パソコン絵画徒然草
== 5月に徒然なるまま考えたこと ==
5月 5日(木) 「同じ題材を描く」 |
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今年は雪が多く冬が長かったせいか、桜の開花が遅れた。気象庁発表の桜の開花予想では3月27日が開花日だったが、結局その日に桜は咲かず、開花宣言は見送られた。 ただ、一旦暖かくなると開花は早く、あっという間に桜はほころんだ。しかし、直後の悪天候も重なり、見ごろの週末は1回だけで、ようやく咲いたばかりの桜は、風雨にあおられ早々と散って行った。 昔、港区白金台に住んでいた頃、すぐそばに見事な桜の古木があり、毎年見とれるような美しい花が咲いていた。あの木も今頃は満開だろうかと思いながら、つかぬまの桜を眺めた。「花はさかりを、月はくまなきをみるものかは」と言ったのは、「パソコン絵画徒然草」ならぬ本家「徒然草」の吉田兼好だが、桜には様々な楽しみ方があるものである。 今年は桜を描かなかった。毎年のように作品に仕上げていたのだが、今回は筆を取らなかった。椿や山茶花、水仙のような季節を代表する有名な花を取り上げるのをやめて隠れた画題を探してみたいと、今年初めの「パソコン絵画徒然草」に書いたが、それを春も続けようとしているのではない。今年はあまりに桜の咲いた期間が短かったという冒頭の事情もさることながら、私自身、描くに当たって考え過ぎてしまったという面もある。 同じ画題を二度三度と描くと、前とは違った角度から対象の魅力を表してみたいと、色々策を練ることになる。これは絵描きの習性である。桜の木全体を描いたあとは、花だけに着目して描いてみようかとか、青空をバックに描いたあとは夜桜を描いてみようかとか。ご存知のように、桜は古くから日本人に愛され続けた花だから、有名なものに限っても、実に沢山の桜の絵が今日まで伝えられている。洋画家については知らないが、全ての日本画家が一度は取り上げている題材だと思う。そんなあまたある作品を頭にチラチラ思い浮かべながら、自分なりの新しい桜を描いてみようかと案を練っているうちに、花の盛りはあっという間に過ぎ、結論に達しないうちに桜は散った。要するに、そういうことである。 同じ題材を取り上げ続けることは、描き慣れているということもあり、楽な面があることは事実である。私が小学生の頃、こんなことがあった。 記憶が一部定かではないが、先生が何かの作品コンクールに生徒の絵を出品しようとしていた。出品枠には限りがあり、クラスで誰か一人ということのようだった。先生はクラスの中で3人を指名し、それぞれに好きな作品を描けと命じて画用紙をくれた。私もそのうちの一人だった。残り2人のうちの一人が、バッタの絵を得意にしていた。画用紙一杯にバッタを一匹描くという、今となっては意表を突く作風だったが、彼はとにかくあらゆる機会にバッタを描き続けた。写生大会でもバッタ、自由課題でもバッタで、バッタ一筋だった。その分、作風は安定していて、実物を前にしなくともバッタの絵がすらすらと描けるまでに達していた。 結局3人が提出した作品のうち、先生が選んだのはバッタの絵だった。私は風景画を描き、もう一人は花を描いたのだが、先生の見るところ、バッタが一番優れていたのだろう。花や風景のようなありふれた題材よりも、バッタの方が珍しく人目を惹くという判断だったのかもしれない。理由はいずれにせよ分からぬが、私はそのとき、自分の得意分野を持つのは有利だなぁと子供心に思った。ただ、そうした経験にもかかわらず、私自身はこれ一筋という得意分野を作ることはなかったが…。 得意の題材を持つ画家は今も多い。冒頭話題に出した桜ばかりを描いている日本画家もいる。これを描かせればこの人が第一人者という例もあまたある。その人にとって永遠のテーマということだろう。有名なところでは、横山大観の富士の絵があるし、以前この「パソコン絵画徒然草」でも取り上げた千住博氏のウォーターフォール・シリーズも、そうした例の一つかもしれない。有名画家の得意分野ということになると、なるほど傑作が多い。 しかし、自分で同じ課題を何度か描いてみると分かるのだが、これはこれで大変である。印刷機ではあるまいし、同じ題材を同じように何枚も描いていられない。2枚目は1枚目とは違った表現で、3枚目は2枚目とは違った魅力を狙って、4枚目は対象を違った角度から捉えてと、回を追うごとに工夫を凝らそうと考えてしまう。それがなければ進歩がないし、描いていて飽きてしまう。ただ同時に、同じ題材を同じ人が描き続けながら新しい境地を開いていくことは、容易なことではない。そこに産みの苦しみがあるのである。 今年の桜はかくして見送った。と同時に、私なりに色々考えるところもあった。描かなくとも勉強になったということかもしれない。毎年桜には学ぶことが多い。そうであるがゆえに画家に愛され続けている花なのかもしれない。 |
5月11日(水) 「予期せぬものとの出会い」 |
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私は、休みになると方々へ出掛け、絵の題材を探しながらサイクリングやら散歩やらに興じているので、旅行などさぞかし好きに違いないと思われているかもしれないが、実は自他共に認める出不精である。そう書くと、もしかして、と皆さん思われるかもしれないが、ご推察通り、このゴールデン・ウィークは私にとって長い休みだったのに、旅行にも行かず都内で過ごした。 私があまり旅行に熱心でないのは、そもそも旅行を計画して宿を取り交通機関の切符を予約するのが面倒だからである。旅行好きな方に話を伺うと、そうした旅程表を練るところも旅の楽しみのひとつと仰るのだが、私はガイドブックを丹念に読んだり、時刻表と首っ引きになるのは苦手である。これは持って生まれた性分だから、どうにも致し方がないと諦めている。 ただ、外に出掛けること自体が嫌いなわけではなく、行き先をあらかじめ決めず、ふらりと出掛けるのは、むしろ楽しみのひとつとなっている。休みの日の朝、空模様を眺めたあとおもむろに外に出る。サイクリングに行くときもあれば電車に乗って山登りということもある。気の向くまま足の向くまま、気楽な道行きとなる。事前に立てた計画に縛られることなく、その場その場で次の行動を考える。思わず遠出になることもあるし、途中で気が変わって帰って来ることもある。全ては心のままに、である。 流浪とか漂泊という言葉が示すように、我が国には古くから旅程表のない旅のパターンがあった。ひとところに長く住むうちに飽きがきて、旅への思いが断ち切れず、住まいを閉じてふらりと旅に出る。昔の人は、旅から旅への暮らしも、ひとつの生活パターンと考えていたのかもしれない。「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」庵を閉じて旅立ったのは松尾芭蕉だった。近代では、「解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」種田山頭火の例が思い浮かぶ。旅程表はあってなきが如きの道行きである。 そんな旅の姿にほのかな憧れを抱くのは、私だけではあるまい。「奥の細道」や「草木塔」が多くの日本人に長らく愛読されているのは、そうした旅の在り方に、皆が何がしかの共感を持っている証拠ではないか。おそらく旅行好きで綿密に予定を練る人でも、気ままで自由な旅をしてみたいと思うことがあるはずだ。ただ、現実に仕事を持ち家族を養う必要のある我々が、芭蕉や山頭火のような旅に出ることは実際には不可能である。 芭蕉も山頭火も、旅の途上で沢山の句を残している。また、裸の大将のニックネームで知られる山下清は、心の赴くままに放浪の旅に出て、思い出に残った情景を絵にしている。そこに描かれたものは、その日その日で見たもの、出会ったものに対する新鮮な感動である。そうした紀行文を読み、絵を見ていると、我々も彼らと同じ旅の途上にいるかのような気分になるが、その視点の新鮮さには感心することが多い。彼らのすぐれた感性によるところも大きいが、その根底には、旅先で初めて出会ったものに対する予期せぬ驚きがあるのだろう。 私も時々感じるのだが、行き先を細かく調べず出掛けた先では、予想しなかったものに出会うことが多い。それは名所旧跡のような立派なものではなく、考えようによってはごくありふれたものなのだが、予期せぬ突然の出会いが新鮮なせいか心に残り、後々絵の題材にすることも多い。木々に囲まれた中に見つけた忘れられたような池、水辺にさしかけられた古びた木製の橋、町外れにひっそりと建つ小屋のひなびたたたずまい。そんなささいなものとの出会いが私の心に残り、やがてそれが絵の題材として昇華していった例は数知れない。 綿密に計画の立てられた観光旅行では、日頃見られないような素晴らしい景観と遭遇する機会が多いのだが、その全てが新鮮な驚きを伴うかというとそうでもない。それは、ガイドブック等であらかじめ予習して行くからである。この場所に行くとこういう景色があって、そのいわれは云々と、事前に頭に刷り込んで出掛け、現地でその通りの風景に出会う。それは行く前から約束されていることなので、出会うのが当たり前であり、出会えなかったら悔しいという気持ちになるはずだ。期待した通りのものに当たり前のように出会っても、予期せぬ新鮮な驚きなど湧かない。下手をすると、ガイドブックにある写真の通りの場所を探して、そこで自分も同じような写真を撮って、妙に安心して帰路につくということすらあり得る。そこにあるのは、驚きや感動ではなく、きちんと人並みの観光を楽しんだという安心感である。 私が休日にふらりと出掛ける気楽な外出には、ガイドブックもなければ旅程表もない。あるのは、予期せぬ風景との出会いである。そのために、同じ場所に出掛けるのも道を変えたり、遠回りしたりすることもある。芭蕉や山頭火の旅とは比べようもないが、新鮮な感動を呼ぶ予期せぬ出会いのチャンスは、それなりにあるものと期待して、またこの休日もふらりと家をあとにするのである。 「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし 」(種田山頭火) |
5月17日(火) 「本場モノ」 |
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広告や宣伝を見ていると、「本場○○からの直輸入」とか「本場○○の素材を使用」といった「本場」を売り物にしたPRが目につく。デパートの売場でも、同じような宣伝文句に出くわすことが多い。曰く「本場英国製の生地を使用」(これは背広)、「本場インドの香辛料を使用」(これはカレー)等々。見ている方もついつい「これは良いものに違いない」という気にさせられる。ただ、本場だとどう良いかは、それらの広告できちんと説明されておらず、イメージ先行の観が強い。 日本人は「本場モノ」が好きなうえ、昔から舶来物に弱いときているから、たちまち「本場○○」のキャッチ・コピーにつかまり、盲目的に高品質だと思い込んでしまう。かくして、高品質の物を国内で作っても、「本場○○」の宣伝文句の前にあえなく負けてしまうのである。結局、「本場」指向には勝てないということだろうか。 「本場」指向は、商品の世界に限られない。例えば野球なども、近年米大リーグを目指す傾向が定着しており、日本で頭角を現し大リーグへ飛躍するというコースをたどる選手が多い。米国は野球の本場であるし、実力的にも日本の球界より上であろうから、この場合の「本場」指向は、少々しゃくには触るが何となく分かる。 しかし、絵の世界でパリが本場というイメージについてはどうだろうか。確かに、昔から多くの日本人洋画家がパリに渡り修行しているのは事実である。著名な画家では、東京美術学校の初代教授として西洋画を指導した黒田清輝を筆頭に、藤田嗣治、佐伯祐三、荻須高徳など次々に思い浮かぶ。彼らが渡仏した時代、すなわち明治から昭和初期にかけては、未だ国内で西洋画の指導体制が整ってなかっただろうし、わざわざ収蔵先の美術館に足を運ばなければ歴史的名画を見ることもかなわなかったから、西洋画を学ぶために渡仏する必然性は理解出来る。しかし、今でもそうなのかと言われると、ちょっと首をかしげざるを得ない。 私には、現在のパリがどういう点で絵の本場なのか、今イチよく知らない。いい美術館が沢山あって実物の名作を間近で見られるとか、絵になる風景が多いとか、画家の卵が沢山いるといった環境は、今でも健在だろう。ただ、日本とは比べものにならない程いい美術学校があったり、優秀な指導教官がいたりするのだろうか。その辺りは、素人の私にははっきりしないが、「パリ=油絵の本場」のイメージがいまだに根強いから、「パリ帰りの○○画伯」などと言われると、何となくありがたく感じられてしまう風潮が未だ日本にあるのは確かである。パリで絵を学んだ人と国内で絵を学んだ人とで実力に違いがあるのかについて、誰も検証していないのだが、本当のところはどうなのだろうか。私は密かに、昔のイメージを引きずって「パリ帰り」の肩書きをありがたがっているだけではないかと疑っている。 ただ、このイメージ先行の「本場」指向が続く限り、「一流になるためには日本で学んだのではダメ」という信仰が消えず、「パリ帰り」がもてはやされる風潮が続く。人もモノもサービスも国境を越えて日々行き来し必要な情報は瞬時に届くこの時代に、「行き着く先は外国の本場モノ」という指向がいつまでも続くのは、日本人として少々悲しい気がする。それなら対抗上、日本が本場だと言えるものを世界に売り込めばいいではないかというご意見もあろうが、それって何だろうと考えたとき、日本人はそうしたものにさして重きを置いていないことに気付く。日本画にせよ、伝統工芸品にせよ…。そう考えると、やっぱり悲しい。 |
5月25日(水) 「引越し」 |
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このたび、レンタルサーバーを借りてサイトを移転した。私自身にとって、ちょっとした決断だった。 そもそもこの「休日画廊」は、私が使っているインターネット接続サービス・プロバイダーが提供していた無料ホームページ・サービスを利用してスタートした。今から3年以上前のことである。 当時もレンタルサーバーはあったが、趣味の世界のことゆえ、わざわざお金を払ってサイトを開設しようという意気込みまではなかった。たまたま無料のサービスが未利用のまま放置されていたから、それならやってみようかと思い立ち、全てがスタートしたというのが偽らざる真実である。 無料サービスのことゆえ、使える容量はそう大きくない。私の場合は50MBであった。但し、ひとつお断りしておけば、プロバイダーの付属サービスとしては、50MBは決して小さい容量ではない。今では、プロバイダーが接続料金を抑えるため、付属サービスをドンドン削って価格勝負に出る場合が多いから、ホームページの無料サービスはついていないとか、あっても数MB、多くてせいぜい20MBといったケースが普通ではないか。私が契約しているプロバイダーは、接続料が高めな分サービスは充実するという方針のようで、複数メールアドレスやウイルス・チェックが標準サービスとなっている。その一環で、ホームページの容量も高めに設定されているようだった。 最初「休日画廊」を開設した頃は、50MBの容量は無限であるかのように思えたのだが、画像は文書に比べて容量をくうため、そのうち天井が見え始めた。サイト開設から2年以上たった頃のことである。そのままでは新作の展示がままならなくなることが目に見えていたため、思い切って初期の作品をごっそり削除した。その数は100以上に及ぶ。これは作者からすれば実に切ない決断だったが、その後の更新を考えると致し方なかった。私はそのとき、作品の大量削除はもうこれっきりにしたいと思った。レンタルサーバーを探し始めたのはその頃である。 大量削除によって容量に余裕が出たため、最初はたまに気が向けばレンタルサーバーの提供サイトをパラパラと覗く程度だった。のどもと過ぎれば熱さ忘れるの諺通りの展開である。しかし、今年に入ってから本腰を入れて探し出した。すぐには達しないとしても、あまりノロノロ探していると、早晩容量の天井が見え始めるだろうし、無料サービスであるがゆえCGIが使えないなど一定の制約があることも気になり出していたのである。 しかし、本腰を入れて探すといっても、レンタルサーバーは、容量も料金もピンキリで、素人目にはどれがいいのかよく分からない。色々なレンタルサーバー提供サイトを覗きながら、何を判断の基準にすればいいのか、正直言って悩んだ。ただ、企業のホームページや商品販売サイトではないのだし、「休日画廊」自体、極めて単純な作りのホームページなので、結局値段勝負という感じで選んだのが、今のサーバーである。300MBの容量で年間レンタル料1500円という選択がよかったのか悪かったのか判然としないが、月額利用料にして缶ジュース1本分なので、プロバイダーの無料サービスの拡大版と捉えれば、充分許容できる範囲だろう。 ただ1つ思うのだが、300MBの容量は大きいにしても、やはり天井はある。このまま描き続ければ、いつの日かその天井に達する日が来るに違いない。それが何年後のことなのかよく分からないが、仮にそこに達すれば、今日の日のことを懐かしく思い出す気がする。勿論、そのときまで私がパソコンで絵を描き続けているのか、あるいはこの「休日画廊」を維持し続けられるのか、一抹の不安がないではないが、何となく続けているようなほのかな予感を持っている。 そのときになって、再びリンク先の皆様にURL変更のお知らせを出し、再度「サイト移転」の感想を書くのを、今から楽しみにしている。その日を目指して、またコツコツと制作の日々である。 |
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