パソコン絵画徒然草
== 2月に徒然なるまま考えたこと ==
2月 1日(水) 「もう一つの顔」 |
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今年の冬は全般的にかなり寒い。私のおぼろげな記憶によれば、昨秋の長期予報で気象庁は、この冬は暖冬だと予想していた気がするが、それが一転、12月に入るとぐっと冷え込み、日本海側では大雪になった。自然のダイナミズムにはいつも驚かされる。あるいは、それを予想しようとする人間の力のなさを思い知らされるということか。 大雪の被害が連日報道されているが、色々考えさせられることが多い。除雪作業などでたくさんの方が亡くなられていて痛ましい限りだが、気になるのはその年齢層である。高齢の方が実に多い。テレビで見るとすごい積雪量だが、あれを老人が必死に除雪している姿を想像すると、これは自然災害というより、少子高齢化問題そのものではないかと思ってしまう。子供たちは大きな町に生活の拠点を移し、老夫婦だけが田舎の家に残る。集落の平均年齢は相当高く、雪かきしてくれる若い世代の者はほとんどいない。そんなところが実態ではないか。少子高齢化は都会よりも先に田舎で進行すると言われているが、一連の報道は、それを如実に物語っていたように思う。 それにつけても思うのは、雪害の脅威である。家がすっぽり埋もれてしまうような雪の量、道路は通行できず人々は孤立する。我々が思う雪というのは、空からはらはらと落ちてきて、周囲を白い世界に変えてくれる、ややロマンチックなイメージである。しかし、それが一定の度合いを越えると、人間の命を奪う脅威になる。自然現象が持つ二面性をまざまざと見せ付けられる思いである。 今回の雪害報道を見ていて、ふと昔話に出て来る雪女の話を思い出してしまった。雪国で伝説として語り継がれ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)によって採録され小説として今に残っている。雪女の伝説には土地ごとに様々なパターンがあるようだが、八雲の「雪女」では、雪を逃れようと2人の木こりが避難した山小屋に夜やってきて、氷の息を吹きかけて老人の方を凍死させてしまうというものだ。その姿は透き通るような白い肌をした美しい女性として描かれている。その表面的な美しさと行動の恐ろしさが、雪の持つ二面性を見事に突いていて、長い間雪国に暮らして来た人々の感性の鋭さに恐れ入る。 多くの方がご存知のように、八雲の「雪女」の話には続きがある。たまたま、雪女が連れの老人を凍らせている現場を見てしまった若者に、雪女はこのことを決して口外せぬよう言い置いて、雪の中に姿を消す。後日若者は、ゆきという美しい娘とたまたま知り合いになり、二人は結ばれ子供までもうける。そして、ある雪の降る夜、若者は思い出話として雪女の話をゆきにしてしまう。そうすると、ゆきは「あれほど口外するなと言ったのに」と若者を責め、自分の正体が、あの日の雪女であることを明かす。しかし子供かわいさに、雪女は若者の命は奪わず、粉雪となって消えてしまう。確か、そんなストーリーだった。 自然の美しさを探しながら絵を描いている私は、相手が雪女と知らずに幸せに暮らす若者に似ているのかもしれない。そして、たまに雪害報道に接すると、はっとその正体を思い知るのである。自然が持つ美しさと恐ろしさ。自然を相手に風景画を描く以上、もう一つの顔のことを心の片隅にとどめておいた方がいいのかもしれない。別に自然の恐ろしさを絵にするわけではないが、そうした二面性をよく分かったうえで描くことは、絵の「すごみ」に通じるような気がするのである。 |
2月 9日(木) 「メカを描く」 |
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最寄り駅までの通勤経路に工事用車両の置き場があり、片隅に様々な工事用機材が並べられている。私はここを通るたびに機材の山をしげしげと眺め、絵に描きたい衝動に駆られるのである。 この種の機材を描きたくなるのは、美を追求するためではない。手を動かして筆や鉛筆の先から具体的な形を生み出していく楽しみを味わうために、描いてみたくなるのである。いわば、絵を描くのが好きな人間の本能的衝動ということになろう。そういう意味では、工事用機材に限らず、メカ一般についても食指が動く。 そんなことを言うと、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれない。私が日頃題材にしているものが、風景や植物など自然そのものであるからだ。私が描く風景画や静物画には、人工的な建造物や点景としての人はほとんど登場しない。たまに出て来ても、素朴な土の道であったり、粗末な小屋であったり、木の橋だったりと、およそメカとはかけ離れた素材ばかりである。そういう絵の嗜好から見ると、どうしてメカ的なものを描きたくなるのか不思議に思われても仕方ないだろう。 思えば小学生の頃にも、工事機材を題材にした絵をたくさん描いた。夏休みの宿題に写生が課されると、工事現場のかたわらでスケッチをした。今とは違っておおらかというか、いい加減というか、子供が隅に座って絵を描いていても追い払われることはなかった。当時好んで描いていたのはブルドーザーやクレーンで、その泥に覆われた鋼鉄の塊が、何故か題材として魅力的に映ったのである。 進歩した機械文明を絵画の題材にするという試みは、実はプロの絵の世界にも存在する。絵画の歴史をひもとくと、20世紀になったばかりの時代に、未来派と言われる一群の画家が登場する。ボッチオーニ、カルラ、ルッソロ、バルラ、セヴェリーニら、一般にはあまり知られていない人たちだが、彼らが目指したものは、機械文明を芸術の対象にすることだった。もちろんそれは、私が言っているメカを描くということと同義ではない。彼らが目指したものは、それまで主たる対象だった、自然の美や建物の美しさ、人物の造形といった、どちらかというと静的な素材から離れて、機械文明の下でのスピード感あふれる動的なモチーフを描いていくという新境地の開拓である。 しかし先ほど言ったように、私がメカを描きたくなるのは、そういった絵画哲学や美学とは全く関係なく、単に描くことの楽しみのためである。自然のたたずまいにはない均整の取れた造形、複雑な形状、人工的な質感。いずれも風景画には登場しない硬質な要素が、さりげなく私を誘うのだと思う。和食が続くとたまに洋食が食べたくなるのと、どこか似ている気がする。 ただ、描いてみたいと思うメカの背後に、私自身、冷たく輝く人工美をかすかに感じているのも、また事実かもしれない。日々機械に囲まれた都市生活を送りながら、時々自然の静かなたたずまいにあこがれて絵を描く。それは一つのバランスの取れた在り方かもしれないが、そのかたわらで機械を毛嫌いしているわけでもない。複雑な人工的造形というだけなら、機械以外にも色々あろうが、メカを描きたいという衝動の背後には、私を惹きつける何らかの魅力があるのだろう。 風景画に静物画、そしてメカ。何やら一貫しない組合せであるが、それで私の絵画世界は、私なりにバランスしている。何とも不思議な世界ではあるが…。 |
2月14日(火) 「省略の風景」 |
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風景画を描きながら時々思うのだが、絵を描く者は、モチーフの幾つかを思い切って捨てる勇気を持たねばならない。例えば、目の前の風景に、絵になる要素がたくさんあった場合、全てを画面に配置するのではなく、その中でもこれだと思うものだけを描き、他を切り捨てるのである。脇役的なアイテムが常に切り捨てられるわけではなく、時によっては、風景の中心となる存在感のあるアイテムを切り捨て、脇役のアイテムの中から味のあるモチーフを拾い出すこともあろう。メインのアイテムを切り捨てるときには、それなりの勇気がいるし、脇役の中から画面の主人公たりうるものを見つけ出すには、それなりの眼力がいる。しかし、それが出来るか出来ないかで、絵の構成力は大きく変わる。 こうしたことを考えるのは、私自身が単純な構図を好むという性癖があるからなのかもしれないが、それだけではなく、誰しもどこか心の片隅に留めておいた方がいい教訓のような気もする。 有名な日本画家である東山魁夷の傑作に「道」という絵がある。昭和25年、まだ魁夷がこんなに人気を博していない頃の作品である。縦長の画面に、ただ一本道が描いてある。それだけで他には何もない。 東山魁夷自身の手記によれば、この絵にはもともとスケッチがあったのだが、それは青森県の種差海岸に出掛けた際にとった、灯台の見える牧場の風景である。横長の画面で、そこに馬や柵とともに一本の道が描かれていた。このスケッチは作品に結びつかずそのままになったのだが、十数年を経て魁夷がこの古いスケッチを見ているときに、ふいにその道に心惹かれた。そこで彼は考える。スケッチに描かれた周囲の風景を全て捨てて、道だけを絵にしたらどうだろうかと。 魁夷自身そのとき、道だけ描いて絵なんかになるのだろうかと不安になったと手記に記している。そして、もう一度あの道を見に行こうと思い立ち、交通事情の悪い戦後すぐの時代に、東北本線に揺られて青森県まで出掛けるのである。記憶の風景と違って、十数年を経て道は荒れていたが、牧場に泊めてもらいスケッチにふける。そうして生まれたのが有名な「道」である。 この作品は、第6回の日展に出品されるが、魁夷自身、目立たないこの絵が、他の作品を伍して人々の人気を博すとは、予想もしていなかったようである。しかし、この極めて単純で力強い絵は、多くの人々の共感を得て、彼の代表作として長く愛されることになる。私も、東山魁夷と聞いて思い出す作品のうちに、必ず「道」が入っている。 彼が最初のスケッチに基づいて、灯台の見える牧場風景を作品にしていたら、こんなに有名にはならなかった気がする。勿論、画面構成をするうえで、幾つかのモチーフが並んでいれば、構図上のバランスも取りやすいし、まとまりもよくなる。灯台があれば空が広く取れるうえ余白が単調にならないし、馬がいれば点景として重宝する。しかし、そういう脇役を捨て去ったところで画面作りをすると、非常に力強い主張が絵にこもる。「道」はその代表例のように思うのである。 画面からパーツを捨てていくことは、実は勇気がいる。生じる余白をどう処理するかバランス感覚も求められる。しかし、捨ててこそ生まれてくるものもある。自分なりの新しい可能性にチャレンジしようと思えば、その勇気を育てていかなければならない。捨てることは同時に、新しい何かを生み出すことでもあるのである。 |
2月22日(水) 「ネット上のつきあい」 |
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仕事を持ちながら趣味でこんなサイトを運営していると、本業の忙しさにかまけて絵を描くだけで精一杯になり、ついつい相互リンク・サイトとの交流がおろそかになってしまう。申し訳ないことだと思いながらも、仕事もしなければいけないし、絵も描かないといけないし、かといって睡眠時間を確保しないと倒れるしで、如何ともしがたい。反省すれど行動せずの典型で、全く私のふがいなさのゆえんである。 「休日画廊」は開設後4年経つが、その間、実にたくさんの方から声をかけて頂いた。取り立てて宣伝しているわけでもない地味なサイトなのに、大変ありがたいことである。相互リンクをしているサイト以外にも、掲示板への書き込みやらメールのやり取りやらでおつきあいさせて頂いた例があまたある。お互い直接お会いしたことのない人たちなのだが、絵を通じた不思議な縁でつながっているのである。 実生活でも、仕事を通じたり、その周辺部分でお会いしたりして、何人も知り合いは増えていく。あるときは一緒に食事したり、また家族ぐるみの交流に発展したりと、親しくお付き合いすることもあるのだが、そのうち関係が途絶えてなかなか会えなくなってしまうことも多い。実生活の知人は、現実の世界でつきあっているだけに、直接会う機会が減ると、何となく疎遠になってしまう。それを考えると、直接面識のない人たちと、ネット上でこんなに長く縁が続くというのは、意外なことでもある。ネット上なら、思い立って時間さえあれば、掲示板への書き込みであれメールであれ、いつでも連絡可能という事情もあるのだろう。昔、文通仲間なんていうのがあったが、あれに近いのかもしれない。 それに加えて、ネット上の交友には、現実を引きずらないという利点もある。現実社会の知り合いと話をすると、ついつい仕事の話に話題が流れたりして、日々のストレスに引き戻されてしまう可能性がある。その種のわずらわしさを完全に切り離したところで純粋にプライベートで交流しようというのは、現実にはなかなか難しいものである。その点、ネット上の交友は、インターネットという仮想空間でのやり取りなので、実際の生活と明確な境界線を引くことが出来る。つまり、誰も自分の仕事のことや家族のことを知らないし、詮索もしないといった状態で交流が出来るわけで、お互い私生活を切り捨てたところで趣味の世界に没頭出来る。実際の生活ではこんなことあり得ない。 そう言えば、以前、ネットの世界に引きこもり現実社会で人と向き合えなくなった人々を取材した記事が、新聞か雑誌かに載っていた。もともと日常生活で人間嫌いの傾向にあった人が、ネットにひたっているうちにどっぷりはまってしまい、現実社会で他人と接することが出来なくなってしまったという話である。これは極端に病的な例だろうが、何となく状況は分からなくもない。ネット上の交友では、現実社会のストレスを引きずらなくてもいいからだ。私はむしろ、そうした人間嫌いの人でも、ネット上でなら人と接して交流を深められるのだなぁと感心したくらいである。 まぁ、そんなネット上の交友の良さを長々と論じたところで、自分自身は忙しさにかまけて交流がおろそかになっているのだから、何とも申し開きが立たない。でも、皆さんのこと、決して忘れているわけではないことを申し添えておく。この場を借りて、日頃のご無沙汰振りをひらにお詫びしておきたい。 |
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