パソコン絵画徒然草

== 7月に徒然なるまま考えたこと ==





7月 1日(月) 「瀟湘八景」

 「瀟湘八景」という言葉は、水墨画をたしなんだことのある人なら、一度は聞かれたことのある名前だと思う。中国で生まれた有名な水墨画の画題であり、室町時代から日本に伝わっている。

 「瀟湘」というのは、中国にある川の名前に由来しており、「湘江」と「瀟水」(湘江の支流)の2つの名前を組み合わせたものである。この2つの川は、「洞庭湖」という広大な湖につながっている。「洞庭湖」は、中国南部の湖南省北東部にあり、琵琶湖の約4倍の大きさを持つ、中国第2の淡水湖である。「洞庭湖」にこれら2つの川が注ぎ込む周辺は、古来より風光明媚な土地として知られており、そこから8つの風景を画題として選び出したのが、「瀟湘八景」である。北宋の時代にここを訪れた「宋迪」が選んだとされているが、「山市晴嵐」、「煙寺晩鐘」、「漁村夕照」、「遠浦帰帆」、「瀟湘夜雨」、「洞庭秋月」、「平沙落雁」、「江天暮雪」のいずれも、描く者が空想を膨らませ易いよう、画題に工夫が凝らされている。このため、日本においても、様々な解釈と構成で「瀟湘八景」が描かれて来たし、これに倣って日本各地にも「○○八景」が作られた。

 「瀟湘八景」は、既に決められた画題に従うという意味で一定の制約はあるものの、様々な人が自分なりの解釈で絵を描くので、アイデアを競う楽しさが生まれる。いずれの画題にも、特定の建物や固有の土地が出て来るわけではないので、現地を訪れたことのない人でも、題名に沿った絵が描きやすいという特徴がある。要するに、言葉のイメージから風景を想像して描けばよいのである。これが、「瀟湘八景」が長く人々に愛されて来た所以ではないかと思う。

 「瀟湘八景」に限らず、特定の画題やテーマに沿って描くというのは、面白い試みだと思うし、多くの画家がそれに挑戦して来た。例えば、浮世絵で有名な「東海道五十三次」も、こういう発想によるものだし、近年では、シルクロードをテーマに多くの日本画の名作を世に送り出した平山郁夫氏の例もある。これらは、いずれも特定の土地にまつわる画題であるが、東山魁夷氏の白い馬をテーマにした一連の風景画は、また違った視点からテーマを選んだ好例である。

 こうした連作でなくとも、特定のモチーフにこだわって描く画家もいる。有名なものとしては、生涯にわたって富士山を描き続けた横山大観の例があり、彼の絶筆もまた富士山である。ちなみに、大観は、自らの解釈で「瀟湘八景」も描いている。最近では、山といえば、福王寺法林氏のヒマラヤの絵が思い浮かぶ。西洋画では、セザンヌのセント・ヴィクトワール山がよく知られている。

 これらの画題は、単に人気のあるモチーフだからと受けを狙って選ばれているわけではなく、いずれも画家の思い入れの深さから、繰り返し画題として取り上げられているものである。愛着のある画題だからこそ、生涯にわたって様々な角度からモチーフに深く迫り、そのモチーフが持つ美のエッセンスをつむぎ出すことが出来るのである。人の受けなど無視して、自分なりにこだわりのある画題を見つけ、生涯の友のようにモチーフと向き合い、繰り返し掘り下げて描いていく。そういう絵の描き方も、また楽しいものである。



7月 4日(木) 「変わらぬものへの尊厳」

 現在、東京の中心部に近い辺りに住んでいる。ここに移り住んで3年になる。毎日同じ通勤経路を歩くが、町並みの移り変わりの速さには驚かされる。都心部でのマンション建設隆盛のあおりを受けて、この3年で、幾つものマンションや新築住宅が建てられ、また今でも建設途上のものがある。建て替えられないまでも、外装を手直しし雰囲気の変わった家もある。毎日10分強の通勤途上の様子は次々に変わり、僅か3年のことなのに、最初ここに越して来た頃に、そこに何が建っていたのか覚えていない箇所もある。

 都市の様子はあっという間に変わる。しかし、そんな都会のど真ん中にあっても変わらないものがある。コンクリート・ジャングルのそこここにある小さな自然のたたずまいである。

 通勤途上に見える「小石川後楽園」の森も、道路脇に植えられた街路樹も、3年前と変わらずそこにある。周囲で繰り広げられる慌しい人の営みなど関係なく、自然は悠然としている。ただ季節の流れに沿って、僅かずつ姿を変えるだけである。今は緑濃い季節だが、秋になれば葉が色付き、木枯らしが吹く頃には葉を落とす。その後の長い冬を終えると、木々は芽吹き、やがて新緑の季節が来る。マンション建設とは比べ物にならないゆったりしたスピードで、自然は少しずつ成長していく。日々の生活に忙しい我々の時計とは、全く違った時を刻んでいるのである。

 先日、知り合いのアメリカ人を我が家に昼食に招待したついでに、「小石川後楽園」を案内した。ここは、水戸徳川家の上屋敷跡で、初代の水戸頼房が庭園を造営し、2代目の水戸光圀が完成させたと言われている。「約400年前に作られた日本庭園だ」と説明したら、先方はぎょっとしていた。それはそうだろう。目の前の庭園が、アメリカ建国の歴史より古いのだから。街中にある自然には、そんな長い歴史がある。ビルは耐用年数を待たずにドンドン取り壊されていくが、街中の自然は意外と長く残る例がある。町の片隅に忘れ去られたようにある木が、威風堂々とそびえ立つ「サンシャイン60」の60階建てビルよりもはるかに長い時代を生き抜いてきたことに気付き、はっとすることもある。

 私が自然の風景に惹かれる理由は幾つかあるが、おそらく、そのうちの重要な1つは、この自然が持つ時間感覚への憧れではないか、と感ずることがある。あくせくと生きる我々の傍らで、悠然と時を過ごす自然のたたずまいに、人は、変わらぬものへの憧れを見出しているのではないか。我々の祖先達が、何百年もの樹齢を経た巨木をおそれ崇拝したように、自然の寿命に比べればはるかに短くはかない命しか持たない人間は、長く変わらぬものへの厳かな気持ちを持っている。そうした自然への尊厳の念が、私を風景に向き合わせ、絵を描かせているのではないかと思うのである。




7月 9日(火) 「人物画の楽しみ」

 コンピューター・グラフィックス(CG)の世界では、風景、静物、人物とジャンル分けすると、人物画を描く人が圧倒的である。CGの人物画の中では、若い女性を描く人がこれまた圧倒的に多いように思うが、油絵や日本画などの絵画の世界でも、人物画というと若い女性をモデルにしていることが多いので、これは同じ傾向であろう。

 私は殆ど人物画を描かないが、別に人物画に関心がないわけではない。例えば、日本画では上村松園や伊東深水、洋画では小磯良平の作品などは、ついつい見入ってしまう。海外の美術館に行くと、近代以前の絵画のコーナーでは膨大な人物画の作品が並んでいるが、そういうものも手を抜かずに鑑賞する。

 もっとも、風景画と違って自分で余り描かないものだから、制作者側に立って見るのではなく、絵を描かない一般の方と同じ視点で鑑賞することになる。制作者側に立つと、自分で目指すものとの対比で作品を見てしまうことが多いが、自分で描かないジャンルだとそういう目標や制作哲学がないので、鑑賞の視点も異なって来る。良く言えば、先入観なくまっさらな気持ちで見る、ということになるが、よく考えると、確たる価値尺度を持たず漫然と見ている、ということか。まぁ、趣味なのだから、それでも構うまい。

 近代以前の人物画は、肖像画の色合いが濃く、今で言えば写真の役割を担っていた部分が大きい。一定の社会的地位を持った家柄であれば、自分の子孫に、自分がどういう風貌のどういう人物だったのかを長く伝えるため、当主が画家に肖像画を描かせるケースは沢山あったに違いない。それを屋敷の壁に掲げる。おそらくその横には、自分の父や祖父の肖像画も並んでいる。人物画の意味合いがそういうものだったがゆえに、近代になって写真が登場したとき、人物画はすたれるだろうとの悲観論も一部に台頭したと聞く。しかし、写真がこれだけ庶民の生活に定着した今でも、人物画は一大勢力を保っている。その魅力とは何だろうか。

 人物画は写真以上に、描かれた人の個性や雰囲気を表現することが出来る、という人がいる。一見して説得力があるし、現にそういう人物画の名作もあまたあるので思わず肯いてしまうが、他方で、プロの写真家が撮影した人物写真には、その人の個性がにじみ出る佳作が沢山ある。写真だから個性や雰囲気が表しにくいというのは、素人写真の場合には当てはまるかもしれないが、それは初心者の描いた人物画だって同じようなものではないのか。

 では、お前は、人物画のどのようなところが好きで、何に感じ入っているのか、と問われると、やや漠然としているが、「物語性」かなと思う。この「物語性」という言葉使いは曖昧なのだが、私は人物画を見ていると、そこに描かれた人にまつわる何がしかの物語が、画面から滲み出してくるのを感じることがある。それは、個性や性格というのとは少し違う。その絵の色使い、タッチ、背景といったものが、その人物の背後にある様々な物語を空想させてくれるのである。そういう気持ちにさせてくれる人物画には、ついつい見入ってしまう。ノーマン・ロックウェルの作品などは、その代表格ではなかろうか。こういう感覚は、写真を見たときにはついぞ感じないものである。

 人物画を描く側の狙いは、以上に述べた私の見方とは別のところにあるのかもしれない。ただ、人物画にそんな楽しみを見出そうとする鑑賞者もいることを知って欲しいと思う。




7月13日(土) 「自然の色合い」

 我々は、いたるところで自然の美しさに出会う。私のように東京の中心部に住んでいる者でさえ、真っ青な空や美しい夕焼けを目にすることが出来る。また、ちょっと近くの公園まで足を伸ばせば、新緑の頃のまぶしい緑や鮮やかな紅葉を鑑賞することも可能だ。そういう自然の色は、人の眼に強く焼き付く。

 絵を趣味にしている人は、そういう美しい風景を絵にしようとする。きれいな自然の色を、きれいな絵具で描く。しかし、出来上がったものを見ると、どうも色合いが違うなぁと思われる方は多いのではないか。一見、どこに間違いがあるのか分からないのだが、問題は、自然のきれいさと、絵具のきれいさとは異なるという点にある。

 簡単な実験をすれば分かる。紅葉の頃、あざやかに色付いたカエデの赤い葉を一枚持って帰って、絵具の横に置いてみると、紅葉の赤と絵具の赤とが異なった色だということが分かるはずだ。色付いたイチョウの葉と黄色の絵具でも同じである。実験のために秋まで待てないということなら、真っ青な空と絵具の青を比べてみてもいい。夕焼け空と赤い絵具でも同じだ。どれも絵具の原色とは違う色だと気付くはずだ。絵具の色のきれいさとは、1つには彩度、つまりあざやかさの度合いにあるのだが、彩度の高い絵具を使って自然を描くと、どぎつい絵になってしまい、違和感を覚えるのである。

 我々は、どうしてこういう間違いを犯してしまうのだろうか。1つには、先入観があると思う。よく言われる「真っ赤な夕焼け」とか「真っ青な空」という語感から、条件反射的に絵具の原色に近い色を持って来てしまうのである。

 もう1つ原因があるとすれば、我々は風景の美しさを目で感じているのではなく、心で感じているという事情があるかもしれない。心に焼き付けられた美しい風景は、見た人に非常に強いインパクトを与える。そのインパクトに対抗するだけの強さを、キャンバスや紙の上に描こうとするなら、どうしてもそれに負けないだけの強い色を持って来ないといけない。そうすると原色系のあざやかな色しかない、というふうに選択しているのではないか。心に感じたインパクトが自然の色のあざやかさを増幅してしまうのである。

 もし、この文章にピンと来る人がいたら、色の彩度を押さえ気味に描くことを提案したい。パソコンで描いたものなら、全体の色の彩度を落とす機能がソフトに備わっていることもある。その場合には調整は簡単であり、色々試して効果を見ることが可能である。仮に彩度を落としてみて、自然な風合いが強まったなら、自分の選択した色があざやか過ぎたのである。

 「絵に対する情熱は高めに、色は押さえ気味に」というのが、自然の色合いをうまく表すコツかもしれない。




7月17日(水) 「名もなき花をめでる」

 私は時々花の絵を描くが、実は、さほど花に対する思い入れはない。また、花の名前もそれほど詳しくない。ましてや、自分で花を買って来たり、育てたりすることは皆無である。それでも時々、野に咲く花が目に付いて、絵の題材にする。

 花の絵を描きながら、その花の名前を知らないことに、ちょっと矛盾を感じることもあるのだが、敢えて図鑑を片手に勉強する程熱心なファンでもないので、「野の花」というだけで終わってしまう。そのため、名前も分からぬ花を描いて題名をごまかすことも多く、そんなときには、「『雑草』という名の植物はない。植物には必ず名前が付いている。」という昭和天皇のお言葉を思い出し、ひそかに恥じ入るのである。

 ただ、私は、花の名前について時々心に引っかかることがある。それは、「名前の有名な花ほど素晴らしい花だ」という人々の思い込みについてである。季節を代表する花がある。梅、桜、チューリップ、紫陽花、ひまわりなどなど。また、栽培方法が難しいとか、珍種だ、高価だといって珍重される花もある。バラ、ランなどなど。インターネット上にも、花にまつわるホームページが沢山あり、そういった有名な花の写真が飾られている。確かに皆、きれいな花ではある。しかし、人は時として、そのネームバリューを過大評価し、他の花が見えなくなってしまうことがある。花に勝手に序列を付けて、序列から洩れた花を無視してしまうのである。

 梅祭りから始まって、花見、チューリップ畑、バラ園など、季節を代表する花の盛りを祝う催しが、各地で開かれる。そのたびに、大勢の花のファンが押しかけ、写真を撮ったり絵を描いたりして賑わう。しかし、その傍らでひっそりと咲いている名もなき花々は、有名な花を目当てに来たファン達には、見向きもされないことが多い。また、時としていい写真撮影ポジションを確保するために、踏みしだかれたりする草花もある。誰も最初から関心がないから、そんな野の花が咲いているなんて目に入らないのであろう。

 花の観賞の仕方は人それぞれであるし、長い園芸の歴史の中で形成された花の序列には、大いなる意味があるのかもしれない。だから、花の素人である私は、そういう風潮を責めるつもりはない。しかし、私は絵を描く者として、どの花に対しても先入観なく平等な気持ちでのぞみたいと思う。そして、私の心を捉える花があれば、名前があろうがなかろうが、全く気にせず絵の題材にしていきたいと考えている。

 そもそも花の方は、自分に名前がついているかとか、有名かといったことには関係なく、ただ自然の法則に従って精一杯咲く。その自分なりに精一杯に咲く、という部分は、バラも胡蝶蘭も名もなき花も同じである。私は、ひっそりひたむきに咲いている花の美しさを見抜ける目を、いつまでも持ち続けたいと思いながら野を歩く。絵を描くということは、そういう自然の中の隠れた美しさを探し出すという作業でもある。

「雑草とは何か。未だその良さを発見されていない植物のことである。」(Ralph Waldo Emerson(アメリカの思想家・詩人))




7月19日(金) 「都会の哀愁」

 早朝のニューヨーク5番街。車も人も通っていない静かなビル街を、1台のイエローキャブがするすると走ってきて、5番街と57丁目の角に止まる。中から若い女性が降りて来て、紙包みからパンを取り出し、角にあるティファニー宝石店のショーウィンドウを眺めながら食べる。有名な「ティファニーで朝食を」の冒頭場面である。映画では、この早朝の5番街の風景が美しく、印象に残る。

 絵になる都市の風景というのがある。多くは、歴史的建造物を中心とした地区や、景観保護の徹底した欧州の町並みである。写真など見ていても、大変美しく味がある。そのせいか、こうした町並みを題材にした絵は古今東西ごまんとあるし、傑作も多い。しかし、「ティファニーで朝食を」の冒頭に出て来る5番街の風景の中に歴史的建造物はなく、見上げるような高層ビルが立ち並ぶばかりである。それが心に残るのは何故か。私は、「車も人も通らない無人状態」というところにカギがあるのかな、と思う。

 本来、人や車で溢れかえる光景しか目にすることがない都会の風景から人や車が消えると、奇妙な静寂と独特の寂しさが漂う。例えば、何かの事情で休日の朝早く家を出て東京都心部を歩くと、信号の具合なのか、車一台通らない瞬間がある。林立するビルと大きな通り。しかし、自分以外、見える範囲には誰一人としていない。「ティファニーで朝食を」の冒頭場面はまさにこれである。

 ビルが乱立し人が行き交う都会の風景を絵にする気には中々なれない。しかし、そこから人や車が消えて出来るエア・ポケットのような風景には、描き手を誘う何かがある。それが、都会の孤独や哀愁というものなのかよく知らないが、本来あるべきはずのものがないという空虚感が、日頃見慣れた光景を一変させ、我々の心に強い印象を残すことは間違いない。

 我々は、普段通りの状態で風景を見て、絵の題材になるか否かを評価しがちである。都市の無味乾燥な町並みは、最初から「絵にはなるまい」と諦めてかかっている。しかし、風景というのは、ある状況下で違ったものに見える。そして、一見絵にはなりにくい風景をうまく捉えて、人の心に訴えかける作品を生み出す画家達がいる。公募展などでそうした作品に接すると、その着眼点の鋭さに脱帽する場合がある。画家というのは、時として空間を操る手品師でもあるのだなと感心してしまう。

 画題というのは、見ようによってはどこにでも転がっているということかもしれない。ただ、我々が見つけられないだけである。




7月24日(水) 「絵と写真との融合」

 パソコンで絵を描く場合、絵具で描くときには出来ないような芸当が可能になる。写真の取り込みもその1つである。

 正確に言えば、従来の絵具を使った絵でも、写真を利用することは可能である。スーパーリアリズムの世界では、オーバーヘッドプロジェクターなどを使って写真をキャンバスの上に写し、それをなぞるように絵具で着色していくという技法があった。また、絵具を使った絵ではないが、版画の一種であるシルクスクリーンにおいても、写真を原画として利用することが可能である。

 しかし、パソコンにおける写真の利用は、そうしたものよりはるかに簡単であり、そのまま写真を画面に取り込める。更に、パソコンでは、取り込んだ写真の加工などが素人でも比較的簡単に出来る。明るさを変えることは勿論、色合いを変えたり、一部分を切り取ったり、合成したりと、銀塩写真ならプロにしか出来ないことでも、パソコンなら自由自在である。こういうパソコン上での写真加工作業をまとめて「レタッチ」と呼んでいるが、これだけでも十分面白い作品を作ることが出来る。

 ただ、私が興味を持っているのは、そうした「レタッチ」による写真コラージュではなく、絵の一部として写真を取り込んで使うことである。写真を写真として使うのではなく、完全な手書きの絵の一部として、違和感なく取り込んで絵を作るにはどうすればよいのか、を考えている。しかし、実際やってみると、これが中々難しい。

 一番最初にやったのは、「ドライフラワー」(静物画第1室)という作品で、この絵の背景に、写真をポスターとして貼り込んだ。自分で撮った写真を白黒にしてポスターをまず作り、それを絵の背景の壁に貼ったのだが、予想外に上手くいったと感じた。そこで、今度は花の絵の背景全部を、写真を使って作ろうとした。最初の試作品は、習作第4室にある「紅梅」である。しかし、これは難しかった。手書きの絵の感じと、写真のリアルさが全く合わないのである。ぼかしたり、透明度を下げたり、色々実験をした挙句、展示しているような具合になった。結局、手書きで描く以上に時間がかかってしまったが、この試行錯誤の過程は面白かった。

 私が何故そんなことにこだわっているかというと、まず、他の画材では絶対出来ないことだからこそ、追求してみる価値がある、あるいは今までになかった作品が生み出せるのではないかという期待によるものである。パイオニアとしての面白さと言ってもいいかもしれない。

 もう1つの動機は、こういうことが簡単に出来ると、初心者の方に随分役立つのではないか、と思ったからである。一般に、初心者の絵は背景が疎かになる傾向が見られる。主題を描くのに注力するあまり、背景にまでエネルギーが回らないのであろう。しかし、絵というのは、主題と背景が上手くマッチして1つの世界が出来上がる。背景を疎かにすると主題の魅力がその分褪せてしまう。「モナリザ」の背景が白い壁だったら、あの神秘的な微笑みの魔力も薄れてしまうに違いない。初心者でも写真を加工して背景が簡単に作れれば、絵を描くうえで随分助けになるのではないか、と思った次第である。

 ただ、今までのところ、こうすれば大丈夫という具体的手順までは発見出来ていない。上手い方法が定型化出来れば、またご報告したいと思う。




7月29日(月) 「名人伝」

 中島敦の小説に「名人伝」というのがある。私は、この話が好きである。有名な話なので読まれた方も多かろう。

 昔、中国に弓の名人になろうとした若者がいて、弓の修行に励み、先生と互角になるまで上達する。若者は更なる高みを目指して、山の中に隠棲する弓の名人に弟子入りを願い出る。この出会いの場面が有名である。血気はやる若者の前に現れた名人はよぼよぼの老人で、断崖絶壁の上に突き出した岩に乗って空を飛ぶ鳥を射落としてみろ、と若者に言う。足元がぐらつく岩の上で、若者は弓を構えることすらかなわない。老人が言う。「弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。」そして老人は、弓を持たずに岩の上に上がり、空に向けて弓を打つまねをする。そうすると、空を飛んでいたトビが突然落ちて来る。

 絵の世界で、この老人の言う「不射之射」に当たるものは何なのだろう、と時々思う。小説のストーリーに照らして考えると、筆や絵具を使わずに絵を描くことがそれに当たるのだろうか。そんなことって実際あり得るのだろうかと、暇な折にコーヒーでも飲みながらボンヤリ考えるのは、それなりに楽しいひとときである。

 少々思い当たることがある。昔、大学に入って美術部の門を叩いた頃は、真面目にスケッチを取っていた。時間もたっぷりあったので、スケッチブックを片手にふらりと出掛けて、色々なところで沢山のスケッチを描いた。しかし、そのうち、持ち帰ったスケッチが妙につまらなく思えるようになった。確かに現場ではいい風景だと思ったのに、持ち帰ったスケッチを見ても、心を掻き立てるものが湧いて来ない。スケッチ代わりに写真を撮ってみたりもしたが、こちらの方はもっとつまらなくて、現場にいたときは気付かなかった電信柱だの、通行人だの、ひどいときには転がっているゴミなどが目に付いて、描く意欲が萎えてしまう。あるとき、スケッチブックを持たずに出掛けた先でいい風景にめぐり合い、それを記憶に留めて家に帰り、覚えていることを元に絵にしてみたところ、これが中々いい。その後は、風景全体は心に留めるだけにして、ディテールを描く際困る箇所だけをスケッチしたり写真に撮ったりするようになった。

 その場でスケッチを取らずに心に記憶するようにすると、自分がその場で感じた良い印象だけが心に残り、純粋な要素だけが絵になる。現場を忠実に記録する観点から細かなスケッチを取ることが、必ずしも良いことではないと気付いたのはこの頃であり、それ以後、風景全体を忠実なスケッチに残すことはしなくなり、今日に至っている。思えば、これが私の「不射之射」ならぬ「不描之描」なのかもしれぬ。

 中島敦の「名人伝」には、謎かけのような後日談が登場する。老人の下で修行を積み、名人となって帰って来た若者は、昔の精悍な表情が失せ、周囲の期待に反して一切弓を取らない。しかし、彼の家の上を渡り鳥が避けて飛んだり、深夜侵入しようとした泥棒が屋内から放たれた「気」に直撃されて塀から転倒したり、といった噂が伝わる。結局、彼は一度も弓を取ることなく生涯を閉じるが、生前、ある人の家に招かれた際、そこにあった弓を見て、これは何に使う道具かと真顔で尋ねた、というエピソードが語られる。

 これを絵の世界に移し変えると、一体どういうことだろうかと、再び考えたりする。絵を描かずにそんなことを考えるのも、また絵の世界を掘り下げて行く楽しみにつながる。あるいはこれが、「不射之射」ならぬ本当の「不描之描」なのかもしれない。弓の名人となって帰って来た若者が、弓を取らぬ理由を町の人に訊かれたときの言葉を、最後にご紹介しておこう。

「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」




目次ページに戻る 先頭ページに戻る


(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.