンも描写も、決してうまくはない。技術的にうまい絵かどうかという基準から言えば、彼女の絵は稚拙の観を免れない。 では、何故、無名の彼女の絵が、あれ程短期間のうちに米国中を魅了したのだろうか。 その答は、結局絵は描画技術ではなく、描く中身に本質があるということに尽きるのではないか。彼女がキャンバスに描こうとした世界が、米国の庶民の心に何かを訴えかけたということだろう。近代化されていく生活の中で多くの人が失った大切なもの、あるいは自分の父母、祖父母、更なる祖先達がいた世界への郷愁、そういった様々なものが、グランマ・モーゼスの作品の中に込められていた。移民の国ゆえ、自分達の祖先、ルーツを大切にし、保存しようとする米国人の気質というのも、背景にあるのかもしれない。 しかし、米国で生まれ育ったのではない我々が、彼女の作品に魅了される理由は、一体何なのだろうか。舶来物をありがたがる日本人の気質のせいで、米国で人気と聞いて飛び付いたのか。そうではあるまい。あの絵の中にある何かが、我々のような違った歴史・生活習慣を持つ者まで惹きつけたのではないか。 私は、彼女の作品世界が、歴史や生活習慣こそ違え、自然とともに生きる人間らしい生活を描いていることが、米国以外の人々の共感を得ている理由ではないかと思う。現代の米国に生きる人々が失ったものは、同時に今の日本人が失ったものでもある。日々の生活の中で感じる、人間らしい生き方とは何かといった疑問や、自然に囲まれて暮らしたいという希望を、具体的に目で見える形で表したのが、グランマ・モーゼスの作品ということではないか。 いずれにせよ、絵は技術ではなく、語りかける内容によって、人々の共感を得、感動を呼び起こすということである。昔、米国にいた頃、こんな話を聞いた。日本人は英語下手を恥ずかしがるが、聞くべき内容のある話なら、どんな下手な英語でも米国人は一生懸命耳を傾け理解しようとする。しかし、なまじ発音がいいだけでさして内容のない、英会話のテキストみたいな話をする人には、彼らは「英語がお上手ですね」とお世辞は言うものの、その実、退屈に話を聞き流すだけである。我々は、下手な英語を気にする如く、絵画制作技術の下手さを恥ずかしがる。それが間違いであることも、グランマ・モーゼスの作品は教えてくれている気がする。 |
2月17日(木) 「建物を描く」 |
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もっぱら自然を相手に風景画を描いている私であるが、先日展示した旧岩崎邸の絵のように、時々、建物を題材として取り上げることがある。自然を描くときには、目の前の風景通りに描くことはないのだが、建物だとそういうわけにはいかない。実物を見て、その通りに描くことになる。これは当たり前のことで、空想で東京駅を描いている人なんていないだろう。従って、思わず描いてみたくなるような建物に出会えるかどうかが、建物を題材に絵を描く際の重要な第一歩になるわけである。 しかし、東京に住み始めてかれこれ20年以上になるが、絵にしたくなるような情緒のある建物や街並みというのには、なかなか出会えないものである。東京都内にこれだけ沢山の建物がひしめいているのに、である。勿論、目を引く建物や街並みなら山ほどある。絶え間なく外観を変えるこの巨大都市の中で、未来都市のような超近代的な街並み、目を見張るようなデザインの建物、洗練されたスポットは今まで何度も見て来たし、思わず立ち止まったことも一度ならずある。しかし、絵にしたくなるかというと、どうもそういう気にはならない。その微妙な感覚の差は何なのだろうか。 そもそも、「絵にしたくなるような情緒のある建物や街並み」という、フワッとした感覚の正体をきちんと説明してみせること自体、大変難しい。建物や街並みの中の一体何が、絵心を誘う要素なのか、画題を選ぶ私自身にもよく分からないのである。古びた廃屋のような建物に心動かされる一方で、六本木ヒルズを題材に絵を描こうという気分にはならない。では古ければいいのかというと、そういうわけでもない。古さで勝負すれば、江戸幕府開闢以来の伝統がある東京のことだから、由緒ある神社仏閣や歴史的建造物、遺構の類はごまんとある。だが、その前に立っても、制作意欲をそそられることはなかなかない。 1つ言えることは、どこかしら柔らかで、人の住んでいる、あるいはかつて住んでいた息遣いが聞こえるような建物には、心動かされることが多い。また、これは機械ではなく、確かに人の手によって造られたに違いないと見える建物にも、何がしかぬくもりを感じる。別に有名な建物である必要はない。名も知らぬ建物や街並みの中にも、どこか懐かしいような、親しみのある風情を感じることがある。そんなときにふと、絵に描いてみたいという気持ちが湧き上がる。逆に言えば、機能優先の建物、あるいは如何にも重機で組み上がったような人工的な色合いの強い建物には、食指が動かない。 ここまで書いて来て気付いたことがある。このすぐ上で書いたことは、建物・街並みだけではなく、身の回りにある道具についても言えるのではないか。機能的で便利な道具、見た目が洗練された素晴らしいデザインの小物などが沢山あるが、静物画の題材にしてみたいと思うような道具や小物は、最先端のもの、カッコいいものよりも、むしろ少し古臭く無骨ながら、手作りのぬくもりを感じさせるようなものに多い。 建物も道具も、所詮は人の作るものである。私は、建物・街並みを絵に描きながら、その実、それを作った人、住んでいる人を描いているのかもしれない。我々がそうした建物に情緒を感じるのは、作った人、住んでいる人の横顔がほの見え、息遣いが聞こえるときかもしれない。あるいは、そこに住み続けた過去の人達の面影を、またはその歴史の積み重なりを、何とはなしにイメージするからかもしれない。そう考えてみると、「絵にしたくなるような情緒のある建物や街並み」の正体が、少し分かったような気がした。 |
2月24日(木) 「得るものと失うもの」 |
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私の職場近くで、いつも通勤時に歩いている道路沿いにイチョウが植えられている箇所がある。春になると新緑がきれいで、夏には青々と葉が茂り、秋も深まると黄色く色づき、やがて木枯らしの到来と共に落葉する。その頃になると私が歩く歩道は、朝日を浴びて輝く黄色い落ち葉の絨毯と化し、朝の通勤時の心安らぐ憩いのひとときとなるのである。 先日、このイチョウ並木の剪定作業があり、枝が次々と切り落とされていた。交通量の激しい道路と歩道との境目に植えられているため、枝打ち作業で事故が起きないよう、囲いを作って大掛かりに行われていた。その囲いには剪定の意義を書いた説明板が付いているという丁寧さで、その全文を記憶しているわけではないが、イチョウの生育に配慮しながら、街路樹として交通の妨げにならないよう定期的に剪定を行っているとのことであった。 翌日その場所を通ると、枝が切り落とされ、無骨な姿となったイチョウ並木があった。そのゴツゴツとしたシルエットは、無残というよりやや滑稽で、何か人工のオブジェを見ているようだった。そんなイチョウ並木の様子を見ながら、私はふとニューヨークに住んでいた頃のことを思い出した。 私が住んでいたのはマンハッタンではなく、郊外の緑豊かな住宅街だったが、その中を通る道路の周囲には、沢山の木が植えられていた。いやむしろ、森の中に道路が通っていると言った方がピッタリするかもしれない。それらの木は、家の庭から張り出しているものもあれば、街路樹のように植えられているものもある。多くは年を経た巨木で、枝々をリスが駆け回っていた。そんな中を晴れた日に車で通ると、木漏れ日がキラキラと降り注ぎ、まるで映画のワン・シーンのようだった。 最初の頃、何故こんなに道路周辺の緑が濃く感じられるのかよく分からなかったのだが、暫くしてふと気付いた。日本ではめったにないことだが、周囲の木の枝が重なり合って道路の上を覆っているのである。車を運転しながら前方を見ると、緑のトンネルのように見える箇所もある。片側1車線の道路でこんなふうになっている例は、なかなか日本では見当たらない。 ただ、あるがままに枝を生い茂らせることには問題もあり、それは激しい風雨の後に歴然となる。道路の上を覆っていた大きな木の枝が強風で折れて落下し、至るところで道路が通行止めになるのである。勿論、町役場や村役場は心得ていて、すぐさま落ちた枝の撤去のために作業車両を出動させ、ドンドン片付けていく。住民も馴れっこになっていて、木でも倒れない限り大騒ぎにはならない。 強い風が吹くたびにこういう騒動が起きるのだが、だからと言って予防的に枝を切り払えという声は住民から起きていないように聞いた。日本では間違いなく苦情が出て、道路を覆う枝を切り落としにかかるだろう。現に私が見たイチョウ並木の剪定作業は、こうした事故予防を目的にしている。 何故、日米でこういう違いがあるのか、前から私は不思議に思っている。誰でも思いつくのは、そうした剪定作業の予算を市や町が確保できるか否かの違いではないかということだが、私がニューヨーク時代に住んでいたところは、非常に裕福な家庭が多い地域で、自治体の財政も充分豊かだったはずである。そうすると、役場が怠慢で予防的な剪定作業をする気がなかったのではという疑問が次に湧くが、米国では自治制度が極めて発達しており、日本と違って住民主権が徹底している。役所は文字通りサービス業者で、住民のニーズを汲み切れないと、首長はたちまち落選し役場の幹部はクビになる。従って、住民の多くが剪定が必要だと言えば、役場は必ず動くはずである。ということは、住民の側が剪定作業の必要性をあまり感じていないということになる。では、どうして住民が剪定を必要ないと考えているのかという疑問に突き当たるが、残念ながら私にもその正確な答は分からない。ただ、日米で周囲の自然との向き合い方に違いがあるということは、住んでいておぼろげに分かった。 私なりに感じたことを言えば、日本人は街の中に自然を作ろうとしているが、米国人は自然の中に街を作ろうとしているということではないかと思う。私が当時住んでいた家の庭にはリスは勿論、野ウサギまでいたし、夏になるとホタルが庭を飛び交っていた。一度だけだったが、野生の鹿が我が家を訪問したこともあった。それはおそらく自然をそのまま残しながら住宅を建てていったためではないか。自然がありのまま残っていれば、そこを棲み家とするものもまた生き残ることが出来る。 平日はコンクリート・ジャングルのマンハッタンで仕事をする住民達も、休日は自然に囲まれた自宅でゆったりと過ごす。行楽地などに出掛けなくとも、それだけで心がほぐれるのである。そんな自然に囲まれた生活に私は素直に感動したし、多くの日本人も私同様憧れるのだろうが、それを手にしたいのなら、我々日本人もまず街の在り方から考え直さなければならないのかもしれない。 自然の中で暮らすということは、ある意味不便なことである。強風のたびに落下する枝だけでなく、秋に膨大に発生する落ち葉の掃除や、スカンクやアライグマのようなありがたくない森の仲間たちの出現など、閉口することも多い。ただその不便さを改善しようと色々手を加えれば、自然の本当の姿は自分達の周りから失われてしまう。そして、そこを棲み家としていた動植物もまた、いずこかへ去って行ってしまう。人間にとって都合のいい部分だけ自然を残そうというのは、自然の摂理に反しているということであろう。生活の便宜ばかりを考慮した「改善策」によって、確かに日々の暮らしは便利で機能的になるかもしれないが、それは同時に、私達を本当に癒してくれる大切なものを失うということを意味しているのである。我々はついコインの表側だけを眺めてしまうが、その裏に何があるのかも知らなければならない。 滑稽な姿となったイチョウ並木を見ながら、ふとそんなことを思い出した。 |
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