パソコン絵画徒然草

== 5月に徒然なるまま考えたこと ==





5月 8日(火) 「捏造と創造」

 私は普段、ニュースや天気予報以外、まずめったにテレビを見ない。欠かさず見ているのはNHKの大河ドラマくらいで、あとは気に入った映画があればたまに見る程度。従って、テレビ番組にはうとい。そんな私でも、昨今騒がしいやらせ番組批判はよく知っている。ひと頃、連日のように新聞紙面を賑わしていたし、テレビ局トップの辞任騒動にまで発展したからである。

 問題となった番組は見たことないが、私はかねがね、テレビ番組というのは基本的に脚色を加えた作り物だと思っているから、やらせと聞いてもあまり驚かなかった。確かに手口は完全な捏造で幼児並みにレベルが低い内容なので、その点はあきれたし、プロを自称しつつ子供だましみたいな制作がまかり通る世界なのだなぁと腹が立った。ただ敢えて言わせて頂ければ、視聴者の側も、この種の番組の内容を盲目的に信じるというのは如何なものかという気はする。

 この番組に限らず、全てのテレビ番組には、多かれ少なかれ制作者の脚色が加えられている。それがドキュメンタリーであっても、あるいは報道番組であっても、単に事実が淡々と公平に語られるなんてことはないと思う。それでは番組とは言えないからである。もちろん、そこに加えられている脚色は、いい意味のものも悪い意味のものもある。悪い意味で脚色が加えられると、今回のような捏造問題となる。いい意味で脚色が加えられていれば、それは創作活動の一環となり、あるものは映像芸術と言われる。

 ドキュメンタリーを例にとると、そこで流される映像は、あまたある事実の中で、制作者の目で見て重要と思われるものだけを集めたものである。そうしてつなぎ合わされた映像は、全てを語っているわけではない。制作者がカメラを向けなかったこともあるだろうし、価値あるものとして一旦撮影したものの編集段階で落とされた場面もあるだろう。そうして選ばれつなぎ合わされたフィルムが正しく対象を捉えているかどうかは、実のところ分からない。本当の意味での全体像が、我々には見えないからだ。我々がそうしたドキュメンタリーを真実だと信じるのは、制作者を信じているからである。だが、まるで見知らぬ制作会社の人を、何を根拠に信じているのだろうか。その辺りが、テレビ番組の危うさではないかと思う。

 まぁテレビ批判はそれくらいにしておこう。私が言いたいのは、捏造問題のことではない。全ての物事は、見た者のフィルターを通して編集した上で他人に語られるということについてである。これはテレビ番組に限らず、新聞、雑誌記事についてもそうだし、更に言えば報道写真についてもそうであろう。報道だって、全てをこと細かく伝えるわけにはいかない。限られた時間と紙面の中に手短に情報を凝縮しなければならない。そうなると、情報の取捨選択が起きる。何を捨て何を拾うか。そこは我々の見知らぬ現場の人間に任されているわけである。

 そう言うと「ひどい話だ、それじゃあ世の中何も信じられない」なんて嘆きの声が聞こえてきそうだが、我々が日常ものを見るのだって同じである。人間はカメラではない。ものを見るとき、目で見ているわけではなく脳で情報を分析して見ている。だから、注目しているものはよく見え、あまり意識していないものは見えないということが起きる。後で写真を見て、あぁこんなものもあの場にはあったのかなんて気付くケースも多いと思う。要するに、目では捉えているが、脳が関心を示さないから認識されないのである。話を聞くことについても同じことが言える。都合のいい情報は大きく聞こえる。逆に「聞く耳持たぬ」なんて表現があるが、自分の意図に反したことは、無意識のうちに人間耳を塞いで聞かないのである。

 絵も同じである。描いた人のフィルターを通してキャンバスの上に場面が再構成される。見たそのままが絵になることはまれで、多かれ少なかれ制作者によって脚色が加えられる。これは、写真がない時代に絵が記録用に使われていたときもそうだった。肖像画でも正確に描かれたようでいて、注文主と制作者の意図に沿って、色々な修正が施される。風景画も、余分なものは構図上切り落とされ、配置が変えられるなんて例はざらにあるだろう。現に、私だって風景画を制作するときはそうしている。場合によっては、完全に風景を創造している場合もあるわけで、言葉を替えればこれは立派な「捏造」かもしれない。

 人間の手を通した情報には、全て伝達者の脚色が加えられる。それは人間が感情を持つ動物だから仕方ない。そういえば昔、映像芸術作品の一つとして、カメラを固定して都会の風景を24時間撮り続けた作品があった。これこそは、何も省略せず脚色を加えず、目の前の真実をありのまま伝えるものであった。その意図には感心したが、少しの間見て飽きてしまった。脚色のない情報は、面白くないのである。




5月16日(水) 「予習のし過ぎ」

 3月20日から上野の東京国立博物館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」展を開催している。この展覧会の目玉は、ダヴィンチの「受胎告知」の本邦初公開であり、新聞やテレビで繰り返し報道されたのでご存知の方も多いだろう。イタリア・フィレンツェのウフィッツェ美術館の収蔵品であるが、数々の名作をコレクションに持つウフィッツェにとっても目玉の一つであることは間違いない。

 私はいまだにこの展覧会には行っていないのだが、「受胎告知」自体は、本家のウフィッツェ美術館で見た。ウフィッツェは、英語で言えばOffice(事務所)に当たるイタリア語で、メディッチ家の宮殿兼事務所をそのまま美術館にしたものである。当時の部屋の様子がそのまま保存されている場所もあり、中々ユニークな美術館である。ついでに言えば、この美術館から見下ろすベッキオ橋が美しい。行かれる機会があれば、絵だけでなく窓の外も見て欲しい。ちなみにベッキオ橋もメディチ家が架けたものである。

 私は「受胎告知」は見る価値のある絵だとは思うが、その混雑振りを考えると気が進まないのである。だいたい、この東京国立博物館は、昔パリのルーブル美術館から「モナリザ」が来た際に公開展示された美術館であり、今回の「受胎告知」が公開されているのも同じ展示室である。「モナリザ」の際には、150万人以上が来訪し、最終日には6万人が押し寄せた。名画と言われる作品が日本に来ると、いつもこういう大混雑になる。そんなにみんな美術品が好きだったのかなと私なんかは思うのだが、その割りに国宝展だとここまで人は押し寄せない。舶来信仰なのだろうか。

 待ち時間の長さや入場料金の高さ(当日券1500円)を考えると、皆さんかなり気合を入れて来られるに違いない。ダヴィンチのことはもちろん、フィレンツェやルネサンスのこと、更にはそれを庇護したメディッチ家のことなども予習されているかもしれない。しかし、そこまで予習をして期待を大きく持って、長い行列に並び、漸くつかの間見た作品は、本当に期待に応えるほど素晴らしいのだろうか。私はそこのところに疑問があるのである。

 別にダヴィンチを過小評価するつもりも、「受胎告知」をけなすつもりも毛頭ない。私自身も現物を見て感じ入った。ただ、そんな長時間待ったわけではないし、混雑していたわけでもない。また、ウフィッツェでは目の前でじっくり見るだけの余裕があった。更に言えば、ボッティチェリの「ビーナス誕生」や「春」をはじめとした傑作が他にもあって、それらとセットで見たのである。そうした諸々の状況下で私は充分満足したというわけである。しかし、東京で相当時間待って「受胎告知」を見たとしよう。それも、事実上これ一作。その期待や労力に見合うだけの満足感を得られるのだろうか。

 今回の「受胎告知」来日にまつわる数々の報道と前評判、煽り立てるようなダヴィンチがらみの各種情報。こういうのは、何か映画の過剰な予告編を見ているようで、私はちょっと大丈夫かなと心配するのである。つられて見に行く本人もかなり予習して、気合を入れて展覧会に行く。そしてかなり長い時間待って作品の前にたどり着き、押すな押すなの人ごみの中で鑑賞する。期待していたのとその場で見たものとの間にギャップはないのだろうか。膨らみに膨らんだ期待や前評判に、現物が押しつぶされるいことはないのだろうか。

 いや仮に、確かに素晴らしかったが期待したほどではなかったとしよう。それでも人は満足したと言わざるを得ないだろう。そう思わなければ、そこまでに費やした労力や費用が虚しいものになってしまう。私はこういう期待先行型の鑑賞を「追い込まれ型鑑賞」と密かに呼んでいるのだが、世界的名画というものが日本に来日するつど、大騒ぎが起こり、前評判と予習で期待感を膨らませ過ぎた人々が「追い込まれ型鑑賞」に陥っていくような気がして仕方ない。

 一人でも多くの人が本物の芸術に触れる機会を作り出すことの方が価値あることなのかもしれないが、まぁあまり予習をし過ぎるのも考えものかもしれない。




5月24日(木) 「アキバ観光」

 私はたまに秋葉原に行くのだが、この街は以前に比べてずいぶん変わった。そして今後も変わり続けるのだろう。そんな中で最近驚いたことは、外人の観光客がずいぶん増えたということである。

 もちろん、昔から秋葉原には外人さんがたくさんいた。だがその多くは、日本のカメラや電化製品をおみやげに買う人たちで、外国語が話せる店員を置いた免税店に出入りしていた。ところが最近の外国人は、どうやら純粋に観光で秋葉原に来ている。大型観光バスに乗って団体でやって来て、物珍しそうに街角の様子を写真に収めている。

 彼らが写真に収めている街角の風景は、往年の秋葉原と随分違っている。表通りから次第に電気店が消え、美少女系あるいはゲーム系の店が目に付く。漫画同人誌を扱う店もあればアニメフィギュアを専門に置いている店もある。歩道には、メイドさんの格好をした女の子があちこちにいてチラシ配りをしているかと思えば、携帯電話のキャンペーン・ガールが各メーカーのコスチュームに身を包み、道行く人に声を掛ける。そうした諸々のものが渾然一体となって不思議な雰囲気を醸し出しているのだが、これがオタクの街と呼ばれるゆえんかもしれない。

 こんな光景を外人さんたちが写真に収めて「これが日本だ」と故郷で自慢されるとちょっと困るなぁと心配したりもするのだが、同時に、文化ってしょせん生まれたときにはこんなふうにニッチで、多くの人から色眼鏡で見られるのかもしれないとも思う。

 日本が世界に誇る芸術である「能」は「猿楽」をルーツに持つ。では、「猿楽」は元々何だったのかというと、今で言う庶民向けの大道芸である。それを演じていたのは当時社会の最下層の者たちで、お祭りの際に神社側の取り計らいで芸を演じて生計を立てていたという。内容も物真似、曲芸、手品などのエンターテイメントで、笑いをとって庶民から施しを受けていたらしい。好きでやっていたというより、生活の糧としてそうして生きていくしかなかったということだろう。もちろん時の権力は、観阿弥や世阿弥が登場するまでこれを庇護したりしていなかった。そんな下賎の民が演じた興行が、数百年の時を経て世界的な無形文化財に成長したのである。

 歴史が示すとおり、文化というのは最初から高級な生まれというわけではない。ハスのように、泥から生まれて美しい花を咲かせることもある。逆に、政府が一生懸命頑張って高級な文化を育てようとしても、国民の間に根付かないことがある。今は白い目で見られている秋葉原のオタク文化も、百年後にどう評価されているのか、誰にも分からないのである。跡形もなく消え去っているのかもしれないし、「猿楽」が「能」に進化して行ったように、新しい文化の芽になっていく可能性だってある。今がこうだから所詮ろくなものにならないなんて見方をしていると、大変な誤算になるかもしれないのである。

 今秋葉原に来た外人観光客が撮った写真は、何十年か後に貴重な映像として人の目を引かないとも言い切れない。自然に生まれた文化が時を経てどう育っていくのか、我々は長い眼で見ていく必要があるのだろう。




5月30日(水) 「野の仏・街の仏」

 時々ウォーキングのために、練馬区の光が丘公園まで足を伸ばす。この広い公園には幾つもの遊歩道が張り巡らされていて、私のように歩いている人もいれば、スポーツウェアに身を包みジョギングをしている人もいる。また、自転車に乗っている人、犬の散歩をさせている人、写真を撮っている人、それはもう様々な人で休日の朝から賑わっている。

 光が丘公園自体大きな公園なのだが、その周辺にも幾つもの公園が取り囲むように存在しており、それぞれに特徴を持たせた造りになっている。

 そうした公園の一つに、田んぼがある公園がある。見ていると、近くの小学生たちが稲を育てているようで、田植えの時期に青々とした苗が植えられ、秋には黄金色の稲穂が風に揺れる。肥料代わりなのか、ここは春になると一面レンゲが咲く。四季折々にのどかな光景が見られて私は好きなのだが、用水路脇のあぜみちを見ていると、ふいにお地蔵さんを思い出す。残念ながらここにはないのだが、あってもおかしくないような光景である。

 私が子供の頃、田んぼの用水路にカエルやザリガニを採りに行ったが、行く先々でお地蔵さんが置かれているのを見かけた。野の仏である。そのままむき出しの場合もあれば、粗末な木の小屋の中に置かれている場合もある。いずれの場合でも、誰かがきちんとお世話をしているらしく、野の花や食べ物が供えてあった。

 子供時代には気にも留めずに通り過ぎた光景だが、今になって見ると妙に懐かしくて心惹かれるのである。あぜ道の脇にポツンとたたずむ野の仏。それだけで一幅の絵になりそうな平和な日本の光景である。あの公園の田んぼにも、野の仏があればいい光景なのになぁと思う。

 今でも山登りに埼玉県の奥まで出掛けると、野の仏に出会うことがある。登山道入り口まで農村を抜けていくのだが、畑を見渡すとポツリとお地蔵さんが立っている。思わず立ち止まってしげしげと見てしまう。そして、子供時代のことをあれやこれやと思い出す。

 お地蔵さんと田園風景は切っても切れない関係だと思い続けていたが、家々が軒を並べる東京都内でも、お地蔵さんは健在である。今住んでいる練馬区は、比較的最近まで近郊農業地帯だったから、至るところにその頃の名残があるが、お地蔵さんもその一つである。自動車がひっきりなしに通る道路脇にお地蔵さんがひっそりと立っている。そうかと思えば、アスファルトを敷き詰めたコイン・パーキングの片隅にもいらっしゃる。商店がポツポツと並ぶ歩道脇にも、あるいは忘れ去られたように家と家の境目にも。昔はいずれも田や畑を臨むあぜ道の脇にたたずむ野の仏であったのだろうが、時の流れとともに、お地蔵さんの周りの光景はすっかり変わってしまった。お地蔵さん自身が一番驚いておられるのかもしれない。

 どのお地蔵さんも、野の仏と違って窮屈そうで、道行く人も立ち止まることなく通り過ぎる。排気ガスにむせ返り、ほこりにまみれて環境は悪そうなのだが、そんな街の仏も、野の仏と同じように誰かが世話をしているらしい。花が供えられ、お供え物が置いてある。私はそれを見るたびに、何だか救われたような気になる。すっかり都会化したこの街にも、どうやら昔ながらのやさしさは健在らしい。

 前から、そんな街の仏を絵にしてみたいと思いつつ、果たせないままでいる。野の仏と違って、周囲の風景が風景だから、どうにも作品になりにくい。いつも前を通りながらしげしげと見るのだが、仏様はそ知らぬ顔で澄ましておられる。難しく考え過ぎだと諭すかのように。




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