パソコン絵画徒然草

== 3月に徒然なるまま考えたこと ==





3月 2日(火) 「シュールレアリズム」

 子供の頃から絵を描くのが好きだった方なら、一度はシュールレアリズムの洗礼を受けた覚えがあるのではないか。サルヴァドール・ダリやルネ・マグリットの作品を初めて見た絵画好きの子供なら、作品が放つエネルギーに引き込まれ、その不可思議な世界が、暫し頭から離れなくなるはずだ。私もそうだったし、同じように絵を描くのが好きな友人もそうだった。

 私が最初に抱いたシュールレアリズムのイメージは、ややSFチックな不条理絵画というもので、作品が本来意図する人間の内面の問題より、超現実的な描写の方にもっぱら関心が向かった。私は描かなかったが、表面的なものを真似た超現実絵画の制作に暫しのめり込む人も沢山いるようだ。

 しかし、そうした関心の多くは、パッと見た作品の斬新さに惹きつけられたものに過ぎず、自分で描いているうちに飽きてしまうことがままある。表面的なものを模倣している限り、そのうちアイデアが枯渇するか、グロテスクな世界に陥って嫌になるか、いずれかの道をたどる場合が多いように思う。そのままのめり込んで超現実絵画を描き続ける人は、どちらかというと少数派ではないか。私の場合も、シュールレアリズムへの関心がそのうち薄れてしまい、日本画・水墨画の世界に向かって行った。

 ダリが自らの作品で何を問い掛けようとしていたのかを考え始めたのは、皮肉なことに、シュールレアリズムのことを忘れかけた頃だった。大学の教養課程で精神医学や心理学の授業を取った際、フロイトの夢分析の話からダリの作品へと話題が及んでいった。法学部の学生だった私が精神医学や心理学の授業をとった理由が何だったのか、今ではよく思い出せないが、先輩諸氏から面白い授業だと教えてもらったためだったかもしれない。つまり、全く偶然のきっかけから取った講座で、たまたまダリと再会したのである。「偏執狂的批判的方法」という言葉を知ったのも、その頃だった。超現実世界を描いた作品の表面的な奇抜さの奥に、人間の内面の世界が潜んでいることを学び、作品の持つ意味が少し分かりかけた気がした。

 しかし、当時の私は、既に日本画の世界に深く足を踏み込んでいて、シュールレアリズムへ再びのめり込むことはなかった。子供の頃にひととき関心を寄せた分野の絵には、実はそういう奥深い意味が隠されていたということを知っただけであった。

 そんなふうにして次第に忘れかけていたシュールレアリズムに、もう一度出会う機会があった。渡米してニューヨーク近代美術館に出掛けたときのことである。実のところ、ニューヨーク近代美術館へ足を運んだ第一の目的は、門外不出と言われたアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」を見ることだった。そして、そこでたまたまダリの作品に出会った。

 ゆがんだ時計が枝から垂れ下がっている「記憶の固執」をはじめ、幾つかのダリの有名作品が展示してあった。ダリの絵は、私が想像していたよりも小さなサイズで、ちょっと覗き込むようにして鑑賞した。彼の作品が意図しているように、まるで心の中を覗き込むようであった。

 当時の私は、忙しさが嵩じて殆ど絵を描かなくなっていたし、未だパソコン絵画にも手を染めていなかった。要するに、絵画制作者としてではなく、純粋に鑑賞者としてダリの絵を見たわけである。そして、奇妙な世界への好奇心に満ち溢れていた小学生当時の感覚ではなく、学問の一環としてシュールレアリズムの意図を探ろうとした大学生当時の感覚でもなく、ただ素直な心で、ダリが見た「夢」と向かい会った。

 私はそのとき、少しダリのことを誤解していたのではないかと思った。あの超現実的な画面構成、人を食ったような奇矯な振舞いから、彼は生前変人扱いをされ続けて来たが、実はかなり真面目に、自分の内面の世界と向き合った人ではないかと感じたのである。彼の絵には、人を嘲笑うふざけた感じも、奇をてらおうというわざとらしい意図もなかった。むしろ、プラド美術館での模写で磨いたという古典的技法を駆使し、人の心の中にある不可思議な世界を、生真面目に描こうと試みた一人の画家の姿を感じたのである。ひょっとすると、生前の奇矯の数々も、彼なりの真面目な演出であったのかもしれないと、ふと思った。今となっては、確かめるすべは何もないのだが…。




3月10日(水) 「自分なりの幸せ」

 最近の世相がかなりすさんでいるのは、誰が見ても明らかだろう。失業者は増え、リストラされる一家の大黒柱や定職に就けない若者が沢山いる。治安も悪化し、凶悪犯罪も増えた。非力な小学生に大人が暴力を振るう異常事件も多い。我々が長い間夢見てきた未来は、決してこんなものではなかったはずだが、一体いつから脱線してしまったのだろうか。そして、その原因は何なのだろうか。

 日本人は戦後、焼け跡から経済的な豊かさを求めて必死に働いて来た。しかし、その結果が今日の有り様では、如何にも情けない気がする。勿論バブル崩壊があり、景気低迷が長く続いたことは事実だが、経済自体が破綻したわけではない。痩せても枯れても、日本は依然世界第2位のGDPを誇る経済大国で、バブル崩壊によって他の国に抜かれたわけではない。それなのに、いつの間にやら、みんなが自分のことを不幸だと感じる、本当に不幸な国になってしまった。

 しかし、その不幸の正体とは一体何なのだろうか。景気が悪いことだろうか。給料やボーナスが減ったことだろうか。あるいはリストラや失業者が増えたことだろうか。確かに、職を失い、生活の維持すらままならないような、かなり不幸な境遇に陥った方々がおられるのは間違いないが、みんながみんな、そうではない。外食の回数が減ったとか、生活の質が落ちたとか、悲哀を感じさせるエピソードはよく聞くし、多くの方が以前より厳しい生活を強いられていることは事実だろう。

 ただ、それを言えば、景気の悪い時期は今までだって何回もあった。給料やボーナスは減ったが、食うや食わずといった状態ではない。失業者は増えたが、餓死する人がそれに見合って増えたという話は聞かない。米国で街角によくいる大人の物乞いを、日本ではめったに見ない。確かにホームレスは増えたが、街角で通行人に物乞いする姿は見ない。更に、途上国では当たり前にいる子供の物乞いとなると、一度も姿を見掛けたことはない。

 逆のこともある。給料やボーナスは減ったが、モノの値段もデフレで下がった。ゴルフ場も空いたし、都心部のマンションも何とかまともな値段に落ち着いた。また、バブル経済下では高嶺の花だった携帯電話は、今や殆どの人が持っている。インターネットの世界だって、ISDNからADSLへ飛躍的に速度は向上し、最近では光ファイバーも充分手の届くところまで来ている。しかし、それくらいでは、人々は幸せを感じられないらしい。

 では、もう一度幸せになるために、我々は何をすればいいのだろうか。世の中の不満をベースに考えると、日本がもっと金を稼ぎ経済的に豊かにならないと、我々は幸せになれないということだろうか。かろうじて世界第2位を保っている程度ではダメで、米国を抜いて世界1位くらいの金持ちにならないと、幸せではないのだろうか。そして、私達より経済的に貧しい世界の殆どの国は、みんな我々以上に不幸なのだろうか。

 私は時々思うのだが、我々は結局、幸せになるのが下手なのではないか。豊かな暮らしと言われて、経済的な豊かさしか思い浮かべられないようでは、いつまで経っても幸せは来ない気がする。新聞・テレビは、経済的豊かさのレベルが落ちることが、即不幸の始まりというイメージで社会を語るが、そういう発想でいる限り、再び1本ウン万円のドン・ペリニヨンの栓を景気よく抜けるようにならない限り、幸せはやって来ないだろう。大企業に長く勤め、仕事一筋である程度の地位まで登り詰め、経済的にも豊かなはずの社会的成功者が、定年後に突然直面する、どうしていいのか分からない空しい生活の正体をきちんと知ることが、幸せ探しの旅の始まりかもしれない。

 私の休日の過ごし方は、散歩をし、サイクリングに出掛け、絵の着想を得てパソコンに向かう。お金のかからない質素な趣味だが、それで充分幸せである。かつてゴルフに熱中していた時代には、1回のゴルフ代で軽く数万円が吹き飛んだが、そのときと今の休日の過ごし方とを比べて、今がみじめで昔は良かったと思ったことは、一度もない。

 休日にやることは、私のように絵である必要はない。それで満足を感じられるものなら、何だっていいはずだ。ただ、その満足度合いを金銭で測るのは止めた方がいい。我々はそろそろ、横並びの幸せ意識から抜け出さなければならない。隣の人を見て自分の幸せの度合いを測るのは、終わりのない「幸せ」競争に陥ることである。そして、いつまでもその競争の勝者でい続けることが無理なのは、誰にだって分かるはずだ。

 テレビや雑誌で紹介されている幸せではなく、飾らない心で実感出来る幸せとは自分にとって一体何なのか。それを見つけられた人だけが、いつの世にあっても、本当の意味で幸せでいられる気がする。




3月18日(木) 「記憶の風景」

 自分が実際に足を運んで気に入った風景を見つけた場合、そこに暫く行かない間に、心の中で風景が美化されていくことがある。その場にふさわしくないものは忘れ去られ、気に入った部分だけが記憶に残る。丁度、不純物が取り除かれ、純化されたうえで結晶の形で残るようなものである。それと同時に、心の中の風景は、実際のものより広がりを持ち、大きくなっていく。まさに、理想の風景として、心の中で再生されるのである。

 そうなると、時が経つにつれて、心の中の風景と実際の風景の差は広がり、似ても似つかぬものになることがある。久しぶりに現地に足を運んだりすると、イメージの違いに戸惑うのである。

 小学生の頃、ある高原にキャンプに行った。それは私にとって初めてのキャンプであった。広々と続く緑の野原、夜は満天の星、朝は霧の中に浮かぶ森。一泊二日の滞在中に、素晴らしい景色を沢山見た。キャンプでの出来事はそのうち忘れてしまったが、そのとき見た幾つかの風景は、忘れ去られることなく、私の心に長く残ることとなった。

 それから随分経った後、その高原を再訪したことがある。当時、大学で美術部に所属していた私は、秋の部展に出品する作品の題材を探していた。夏休みに帰省した際、ふと、あの高原のことを思い出した。あそこに行けば、素晴らしい風景と再会して、沢山の絵の題材を持ち帰れると考えたのである。早速、車に乗って出掛けた。

 しかし、スケッチブックを抱えて車から降りた私は、どこか違う風景を見ているような気分になった。目の前にあるのは、実に平凡な風景なのである。子供時代の記憶に残る魅力的な景色は、どこにもなかった。確かにここだったのだろうかと自問自答したが、間違いはなかった。

 私には、何故こんなにも印象が違ってしまったのか、正直分からなかった。長い年月の間に、大きな工事があって景色が変わってしまったのだろうか。それとも、期待と不安を抱きながら初めてキャンプに来た子供時代の私には、風景が普段とは違って見えて印象に残ったのだろうか。もしかして道を分け入っていけば、記憶にある風景の断片なりとも見つけられるかもしれないと思いながら、暫しの間あちこち歩いてみたが、子供心に覚えていた風景を見つけることは出来なかった。

 「センチメンタル・ジャーニー(感傷旅行)」という言葉があって、時が経ってから思い出の地を再訪する人が沢山いる。その旅が、心に残っている通りの景色をもう一度見せてくれる、素晴らしいものであって欲しいと思うが、全部が全部、そうではあるまい。こんな場所だったかなぁと首をかしげるケースもあるかもしれない。そんなときには、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という室生犀星の詩を思い出す羽目になるのである。

 結局私は、印象に残った風景を、心の中でもう一度整理して育てていたのだと思う。育てた果てに出来るのが、思い出である。樽の中で長い間かけて熟成させたウイスキーがまろやかに仕上がるように、心の中でじっくり育った思い出もまろやかになる。そうした心の風景を絵にすれば、元になった実際の風景と違って来るのは当然ということになる。そして、熟成した分、味のある絵になってくれれば申し分ない。

 私は、記憶にある景色を探すのを諦めて、心の風景をたどりながら、高原の絵を描いた。それは、久しぶりに見た現実の景色とは違っていたが、それでも構わないと思った。それが、自分の心の中にある、自分なりの風景だと考えたからだ。カメラは現実に忠実にしか景色を写し出さないが、私が描いた絵は、作者の心のままにある。結局、風景画の魅力というのは、そんな辺りにあるのかもしれない。




3月23日(火) 「桜便り」

 ふと気が付けば3月も下旬となり、漸く桜の咲く季節となった。東京でも開花宣言が出たと聞いて、先週末、近くにある桜の名所まで出掛けてみた。まだ三部咲き程度ではあったが、春の柔らかい日を浴びて桜の花がゆったりと揺れる様は、如何にも春らしいのどかな光景だった。

 古い話だが、私が社会人になった頃は、土曜日は昼まで仕事という半ドンの習慣がまだ一般的で、仕事を終えて昼食がてら外に出て、そのまま職場に戻らず帰宅するということが、たびたびあった。この季節になると、春の陽気に誘われて、千鳥ヶ淵辺りまで足を伸ばし、桜を見物したこともあった。その頃は、まだ千鳥ヶ淵沿いにフェアモントホテルがあった。

 この有名なホテルには、たった一度だけ、同僚と連れ立って昼食を食べに入ったことがある。桜の季節なら中々難しいのだろうが、既に花は散り葉桜になっていたせいで、並ばずに食事が出来た。

 フェアモントホテルは戦後まもなく開業し、毎年、皇居のお堀端の桜が咲き始めると、「桜が咲きはじめました」という小さく短い広告を新聞に出し続けた。紙面の片隅に載せられたその囲み広告を、私も何度か見たことがある。シンプルであっさりとした広告文は、文字の小ささにもかかわらず、何やら心に響くものがあったのを覚えている。ホテル自体は内装も古く地味で、馴染みの常連客で何とかもっていたとも言われるが、ロケーションの良さもあって、存在感のあるホテルだったように思う。松任谷由実の「経る時」という歌のモデルにもなっていると聞いたことがある。

 桜の開花は、日本人にとって特別な意味があり、3月辺りから皆が待ち望んでいるものの一つである。今では、新聞・テレビで繰り返し開花予想を発表するが、昔はそう大々的に報じられていたわけではあるまい。そもそも、そんな報道を見なくとも、ある程度花の咲く時期は分かったのではないか。例えば、昭和30、40年代には、東京といえども、まだ自然が生活の身近にあり、人々は日々の生活の中で、周囲の自然から季節の移り変わりを読み取っていたに違いない。しかし、時代の移り変わりと共に都市開発が進み、周りに自然が少なくなって、いつのまにか春の兆しを身近に見て取れなくなった。フェアモントホテルが桜便りの広告を載せ始めたのは、昭和50年代後半になってからのことだと聞いた。

 大都市に住む者は今や、季節の移り変わりを、もっぱらカレンダーと新聞・テレビで知るようになった。「菜の花が咲いた」とか「桜がほころび始めた」ということをいち早く知るのも、テレビ画面や新聞のカラー写真によってである。人々はそれを見て、どこで何の花が咲いているかを知り、現場まで出掛ける。かく言う私も、テレビで桜の開花宣言を知り、週末に出掛けたくちである。ガイドなしには花見もままならなくなってしまうご時世かもしれない。そんなことをしているうちに、自分自身の目で自然の変化の気配を察する能力が落ちてしまったと危惧するのは、私だけであろうか。

 風景画を描くというのは、かなりの部分、季節を描くことだと私は思っている。画面に木や草などの自然の要素が全くなく、単に建物などの人工物だけを描くときですら、空の色や空気(画面の支配色など)の中に季節感を織り込むことは可能である。ただ、その季節感を漂わせる画力は、季節を敏感に感じ取ることの出来る人にしか備わらないのではないかと、私は思うのである。絵を描く能力を高めるためには、色使いや筆さばきなどの技術力だけを磨いていても限界がある。自然の変化を感じ取る敏感な感性が加わらないと、画竜点睛を欠く結果になりかねない。ただそれは、都市に住む人々にとって、意識しないとなかなか育たない能力のような気もする。




3月31日(水) 「不幸な出会い」

 最近、新聞、テレビで評判の高い美術展には足を運ばなくなった。どう考えても混んでいることが確実だからだ。それも、おそらく半端な混み方ではない。美術館に入るまでに外で延々と並び、入っても押すな押すなで、大勢の人達の頭の向こうに、半分くらい隠れた展示作品を見ることになる。そのために払う入場料は、間違いなく千円以上はする。そして、見終わった後の最初の感想は「疲れたね」ということになる。

 絵というのは、鑑賞するときの精神状態でまるで違う印象になる。我々は、絵を目で見ているのではなく、心で感じているからである。平静な心で見ればおそらく素晴らしいに違いない作品を、恐ろしい程の待ち時間の末、殺人的な混雑の中で見て、第一印象を悪くするのは、人生の損失ではないかとすら思う。思えば不幸な出会いである。美術作品を展示・鑑賞するのに最適な空間として作った美術館で、鑑賞者は逆に不快感を覚えながら絵を見ているというのは、何とも皮肉な話ではないか。

 私が海外の美術館を好きなのは、鑑賞にふさわしい環境が備わっているからである。静かな空間にまばらな鑑賞者。気に入った作品の前にいつまでも立ち止まっていられる。そういう中で鑑賞していると、スゥーと絵の中に感情移入していくのが分かる。

 もう随分前のことになるが、初めてパリのオルセー美術館に行ったときのことである。オルセーは元々駅だった建物を美術館に改装したもので、中に入るとかなり高い天井と、開放的な空間が広がっている。私が行ったのは午前中で、1階には殆ど見学者がいなかった。あるいは、上の階にある印象派の展示作品に集まっていたのかもしれない。

 私は、入り口から入って左側から見始めた。ミレーの展示作品があるところで足を止めた。「晩鐘」や「落ち穂拾い」など、誰でも知っている有名な作品が、柵もガラスもない壁面に無造作に掲げられている。私は吸い寄せられるように「晩鐘」の前に立った。特に熱烈なミレーのファンというわけではなかったが、そのときには何か目に見えない力が、私を引き寄せたような気がした。

 「晩鐘」は小さな作品だが、私と作品を隔てるものは何もないので、すぐ近くまで寄って見ることが出来る。私は5分ほど「晩鐘」の前に立っていた。その間、誰も来ないし、物音一つしない。その僅かの間に私は、ミレーが描いた19世紀のフランスの素朴な農村風景の中に、完全に同化したような気分になった。農作業に明け暮れた一日の終わりに、遠く聞こえる教会の晩鐘に合わせて祈る純朴な農家の夫婦。宗教を心の支えに、過酷な農作業をこなし、質素で善良な生活を営む当時の農民達の生活を、たった1つの祈りの場面が見事に捉えている。私はその風景が、ミレーの生まれ育ったグリューシーのものなのか、後半生を過ごしたバルビゾンのものなのか、詳しくは知らない。しかし、そんなことを知らなくても、私自身、その農夫婦の傍らにいるような錯覚を覚えたし、夕暮れの空に響く教会の鐘の音が聞こえそうな気もした。

 仮に、日本の美術館並みに混雑した中で「晩鐘」を見たとしたら、私はあそこまで作品が描く世界の中に入り込めていただろうか。答は明らかに否である。そういう意味では、日本の美術館の混雑振りは、作品の真の価値を伝える妨げになっているような気がしてならない。「それでもとても素晴らしかった」という感想を持つ人が沢山いるのなら、それはそれで大変結構なことだが、「実物を見たけど、まぁあんなものか」という期待外れの印象しか持たなかった人がいるとすれば、本当はもっと素晴らしい作品だったかもしれないということを、心の片隅に留めて欲しい。

 混雑した日本の美術館で見て余り印象に残らなかった作品であっても、機会があれば、その作品が本来収まっている海外の美術館でもう一度その作品を見てみることをお勧めする。違う環境で改めて鑑賞してみれば、あるいは自分の心を捉える魅力的な作品かもしれない。絵というのは、パッと見た第一印象だけで価値判断してはいけないものなのである。




目次ページに戻る 先頭ページに戻る


(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.