パソコン絵画徒然草

== 7月に徒然なるまま考えたこと ==





7月 6日(水) 「絵が動く」

 今回、実験的試みとして、企画展でJavaアプレットを使った動きのある絵を展示した。幸い今のところ、見られないという苦情は来ていないので、何とか所期の目的は達成されているのだろう。もちろん、動かないので見るのをあきらめたという方はいらっしゃるかもしれないが…。

 静止した絵を動かすことによって得られる効果は、一般の絵画が持つ味わいとは、全く次元の違うものである。おそらくどんな天才画家にも真似のできない不思議な印象を、見る者の心に残す。

 実は、私はこのJavaアプレットの活用を、少し前から個人的に楽しんでいた。自分のパソコン内でJavaアプレットを使った作品を作り、家族に見せたりしていた。ホームページにアップロードしなかったのは、そもそも以前利用していたサーバーが、Javaアプレットの利用を禁止していたからで、今のサーバーに引越しをして何か新しい企画を始めようかと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが、このJavaアプレットを使った作品の展示であった。

 ところで、最初にJavaアプレットを使った作品を作り、自分の絵に何がしかの動きが加わったのを見たとき、ふと心に思い浮かんだ人がいる。今は亡き漫画家の手塚治虫である。

 手塚治虫は漫画家としてスタートし、やがてアニメに乗り出す。虫プロダクションをわずかの人数でスタートさせ、寝食を忘れてアニメ制作に取り組む。虫プロの倒産を経ながらも、彼はアニメをあきらめなかった。今の若い世代の人が、彼の軌跡をどの程度ご存知なのか知らないが、世界に冠たる日本アニメの黎明期とは、死に物狂いで夢を追い続ける一人の漫画家の執念の物語なのである。漫画家としてあれだけ確固たる地位を築いた手塚治虫が、その漫画を動かすことに捧げたエネルギーは並大抵のものではない。絵が動くことの魅力とは、彼にとってそれほどすごいことだったのだろう。

 アニメといえば、もう一つ思い出す話がある。いつだったか誰が出ていたかも忘れてしまったが、ディズニー・アニメにまつわる特集番組を見ていて知った話である。

 第二次大戦中、日本軍が南方戦線で回収した米軍物資の中から、兵士への慰問映画フィルムが出て来る。敵状分析のために日本本国に回され、秘密の試写会が行われる。軍関係者だけで見ても分析が偏るからと、芸能関係の民間人も何人か選ばれる。テレビ番組に出演していたのは、誰だったか忘れたが、その秘密試写会でフィルムを見た女優である。そして、そのフィルムとは、ディズニーのアニメ「ファンタジア」だった。

 「ファンタジア」を見たことのある人なら、美しいクラシック音楽を背景に繰り広げられる幻想的アニメ映像が、深く心に残るに違いない。私は、このレベルのアニメが、既に戦時中に米国で制作され上映されていたことにびっくりしたのだが、その秘密試写会に参加した人はもっと驚いたに違いない。

 テレビに出ていた女優は、試写会の感想についてこう述べていた。映画を見ているうちに涙がとめどもなく出て来て、心の底から感動した。そして、こんな映画を作る国と戦っても、絶対に勝ち目はないと悟ったと。

 動く絵が、人々の心に与える影響の深さは計り知れない。しかし、絵を動かすことが技術的に可能になったのは、たかだか百年ほど前のことに過ぎない。アルタミラの洞窟以来の人類の長い絵画の歴史からすれば、ほんの僅かのことである。そして、そんな動画技術が、我々趣味で絵を描く人間にも手軽に利用できるようになったのは、ここ10年ほどのことだろう。

 私は手塚治虫には遠く及ばないが、静止画である絵画を制作しながら、それを動かすことによってできる未知の作品の可能性に、深い関心を抱いている。今までのところ、映像効果関係のJavaアプレットは、写真やイラストと組み合わせて展示されている場合が多く、絵画と組み合わせたものは殆ど見たことがない。Javaアプレットの制作者は絵画には興味がなく、絵画制作者はJavaアプレットなんておもちゃだと思っているのかもしれない。ただ、いつの世でも、この種の新しい技術は、奇異の目で迎えられ、新し物好きのおもちゃのように扱われるものである。

 絵筆と絵具を脇に置いてパソコンで絵を描き始めた私は、その時点で既存の絵画のしきたりを捨ててしまった。絵筆と絵具がタブレットと描画ソフトに置き換わったように、Javaアプレットだって描画テクニックと認知される日が来るのかもしれない。私はネットの片隅で細々と活動するアマチュア画家でしかないが、常にチャレンジング精神を持ち続けたいと思っている。今までもそうだったように、いつまでも未開拓地を歩くパイオニアであり続けたいのである。




7月14日(木) 「日本庭園と盆栽」

 常々思っているのだが、日本庭園というのは不思議な空間である。橋や石灯籠といった人工物はあるもののそれはごく僅かで、多くは木や岩、池、滝といった自然のものを組み合わせて造られている。如何にも人工の美といった観のある西洋の代表的庭園とは趣が異なる。

 都内に残る歴史ある日本庭園の中には、富士山をはじめとする名山や、名に聞こえた浜辺、滝などを、こうした自然のアイテムを使って再現した「手作りの自然」が幾つも配されている。交通機関の発達していない時代に、噂に聞く風光明媚な景色を自分の庭に再現したいという主の思いが、そうした庭園を作らせたのだろう。

 しかし、それらは結局、人工的に作られた自然である。木や岩、池、滝といった自然のアイテムを組み合わせて別の自然を構成するのだから、出来上がったものも一種の自然であることに変わりはないのだが、その造作はありのままの自然ではない。あるがままに任せておいては決してそうした配置にならないであろう姿に、人の手で構成し直されている。その分、合理的で無駄がなく、如何にも整って見えるのだが、どうも絵に描いてみようという気持ちは、なかなか湧いて来ない。

 同じことは、盆栽についても言える。私は生憎盆栽の趣味はないのだが、世間では結構人気があるらしく、デパートから公民館に至るまで、色々なところで盆栽展が開かれている。プロが作ったような立派なものが並んでいる場合もあれば、アマチュア愛好家が自慢の一品を持ち寄ったような、こじんまりとした展覧会もある。盆栽の目指すものが何であるのか、薄学非才で正確には承知していないが、私の目には、日本庭園やそこに植えられている庭木を、あの狭い盆の中に再現したミニチュアのように映る。素人目によく出来ているなぁと感心することはあるが、かといって絵に描いてみようという思いが湧いて来たことはない。やはり、これもまた作られた自然だからだろうか。

 私は何も、自然に手を加えることが悪いと言っているのではない。手入れのされた自然は、目に心地よいことがある。丸や四角にきれいに刈り込まれた低木や、巧妙に枝振りをコントロールされた庭木などは、庭にある種のリズムを生み出し、清潔で整った印象を見る人に与える。ただ、それは絵にしたいという気持ちとは、ちょっと違った次元の心地よさである。

 では、人の手が入った「作られた自然」は、およそ絵の題材としてふさわしくないのかと言われれば、そういうわけではない。すぐに思いつく例は、京都の北山杉だろうか。室町時代から「北山磨き丸太」の名で知られるこの名木は、京都の北山地方で手塩にかけて育てられる。きれいに枝打ちをされた杉がリズミカルに並んで植えられている光景は、テレビや写真で有名だが、これを題材にした日本画の名作も多い。私も思わず絵にしてみたいと思う美しさである。

 勿論、日本庭園が全く絵の題材にならないということではない。現に日本庭園に題材を取った名作もあるし、園内の名木を描いた作品も多い。かくいう私も、日本庭園の中から材を取って、作品を制作したことが一度ならずある。ただ、そうした作品の多くは、パンフレットに写真入りで紹介されている庭園のハイライトの部分を描いているわけではない。人目につかないさりげない魅力を題材にしたり、観光客が通り過ぎてしまうような場所に趣向を見つけて作品に仕上げているケースが意外に多い。

 私がこんなことに関心を寄せ出したのは、以前、日本庭園の美を掘り下げて作品にしたらどうかと思い、自分なりに園内に題材を探したことがあるからである。この「休日画廊」にも、初期の作品の中に、日本庭園に材を取った作品が幾つかある。ただ、ある程度やっていて行き詰まりを感じてしまった。どんな日本庭園にも華となる見所がある。その多くは、庭園を紹介するパンフレットの表紙を飾っている例が多い。現場に赴くと、確かに人目を引くし、皆そこを背景に写真を撮る。しかし、どうも絵にしたいという気持ちが湧かない。何故だろうかと考えたのが始まりである。

 同じように人間が手を加えた自然なのに、どうして日本庭園が絵心を誘わない一方で、北山杉は描き手にとって魅力的な題材となるのだろうか。

 私なりに達した結論では、結局、日本庭園や盆栽は、別に実在するもののミニチュアだというところに、描き手を萎えさせる何かがあるような気がする。「ミニチュアじゃなくて本物を描くよ」という無意識の心理が働くのではないか。いや、更に言えば、日本庭園や盆栽自体が、現実の景色や理想的な自然の有様を、実際の自然のアイテムを使って具現した一種の作品なのである。幾ら整って美しいフォルムとはいえ、彫刻作品を題材に人物画を制作する人はいない。やはり描くなら、実際の人物をモデルにして描く。見せるために植えられたのではない北山杉とは、そこが違うのである。

 そんなことを考えているうちに、日本庭園を題材にした作品は途絶えた。日本庭園や盆栽を鑑賞する人は、見たありのままを楽しめばよい。制作者は、まさにそのために庭園を作り盆栽を育てたのである。




7月19日(火) 「自分なりの本物」

 時々、この絵はどうやって描いているんだろうと思うような作品に出くわすことがある。しかし、描き方が分かったところで、その人と同じ絵が描けるわけではない。絵というのは、描画技術だけがものをいうわけではなく、描く人の心情や対象の捉え方、描くときのクセ、微妙なタッチなど、様々な要素が重なり合って出来ているからである。手作りというのはそういうものであり、先生について教わった弟子が、先生と寸分違わぬ絵を描くようになるわけではない。

 ただ私は、自分が私淑する画家の絵をまねて描くことを、悪いことだとは思わない。誰しも最初は、見よう見真似で始めるしかないからである。歴史に名を残す有名画家の多くも、若い頃、美術館に通って過去の名画を模写したり、先生について描き方を教わり、描画技術の基礎を築いていった。どんな名画でも、そうした下積み的な技術に支えられて描かれている。一握りの希有な天才を除けば、誰でもスタート地点ではそうである。

 しかし、絵を描く者はいつかどこかで、独り立ちをしなければならない。他人のマネは所詮マネに過ぎず、「本物」を超えることが出来ないからだ。ゴッホ風の絵は、どこまで行っても所詮ゴッホ風に過ぎず、ゴッホを超えることはない。「本物」は、結局自分で作らねばならない。他の人からの借り物ではなく、自分なりの「本物」をである。そこから先は、自分で自分の絵と向き合い、格闘していくしかない。ある意味で、それは地道で孤独な作業である。そこでは誰しも、荒野を行く開拓者のようなものであり、手探りの一歩々々が続く。楽しくもあり、苦しくもある日々だろうが、自分なりの「本物」を築くために避けては通れない道程である。そして、そこに至って、絵を描く者は一段ステップを上がったことになる。

 いつどこで、そうしたステップ・アップをするかは、本人の意思次第である。充分技術的基礎を積んだ上で自分自身にとっての「本物」を目指そうと考える人もいれば、最初から自分なりの道を目指して進み、進みながら描画技術を研く人もいる。どちらが正しいということはなく、それは各人のスタイルによる。

 ただこれだけは言える。自分自身にとっての「本物」を持たない作品は、どれだけ技術的に高かろうが、人の魂の根底を揺さぶることはない。上手な絵だということになるだけである。逆に、描画技術は低くても、訴えかける何かを持っている作品は、見る人の心を捉える。人は何となく、描画技術の高い絵の方が質が高いと無意識に思い込んでいるところがあるから、リアルに描けている作品の方を評価しがちだが、真実はそうではない。そういう思い込みを捨てて、自分の心に忠実になれば、技術的には稚拙であっても心に残る作品があるはずである。あるいは、描画技術の高い作品に惹かれたのは、それが写真のようにリアルに描かれていたからではなく、何か訴えかけて来るものを持っていたからだということに気付くかもしれない。

 何故こんな偉そうなことを書いたかというと、どう描けば上手な絵が出来るかという視点から書かれた技法解説や作画例が、世の中に蔓延しているからである。それは本の場合もあるし、ホームページの場合もある。それを書いた人達の多くは、そうした描画技術はあくまでも絵を描くための基礎に過ぎないと分かった上で掲載しているのだろうが、それだけを読んだ人は、それが最終目標であるかのように誤解しかねないと、私は危惧している。

 上手な絵を描くための描画技術であれば、一定水準に達したところで本人は満足し、一応の終わりが来る。更に努力して、写真のように描けるレベルまで達すれば、もう立派に卒業したと言っていいだろう。しかし、自分なりの「本物」を目指す旅に終わりはない。それは絵を趣味にする限り、生涯続く長い道程である。

 私は、絵を描こうとする人に、そうした自分探しの旅に出てもらいたいと考えている。そうして、絵画制作の持つ奥深さを知ってもらいたいと思う。余計なお節介かもしれないが…。


「もし、専門の学校で優れた腕前の絵描きたちを生み出すのに成功したとしても、彼らが自分自身の中にひとつの理想を持っていないのなら、それは何にもならないだろう。」(ピエール・オーギュスト・ルノワール)




7月28日(木) 「塗り分ける」

 子供の頃、図工の時間に先生から、木の葉の色は一枚々々違うから全ての葉っぱを同じ色で塗ってはいけないと言われた。素直な生徒だった我々は、疑うことなく教えに従い、何枚かの葉を少しずつ色を変えながら塗った。木も同じだと言われた。一本々々種類が異なり色が違うから、森や林を一面同じ色で塗ってはいけないと教えられた。言われた通り、何色かの近似色を作り、変化をつけながら塗った。確かに単色による平板な塗り方に比べてリアルさが増した気がした。

 子供というのは単純なところがあり、一度うまくいくとバカの一つ覚えのように同じテクニックを駆使し、しかもそれをエスカレートさせていく。最初は似通った色を3色くらい用意して塗り分けていたのが、そのうち沢山の色を駆使して葉を塗り始めた。ふと気付くと、写実描写ではなく、まるでデザインのようになっている。先生の言う通りにやっているのに変だなぁと考え込んでしまった覚えがある。

 今になって思えば、先生の言っていたことは、ある意味で正しい。同じ枝についた葉でも、新しく芽吹いたばかりの葉と、既に生育し切った葉と、散りかけた葉では色が異なる。健康な葉と病葉でも色が違う。太陽がまともに当たる葉と影になる葉とでも勿論違う。更に言えば、同じ葉でも、太陽の傾きが変われば別の色に見える。こうした諸々の科学的知見を子供に分かりやすく一言で言えば、「木の葉の色は一枚々々違う」となる。そういう意味では、子供にとって実践しやすいシンプルな教えだったと思う。

 ただ、冷静に考えると、先生の言ったことは嘘も含んでいる。いや、大胆な省略と言った方がいいかもしれない。

 例えば、同じ条件で育った健康な葉が同じ方向に向かって並んでいれば、色は同じに見えるはずである。これは我々の右手と左手が同じ色であるのと同じである(ゴルフ熱心な方は左右で手の甲の色が違うだろうが…)。ただ、片方の葉の向きが少しでも変われば、両者の色は違って見える可能性があるだろう。これが影と日向になればはっきり異なる。しかし、色が違う度合いは、そう大きくはない。元々同一条件なら同じ色に見えるものが、光の加減で違って見えるだけなのだから、その差は、色相が大きく異なるところまではいかないはずである。私が子供の頃、いつの間にやら写実描写の域を越えてデザインっぽいところまで誤って進んでしまったのは、その見え方の差を過大評価したからにほかならない。

 印象派の教えでは、ものの見え方、あるいはもっと端的に言えば「色」ということになるが、それは光が作り出すものであって、そもそも物体が固有色を持っているわけではないということになる。印象派の画家達は、光の当たり方によって、明暗だけではなく色相そのものも変わり得ると考えて絵を描いた。これは科学的に正しい見解である。我々が見ている色は物体が放っているのではなく、当たった光の一部が反射して、我々の眼に飛び込んで来ているに過ぎないからだ。

 空が青いのは、空気中の分子が太陽光線に含まれる波長の一部(青く見える部分)を乱反射させているからで、別に空気中の分子自体が青という固有色を持っているわけではない。物体の色も、結局光のどの部分を吸収し、どの部分を反射しているかで決まるのであって、絶対的な固有色が付いているわけではない。そういう意味では印象派の考えは正しいのだが、物体の表面材質は変化しないのだから、光の当たり方によって変わり得る色の範囲は無限ではなく、一定の幅の中に収まる。そして、その限界を越えて色を塗り分けると、見た目に不自然に映るのである。印象派の画家達が当時の批評家達から必要以上の酷評を浴びたのは、勿論彼らの新しい運動に対する保守層の本能的な反感もあったのだろうが、光と色の緊密な関係を強調したいあまり、肌の色に紫を混ぜるなど、変化の限度を越えて大胆な色を使い過ぎたことにも原因があるのではないかと、私は思う(ルノワールの目にそう見えたのなら仕方がないが…)。

 色を塗る上で難しいのは、実はその色の変化幅を正しく判断することである。同じ葉でも、光と影になる部分でどの程度色が違うのか、葉の向きによってどれくらい色が変化して見えるのか、若い葉と成熟した葉と散る前の葉でどう色が変わるのか。いずれもちょっと見ただけでは正しく判断できない難しい問題である。図工の先生が言った「色を塗り分けろ」という教えは確かに正しいが、それはかなり奥深いものを含んでいる。

 私が先生に言われて色の塗り分けを始めてから随分と長い月日が経ったが、未だにその奥儀を窮められず迷うことも多い。手を付け始めるのは小学生でも出来るが、道を究めるには、光と格闘し続けることが必要である。印象派の画家達が一生をかけてこの課題と取り組んだように、この道には終わりがないのかもしれない。


「この旅、果もない旅のつくつくぼうし」(種田山頭火)




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