パソコン絵画徒然草

== 6月に徒然なるまま考えたこと ==





6月 4日(火) 「原風景」

 「原風景」という言葉を聞かれたことがあるだろうか。幼少期に見て以来、ずっと記憶の奥底に残っている風景のことである。もっと厳密に言えば、そうした記憶上の風景が、今でも心に何かを訴えかけて来たり、その人の感性に何らかの影響を与えたりする場合を指しており、単に覚えているだけの風景というのとは異なる。勿論、それが具体的にどこの場所なのか、いつそこに行ったのか、誰と何をしに行ったのか、ということは忘れてしまっている場合も多い。いや、もしかしたら、その風景は本当に行った場所ではなく、幼い頃に本やテレビで見ただけのどこか遠くの風景だった、ということもあり得る。そんな曖昧な記憶であるがゆえに、何故その風景に未だにこだわり続けるのか、自分自身分からないこともある。

 もう1つ、「既視感(デジャビュ deja vu)」という心理学用語は、知っておられるだろうか。どこか見知らぬ土地を初めて訪れたときに、以前に一度この土地を訪れたことがあるかのような錯覚に襲われることをいう。記憶の底に眠っている風景と、その土地の風景がどこか似ており、それで錯覚が起きるとも言われている。この場合、そんな風景が記憶の奥底にあること自体が本人に分からないため、錯覚が起こるわけである。「無意識の記憶」と言ってもいいかもしれない。

 かなり記憶力のいい人でも、自分が見たことのかなりの部分を1時間後には忘れてしまうという。ましてや、記憶力が発達していない幼少期の脳では、余程インパクトに残ることでなければ、記憶に留めておけない。だから、「原風景」にせよ、「既視感」にせよ、大人になっても記憶の奥底に残っている風景というのは、その人にとって大切な体験や心の動きと結びついているはずである。また、そうであるがゆえに、その風景に未だにこだわり続けているのだろう。

 風景画を見ていると、妙に心のツボにはまる絵というのがある。構図の巧みさや色使いのきれいさ、あるいは技巧の卓越さでは、他にも優れた風景画があるのに、何故か心に残る作品、あるいは何かしら心に引っかかる作品というのがある。おそらくそういう作品は、各人が心の奥底に持っている遠い風景とどこかでつながっているのだろう。だから、作品を見ているうちに、心の奥深い部分をくすぐられるのである。

 風景画を描く側の立場に立つと、想像で絵を描く場合に「原風景」がからんで来る。目の前の風景を写実的に描く場合には、風景の切り取り方や、色合い、質感描写といった技巧上の問題が焦点になるが、特定のモデルがない中で、自分なりに風景を創作して描く場合には、どういう情景にするかという点が、制作上最大のポイントとなる。それは、構図理論や色彩理論を駆使した計算づくめの機械的作業ではなく、心のイメージを具体化していくという、雲をつかむような情緒的な作業である。心の底からふと湧き上がって来たイメージとは、俗に「心象風景」と呼ばれるものだが、それを生み出す源には、「原風景」があるのだろうな、と私は思っている。

 私は、心の奥底から湧き出て来たイメージを絵にしながら、「この風景の源泉はどこにあるのだろうか」と時々考える。風景を自分なりに創作しながら描く作業は、風化しつつある遠い記憶の彼方への旅でもある。




6月 7日(金) 「画材店」

 画材店というのは何となく夢のある空間である。私は、あそこに並んでいる絵具や筆を見ているだけで、絵を描く意欲が生まれて来る。

 画材店に足を踏み入れるようになったのは、大学入学後、美術部に入ってからのことである。入部早々先輩に、絵の手ほどき方々大学近くの画材店に連れて行ってもらったのが最初だった。それまで絵といえば、学校の美術の授業で水彩画を描く程度だった私にとって、画材店は未知の領域に等しかった。画材をそろえるといっても、何をどう買えばいいのか分からなかったので、いわゆる油絵の入門者向けセットを購入した覚えがある。油絵を描き始めて1年ほど経った頃から、次第に水彩画、水墨画、日本画と別の分野に手を出し始めたので、画材店もそういう指向のものに変えていった。また、美術関係の本や雑誌に目を通したり、他の人の話を聞いたりしているうちに、画材に対する知識も増えていったので、以後、入門セットのようなものは買わず、必要なものだけを単品でそろえるようになった。

 東京に暮らすようになってからは、専ら新宿の「世界堂」を利用している。美術雑誌の広告によく出ていたこの店の名は、大学時代から知っていた。だいぶ前に火事で本店が全焼し、今では近代的なビルに生まれ変わったが、古い店舗の時代から贔屓にしている。最初にこの店を訪れたとき、大学時代に通っていた画材店に比べると圧倒的に大きくて、さすがに東京だなぁと感心したことを今でも覚えている。

 取り立てて買うものがなくとも、画材店の中を見て回るのは楽しい。私は、油絵、水彩画、日本画、水墨画、アクリル画と一通りやって来たので、これらの画材は皆馴染みがある。今は、絵具で描くとなると専らアクリル画なので、他の画材は必要ないのだが、何となく見てしまう。また、自分がやらない分野の道具、例えばパステルとか彫金とかも、興味深く見てしまう。様々な色の絵具が整然と色分けされて並ぶ棚や、沢山の種類の筆が並んでいるさまを見ていると、わくわくした気分になる。この「わくわくした気分」を正確に表現するのは難しいが、何か絵が描きたくなるような高揚感とでも言えばいいのか。画材店が持っているこの雰囲気は、自分の家で絵具や筆を見ているときには感じないものだ。

 ただ、不思議なことに、パソコンのソフトウェア売り場に行き、お絵描きソフトを並べたコーナーを見ても、この種の高揚感は感じない。ついでに言えば、タブレットが並んでいるコーナーでも何も感じない。こうしたコーナーでは、ソフトにせよタブレットにせよ、デモ用に置いてあって、実際に試用出来るようになっているのだが、どうもそういう気持ちにもならない。何というか、清潔で明るいのだが、無機質な雰囲気がそこにある。どのショップに行ってもそんな印象があるので、店固有の問題というわけではないようだ。画材店と比べると、何かが欠けているように思うが、それが何なのかは分からない。そんなふうに感じているのは、私だけだろうか。




6月 9日(日) 「変わること、変われないこと」

 「ピカソは天才だ」という話を繰り返し聞かされても「あの変テコな絵のどこが天才なのかさっぱり分からない」と思われている方は多いのではないか。まぁ、各人ごとの絵の好みという問題があるので、「キュビズム(立体派)」の何たるかを説かれても、「だから何なんだ」ということになってしまう。ピカソの初期の作品、特に「青の時代」の頃の暗いが写実性に富んだ作品などを見ると、「こんな立派な絵も描けるのね」なんて感心される方もおられる。あるいは、不朽の名作と名高い「ゲルニカ」制作のためのデッサンを見て「本当は絵のうまい人だったんだ」と驚かれる方までいる。ここでピカソが何故天才かを説明する気はさらさらないが、1つだけ私がすごいと思っている点を挙げておきたい。それは、彼の作品の革命的変化である。

 画家にはそれぞれ画風がある。その画風ゆえにファンがつき、絵が売れる。プロの画家にとって、一旦確立した画風を捨てるというのは一大決心ではないかと思う。終身雇用時代のサラリーマンが会社を辞めて転身を図るようなものである。成功など誰も保証してくれない。それを、ピカソは大胆に実行していった。「キュビズム」のように、従来常識中の常識だった遠近法を否定するといった誰もが度肝を抜くような試みを始めて、次々に傑作を生み出した。

 たとえ生活がかかったプロでなくとも、絵を描く者にとって、一旦定まった画風を変えるというのは、技術的に難しい。ゴルフをやっている人が、スイングを矯正しようとしてもうまくいかず、かえって不振に陥るのと同じかもしれない。一種の冒険である。

 私も、パソコンで絵を描き始めた頃、この新しい画材を使えば、従来絵具を使って描いていたのと全く違う絵を描けるかもしれない、と漠然と考えていた。しかし、描き始めてたどりついたのは、昔から慣れ親しんだ私なりの画風である。「それは見方を変えれば、個性というものかもしれない」と言い訳している自分に気付く。「三つ子の魂、百まで」という諺を、苦笑いしながら思い出したりする。そしてピカソの偉大さをもう一度実感する。

 「居心地の良いマンネリズム」というのがある。絵の場合、満足できる結果になることが約束されている描き方を踏襲することが、それに当たるのだと思う。例えば、画題、構図、色使いなど、以前描いた絵と同じような傾向に陥ることが分かっているのに、手馴れたパターンをついつい使ってしまう。その結果、いつものように、ある程度満足出来る仕上がりの絵が完成するが、そこには冒険も躍動もない。ピカソのような天才でもない限り、今までと全く異なった自分の絵画世界を創り出すのは至難の業だと分かっているから、趣味で絵を描く素人ならそれも仕方ないとは思うのだが、絵に取り組む姿勢として何か物足りなさを感じてしまう。

 画風を変えれば偉いというわけではなかろうが、私は少なくとも、自分の画風やテクニックが固定してしまうことに常に疑問を持ち続ける姿勢だけは忘れないようにしたいと思う。




6月12日(水) 「アトリエ」

 絵を描くことを趣味にしている人なら、誰しも一度はアトリエを持つことを夢見るのではないか。しかし、現実には、独身の一人暮らしとか、広い家をお持ちの方なら可能かもしれないが、日本の狭い住宅事情を考えると中々難しい。

 アトリエには幾つか条件がある。1つは採光である。安定した自然光の中で絵がどう見えるか、というのは重要である。従って、窓のない納戸では絵は描けない。しかも、明るければいいというものではなく、一日を通じて、日の入り方に大きな変化がないことが理想である。

 もう1つは広さである。これは作業スペースという意味合いだけではない。狭い部屋だと、大きな絵を後ろに下がって見て、全体の色使い、構図バランスをチェックするのが難しくなる。学生時代に6畳の下宿で100号の絵を描いていた知人が、十分後ろに下がって絵が見られないため、双眼鏡を逆さに見て全体をチェックしていたという。これでは、アトリエ失格である。

 日当たりが良く、かつ十分広いとなると、普通リビング・ルームくらいしかない。しかし、リビング・ルームをアトリエにするなんて、家族からみれば狂気の沙汰なので、普通の家では実現不可能である。私は、今でもたまにアクリル画を描くが、6畳間のテーブルの上で自然光と室内灯を半々取り入れながら制作している。ただ、作業スペースの制約から6号以上は無理である。

 ところが、パソコン絵画となると事情が違って来る。まず、光は取り入れなくともモニター画面自体が十分明るいので問題ない。むしろ、モニター画面に太陽光線が当たると見にくくなるので、蛍光灯の方が好都合だったりする。大きさも、画面上で縮小・拡大が可能なので、立ち上がって後ろに下がり作品の全体像を確認する必要がない。作業スペースとしては、キーボードとタブレットの両方を並べて置くだけのスペースを確保することが理想であるが、それでも、机1つ分のスペースがあれば問題はない。かくして私は、パソコン絵画用のアトリエとして、60センチ四方のパソコン・ラックを持つだけである。雑誌で見る限り、プロのCG制作者になるともう少しまともな制作環境だが、本質においては変わりがなく、要するにイスと机がほぼ全てである。

 ただ、少し淋しい気はする。画家のアトリエというのは、それだけで個性が現れ、芸術的な香り漂う空間である。故人となった有名画家のアトリエは保存されて、一般公開されている例も多い。保存のため、内装ごとわざわざ別の場所に移築されている例すらある。しかし、CG制作者の場合に同じようなことは行われないのではないかと、私は思っている。例えば、その制作者が生前使ったパソコン・ラックにパソコンが載っていてイスが置いてある。これでは、家電量販店のパソコン・ラック売り場と変わらない。もう少し夢多きCG制作空間というのを、誰か創って公開してくれないものかと思う。




6月15日(土) 「線と面」

 日本人は、ペンとインク、あるいは鉛筆やボールペンが登場するまでは、専ら筆で文字を書いていた。だから「習字」というのは、長らく日本人の実用技能であり、必須科目であった。文字とは線の集合である。従って、筆で字を書き続けると、線を操るのに長けてくる。

 伝統的に日本の絵は線重視だったのだと思う。明治期の日本画を見ると、きちんと線が出ている。しかもその線が、ため息が出るほど美しい。伝統的な日本の絵に使われる線というのは、強弱、濃淡などの表現がとても豊かで、伸び伸びとしている。そういう線を見ていると、いつも「天衣無縫」という言葉を連想する。線画の美しさを思う時、私がすぐ頭に思い浮かべるのは、京都・高山寺所蔵の「鳥獣戯画」である。特に、平安末期の作と言われる「甲巻」(蛙・兎・猿が主題)の線の豊かさは、見事というほかない。

 それに対して、西洋絵画は面塗り主体である。面の塗りの濃淡で輪郭や立体感を出す。僅かに線画の作品が残っているが、昔からペンとインクの文化だからだろうか、線そのものに豊かさがない。そのせいか、線の美しさを売りものにした歴史的傑作も見当たらない。いずれも、描写力アップのための練習作やデッサンに留まっている。

 日本に本格的に西洋画が入って来たときに、日本の線画主体の画面構成は変質していく。日本画は西洋化し、いまでは面塗り主体である。戦後、筆記具が鉛筆やボールペン主体になって、あの筆を操る日本人独自の能力も退化した。現代の日本人が描いた絵画で、美しい線を見ることが出来るのは、一部の日本画だけである。公募展でそんな絵を見ると、ついつい見とれてしまう。容易にはマネの出来ない優雅さ、美しさである。

 私の絵も面塗り主体であるが、線の美しさというのは好きで、パソコンで線画のようなものは出来ないか、と何度か考えたことがある。タブレットの機能で「筆圧感知」というのがあり、筆圧の強弱で線の太さや濃淡を変えることが出来るが、どうやっても筆で描いた線の優美さにはかなわない。まぁ、そのなれの果てが、このホームページにある淡彩画である。

 パソコンで線を引くのに、私はペイント系の手書き線を好むが、世間一般では「きれいな線を引くにはドロー系」というのが通り相場のようである。確かにドロー系では、指示した通りにパソコンが線を引いてくれるわけだから、正確な直線、ゆがみのない曲線など、人間の手では難しい線が自由自在である。しかし、そういう線は、確かにきれいだが、印象としては西洋画のペン書きの線と同じであって、筆を使った、あの日本の伝統的な線の様相とは異なる。

 そんなことを考えながら「鳥獣戯画」を見ていると、機械が人間の技を追い越すのは中々大変なことだと実感する。と同時に、我々は、何か大切なものを失いつつあるようにも思う。




6月18日(火) 「細密描写」

 絵を描くのが好きな子供なら、誰しも一度は細密描写に憧れるものである。私も、写真と見まごうような細密描写が出来るようになりたい、と子供の頃は思っていた。しかし、絵というのは面白いもので、時間をかけて丁寧に細かく描き込んだからといって、思い通りの写実的な描写が得られるわけではない。それに気付いたのは小学校高学年のときである。

 図工の時間に写生会があって、学校の近くで画用紙を広げた。全部塗り終える時間はとてもないので、残りは家で仕上げて来ることになるのは分かっていた。そこで、絵の下線を鉛筆で細かく入れていく作業に集中した。駅はずれの線路沿いに山を切り崩した個所があり、山の中腹に石垣を組んだ家が何軒か並んでいた。その配列の面白さを遠景から描いた。時間の許す限り、目を凝らして石垣の並ぶ様子を丹念に描き込んだ。色塗りは殆ど家でやったように記憶している。これまた、石垣の組み石の色を1つ1つ変えたりして、緻密で凝った塗り方をした。自分のように高度な描画技術のない者でも、そうした地道な努力を要所々々で積み重ねれば、必ず全体として素晴らしい描写に結びつくものと確信して筆を走らせた。しかし、完成した絵は、細かく描き込み過ぎていて、多少目がチカチカするような失敗作であった。

 私はそのとき、何が間違っているのか分からなかったが、その後、プロの画家の絵を色々見ているうちに、あることに気付いた。一見写真のように見える絵も、全てが細かく描き込まれているわけではなかったのだ。例えば、目の前にある一本の木を細かく描くとしよう。目を凝らし仔細に見れば、葉っぱの一枚々々が見て取れる。では、写真のようにリアルに描くには、超人的な努力をしてこの葉っぱの一枚々々を精密に描けばよいのか。答えは否である。そんなことをすると、かえって絵が非現実的になる。私が、あの写生で失敗した原因は、まさにこれであった。ではどうするのか。葉っぱの一枚々々を描かず、それでいて、あたかも葉っぱの一枚々々が描かれているかのような描き方をするのである。これが、プロの画家達の描き方だった。

 子供の頃のあの失敗は、人間の目のなせるわざではないかと、今では思っている。カメラで撮った木の写真を虫眼鏡で拡大しても、決して一枚々々の葉っぱが鮮明に確認出来るわけではない。それでもその写真を見れば、葉っぱの一枚々々がそこに写し込まれているかのように見える。実際に、葉っぱの一枚々々を本当に鮮明に写真に撮ろうと思うと、望遠レンズを使わなければならないだろう。他方、人間の目はカメラと違って、通常広角レンズのようにざっと眺めているが、視点を集中すると自動的に望遠レンズに切り替わる。だから、目を凝らして対象を観察し、そのまま画用紙に細かく描き込んでいくと、望遠鏡を覗き込みながら描いたような変な風景画が出来上がる。人物画でいえば、顔にあるしわの1つ1つ、うぶ毛の1本1本を描いてしまうようなものだ。

 では、「あたかも葉っぱの一枚々々が描き込まれているかのような」描き方はどうすれば出来るのか。その答えは難しい。「こうすれば誰でも描ける」という定番の方法はなく、考え始めると、葉っぱを一枚々々丹念に描くより難しかったりする。そして、そんなところに、描き手の個性や表現の豊かさの差が表れ、絵画上の技巧というものが生まれる。私は、そんなことが分かりかけて来た頃から、プロの技というものに関心を向けるようになった。そして今でも、「あたかも葉っぱの一枚々々が描き込まれているかのような」描き方を探し続けている。きっとこの先も、様々に工夫を重ねながら、ずっと探し続けることだろう。絵を描くというのは、そんな終わりのない旅である。




6月20日(木) 「下手で何が悪い」

 「私ももっと上手だったら、絵を描いてみたいと思うんですけどねぇ。」そんな言葉をよく聞く。しかし、そんなふうに思っていたら、いつまでたっても絵なんか描けない。第一、上手に描こうなんて考えていたら、絵を描くことが面白くなくなる。確かに、絵は上手いに越したことはないが、上手に描くことを目指し始めると、キリがない。プロなら未だしも、アマチュアには時間的制約があるから、腕前を上げていくにも限度がある。

 日本人は一般に、下手だといって笑われることを避けて通ろうとする傾向にある。恥ずかしいから、と言って、折角描いた絵を人に見せない人もいる。実際には、笑う人なんていないのに。そういう人は大抵、如何に本物っぽく描かれているかという写実性の度合いで、絵の「上手い、下手」が判断されると信じている。そういう写実性の物差しで測るなら、普通の人の絵はピカソよりは写実性が高いのだから(笑)、萎縮する必要など何もないと思うのだが…。

 絵を描くことに興味がある人は、「上手い、下手」といった物差しなんか気にかけず、堂々と自分なりの絵を追求すればいいと思う。人の眼を気にする余り、自らを縛って行き詰まり、途中でくじけたりするのはバカバカしい。アマチュアは、絵の先生から気に入られたり、人から評価してもらうために描いているのではなく、自分のために楽しみで描いている、ということを忘れないでほしい。

 では、絵を描く楽しさとは何だろう。それは人それぞれなので、一概にこれだとは言えない。ただ、私について言えば、自分のイメージで風景を作っていく面白さが、絵を描く原動力になっているような気がする。

 何も描いていない白い紙に、鉛筆でなだらかな線を引く。単なる鉛筆の線がつながっていって、山の稜線になり、細かい書き込みを入れていくと森が出来る。そうしているうちに、何もなかった白い紙の上に、1つの世界が現れてくる。それは現実にはどこにもない、私自身の風景である。白い紙と鉛筆一本あれば、自分だけの世界を作ることが出来る。目の前にある現実の森や山などは、私がそうした新しい風景を紙の上に作るための、1つのきっかけに過ぎないわけで、別に実物通りに描く必要など、どこにもない。

 絵の描写力という面で技量が低くても、自分なりに描くべき世界を持っている人の絵には、夢があり、可能性がある。しかし、描きたいものをこれといって持たないまま、技量だけ磨き続ける人の絵は、たとえ上手くても、いつまでも人の心には残らない。絵の骨格を作るのは描写力という技量なのかもしれないが、絵に魂を吹き込むのは、描く人の心である。

 ある日あなたのところに、郷里に住む友達から、手書きの絵を沿えたハガキが来たとしよう。そこに描かれた田舎の風景がどんなに下手だったとしても、きっとあなたは笑わないだろう。何故か。その絵には、故郷を離れて遠くに住む友に、田舎の様子を伝えてやろうという心がこもっているからである。その絵は、受け取った人の心に長く残り、何かの折りに思い出されたりする。私は、技量の高い絵より、そんな心のこもった絵を描きたい、といつも思っている。




6月23日(日) 「光と大気」

 光と大気というのは、絵を描くうえで表現が難しい要素だと思う。普段は、2つとも眼に見えないが、ある状況では形を取ることがある。思いつくままに挙げれば、光では、雲の切れ間から差し込む日の光、木漏れ日、逆光気味に照り込む光、夕暮れ、などなど。大気では、霧、霞、靄、それと画面上に現れるある種の空気感。

 光を画面に取り込むという点では、印象派以前の西洋画の領域で、結構参考になる絵が多い。電灯がなかった時代に光を画面上でどう扱うかは、室内の情景を描くうえで重要な課題だったのではないか。石造りの家屋で光の取入れが不十分だった当時の室内の様子は、今のように隅々まで煌々と灯りがともされる時代とは異なった様相を帯びていたはずだ。窓から差し込む日の光に照らされてほのかに浮かび上がる室内の様子、あるいは、蝋燭の光に照らされた部屋の情景といったものを描こうとすれば、光源とそれが物の見え方にどう影響するかをよく考えなければならない。フェルメールの絵における光の処理などは、さすがと言わざるを得ない。

 また、こういった時代の絵には、光の対極である闇がよく描かれている。例えば、人物画の背後にある闇。おそらく蝋燭の明かりが十分に届かないために出来る暗さなのだろうが、この柔らかい黒で塗られた闇の何と濃密なことか。見る者は、その中に様々な室内の情景を想像してしまう。いわば、饒舌な闇なのである。

 他方、空気感を画面に取り込むという意味では、水墨画が秀逸ではないかと思う。描線を主体にしたものではなく、墨の濃淡で対象を表現する系統の水墨画では、墨と水とが混ざり合った微妙な色のあやが、空気そのものをうまく表現している。余り一般の方には名が知られていないが、牧谿の水墨画などは、実に見事な空気感である。私も水墨画を描いていたので分かるのだが、あの墨と水とが織り交ざって出来る効果は偶然に左右される部分も大きく、完全にコントロールするのは難しい。ただ、そうして偶然生じた効果が、空気の動きを自然な感じで上手く表わしていることが多い。それは、雲や霧が大気から自然に発生する偶然の事象であるのと無関係ではあるまい。雲の形は誰かが決めているわけではない。その時々の大気の状態で全く偶然に決まる。墨と水とが混じり合って偶然作られる表現と、どこか親和性があるように思う。そのせいか、同じものを、油絵などで筆を使ってきちんと描こうとすると、中々難しい。

 もう1つ、日本画が持つ空気感というのも面白い。日本画の人物画、静物画(花鳥画)の背景には、何も描かれていない一種の空間がある。しかし、それは塗り残しの余白ではない。そこにあるのは空気なのである。画面の一部として存在し、これがまた重要な絵の構成要素となっている。こういう空間表現は、伝統的な西洋画では見かけない。上に描いた古い西洋画の「濃密な闇」と、この日本画の空間は、似て非なるものである。西洋画の「濃密な闇」の中には、見る者からは窺えないほの暗い室内の情景が隠されている。しかし、日本画にある空間には、ただ空気があるばかりである。そして、絵を見る者は、その空気感を肌に感じるのである。

 光と大気を描くというのは、初心者の方には、ちょっと荷が重いかもしれない。しかし、これを意識しながら絵が描けるようになると、画面の雰囲気は確実に変わる。何事もまず一歩踏み出さねば始まらない。皆さんも、光と大気という終わりのないテーマに挑戦されては如何か。




6月26日(水) 「宣伝」

 先日、本棚を見ていて、我が家の画集がいつのまにかすっかり減ってしまっていることに気付いた。学生の頃から色々な画集を買い続けたが、東京に引っ越す時に実家に置いて来たり、ニューヨークに赴任する時に、これまた実家に預かってもらったりしたまま、未だに引き取っていない。今更引き取ると、本棚がもう1つ必要になるので躊躇してしまうが、これ程ないとなると、それはそれで淋しい。

 私は本屋で時々立ち読みをするが、画集は何となく立ち読み(立ち見?)する気になれない。ゆっくり落ち着いた気分で見ようと思うせいだろうか。そうなると、買って帰るしかないが、値段が高いのと重くてかさばるのには閉口する。そうしたこともあって、最近ではとんとご無沙汰している。

 画集に対する不満は、高いことばかりではない。伸び盛りの若手画家の画集が殆どないということもある。あるいは、あっても1万円以上するので買う気がしなくなる。まぁ、出版しても売れないという事情もあろうから、余り我がままも言えないが、あの歴史上の大画家達の名前が列挙された全集チックな画集ばかりが書店に並んでいると、ちょっと嫌気が差す。名前を見ても、だいたい教科書に出て来るような昔の人だし、以前どっかで見たような絵ばかりで新鮮さがない。限定部数でいいから、小型サイズで若手有望画家の作品集を出してほしいものである。

 画家の方もプロらしく、もっと積極的に自分の作品の宣伝をしてもよいのではないかと思う。一般的に、作品の宣伝などはどうも画商や美術評論家任せの観がある。そういう俗事を画家自身が行うことは、高邁な芸術精神に反するのだろうか。公募展への出品や有名画廊での個展は、作品発表の定番中の定番だが、残念ながらマス・メディアの情報伝播力に比べれば、さしたる宣伝になっていない気がする。新聞、テレビは全国津々浦々、各家庭に直接情報を届けられるが、全国規模の公募展なんて言っても、47都道府県全てで見られるわけではないし、巡回する県でも見られるのは県庁所在地だけである。ましてや画廊での個展となると、一部関係者と比較的熱心な絵画ファンが来るだけなのではないか。絵の世界でも、時代に合わせて、常に新しい宣伝の試みをしていく必要があるような気がするが…。

 文庫本サイズであっても画集の出版は難しいというなら、例えば、画家本人がホームページを作って、自分の作品を展示するなんて面白いと思うのだが、どうだろうか。一人の画家がポツンと作っただけでは、目立たないので誰もアクセスしないということなら、画商や美術評論家が専用ポータルサイトを作って、自分が有望と思う画家のサイトを束ねればいいのではないか。

 マス・メディアにせよ、インターネットにせよ、情報の網の目がこれだけ個人の周りに緻密に張り巡らされる社会になると、今まで通りにやっていたのでは、一般の人々の関心は次第に伝統的な絵画から離れていってしまうような気がするのだが…。「いや、本当にいいものは、宣伝なんかしなくても人々の方から求めに来るものだ」という美術関係者もいるかもしれないが、本当なんですかねぇ。ちょっと心配ではある。




6月28日(金) 「絵の記憶」

 私は生来、習い事というのが嫌いで、殆ど行ったことがない。ただ、全く行ったことがないわけではなく、子供の頃にほんの僅かな例外がある。そのうちの1つが、絵画教室である。しかも、これは、私自身が好きで通っていた唯一の習い事だった。

 元々小さい頃から絵を描くのが好きだったが、何故、絵を習いにわざわざ通い始めたのか、記憶が定かではない。なにしろ、小学校に入る前のことである。その絵画教室は、先生が一人でやっていた小さなものだった。私はそこで水彩画を習った。年端もいかない幼児のことだから、先生から課題が与えられたりはしなかった。ただ、好きなものを描きなさいと言われ、如何にも男の子の好きな、怪獣だのロケットだのを描きなぐっていたような気がする。

 そんなある日、写生会があった。その絵画教室の生徒一同、町はずれまで出かけ、川沿いの風景を描いた。私も年長の人たちと一緒になって堤防に座り、川に架かる橋を描いた。それが生まれて初めて描いた風景画だった。自分なりに、ものすごく上手く描けたと思った。途中で先生が見回りに来て、「上手く描けたね」と声を掛けてくれたことを覚えている。それ以来、その橋の絵のことは、ずっと心の中にある。

 中学生の頃だったか、高校生の頃だったか忘れたが、ある日、押入れを整理していたら、奥の方から丸められた画用紙が出て来た。開くと、薄い絵具で何か描いてある。最初、何なのか分からなかったが、一瞬の後に気付いた。あの橋の絵だった。しかし、その絵は、余りに稚拙で一見して橋だと分からないようなシロモノだった。私の心に残る橋の絵とは、明らかに違っていた。記憶と現実のギャップに少々ショックを受けながらその絵を眺めていたが、やがてそれを描いた当時のことが色々思い出され、その絵がとても貴重なもののように思えて来た。曲がりなりにも、その絵は私の絵画遍歴の原点である。

 私は再び、その画用紙を丸めて押入れに仕舞った。その後、その絵は見ていない。しかし、相変わらず橋の絵は、私の心に中にある。今では、私が橋を描いた周辺の風景はすっかり変わってしまったが、故郷に帰ってその辺りを通ると、あの写生をした幼い頃のことが思い出される。

 絵を描く者の幸せの一つは、描いた絵とともに、その頃の思い出がいつまでも心に生き続けることにある。私は今でも、自分が描いた絵を見るたびに、様々なことを思い出す。たとえ、人にあげてしまった絵でも、心の中には、その記憶が残っている。絵にまつわる記憶というのは、写真を見て甦る思い出とはちょっと異なる。その絵を描いたきっかけ、その絵に込めた思いなど、当時の心の動きが静かに滲み出て来るような感覚である。

 私は、あの橋の絵をもう一度描いてみたい気持ちになることがある。あの頃と同じように、故郷の堤防に腰を掛けて、スケッチブックを広げるのである。辺りの風景はすっかり変わってしまっているが、心の中にある遠い風景を思い出しながら鉛筆を走らせていけば、あのときと同じ気持ちで、同じ絵が描けるような気がするのである。




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