パソコン絵画徒然草

== 7月に徒然なるまま考えたこと ==





7月 5日(水) 「不夜城」

 ここ最近、ずっと忙しい日が続き、終電には到底間に合わずタクシーで真夜中の街を帰ることが多かった。首都高速を駆け抜け、途中で一般道に降りて市街地をひた走る。流れゆく車窓の風景を見ながらつくづく思うが、東京はいつの時間も不夜城である。

 首都高を流れる車のテールランプの赤い光と、対向車線を走るヘッドランプの光の帯。それらは決して途切れることがない。まるで双方向に流れる濁流のようである。

 高速道路の両側にそびえ立つビル街も灯りが煌々とともり、大きなガラス越しにまだ働き続ける人々の姿が見える。そんなビル街が見渡す限り果てしなく続き、その光を反射して空は灰色に輝いている。

 首都高を降りて一般道に入っても、車はどの車線も一杯で、みな争うように猛スピードで走る。歩道に目を凝らすと、街灯の下には歩いている人、自転車に乗っている人、集まって何やら話をしている人、とにかく寂しげな風情がまるでない。いったいこの街はいつ眠るのだろうかと思ってしまう。

 この街には真の闇がない。そこかしこに灯りがともり、どこでも見通せる。その光はまぶし過ぎず、暗過ぎず、まるで誘蛾灯のように人を誘う。タクシーの後部座席に座って眺めていると、心地良さすら感じさせる照度である。明朝の寝不足の不快ささえなければ、このまま暫く走り続けていてもいいなぁと思わせる不思議な雰囲気をこの街は持っている。おそらく、夜の街を行き来する人は、この明かりの柔らかさに誘われて歩いている面もあるのだろう。

 田舎には、この微妙な夜の明かりがないと思う。あったとしても、僅かの場所にスポット的に存在しているだけで、東京のように行けども行けども灯りが途絶えることがない程市街地が広がっていない。田舎の明かりは町外れでぷつりと途絶え、漆黒の闇がその先に広がる。そこはもう人間がうろつく領域ではなく、自然が静かに息づく夜の世界である。そうした闇が、様々な伝説や昔話を作り出して来たのだと思う。

 しかし、この東京における夜の明かりの妙な心地良さは、どうにも絵や写真では伝えられない。よく夜景を題材にした写真など見かけるが、きれいではあるものの、あの誘蛾灯のような魅力が伝わってこない気がする。ましてや、絵となると、とてもあの微妙な灯りの感じは表しきれない。どうしてだろうかと思うのだが、それ自体発光しているものを絵具の色だけで表すのは無理があるということかもしれない。あの光の波長が、何か我々の脳を刺激しているのだろうか。

 そんなことを思いながら私はタクシーの後部座席から夜の街を眺める。昼間なら見える雑多な風景はかき消され、様々な光がまたたいて見えるだけなのだが、何だか幻想的な気分になって、これはこれで心地良いのである。絵には出来ない不思議な世界だが、ここにもまぎれのない魅力的な風景がある。東京の夜には、我々の魂を招く何かが潜んでいるようである。




7月20日(木) 「ジェットストリーム」

 前回に引き続き残業ネタで申し訳ないが、あるとき深夜帰宅でタクシーに乗り、家まで帰る道すがら、ふと聞き慣れた懐かしい音楽が車内に流れた。それまで首都高速を走るときの轟音にかき消されていたため、抑えられがちに流れていた深夜のラジオ放送の音楽が私には全く聞こえていなかったのだが、最寄りの出口から一般道に降りて、信号で止まった瞬間にその音楽が聞こえた。

 昔FMでやっていたジェットストリームのテーマ曲である。時計を見ると午前1時前だった。確か昔ナレーターをやっていた城達也氏は亡くなられたはずだが、誰がディスク・ジョッキーをやっているのだろうと耳をそばだてると、伊武雅刀氏がナレーションをやっていた。なるほど、低音の落ち着いた語り口で、なかなかいい味を出している。

 私は大学時代に、よくこのジェットストリームを聞きながら絵を描いていた。当時は日本画だったが、一人下宿で絵皿を並べて和紙の上に筆を走らせていた。タクシーの中でジェットストリームのテーマ音楽とエンディングのナレーションを聞いていたら、あの頃のことが次々に思い出された。和紙の上を絵筆が走る微妙な感触や膠の匂い。平筆で和紙の上にうっすら引いた水の上に滲んで広がる絵具の美しさ。隈取筆でぼかされていく山の稜線。全ては懐かしい思い出である。音楽というものが、こんなに雄弁に昔の情景を思い起こさせてくれるものとは思わなかった。何もすることのない深夜のタクシー内だったということもあるかもしれない。

 あの頃、ジェットストリームが終わるとラジオを切り、たいていは、無音の中でひたすら絵筆をふるった。ジェットストリームはいわば絵画制作の序曲だったのである。日常生活のリズムから絵の世界へ入るときの架け橋を、あの番組が演じてくれていたような気がする。どこかの異国を思わせる演出は、私を遠い世界にいざない、その日一日の雑多な出来事を忘れさせて、別の世界にいざなってくれた。時として白々と夜が明けるまで絵を描いたものだが、あの頃は本当に幸せだった。技術的にはまだまだ未熟で学ぶべき点が多くあったが、日常生活とは別の精神世界に行き、一歩ずつ絵の世界を進んでいく感触がとても心地よかった。

 そんな思い出に浸るうちに、タクシー内のジェットストリームは終わり、テーマ曲がフェード・アウトしていった。これもあの頃と同じだが、今の私には、それから楽しい絵画制作に没頭していく時間は来ない。また忙しい明日のために帰って寝るだけである。それは大人になったということであり、現実を生きるということであり、そして夢の幾ばくかが失われたということである。

 そんな一抹の寂しさを感じながら窓の外を眺めているうちに、タクシーは我が家の前に着き、私はタクシーを降りて一人そっと玄関のドアを開けた。また再び聞くことがあるのだろうか、ジェットストリーム。しかし、それはもう絵を描きながらということではあるまい。幾らあの音楽を聴いたところで、あの頃の生活は二度と戻って来ないのである。




7月25日(火) 「不惑にして惑う」

 心のままに綴るのがこの「パソコン絵画徒然草」だから、今まさに感じているままを素直に綴ってみようと思う。しかし、冒頭からこんなことを言うのも何だが、この文章には結末がない。そして確たる論理もストーリーもない。現在の思いを淡々と書くだけである。だから皆さんも期待せずに読んで欲しい。

 いつの頃からか分からないが、自分の生活にわくわくした感覚がなくなった。どう言えばいいか難しいのだが、あの少年時代に感じ続けていた、毎日の生活へのわくわく感に似たものがである。私はそれを、社会人になってからも長らく持ち続けていた。そう言うと、まるで子供みたいなヤツだと思われるから何とも言い方が難しいのだが、あくまでも大人としてのわくわく感である。

 期待感というのとは、ちょっと違う。期待感には、何より対象がある。気に入った服が見つかるかなとか、今日の電車は空いてるかなとか、期待する対象がはっきりとある。私が言っているのはそういう特定の物事に対する希望ではない。日々の僅かばかりの輝きというか、対象の判然としない高揚感である。「それは幸せのことだろう」と言う人がいるかもしれないが、幸不幸のことを言っているわけではない。幸か不幸かと訊かれれば、今でも幸せである。ではいったい何のことを言っているのかと問われると、う〜ん、どうにも表現が難しい。何かいいことがありそうな漠然とした予感とでも言い換えれば、比較的近いのだろうか。いずれにせよ、その感覚を持っていない人には理解できないだろう。だから、この話は伝えるのが難しいのである。

 さて、とにかく私は大人になり家族を持ち働きながら、日々の生活の中に何かわくわくした感覚を持ち続けていた。だが、いつの間にかそれは徐々に薄れ、あるとき気が付くと、消えてなくなってしまっていたのである。どうしてかは知らない。だからどうすれば、また元に戻るのかも分からない。あるいは、二度と元には戻らず、このまま残りの人生を過ごしていくのかもしれない。

 そんな状態になってみて、絵画制作にも少し影響が出てきたような気がする。いい画題に遭えそうな予感が薄れているのである。私は昔から、戸外に出るたびに、どこかで思いがけぬ画題と巡りあえそうな、根拠のないわくわく感を持っていた。山や湖といった風景画の対象になりそうな場所に出掛けるときでなくとも、例えば、電車に乗って用事を済ませに行くとか、自転車で近くまで買物に行くとか、そんな些細なときですら、もしかしたらいいモチーフを拾えるかもしれないという漠然とした予感を持っていた。戸外に出掛けると何かいいことあるかも、といった感じのわくわく感である。しかし、今やそれがない。そのせいか、どこか出不精になっている自分がいる。

 絵を描きたい気持ちは今まで通りある。絵が嫌いになったわけでも、描くのに飽きたわけでもない。スランプとも違う。要するに、モチーフとの出会いに不安を覚えているのである。かといって、実際にモチーフに巡りあえないわけではない。今でも結果的には画題に恵まれ、従来通りのペースでホームページの作品も更新している。別に制作のために無理をしているつもりはない。しかし、漠然とした不安のようなものはある。今回はいいモチーフを拾えたが、次回はもう出会えないのではないか、といった感覚である。それがぼんやりと私の心に漂う。

 私は疲れているのだろうか。知らぬ間に何か小さなストレスを溜め続けて来たのが、ここに来て一気に表面化したのだろうか。そういえば、花粉症というのも、ある日突然前触れなく発症するという。花粉症の友人を気の毒がっていた人が、ある年の春から突然花粉症の仲間入りをするケースが多々あると聞く。長い時間をかけて体質変化が少しずつ進み、あるとき極限に達するとアレルギー反応が生じて花粉症になるという。私のわくわく感消滅も、そうしたものかもしれない。多忙な中で日々を過ごしているうちに、何かが心の臨界点を超えたのかもしれない。いわば、わくわく感の品切れである。

 あるいはもう一つ思いつくのは、加齢によるものかなという推理である。40歳代は俗に「不惑」と呼ばれ、かの孔子様が論語で、人間の成長過程として、「四十にして惑わず(四十而不惑)」と仰っているが、私はまさに四十にして惑い始めたのかもしれない。何に対してなのかは知らない。仕事に対してか、家庭に対してか、はたまた人生に対してか。いずれにせよ、今まであまり惑わずにノホホンと過ごして来た報いが、ここに来て一気に臨界点に達したのかもしれない。突然の花粉症の発症と同じである。

 今では淡々と、時が流れるに任せて生きているような有り様である。抜け殻というとどうかと思うが、以前に比べて明らかに勢いの失せた状態であることは確かである。あるいは、これが「枯れる」ということだろうか。それにしては、まだまだ早いし、第一そこまで悟りを開く境地に至っていない気がするのだが・・・。




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