パソコン絵画徒然草

== 7月に徒然なるまま考えたこと ==





7月 1日(木) 「テクスチャー」

 コンピューター・グラフィックス(CG)に特有な制作技術として、以前レイヤーの話を書いたことがあったと思うが、今回はテクスチャーについて最近考えていることを述べてみたい。

 一般の方にとって、テクスチャーというのは耳慣れない言葉だろうが、元々の意味は、布地の織り目や模様のことである。転じてCGの世界では、特殊な模様が現れるように色を塗ることが出来る技術、あるいはそのときに使う模様のことを、テクスチャーと呼んでいる。つまり、あるテクスチャーを指定して色を塗ると、普通にベタ塗りをしただけで、指定した模様通りに色が塗られていく。例えば、キャンバス地のテクスチャーを選択して色を塗ると、キャンバス地の濃淡がそのまま画面に現れる。昔、小学校の図工の時間に、布に絵具を塗って、それを画用紙にペタンと貼って剥がすと、布地の模様通りに色が塗られるといった面白い描き方を教わったが、それと同じである。

 テクスチャーの種類は豊富にあり、布地だけでもキャンバス地もあれば、綿毛やリンネルもあり、織り目も、荒目、細目、あるいはポルカドット、メッシュ、チェック、タータンみたいな模様もある。勿論、テクスチャーに使われる模様は布地に限られないわけで、金属の表面やアスファルト、鉱石、砂利、砂、草地や波、果ては雲、霧、幾何学模様まである。これらは、私が使っているCGソフトに最初から組み込まれていたが、必要に応じて自分で撮った写真を元に、新しいテクスチャーを作ることも出来る。

 このテクスチャーを使った描き方は、筆と絵具で描く場合にはとても真似の出来ない手法だが、実際色々試してみると不思議なことに気付く。

 例えば、草原を描く場合に、草のテクスチャーを使ってベタ塗りすれば、簡単に草原の雰囲気が出るだろうと考えていると、予想に反してうまくいかない。波もそうである。かろうじて、雲、霧といった辺りは使えるが、一筋縄ではいかない。単色の模様だけでは立体感が得られないし、同一パターンの繰り返しになって、仕上がりが自然でないというのが主な理由である。従って、私の場合、下地塗りに利用するに留めている。ただ、このテクスチャーを使った下地塗りは、一見目立たないのだが、全体の仕上がりに大きく貢献しているような気がする。言うなれば、隠し味である。

 逆に、これはあまり使い道がないと思っていたテクスチャーが効果を発揮することがある。例えば、皮革製品の表面とかアスファルトの拡大写真などを幾つか組み合せて使うと、木の表面の模様、微妙な凹凸などをうまく表すことが出来る。これは偶然の遊びから発見したのだが、そのとき私はふと、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を思い浮かべた。

 「紅白梅図屏風」で尾形光琳は、梅の古木の幹を描くときに、生乾きの墨に水や絵具を垂らし、その滲み、広がりで出来る偶然の模様を、古木の幹の模様として利用する技法を用いている。自らの筆で木の表面を描くのではなく、いわば偶然の自然作用を利用しているのだが、練達の手に掛かると、これが実に味わい深い効果に結実する。私は、木とはまるで関係のないテクスチャーを組み合せて出来る効果を使うという点が、何となく琳派の技法と相通じるような気がしたのである。

 いずれにせよ、テクスチャーに関するこうした偶然の発見以来、どのテクスチャーをどう組み合せるとどんな効果が得られるのかという「レシピ」を見つけることが、CG制作の一つの楽しみになった。何となく直感で実験を繰り返すのだが、結果がすぐ出るし、宝探しのような面白さもあって、やっているとすぐに時間が経ってしまう。大学時代に、研究室にこもって徹夜で実験を繰り返していた理系学部の友人達の気持ちが、少しは分かった気がした。

 パソコンで絵を描き始めてつくづく思うのは、テクスチャーのように、絵具と筆で描いていた頃には出来なかった新しい技術の開拓が、如何に楽しいかである。誰かに教わるわけでもなく、自分で考え自分で試し、あるときは失敗し、またあるときは偶然のきっかけから思わぬ技法を発見する。今の世の中、何をするにもまずはマニュアルを探し出してその通りにやっていく、いわば「マニュアル社会」になりつつあるが、そうした現実から遠く離れた手探りの世界が、CG制作にはある。パイオニアになるというのはこういうことなのだなぁと、つくづく思う日々である。




7月 7日(水) 「私が水辺で学んだこと」

 今でもそうなのだが、私は自然の中で池や沼、小川など見つけると、しげしげと水の中に目を凝らしてしまう。気にしなければ何気なく通り過ぎてしまう水の中には、様々な生物が潜んでいる。そうしたことを知ったのは、子供時代である。

 子供の頃、町外れにある水田の農業用水路に、よくカエルやザリガニを採りに行った。水路にはフナもいたのだが、すばしっこくて網では捕まえられなかった。一度だけ網ですくったことがあって、宝物を掘り出したように意気揚々と家まで持ち帰ったことがある。しかし、水槽にいれておいたら、3日も持たずに死んでしまった。思えばかわいそうなことをしたものである。

 フナだけでなく、水辺から持ち帰った生き物の殆どは死んだ。ザリガニが死に、カエルが死ぬたびに、私は子供心に罪悪感を覚え、生命というものについて考えさせられた。ただ、ヤゴは育てるうちに立派なとんぼになり、狭い水槽の中から、どこまでも青い夏の空に飛び立って行った。私の罪悪感の幾ばくかは、それによって慰められたような気がした。

 私は、用水路で様々な生き物に出会った。タニシをはじめとする貝類や、今では滅多に見掛けないゲンゴロウ、タガメといった水棲昆虫も見た。友達がサンショウウオを見つけたと聞いたときには、うらやましくなって、一度お目にかかりたいものだと思った。時には、ヒルだのヘビだの、あまり顔をあわせたくない生き物もいたが、それもまた貴重な水辺の住人なのである。

 そんなふうにしているうちに、あの何気ない用水路の中が、実は、沢山の生き物が共存する1つの小宇宙のようなものだと、私は子供心に学んでいった。私が様々な生き物を水辺で捕まえて家に持ち帰り、水槽の中で飼おうとしたのは、あるいはこの小宇宙を家の中で再現して、身近なところに置いておきたかったということなのかもしれない。

 今の子供は、こういうことをどうやって学ぶのだろうか。学校でか? 塾でか? あるいは何かの本でか? 確かに最近の図鑑は項目別に細かく分類されて中身もビジュアルになり、私が子供の頃に持っていたものとは比べものにならないくらい、良く出来ている。しかし、何で学ぶにせよ、いずれもそれは知識でしかなく、自分の目で見、肌で感じる現実ではない。人は、学ぶのに優れた生物であるが、実体験なく頭だけで覚えた知識は、ペーパードライバーと同じで心もとない。いや、分かっているように見えて、本当は分かっていないことが多いのである。

 山を描く、海を描く、あるいは森や木、花を描く。いずれの場合にも、自然を描くときには、表面的な「見え方」を描くのではなく、その中に住む様々な動植物のことも分かったうえで絵にしたいと、私はいつも思う。用水路で追いかけたカエルも、雑木林に分け入り捕まえたカブトムシも、私が描く風景画の遥か下層に礎として息づいているように思う。自然を描くというのはそういうものであろう。

 良い絵描きは、良き自然の理解者でもなければならない。ただ、都会に住んでいると、良き自然の理解者になるのは、中々大変なことである。




7月13日(火) 「花を描く」

 振り返って見ると、パソコンで絵を描くようになってから、随分と沢山花の絵を描いた。意外に思われるかもしれないが、私は絵具と筆で絵を描いていた頃、殆ど花の絵を描いたことがない。描くのは風景ばかりであり、その中に点景として花が入ることはあったが、花だけをモチーフに描いたものは数えるほどしかない。

 元々花に特別の関心があるわけではなく、花の名前も詳しくない。勿論、園芸には無縁で、女房が庭で育てている花の名もよく知らない。そもそも自分で植物を育てたのは、小学生時代のアサガオが最後である。そんな私がどうして花の絵を描き始めたのか、自分自身でもよく分からない。

 最初は、気分転換のつもりだったのかもしれない。私は風景を描くのが何よりも好きなのだが、そればかりを立て続けに描いていると、飽きるというわけではないが、ちょっと気分転換したくなるときがある。そんな折りには、風景以外のモチーフに取り組んでみると、妙に筆が進み、気分が和むものだ。そのモチーフの一つが花だったということだろう。花を描き始めたのは、丁度パソコンで絵を描き始めた頃で、絵具や筆で描くのと感覚が違い、思うに任せず悶々としていた時期だった記憶がある。

 ただ、今でもそうなのだが、私は花をモチーフに描きつつ、やはり風景画を描いているような気分でいる。花も自然の一部である以上、私にとっては風景を構成する1パーツであり、風景画を描くときと同じ気分で絵にしている。丁度、画面に1本の木を配しただけの作品でも風景画になるように、モチーフが自然を構成するものであれば、私の立場から見れば風景画の一バリエーションに過ぎない。そうして出来た作品を風景画とするのか静物画とするのかは、所詮事後的な整理のための分類に過ぎないわけで、描いているときには、そんな区別はどうでもいいことである。

 では、風景画を描くのと同じ気分で描くというのは、具体的にどういうことか。私が風景画を描くうえで大切にしているのは、ある一瞬に輝きを見せる風景の、まさにその瞬間を表すことである。その一瞬とは、季節感としての「旬」もそうであるし、一日の特定の時間、あるいは、一定の天気の下で、ということもある。風景は、季節や時刻、天候によって刻々と表情を変えるが、見ている者の心を捉える一瞬というのがある。我々は残念ながら、日がな一日ずっと景色を見て暮らすことは出来ないから、たまたま風景が輝くその一瞬に行き会ったときは、幸運だと思わなければならない。そして、そのイメージを絵の形でとどめたいというのが、絵を描き続ける私の願望でもある。

 考えてみれば、それは昔から日本人が持っている無常観と、どこかでつながっているのかもしれない。常ならむ世に垣間見えた美しい一瞬を、永遠のものとして留めておきたいという、人間のはかない希望である。勿論、現実世界では時を止めるようなことは出来ないから、せめて絵に描いて記憶に留めようとするのである。自然の景色が時々刻々と変化して行く無常の存在であるがゆえに湧いて来る感情であり、如何に美しくとも、ガラス瓶や瀬戸物を眺めていては、そんなふうには感じない。

 きれいに咲いている花にも、風景と同じく、まさに輝く一瞬がある。咲き誇っている頂点のとき、次の瞬間にはしぼみ始める分岐点のとき、花は最高の輝きを見せる。そんな瞬間に行き会うのもまた幸運であろう。自然が見せる最高の瞬間を描くという意味で、風景も花も、本質は変わらないと私は思っている。もっとも、その一瞬を目ざとく捉える鑑識眼を持つことが、当然の前提となるのだが…。




7月21日(水) 「夏の日に思う」

 かげろう揺らめく夏の昼下がりに、汗まみれになりながら遊んだ日々。入道雲を見上げながら駆けた砂浜。やぶ蚊に刺されながらカブトムシを採りに分け入った山。涼みがてら花火に興じた宵。全ては懐かしい子供時代の夏休みの思い出である。思えばあの頃は、全てが輝いていた。尽きることのないエネルギー、生命の躍動、不安なき日々、明るい未来。今の子供達と違って、テレビゲームも最新のおもちゃ類もなかったが、毎日が楽しく屈託がなかった。しかし、そんな日々も、今では遠い思い出の一コマに過ぎない。

 我々は年を取りながら、多くのことを学んで成長し、しかし同時に貴重な何かを失って来た。学校を卒業し、否応なく社会の厳しさに直面すれば、夢は容易に叶わないことはすぐに分かるし、未来はいつも輝いているわけではないことにも気付いてしまう。そんな社会の実態を知るようになると、子供時代の目の輝きは失われ、ある程度の諦めと妥協とがない交ぜになった目付きになる。そして「君も大人になったね」と言われるのである。

 たまに雑誌や新聞で「子供心を忘れない」的なコピーを見るが、あれは一体どういうことなのかと考えることがある。インタビュー記事を見ていても、「大人になっても子供心を忘れないようにしている」という人が登場することがあるが、その意味するところは、仕事一辺倒の生活ではなく、遊ぶことの大切さを自覚し週末にはリフレッシュしているという趣旨だったりする。その気持ちが子供時代の感覚と同じものかどうか、記事を読んだだけでは分からないが、一旦社会の荒波をかいくぐって来た大人が、子供時代の純粋な輝きを保ち続けるというのは、並大抵のことではないと私は思う。場合によっては、子供心を忘れていないと本人が信じているだけで、本当の意味での子供時代の純粋な気持ちは、遥か昔にどこか遠くへ置き忘れてしまっているのかもしれない。

 毎年夏になると、ジリジリと焼けるような陽射しを眺めながら、私は遠い子供時代のことを思い出す。あるときは、抜けるような青い空を見ながら、またあるときは、かげろうの向こうにゆらめく森を見ながら、フラッシュのように遠い日々の一コマがよみがえることがある。そして同時に、今同じだけ自由な時間があったとしても、あの頃と同じ気持ちで、同じような夏の日を過ごすのは難しいのではないかとも思う。そういう意味では、私も「大人になった」ということかもしれない。

 ただ、そんなときに思うのだが、私の場合、絵を描くために風景を見ているときの気持ちだけは、子供の頃とさして違わない気がする。あるいは、子供時代の様々な思いを託しながら風景を見ていると言ってもいいのかもしれない。絵を描くという行為だけが、何故かぽっかりと、長い時の経過や人間社会の様々な現実とは切り離されて、私の中に昔のまま存在している。私自身には見えないので確かめようがないのだが、もしかしたら、私が絵の題材を探しながら風景を見ているときには、子供時代の目をしているのかもしれない。私が描く風景画の中に、何がしか懐かしさのような要素があるとすれば、それは遠い子供時代に向けての郷愁なのだろうと思う。




7月29日(木) 「本物を知る」

 中国がまだ市場経済化する前の話であるが、私の知り合いが仕事で中国に出掛けた。本場なので、さぞかしうまい中華料理が食べられるだろうと期待して、現地で名の聞こえたレストランに食事に出掛けたものの、食べてみると期待していたほどおいしくない。むしろ、日本の中華街の方がうまいとすら感じた。日中の味覚の違いだろうかと思いながら、通訳に「中国には長い宮廷料理の伝統があるはずだが、味はだいたいこんなものなのか」と尋ねた。通訳の答は「中国の料理人は皆公務員で、そんな豪華でおいしい料理を食べたことがないのです」というものだった。

 この通訳の答が本当かどうか、私は知らない。当てが外れた日本からの客に、気の利いた言い訳を返したにすぎないのかもしれない。しかし、この説明は、妙に説得力を持っている。確かに伝統的宮廷料理を食べたことのない人に、それを作るよう期待しても無理である。まずい料理なら誰でも作れるが、おいしい料理は、それがどんなものか具体的な体験がないと、作りようがなかろう。

 この話を聞いて、本物を知ることの意義を改めて思い知らされた気がした。どんな分野であっても、本物を知らなければ高みに登ることは出来ない。贋物を見続けても目は肥えないし、勿論本物と贋物を見分けることも出来ない。真贋の鑑識眼を養うのに最も効果的な方法は、本物を見続けることであると、何かの本で読んだことがある。

 絵についても、同じことが言えるのだろう。良い作品を見続けることは、実際に筆を取って絵を描く練習をするよりも、ある意味で大切なことなのかもしれない。それは、絵というものがどの程度の高みに登ることが出来るのかを知ることでもある。

 ただ、本物を知るのには、それなりに手間とコストがかかる。料理だと、かなり高いお金を出さないと本物の味を知ることが出来ないし、音楽だって生で聴こうとすれば、チケットの獲得に苦労することになる。絵でも同じことで、歴史上の著名作品は世界に点在する有名美術館に所蔵されている。時間とお金をかけないと、自分の目で見ることは出来ない。

 勿論、音楽にはCDが、美術には画集があって、作品の具体的なイメージを比較的安価なコストで手軽に楽しむことは出来る。精緻に複製された画集であれば、実物の雰囲気をうまく伝えてくれるだろう。ただ残念ながら、CDも画集も、どんなに実物に忠実に複製されていても、やはり伝え切れない部分が残るのである。

 我々は時々、CDで音楽を聴き、画集で絵を見て、それぞれの作品を理解したような気分になっている。そのうち、本物を見たものの割合はどれくらいですか、と尋ねられると、実のところ、ごく僅かであるのが普通である。大金持で時間も有り余っている人でない限り、全て本物を実体験するのが無理であることは、誰しも理解するところであり、それを責めるつもりはいささかもない。しかし、私のつたない経験を振り返っても、写真で何度も見て知り尽くしたように思っている作品でも、たまたま実物の前に立つ機会があると、何がしか感じるものがあることが多い。それは、写真で見ていたときには感じなかった何かである。私はそんなとき、真の意味で本物を知ることの難しさを感じるのである。




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