パソコン絵画徒然草

== 4月に徒然なるまま考えたこと ==





4月 2日(水) 「桜、好きですか」

 桜はいい。満開の桜を見るたびにそう思う。一つ々々の花に派手さはないのだけれど、日本人の心を捉える何かがある。うららかな日を浴びながら、春風にあおられて花びらがはらはらと舞い落ちる。そんな光景を見るたびに、桜の花にまつわる様々な思い出が甦って来る。

 桜が歓迎される理由の1つは、それが春の訪れと同義だからだろう。カレンダーの上では、4月になれば春だと一般に認識されているが、暦通りには季節は変わらない。その年々々で、春の来るのが早かったり遅かったりする。結局我々が季節の変わり目を感じるのは、日の暖かさや、森や川などの自然の変化である。そして、春の訪れを知らせる代表例が、桜ということなのだろう。寒い冬を我慢して過ごして来た我々は、春の到来を待ちわびている。そこで咲く桜の花は、来るべき輝かしい季節の先触れなのである。

 思い返してみると、学校には、必ずと言っていいほど桜の木があった。入学式や、早いときには卒業式の頃に花が咲く。そのせいか、桜には、別れや旅立ち、新しい生活の始まりなどのイメージがある。桜の花を見ていると、過去のそうした情景の一コマ々々が甦ることがある。あの花には、各人ごとにそういう様々な記憶が込められているのである。

 結局、桜の花が持つ良さとは、そうした諸々のことを含んだ上での良さなのである。そういう特別の意味を持つ花というのは、そう多くはない。

 我々の血の中に抜き去りがたい桜への憧憬があると思ったのは、ニューヨークに住んでいた頃のことである。ニューヨークの人にとって春を告げる花といえば、「ドッグウッド」(ハナミズキの一種)であって桜ではない。私達が住んでいた周りにも、桜は植わっていなかった。そんな春のある日、植物園に出掛けて、遠くに白い花の咲く木を見かけた。遠目に桜ではないかと思われた。我々はそれを確かめるため、わざわざそちらに向けて歩き出した。木の全景が見えるところまでたどりつくと、果たして桜だった。我々は嬉しくて「桜だ、桜だ」と騒いでその前で写真を撮った。無性に懐かしく、しばし家族で、色々なところの桜を見に行った思い出など話し合った覚えがある。そのとき、桜という花は我々日本人にとって特別な花なのだと、改めて感じた。

 私が毎年のように桜の絵を描いているのは、遠い思い出を伴って、花がそう誘うからである。絵を描きながら、私は色々なことを思い出す。そういう思い出の数々が、一筆ごとに絵に込められて行き、完成した絵は、写真では表しきれない何かを含んだものになる。人の手で描くとは、そういうことであり、その点が写真と違うのだと思う。絵に、心や思いを込めるとは、そう小難しいことではなく、そんな何気ない行為なのだと私は考えている。

「願はくは桜の下にて春死なむ その如月の望月のころ」(西行法師)




4月10日(木) 「地獄変」

 芥川龍之介の小説「地獄変」は、読んだことのない人でも名前くらいは聞いたことがあるだろう。平安期に「堀川の大殿」という貴族に仕えた、本朝第一の絵師「良秀」を主人公にして、彼が最後に描いた「地獄変」の屏風にまつわる一連の物語が進んでいく。

 この作品が面白いと思うのは、天下一品の腕前を持つ天才絵師が、実は人間的にゆがんでいるという設定である。我々が思い描く高名な画家の人間像は、その道を極めた者が持つ高い精神性と、美に対するすぐれた洞察力を兼ね備えた人格者というイメージだが、芥川龍之介が描いた「良秀」は、火炎地獄に苦しむ亡者を描くために、若い女性を生きながら焼き殺す様子を見せてくれと自分の主に頼む冷血漢である。他にも「良秀」は、「地獄変」制作のために、弟子を鎖で縛ったり、ミミズクをけしかけたりして、その苦しむ様子を横でスケッチするという非人間的なこともやってのけている。

 この作品が描くように、高名な画家だからといって、本当の人間性がどんなものかは、分からないはずである。しかし、日本人は精神論が好きだから、どのような分野であれ、その道を極めた者は立派な人格者に違いないという思い込みがある。現に書物などでは、有名画家に関してそういう人間像を彷彿とさせるエピソードばかりが語られがちである。でも、本当のところはどうなのだろうか。

 もう一つ、この作品を読みながら思うのは、芸の道を極めるとは、結局どういうことなのかという点である。若い女性を生きながら焼き殺す様子を見せてくれという「良秀」の願いは聞き入れられるが、主が選んだ犠牲者は「良秀」の最愛の一人娘であり、「良秀」は眼前で炎に包まれる娘の姿を描写するはめになる。しかし、そうして描かれた「良秀」の「地獄変」の屏風は、すさまじい迫力を放つ傑作として結実する。このあまりにむごい出来事の結果生み出された作品が、いわば道を極めた傑作になるというのは、我々が普通に思う「道を極める」という概念とは異なる。一般に「道を極める」というのは、もっと崇高な努力の末に到達する精神的・技量的境地のように思うのだが、芥川龍之介の描き出したプロセスはあまりに凄惨で、芸術と道徳とが対立軸となって折り合うことがない。

 古今東西の名作の制作プロセスについて語られるエピソードに、私は時々、画家の執念のようなものを感じることがある。その執念を支えているのは、あくまでも芸術に対する無垢で純粋な求道心であると思いたいのだが、そうでない可能性もあろう。いや、むしろ、芸術に対する求道心とは、お化粧を剥げば、所詮こんなものに過ぎないと、芥川龍之介は言いたかったのかもしれない。

 画家も人間である以上、人並みに欲望や野心を持っている。絵を描いているからといって、皆が皆、徳の高い人格者とは限らない。自己中心的な人もいるだろうし、社会常識から外れた振舞いを平然と行う人もいるかもしれない。そのことを我々は忘れがちだし、敢えて言えば、無理に美化しようとしている面すらある。

 絵の世界では、描いた画家の人柄より、残された作品の質の方に目が行くものだから、画家の人格に対する詮索など、普通の人はしないものである。しかし、例えば「良秀」みたいな画家が「地獄変」のような傑作を後世に残したとしよう。彼の邪悪な人柄や制作エピソードは何も記録がないとして、人々はその作品を見て、彼のことをどう評価するのだろうか。おそらくは、くだんの思い込みから、道を極めた立派な画家のイメージを描くのではないか。これは、考えてみれば恐ろしいことである。

 自分の非人間的な欲望から、最愛の一人娘を焼き殺された「良秀」は、作品完成の後に自ら命を絶つ。それが人間としての「良秀」の、せめてもの救いなのだが、絵を描く者としては、彼の残した「地獄変」の屏風の意味を、どう解釈すればいいのだろうか。何度読み返してみても、色々考えさせられる一編である。




4月17日(木) 「絵描きの季節」

 絵画制作に本来季節性はないのだが、私個人としては、春と秋が画題豊富な季節のように思う。雪景色を重視するのであれば、続いて冬、最後に夏という感じか。こういう季節感覚は、個人によって絵の得意分野などが違うから、異論があるかもしれない。例えば、雪景色を得意とする人には、冬が一番画題豊富な季節ということになろう。

 夏は、太陽光線が強いせいか、昼間の風景が白っぽく見えて面白みに欠ける。また草木の緑が濃くなって、山や森が単一の緑色になる。お蔭で、自然の微妙な表情というものが読み取りにくくなってしまう。一方、冬になると、葉が落ちた山や森は単色の世界になって、どこを見ても同じ色に見える。そのせいか、風景全体が淋しく味気ない感じになって、人の目を惹きつけるものがなくなってしまう。

 問題は、こうした自然の表情だけではない。戸外でスケッチや絵画制作をすることを考えると、夏と冬は、暑さ、寒さなどの気候条件の面でも問題が生じる。現場主義を貫いて風景画を描く者にとって、試練の季節と言えなくもない。

 昔、スケッチブックを抱えて夏の山に行った。汗をかき々々、漸くめぼしいスポットを見つけて腰掛けた。汗をぬぐって、さて描こうかとスケッチブックを広げてみたものの、5分ともたなかった。藪蚊である。これは如何ともしがたい。顔の周りを飛ぶ蚊を追い払ったり、腕に止まった蚊を叩いたりしていると、全く絵に集中出来ない。山中ゆえ火は使いたくないので蚊取り線香など持って行かなかったし、当時は虫除けスプレーなんてしゃれたものもなかったから、こちらは無防備である。結局、2〜3枚のラフスケッチと、10箇所以上に及ぶ虫刺されの被害を抱えて、ほうほうの体で下山した。それ以降、夏の山中にスケッチブック持参で分け入ることはやめてしまった。

 冬場は冬場で厄介なことがある。吹きさらしの戸外でスケッチしていると、手がかじかんで動かなくなるのである。スケッチというのは、微妙な手の動きを要求されるから、手袋は適さない。手袋をしたまま字を書くと、思うように筆先が走らないのと同じである。しかも、手袋をして濃い目の鉛筆で描いていると、手袋がスケッチブックに接触した際、こすれて画面全体が汚くなる。素手だとその被害があまり気にならないのだが、手袋だと何故かこの種の不手際が多くなる。確たる理由は分からぬが、手袋をしている分、手の感覚が鈍って、注意不足になるのであろうか。しかし、手袋なしで描いていると、途中から寒さで思うように手が動かなくなる。どちらにしたところで、悩ましい事態になるのである。

 先日来、春のうららかな日に誘われて公園などに散歩に行くと、スケッチブックやキャンバスを広げている一群の人々に出会う。戸外での活動にはいい時期で、今だとばかりに繰り出しておられるのだろう。気持ちよく戸外で絵が描ける日は、おそらく梅雨までの僅かな間しかない。その後は、梅雨と猛暑に見舞われて外に出掛けるのが億劫になる。次に戸外での絵画制作に適した気候になるのは、残暑が和らいでから北風が吹くようになるまでの短い期間ということになる。そうした時期にあっても、雨の日は戸外での活動は諦めざるを得ない。自分が濡れるのは我慢出来るとしても、紙やキャンバスが濡れるのは困るからである。風の強い日も同じであろう。

 こうして考えて来ると、自分が自由に使える休みの日に、たまたま気候に恵まれる確率はどのくらいのものだろうか。おそらく、年間で見ても、そう多くはあるまい。写真だと、夏でも冬でも、あるいは雨の日でも、それ程苦労なく撮れるかもしれないが、一定時間一所に留まって繊細な作業をしなければならない絵画制作の場合には、何かと気候上の制約に活動が阻まれる。プロの画家なら、多少の厳しさは覚悟のうえだろうが、アマチュアは楽しく描くことが第一だから、描きながら不愉快な思いをするなら、元も子もない。

 絵画制作の場合、現場主義は中々つらい。ただ、つらいがゆえに、僅かのチャンスに出会った素晴らしい風景には、ひとしおの感慨が湧くということだろうか。現場主義で描いた絵には、そこで出会った風景だけでなく、描いた人の苦労や思い出が一緒に塗り込められているということかもしれない。漸くやって来た待望の春、現場主義に徹する方々に対して、一期一会の風景との出会いが素晴らしいものであることを願ってやまない。




4月22日(火) 「日本の色」

 パソコンで絵を描くようになった現在でも、たまに画材店をふらりと覗くことがある。あそこには何か、絵描きの夢が詰まっているような気がするからだ。取り立ててあてもないまま店内を歩き回っていると、そこに置かれている画材の一つ々々が、新しい絵の世界へと私をいざなっているような、不思議な感覚を覚える。そんな中でついつい足を止めて見入ってしまうのが、絵具のコーナーである。カラフルな絵具が並んでいるのを見ると、この色でこういう絵を描いたら面白いのではないかと、新しい絵の構想が浮かんで来たりする。

 しかし、きれいにレイアウトされた絵具の色名を見ていると、ふと疑問が湧いて来ることがある。現在、油絵やアクリル画、水彩画などの絵具の名前は、英語名をそのままカタカナで表示してあるものが圧倒的に多い。如何にも日本語らしい名前が付いているのは、日本画の岩絵具や子供用の水彩絵具ぐらいのものである。

 現在売られている絵具の色数は、絵の種類やメーカーによってまちまちだが、およそ百種類前後といったところではないか。これに、英語の色名をそのままカタカナにした名前がついている。勿論、絵具のメーカーが外国の会社の場合には、世界共通の色名を使いたいといった事情はあるのだろうが、日本のメーカーであっても、ものの見事に全てカタカナである。私は、色名に日本語が使われていないことに何がしかの抵抗を覚えるのだが、メーカー側に言わせれば、日本語名ではそんなに沢山の色数を表示出来ない、ということなのだろう。

 私達が日本語の色名として知っているのは、赤、青、黄などの基本色を組み合わせたり(「黄緑」「赤紫」など)、「薄」「濃」などの修飾語をつけたりして(「薄緑」「濃紺」など)、人工的に作られた名前である。しかし絵具の色は、緑一つをとっても微妙な色相、明度、彩度の差をもとに何種類もの色があるわけで、幾つかの簡単な単語を組み合わせただけの色名で、全ての絵具を識別するのは難しいだろう。そもそも、この人工的で単純な、日本の色名自体に問題があるのではないか。

 よく行政当局が、効率的な住所制度を整備するために、古い町名を廃して「千代田町」「中央町」などの人工的な名前を勝手に割り振り、住民の反対に会うという話を聞くが、私は日本の色名を聞くたびに、この話を思い出す。この人工的な日本の色名は、どんな色なのか見当が付けやすい利点はあるものの、あまりに機械的で情緒がない。では、その旧町名に当たる昔からの日本の色名は何かということになるが、それを知る人は、今や少数派である。僅かにこうした古い色名が生きているのは、日本画の絵具と、着物などの和装品の世界ぐらいではないか。

 辰砂(しんしゃ)、橙(だいだい)、山吹(やまぶき)、萌黄(もえぎ)、浅葱(あさぎ)等々。これらは全て、古来より使われて来た日本の色の名前である。自然に存在する色にちなんで付けられているものも多く、命名の仕方に日本人の自然に対する感性がほの見える。言葉使いは古風だし、名前から直ちに色合いが想像出来ないものも多いが、それは、我々日本人がこうした色名を見捨ててから、随分時が経ってしまったからである。いや、そもそもこれが色の名前だと分かっている人は少ないのかもしれない。だから、ポケモンに出て来る「クチバ」「アサギ」「ニビ」「セキチク」といった町の名前を、大抵の日本人は変わった造語だと思っているふしがある。今更「朽葉色」と言われて、具体的な色が直ちに思い浮かぶ人は滅多にいないだろう。しかし、私はこういう古風な色の名前が今でも好きだし、私の絵のベースになっているのも、そんな名前で今に伝えられている、日本古来の色であることが多い。

 私は、美術作品だけでなく、色彩も文化の1つだと思っている。我々日本人が捨ててしまった古くからの色名の中には、日本の美術や装飾を支えて来た色が多く含まれている。だからこそ、こうした色を使った絵には、我々日本人の魂の奥底をそっと癒す効果があるのだと思っている。そうした色を、赤、青、黄といった、分かりやすさを前面に出した機能的な色名と引き換えに、たやすく捨ててしまったことが果たして良かったのか、悪かったのか。

 ポケモンは今や世界的に有名なキャラクターになったが、そこに使われている町の名前が、日本古来の色の名前だと気付いて子供に教えてやれる親が、日本に一体どれくらいいるのだろうか。古い文化は廃れ、新しい文化が流行る。それだけのことだと言われれば、それだけのことかもしれないのだけれど…。




4月25日(金) 「終わらない絵」

 イラク戦争にまつわる一連の新聞記事の中で、「戦争は始めるのは簡単だが、…終わらせるのは難しい」という有名な文句が引用されていた。戦争と絵を比べるのはいささか不謹慎だが、絵も終わらせるのは難しいと思う。おそらく、絵画制作を趣味にする人なら、どこで完成とするか迷いながら手を加え続けた経験を、一度ならずお持ちなのではないか。

 水彩画や水墨画は描き直しがきかないから、幸か不幸か、いつかは描き終わる。しかし、油絵やアクリル画はいつまでたっても手を加えられるから厄介である。油絵を描いていた私の友人は、展覧会に出す直前まで作品に手を加え続け、展覧会後にも直し続けていた。その気持ち、私にもよく分かる。

 こういう経験は、我々未熟なアマチュアだけでなく、プロの場合にもあるようで、東山魁夷氏が日展出品作について、搬入の日まで手を加え続けたというエピソードを、氏自身のエッセイか何かで読んだことがある。なるほどプロでもそんなふうに迷うのかと、妙に安心した覚えがある。

 絵が描き終わらないのは何故なのだろうか。いつまでも手を加え続けられるから、というのは1つの理由には違いないが、それは本質論ではない気がする。同じように、いつまででも手を入れられる詩や俳句、短歌などでも、終わることのない推敲が重ねられているのだろうか。そういう分野は門外漢なので確たることは分からないが、私自身は、あまり聞いたことがない。勿論、この「推敲」という単語自体、唐の詩人「賈島」が、自作の漢詩に出て来る「僧は推す月下の門」という句について、「推(おす)」か「敲(たたく)」かで、どちらがいいのか長らく逡巡したという故事に由来しているので、そういう例は現実にあるのだろうが、その長考ぶりを珍しがられて故事成句になっているくらいだから、一般的な話ではあるまい。音楽についても、メロディーや歌詞が二転三転して決まらないというエピソードは、寡聞にして知らない。

 私の場合、絵を描くときに1つのビジュアルなイメージが心にあって、それを紙やキャンバス、最近ではパソコン画面上に具体化していく作業が、絵画制作ということになる。いつまでも絵が完成しないという問題が生じるのは、そのイメージと目の前の絵とが、正確に一致しないからである。そして、色々迷うときは、どうすれば両者が一致するのか、よく分からなくなっている。更に言えば、肝心の心の中のイメージそのものが、曖昧で定かならぬときがある。絵を描きながら、そのイメージを少しでも具体化していこうと努力するのだが、正体の見えないものを追いかけているようで、もどかしくなる。そんなときは、いつまでたっても終わりのない旅を続けている気分になる。結局のところ、私の場合、終わらない絵とは、実際に制作作業に着手出来るレベルまで、心のイメージをきちんと具体化出来ていないことに原因がある。簡単に言えば、精神的準備不足なのである。

 しかし、はやる心を押さえ切れずに描き始めてしまい、不幸にしてこういう迷路に踏み込んでしまった場合には、一体どうすればいいのだろう。この点について、私は明確な処方箋を持っていない。経験上一番いいのは、準備不足だったと観念して、その絵のことはすっぱりと諦めることなのだが、大抵その段階でかなり描き進んでしまっているので、今さらボツにするのは惜しくなる。だからといって、あてもなく手を加え続けても、成功する保証はない。多くの場合、最後は、足らざる思いを残しつつ半分くらいの出来で妥協するか、苦悶し続けた果てに諦めるか、いずれにしても不幸な経緯をたどる羽目になる。人間というのは、中々執着心から抜け出せない動物だと思うのだが、描き続けた末にそう達観した時には、既に後の祭りである。

 ところで、冒頭に書いた、戦争に関する有名な文句をつづったジェイムズ・ダニガン氏の著作では、戦争の終結についてこう続く。

「国家、個人のプライドやメンツが戦争をやめさせない。そして戦争は一方または双方が破壊され、士気が低下したとき、あるいはまれに突如、何もかもがバカバカしいと目覚めたときに終わるのである。」

 「戦争」を「絵画制作」に置き換えて読み直してみても、何とも含蓄のある言葉である。特に、最後のフレーズが心に響く。




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