パソコン絵画徒然草
== 5月に徒然なるまま考えたこと ==
5月 1日(木) 「大作」 |
|
大作というのは、ただ大きいだけで人目を惹く。人は、自分より大きいものに自然と畏怖の念を抱き、たじろぐ傾向にある。こういう反応は、おそらく動物的本能と結び付いているのであろう。 見上げるような大きさの絵や、壁の端から端まで占めるような長い作品は、それだけで人を圧倒出来るというメリットを持っている。例えば、ニューヨークにあるメトロポリタン・オペラ・ハウスは、入り口のホールが吹き抜けになっていて、この壁面に2枚の絵が掛けられている。2枚ともシャガール作なのだが、その巨大さにまず気おされる。私はここにオペラを見に行ったおり、数メートルはあろうかという作品を見上げたまま、暫し立ち尽くした記憶がある。他の例を挙げれば、パリのオランジュリー美術館1階にあるモネの「睡蓮の間」がある。ここは、大きな円形のホールの周りをぐるりと睡蓮の絵が取り囲み、中心部に立って部屋を見回すと、何とも言えぬ陶酔感に見舞われる。しかし、これらの絵も、写真図版で見るとインパクトは半減する。大きさというメリットが、写真では削がれるからである。 日本にも古来より、襖絵という分野があり、寺院内部の襖に絵師が絵を描いて装飾して来た。一面の襖にしか描かれていない場合もあるが、ある部屋の内装全部に一体として絵を描き、部屋の中央に座ると、あたかも別空間に自分がいるかの如き演出を狙ったものもある。私が見た中では、唐招提寺御影堂に東山魁夷氏が描いた襖絵というのが見事であった。私の記憶では、氏はこの作品を描くために、自宅の庭を潰して体育館のようなアトリエを建て、長い間通常の絵の制作を断ってこれに専念したのだったと思う。ちなみに、上述のモネの睡蓮の絵も、その巨大さゆえ、モネはわざわざ大きなアトリエを建てて、晩年までその制作に没頭したと伝えられている。 では、何を描いても大きければ有利なのかというと、そこのところは私にもよく分からない。「対象物を実物以上の大きさに描くと、絵というよりポスターや看板のように見えてしまう」という話を、昔誰かから聞いた覚えがある。例えば、リンゴをスイカくらいの大きさで描くと、人目は惹くものの非現実的な絵になってしまうというような話だったと記憶しているが、それが真実かどうかは今もってよく分からない。ただ、私はこの話を聞いて、映画館の前に掲げられている、巨大なペンキ塗りの看板を思い浮かべたことを覚えている。 パソコン絵画の場合も、パソコンの性能とソフトの仕様次第で、幾らでも大きな絵が描けるはずである。パソコン内部は仮想空間なのだから、CPUの性能や、メモリー、ハードディスクの容量が許す限り、原理上、大きさに制約はない。パソコンの性能はどんどん進化していくから、1枚あたりの容量が1GB以上の絵であっても、そのうち家庭用パソコンで楽に処理出来る日が来るのだろう。しかし問題は、それを如何に実物大の大きさで表示出来るようにするかである。 パソコン内部で巨大な絵を描けたとしても、それを実物大で表示するとなると、モニター画面の大きさが限界となってしまう。印刷するにしても、プリンターで印刷可能な用紙の大きさが制約となる。我が家の場合だと、モニターで見るとすると17インチ、印刷するとしてもA4用紙が限界ということになる。どんなに大きな絵を描けても、表示出来ないのでは意味がない。 例えば、個人が趣味で絵を描く場合であっても、6畳間があれば50号(1167×910cm)は可能であろう。部屋の中がよく片付いていれば、100号(1620×1303cm)も何とかなるかもしれない。しかし、パソコンでは、100号大の絵を実際の大きさで表示したり印刷したりするのは、到底無理である。将来、大画面のモニターや、超大判の用紙印刷が可能なプリンターが安く手に入るようになっても、100号大のパソコン絵画は表示出来ないだろう。 要するにパソコン絵画は、大きさでは得点を稼げず、中身だけで勝負しなければならないということだ。その方が腕前の向上という点では役に立つはずだというのは、私の単なる負け惜しみか。 |
5月 6日(火) 「霧の風景」 |
|
私は、自然の中にある美を画題として選び、それを絵にしているのだが、対象となるものがどうして美しいのか、論理的に説明出来ないことがある。 例えば、花の美しさというのは、花びらの形の優雅さや色の美しさなどから成り立っており、それぞれ美しさの要素を説明することが出来る。夕焼けの美しさも同じように、雄大な空の有り様とその色、夕日に照らされた雲の色の変化など、様々な美の要素を説明可能である。しかし、霧に包まれた森というのは何故美しいのか、私には論理立てて説明出来ない。 霧がかかったおぼろげな風景というのは、古くから日本画、水墨画でよく出て来るテーマであり、日本人の美意識に訴えかけるものがある。朝早く霧の中に浮かび上がった森や木立ち、あるいは雨の上がった後に山間を縫うように広がる雲や霧など、私も、大変美しいと思うのだが、霧がかかると、何気ない森がどうして美しく見えるのか、きちんと説明することが出来ない。霧がかかれば景色は見えにくくなり、色もくすんでモノトーンに近くなる。それを何故美しいと感じるのか。私が趣味として絵を描くようになってから、ずっと頭の中にこの疑問があるのだが、今までのところ、確たる答は見出せていない。 美しければそんなものどうでもいいじゃないという意見もあろうが、あるものを絵にするという作業は、対象となっている風景なり静物なりが持つ美のエッセンスを取り出して、自分なりの解釈で画面に定着させる作業である。従って、美しく感じられる理由が分かった方が、絵にしやすい。例えば、ある花の美しさの秘密が、その繊細な花びらの形状にあるのなら、それをどう表現するかに腐心した方がいいわけだし、あるいは花の色がポイントなら、その色の再現に努力するということになる。要するに、美の要素をどう解釈するか、そして何を画面上に再現するかが絵画制作のカギであり、そのためには、対象となるものの美の本質とは何かを考えざるを得ない。絵といえども、そういう点は観察力と思考の勝負であり、それなくして漫然と描くのは、運を天に任せて、行き当たりばったりの勝負をしているようなものだ。感性と直感のみで立派な作品が描けるのは、天賦の才を持った者だけに可能な所業なのである。 ところで、霧がかかった風景は、日本画や水墨画ではよく見かけるが、欧米の絵画にはあまり登場しない。少なくとも、古典的な名作とされる作品群の中に、霧の風景をテーマにしたものはないように思う。海外でも、ロンドンやサンフランシスコなど、霧の名所とされている地域もあるので、もっと沢山の作品があってもいいような気がするのだが、現実にはあまり見かけない。欧米人は、霧のかかる風景に、さして美を感じていないのだろうか。そうだとすると、何故日本人は、霧や霞に美を感じるのだろうか。 日本では、霧の風景は一般に「幻想的」という修飾句でたたえられ、それが美しさの本質だと解釈されている。確かに霧は、実在する風景を幻であるかのごとくに変える。森や木立ちはモノトーンに近い影となり、そこに本当に存在するのかも定かでなくなる。あるいは、霧が薄らいで木立ちがゆっくりと姿をあらわす様は、無から木々が形作られていくかのような錯覚を、見る者に与える。しかし、それを何故美しいと思うのか、説明してみろと言われると分からない。その美しさとは、花を見たときに感じる美しさとは、全く別物であるということだけは言えるのだが、「幻想」と「美」というものがどう結び付いているのか、私は論理的に答えられない。 人は「幻想」の中に、一体何を求めているのだろうか。霧の向こうに何があると思っているのだろうか。晴れた日には見えない何かが、視界の利かなくなった霧の風景の中に、ひっそりと潜んでいるのだろうか。 あるいは、こうした謎めいたところが、霧の風景の魅力かもしれない。私が長年考え続けて分かったことといえば、それくらいのことである。 |
5月 9日(金) 「金持ちと芸術」 |
|
私は時々、休日の午前中にのんびり散歩することがあるが、そうして訪ねる場所の一つに「旧古河庭園」がある。ここは元々、明治の元勲陸奥宗光の別宅であり、のちに宗光の次男が旧古河財閥の養子になったときに、古河家に譲り渡されたものである。現在残っている石造りの洋館は、古河家三代目当主の古河虎之助が、有名な建築家のジョサイア・コンドルに依頼して建てたもので、洋風庭園、和風庭園とともに一般公開されている。コンドルは、明治10年に工部大学校(東大工学部の遠い前身)の教師として来日した英国人建築家で、当時の日本の洋風建築を主導した。鹿鳴館、ニコライ堂なども彼の設計によるものだが、財閥当主の私邸としては、 旧三菱財閥の三代目当主岩崎久彌の別邸「旧岩崎邸庭園」も、彼の手になるものである。 「旧古河庭園」にせよ「旧岩崎邸庭園」にせよ、いくら金持ちと言えども破格の造りであり、こんな邸宅は、今や日本で建つことはあるまいと思わせる立派さである。現在でも金持ちは沢山いるが、これだけ優雅な家を建てられる人はいないのではないか。金持ちのケタが違うということもあるが、その金の使い方も半端ではなかったということだろう。こういうことを言うのは失礼かもしれないが、現代の金持ちの家は、一見豪邸ではあっても、後世に芸術作品として残らないような気がする。 どうして金持ちの話を始めたかと言うと、昔から、芸術と金持ちとは切っても切れない関係にあるからである。近代絵画誕生以前の美術界では、市井の芸術家なんて、経済的に成立しなかったはずである。当時の職業画家にはパトロンがいた。王侯貴族や金持ちの商人達である。美術に限らず、音楽や工芸なども、金持ちのバックアップがあってこそ今日まで生き延びて来た。金持ちは、人類史上に残る優雅な文化を育てて来たのである。 行ったことのある人なら誰でも知っているが、イタリアのフィレンツェにある有名な「ウフィツィ美術館」は、ルネッサンスを経済的に支えたメディッチ家の事務所をそのまま使っている。「ウフィツィ」は、英語で言うところの「オフィス(事務所)」であり、今でも美術館内にいくつか執務室が残っている。ここにあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」も、ボティッチェルリの「ビーナス誕生」や「春」も、みんなメディッチに支えられて制作された作品なのである。 日本も例外ではない。日本画の系譜である、狩野派、四条円山派などは、幕府や貴族に支えられて大きくなった。明治になって、こういう旧支配層が没落すると、経済的バックアップを失った画家達の多くも、生活の糧を失い貧窮にあえいだ。明治11年に東京帝大へ哲学の教師として招聘されたアーネスト・フェノロサは、日本美術の研究に傾倒し、狩野派の狩野芳崖に会おうとするのだが、近代日本画の歴史に名を残すことになるこの天才絵師は、当時、絵では生計が成り立たず、他の職業に従事したり、妻の内助の功に支えられたりして、漸く生計を立てている状態だったという。 美術の世界に生きようとする人は、ともすれば金持ちとは無縁の姿勢を強調しがちである。しかし、本格的な職業画家としてやっていくとなると、金持ちなくしては成り立たない気がする。別に金持ちにおもねる必要はないが、関係ないと無視するわけにはいくまい。現代画壇の巨匠の作品を購入して、彼らの生活を支えているのは、少なくとも我々庶民ではあるまい。美術年鑑で1号500万円と評価される平山郁夫氏の肉筆画は、色紙大と言えども一般人には買えない。国民画家と呼ばれ親しまれた東山魁夷氏を、一体誰が経済的に支えていたのかを忘れてはいけない。 と同時に私は、現代の金持ちの方々に文化を育てる気概を持ち続けて欲しいと思うのである。貧乏人の勝手な言い草かもしれないが、金持ちには金持ちなりの社会的使命があるような気がする。「日々の仕事と生活でそれどころじゃないよ」と言われるかもしれないが、「旧古河庭園」や「旧岩崎邸庭園」の芸術的価値の高い凝った内装を見ると、少なくとも当時の金持ちには、文化というものを強く意識した、何がしかの気概があったように見受けられる。企業が文化活動を経済的に後押しする動きは、バブルの頃にはあったが今では廃れた。経済の浮き沈みはともかく、文化が廃れたらその国のアイデンティティーはおしまいである。 もっとも、そんな金持ちが、このホームページを見ているわけはないのだが…。 |
5月14日(水) 「八仙人の手違いの襖」 |
|
世の中には、それと知らずに通用している間違いがある。余りに長い間間違いとして通用して来たから、最早本当のことを知っている人の方が少数派だったりする。 ニューヨークに住んでいた頃、ワシントンD.C.まで泊りがけで観光に行ったことがある。その折り、ワシントンD.C.の南方にあるマウント・バーノンまで足を伸ばした。マウント・バーノンには、米国の初代大統領ジョージ・ワシントンが生まれ育った邸宅があり、一般公開されている。農場を兼ねた敷地は広大で、邸宅の裏庭から見るポトマック川が、私のお気に入りの風景である。 私は小学生の頃に、ジョージ・ワシントンの有名な逸話を、伝記か何かで読んだ。ご存知の方も多いと思うが、ワシントンが子供の頃、庭の桜の木を切ったのを正直に父親に告げて詫びたというやつである。ちょうど我が子の道徳教育にいい題材なので、現場で子供達に聞かせてやろうと考え、敷地内にいるガイドの一人をつかまえて「その桜の木はどの辺りに植わっていたのか」と訊いた。ガイドは、私が質問のためにそのエピソードを話し始めた辺りからにやにや笑い出し、私が質問し終わると、おだやかに微笑みながらこう言った。「それは事実と違います。実際にはそんな話はなかったんです。」私は唖然として「しかし、皆知っている有名な話じゃないですか」と訊き返した。ガイド曰く、「ワシントンの正直さを強調するために作り出された創作小話が、事実と勘違いされて今に伝えられているのです。」 現在伝えられている歴史的エピソードというものが、如何にあてにならないものか、そのとき身をもって実感した次第である。私は浅学にして知らぬが、おそらく絵の世界にも、この手の、事実と異なるエピソードが山ほどあるに違いない。 絵にさほど興味がない人でも知っているエピソードに、雪舟が子供の頃、宝福寺で修行もろくにせずに絵ばかり描いていたので、罰として柱に縛り付けられた際、足の指を使って、足下にこぼれ落ちた涙でねずみの絵を描いた、というのがある。そろそろ許してやろうと夕方に和尚さんが雪舟のところに来てみると、足下に大きなねずみがいる。驚いた和尚さんがよく見ると、それは雪舟が涙で床に描いた絵だった、というおちになっていて、あまりの絵のうまさに感服した和尚さんは、その後、雪舟に絵の練習を許す、という話である。よく出来た話だが、よく出来ているだけに、私は嘘だと思っている。 もう1つ疑わしい例を挙げると、京都にある裏千家の「今日庵寒雲亭」という茶室に、狩野探幽作の「八仙人の手違いの襖」というのがある。千宗旦に招かれた若き狩野探幽が、宗旦が席を空けたすきに茶室の襖に八仙人の絵を描き始めたが、大方描き終わった辺りで宗旦の帰って来た気配がしたので、慌てて仕上げようとして最後の一筆を誤り、手を左右逆向きに描いてしまったというものである。探幽は慌てて逃げたが、襖に描かれた絵を見た宗旦は、探幽の類まれな画才を見て取り、襖を張り替えずに絵を残したという話になっている。それが修正されないまま、襖絵として今でも残っている。しかし、この話は本当だろうか。 子供じゃあるまいし、茶の湯に招かれて主人が席を空けているうちに、襖に絵を描く人間がいるだろうか。それも、いたずら描き程度の小さなものではなく、襖をおおうかなり大きな絵である。通りすがりの赤の他人が茶室に招かれたわけではないのだから、主人が見れば、誰が描いたのか一目瞭然である。絵を描く人に奇人が多いとはいえ(失礼)、いくら何でもそんなことまではしないのではないか。 そう言えば、雪舟と同じく、狩野探幽にも子供時代の逸話が沢山ある。2歳の頃、むずかって泣く探幽に、筆を握らせると不思議と泣き止んで機嫌が良くなったという、如何にも出来過ぎた話もある。雪舟にせよ探幽にせよ、傑出した画家にありがちな創作逸話ということだろうか。 しかしそうなると、「八仙人の手違いの襖」はどうして手の描き方が間違ったままなのか。茶室でこの襖絵を見る客人に、亭主がこの絵のエピソードを一くさり語ると、客も興味をそそられ、暫し話題に花が咲くということだろうか。仮にそんな演出を考えて、わざと一部を間違って描いたということなら、これは相当凄い趣向である。もしこの仮説が本当なら、狩野探幽は、間違いなく天才であろう。そんなふうに色々考えさせられること自体、この絵のマジックにはまってしまったということかもしれない。 |
5月22日(木) 「失った楽しみ」 |
|
私が本格的に絵を描き始めたのは、大学に入ってからだが、いつの世でも学生というのは裕福ではなく、当時、欲しい画材で買えないものが沢山あった。私の記憶では、日本画の塗刷毛や連筆は、最低でも1万円台からであり、大きくて使い勝手のよさそうなものは何万円もした。とても手の出ない値段なので、安物の刷毛を買って来て、それで色を塗った。 「絵描き」と言われて思い浮かぶのは、プロの方には申し訳ないが「貧乏絵描き」のイメージである。実際のところ、ごく一部の高名な画家を除けば、職業画家といえども、経済的にそれほど豊かなわけではないと思う。にもかかわらず、画材は高い。そもそも画材というのは、いい素材を選んで使るから、製造コストがかかるのは致し方ない面もある。従って、メーカーが暴利をむさぼっているわけではなかろうが、「貧乏画家」のイメージと画材の高価さとは、どこか相容れないものがある。 そんな苦労があったから、学生の頃に思ったのは、就職して自分で生活費を稼ぐようになったら、高価な画材を買って使ってみたいということだった。しかし、いざ就職してみると、とても優雅に日本画を描いている状況ではなく、そのささやかな夢は今に至っても実現していない。ただ一つ、就職してから実現したものがある。額縁である。 学生時代に私のふところを悩ましたものの1つが額縁だった。大学の美術部といっても、指導してくれるプロの先生はいないし、趣味に毛が生えた程度のクラブ活動である。それでも、町中の画廊で部展を開くとなると、自分で描いた絵をきちんと額装する必要があった。しかし、絵の額縁は、学生にとって中々高価なしろものだった。部展に出す作品の大きさは、私の場合、20号を1つの目安にしていたが、これをガラスの入った額縁に入れようとすると、何万円かが飛ぶ計算になる。趣味の領域を出ない部展出品のために、とても学生が払える額ではなかった。 当時、美術部の仲間達は、アルミで出来た仮額縁を利用していた。それでも学生の身分ではそこそこの出費になるから、仮額縁の中でも一番安いものを買って、なおかつ再利用している人が多かった。その仮額縁すら買えない金欠症の学生は、角材を買って来て絵具で適当な色を塗り、キャンバスの四方にクギで打ち付けて、自作の仮額縁としていた。そんな状態だったから、比較的肉厚の高価な仮額縁を付けただけでも、充分豪華な雰囲気が出た。 絵を描いたことのある人なら誰でも分かることだが、立派な額縁に入れると絵は格段に引き立つ。仮額縁でも、ある程度立派に見えるのだが、ガラスの入った高価な額縁だと、見違えるようになる。これが先ほどまでイーゼルに立てかけられていた自作の絵かと思ったこともある。額縁というのは、誠に偉大な存在である。私は学生当時からずっと、立派な額縁に自分の描いた絵を入れてみたいという夢を持っていた。それが可能になったのは、就職してからである。 就職して時間がなくなったので、絵を描く機会は激減したが、お金には余裕が出来たから、額縁を選ぶという楽しみが新たに加わった。絵を描き終わった後、画材店の額縁売り場に行き、どの額に絵を入れようかと品定めする。こういう楽しみは、学生時代になかった。色々迷って漸く選んだ額縁に絵を入れて、最初に眺める瞬間というのは、何とも言えず良いものである。制作過程の様々な苦労も、このときに一気に昇華されていくのを感じる。 そんなわけで、パソコン絵画に転向してからも、最初の頃はプリンターで打ち出して額に入れて楽しんでいたのだが、ホームページを開設して毎週のようにコンスタントに描くようになると、全ての作品を額に入れるわけにはいかなくなった。お蔭で今では、この額入れの楽しみはなくなった。たまに乞われて、ちょっとした作品展に出品するときのみ、パソコン絵画を印刷して額装するだけである。しかも、パソコン絵画は小さいので、額も水彩用のシンプルなものになる。引き立ち度合いはその分劣るわけで、致し方ないのだが、少々淋しいものを感じる。 パソコンで絵を描くようになって、今までにはなかった制作上の面白さを幾つも見つけられたが、片方で失ったものも、それなりにあるということだろう。 |
5月28日(水) 「隠し味の力」 |
|
私が描く絵の特徴の一つは、淡い色調にあるようで、その旨指摘されることが多い。何故そうなのかについては、これといった哲学が背景にあるわけではない。日本画を描いていた頃の色使いが、今に続いているということかもしれない。いずれにせよ、そういう色調が気に入っているということだ。 しかし、淡い色使いで絵を描くというのは、簡単なように見えて、やってみると意外と難しいものである。個々の色に強いインパクトがないので、あまり考えずにそういう色ばかりを組み合わせると、画面全体がぼけた感じになって、絵に焦点がなくなってしまう。勿論最初からそういう効果を狙うのであればいいのだが、ぼけた感じの画面作りで鑑賞者を惹きつけるのは、むしろ上級者のテクニックである。絵を始めて間もない初心者がやって、うまくいく保証はない。 では、淡い色使いながら引き締まった画面を作るには、どうすればよいのか。答は、構図を工夫するか、色の組合せを考えるか、あるいは、その両方をやるということになる。 構図上の工夫は比較的簡単な手法で、要は、構図として焦点がきちんと分かるような画面作りを行えばよいわけである。色がついていない状態でも、鑑賞者の視点を自然と中心部分に集められるように構図が出来ていれば、全体の色調が淡くても、画面の焦点は自ずと定まる。 それに比べて、色の組合せで画面を引き締めるのは、言うはたやすく、行うのは難しい。いずれも淡い色同士だから、視点を集めるといっても、具体的にどうすればいいのか分かりにくいだろう。1つの方法は、淡い色調で画面を埋めながら、どこかに強い色を持って来て全体を締めるのである。しかしこのときに、その強い色が見る人の目を余りに強力に引きつけるようだと、その部分ばかりに焦点が当たって色のバランスが崩れてしまう。従って、全体の淡い色調を殺さないよう、強い色をあまり目立たせずに画面に置くのがコツなのだが、そう言われても難しいかもしれない。 こういう話を始めると、日本画家の川合玉堂氏の代表作「彩雨」のことが、頭に思い浮かぶ。有名な絵だから、誰でも一度は目にしたことがあるはずだ。 霧のような雨に濡れた秋の風景で、紅葉した木々が美しい。淡い日本画の色調が、古い農家のたたずまいとマッチして、心に残る傑作である。では、この画面を引き締めているのはどの部分か。実は、農家の二階部分に描き込まれた、開いた窓である。この窓から覗く屋内は、黒々と墨で塗りつぶされている。この黒が、全体に淡い色調を引き締めるアンカーになっている。この絵のすごいところは、その強い色の存在を見る人に感じさせずに、巧みに画面を引き締めていることにある。私は、これを「隠し味の力」だと思っている。 絵の上に塗った色は、全て見る人の目に触れるのだが、主役になる色と脇役になる色がある。制作していくうえでは、どうしても主役となる色に大半のエネルギーを注いでしまうのだが、「彩雨」という絵が教えてくれるのは、脇役の色の大切さである。絵に塗る色は、全て役割を持っている。「背景だから」、「目立たない部分だから」と、おざなりに塗るのは、全体的な色バランスに、知らず知らず悪い影響を与えるおそれがある。 淡い色調に仕上げるからといって、全て淡い色で画面を構成する必要はないし、「彩雨」のように、隠し味として強い色を画面に忍ばせて、うまく全体をまとめるテクニックもある。そう言えば、おしるこの甘味を引き立てるのに、塩を隠し味として少々入れると聞いたことがある。先人達の知恵に従えば、その加減は「それと分からないくらい少々」というところにあるらしい。絵画制作でも同じことである。 |
目次ページに戻る | 先頭ページに戻る |
(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.