パソコン絵画徒然草

== 3月に徒然なるまま考えたこと ==





3月 2日(木) 「孤独な画家」

 芸術家というのは、お互い集まり議論を戦わし、それがそれぞれにとって新たな刺激となり、競い合いながら作品を作っていく、そんな印象がある。歴史に名を残す画家たちの活動の背後には、印象派からバウハウスまで、多くの画家の集まりがあり、お互い交流しながら作品を発表してきた。精神に異常をきたしたゴッホのような画家ですら、ゴーギャンとの親交があった。パリのカフェやワイマールのアトリエで、彼らは理想の芸術や自分たちの夢を語り合ったに違いない。

 しかし、そうした画家同士の交流の輪から完全に離れたところで、一人黙々と絵を描いた画家もいた。どの流派にも属さず、しかし後世に名を残した孤独な画家である。

 19世紀末のパリで、一人の女性がサーカスの最中に事故を起こし、けがをしてモデルに転向する。彼女はその後、ルノワール、ドガ、ロートレックなどの絵のモデルを勤めながら、やがて自分でも絵を描くようになる。彼女の本名はマリー・クレマンティーヌだが、画家としての名シュザンヌ・バラドンの方が有名である。この名前は、ロートレックが付けたとも言われている。当時の彼女の姿は、ルノワールの「都会の踊り」の中に見ることが出来る。

 彼女には、モーリスという名の一人息子がいたが、彼の父親が誰なのかはよく分からない。しかし、私生児を抱えて途方にくれていた彼女のために、スペイン人の画家が、自分の子供でもないのに認知をしてくれる。そのときからモーリスは、その画家ミゲル・ユトリロの苗字をもらい、モーリス・ユトリロとなる。

 しかしモーリスには、幼い頃から飲酒の悪癖があり、中学時代から酒びたり、就職先の会社も飲酒が原因でクビになる。その後益々酒におぼれ、ついにはアルコール中毒から精神病院に入院させられる。息子の身を按じた母親は、モーリスを酒から遠ざけようと絵を描かせる。

 母親は特に技術的な手ほどきはしなかったし、モーリス自身も誰かに師事したり、美術学校に通ったりすることはなかった。母親にしてみれば、ただ酒から気をそらせるためだけに息子に絵を描かせたのだし、それ以上のことは何も期待しなかったのである。ユトリロは、その後モンマニー時代、白の時代、クロワゾンの時代、色彩の時代と、少しずつ画風を変えながら作品を発表していくが、終始孤独にパリの街を見つめ、うらぶれた下町の風景を描いた。

 奇しくも、20世紀に入ったばかりのパリには、世界中から若い画家たちが集まり、日夜カフェで芸術談義を交わし、交流を重ねていた。シャガール、モンドリアン、モジリアーニなどは代表例だが、日本の藤田嗣治もそうした一人である。当時のパリには、審査がない自由出品の展覧会や、前衛的な芸術作品に理解を示す画廊もあった。そうした自由な雰囲気が世界中の若手画家を引き寄せ、芸術の都パリの名前を不動のものにしていった。こうした若手画家たちは「エコール・ド・パリ」と呼ばれる新しい芸術家グループを組成していくのである。

 そんな中にあってユトリロは、そうした若手画家たちと夢を語り合うこともなく、議論も交わさず、ひたすらアルコールでにごった目で、街角の風景を眺めた。彼の生活と制作の舞台であるモンマルトルにはピカソも住んでいたし、モンパルナスまで足を伸ばせば、シャガールらが集まる「蜂の巣」もあった。しかし彼は、ワインを飲むために絵を描き、やがて喀血して世を去る。

 私はユトリロの描くパリの街角の風景を見るたびに、その孤独な生涯を思い浮かべる。彼の風景画に惹かれる日本人はたくさんいると思うが、最も人気の高い白の時代の作品にただよう哀愁が、パリの街角からかもし出されるものだけでなく、ユトリロの孤独な生涯の反映でもあることを知る人は、そう多くないのではないか。




3月 8日(水) 「冬の散歩」

 最近になってようやく暖かい日も多くなったが、例年に比べ今年の冬は寒かったと思う。雪も多く、日本海側の県ではたくさんの積雪被害が報じられていた。東京でも厳しい寒さのためか、暖房器具や冬物衣料の売り上げが伸びたと聞く。

 昨年は冬でも休みの日に絵の題材探しを兼ねて自転車で遠出していたが、今年は寒さのせいか、自転車で遠くに出掛けるのが億劫だった。その替わり、たまに休日に散歩がてら遠くまで歩くようになった。地図をパラパラ見てからふらりと出掛け、行きと帰りの道を変えながら、町中を探索する。意外と知らない風景が多くて楽しめる。

 車と違って自転車で出掛けると周囲の風景がゆったり観察できる。更に徒歩となると、一層じっくり四方を見渡しながら進める。おまけに階段だろうと路地裏だろうと、苦にせず通れる。自転車に比べて行動半径は狭くなるが、その分濃密に辺りを観察できるわけで、絵の題材探しにも役立つ。

 私が現在暮らしている練馬区は、その大半がかつては畑や田んぼなどの田園地帯で、おそらく昔からある家の多くが農家であろう。以前、昭和30年代に練馬に家を買って住み始めた人と話をしたことがあるが、当初下水道はおろか上水道も整備がままならず、井戸から水を汲み上げている家がたくさんあったと聞いた。私の近所にいくつか路地があるが、これらの多くは元農業用水路だったようだ。

 そうした農業地帯が、東京の発展とともに次第に住宅地に姿を変え今日に至っているのだが、今でもポツポツと畑は残っている。冬の早朝にその脇を通ると、一面霜がおりている様子を見ることが出来るし、ときには霜柱を発見することもある。また、歩きながら見ていると、家の敷地の広さや、家の配置の仕方から見て、明らかに農家なのだろうと分かる家がある。庭には柿やみかんの木が植えられ、農機具を入れておく木造の小屋が建っていることもある。かつての田園地帯の名残りを感じさせるこうした町中の点景は、見ていて何か懐かしい気分にさせてくれる。

 私は冬の休日の散歩を通じて、名も知れぬ東京の町中にも、昔ながらの味わいのある点景がまだまだ残っていることを実感した。それが絵の題材になろうがなるまいが、この際関係ない。自分の住んでいる町がそういう側面を持っていると分かっただけで、充分である。ありふれた日常の散歩にも、隠れた楽しみがあるものである。




3月16日(木) 「描き直し」

 時々、以前描いた絵を描き直したくなることがある。おそらく絵を描く者なら誰しも、そんな思いに駆られることがあるだろう。

 今に伝わる歴史上の名画の中にも、ほぼ同じ構図、ほぼ同じ色合いで描かれた複数の作品が伝わっているものがある。よく知られているのは、ミレーの「種まく人」やゴッホの「ひまわり」だろう。「種まく人」の方は2枚あり、1枚はボストン美術館、もう1枚は山梨県立美術館にある。「ひまわり」はもっとたくさんあって、アルル時代のものだけでも7枚あると何かの本で読んだ記憶がある。

 同じモチーフを追求し続けることは誰にもあるし、不思議なことではない。ずっと桜の絵を描き続ける人もいれば、特定の家族を長らくモチーフにして来た高名な画家もいる。しかし、それと、一旦描いた絵を描き直したくなるのとは、ちょっと次元の違う話ではないかと思うのである。同じモチーフを追い求め続けるのは、より理想的な形でモチーフを画面に表現したいという姿勢がベースになっており、その目は常に未来の理想像の方を向いている。他方、一旦描いた絵を描き直したくなるのは、既にある作品への反省からであり、その目は過去を、より具体的に言えば、その作品を描いたときの構図や絵具の選択、筆運びなどの制作姿勢の方を見ている。ほぼ同じ構図と色合いでもう一度描き直してみたいという気持ちは、出来得ることなら、時計の針を元に戻して作品を描き始めた時点に戻り、同じ作品をもう一度描いてみたいというのと同義ではないか。

 そういう場合、既に出来上がっている作品は、失敗作ではない。ほぼ同じ構図と色合いでもう一度描き直してみたいというのは、あくまで既に出来上がった作品が、基本的に作者の意図していた通りのものになっているからである。ただ、どこかが気に入らない。それは塗った色の一部であったり、構図の細部であったりするのだが、とにかく画竜点睛を欠いているのである。

 既存の絵画だと殆どの場合、描き直しは全くいちから絵を描き始めることを意味する。うまく上塗りすれば済むような簡単な修正を除けば、一旦描いた絵を手直ししようとすれば、自分で満足している部分も含めて、もう一度ほぼ全てを描くことになる。これは当たり前のことではあるが、ある意味、退屈な作業を多く含んでいる。それが嫌さに、描き直してみたくとも、踏み切れない場合が多々あろう。かくして、どこか満足のいかない作品を前に、不満を抱えながらも自分をなだめている方も多いのではないか。私も過去、何度か絵の描き直しをしたことがあるが、苦痛を覚えながら筆を運んだ記憶がある。

 ところが、パソコンで絵を描くようになってから、描き直しについて世界が全く変わった。パソコンの描画ソフトには「戻る」という機能があり、描いている途中で描き直したくなれば、相当前のところまで戻れる。更に、市販のソフトの多くはレイヤー機能を持っているので、レイヤーを多用して分割管理していると、山なら山、森なら森といった個別のパーツだけを、他のパーツに全く影響を与えることなく描き直すことが出来る。もっと細かく描き直したければ、レイヤーをこまめに分け、森なら森の陰影部分だけを手直しすることも出来る。また、手直しした箇所に合わせて、全体の色調を修正することも可能だ。これは、油絵や日本画などの既存の絵画から見れば、驚異的なことだろう。

 パソコン絵画に乗り換えて簡単に描き直し出来るようになってから、私は時々古い作品を引っ張り出して来て、手直ししてみる。描いた時点では一応満足のいくものであっても、暫くしてから見ると、不満が生まれることがあるからである。そして、そうした作業を通じて、私は実に多くのことを学んだ。

 最も驚いたのは、不満があって描き直してみた結果、やはり元の作品の方が良かったと思う場合があることである。頭の中のイメージは所詮想像の産物に過ぎず、修正は必ずしも改善に結びつかないということだろう。また、当初の修正方針とは別の直し方の方が、完成度が高まったと感じることもあった。おそらく、手間のかかる油絵や日本画では、これだけの描き直しは不可能だったろうし、途中で修正方針の変更をすることも無理だったろう。かくして、こと描き直しに関して言えば、私は一般の方々とは比べ物にならないくらい実績を積んだことになる。

 余計なことかもしれないし、素人の浅はかな考えかもしれないが、芸大、美大や美術系専門学校でも、パソコンを活用してこういう訓練をしてみたらどうだろうか。パソコンを備え付けるのにかなりの投資額が必要かもしれないし、各人がパソコンで絵を描くのに慣れるのも大変かもしれないが、私の経験では、それに見合う見返りはあるような気がする。何よりデジタル時代にふさわしい学習方法だと思うのだが…。




3月21日(火) 「再び、途切れがちの徒然草」

 またもや仕事が佳境に入っていて、猛烈に忙しくなっている。遅くともゴールデン・ウィーク前には何とか片付くと思っているが、こちらの尽力だけでは如何ともしがたい面が多々あるので、どうなるか分からない。かくしてこの「パソコン絵画徒然草」は、昨年暮れに引き続き、再び途切れがちになりそうである。
 とりあえず日々の思いを短く記そう。

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 最近陰影について考えることがある。日本家屋が作り出す陰影はどこか柔らかい。石造りの西洋建築とは、心なしか影の濃さが違うような気がする。そういえば、伝統的な日本画には影がない。一方、近代絵画以前の西洋画が描き出す影には、濃密な闇が潜んでいる。影の違いだけで、絵はこんなにも違うのだろうか。

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 平日が猛烈に忙しくストレスが溜まるせいか、最近休日に外に出かけなくなった。というより、引きこもり症ではないが、休みの日は家でじっとして心落ち着けたいという精神的欲求がそうさせているのかもしれない。それでも今日は、家族に誘われて自転車で遠出した。行く道々で気付いたが、木蓮が咲き、桜のつぼみも大きくなっていた。多忙であることは、人間にそんな春の訪れさえ忘れさせてしまうらしい。

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 書きたいことは積もれど、仕事にまぎれて忘れてしまう。あるいは、書き連ねるだけの余裕がない。平日は、夜中の2時、3時に帰って来たりするので、パソコンをつける時間すらない。それでも週末に休めるだけましと思わなければなるまい。世の中には、働きづめの人がたくさんいる。我々の幸せというのは、維持するためのコストが膨大だということに改めて気付く。GDP世界第2位の国民は、不思議なことに意外と不幸である。
 いずれにせよこのままでは、徒然草はお休み状態である。また、掲示板に書き込みして頂いても、返事が遅れるかもしれない。何とか耐え忍んで、私なりの春を待つことにしよう。

「いつまでも続く不幸というものはない。じっと我慢するか、勇気を出して追い払うかのいずれかである。」(ロマン・ロラン)




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