パソコン絵画徒然草
== 8月に徒然なるまま考えたこと ==
8月 8日(火) 「ムーラン・ルージュの光と影」 |
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もう随分昔の話になるが、初めてパリに行ったとき、モンマルトルの丘の周辺を暫し散策した。休みの日だったので、観光客も含めて多くの人でにぎわっており、丘の上のテアトル広場を通り抜けるのに苦労した覚えがある。 昼ご飯を食べる場所を探すために丘の下に降りて、地下鉄の駅の方向に歩いていく途中で、赤い風車の建物の前を通った。有名な「ムーラン・ルージュ」である。私はふと、ロートレックのことを思い出した。今から100年前に、ロートレックもこの辺りをウロウロしていたのだろうかと。 ロートレックについて考えるとき、私はいつも複雑な思いにとらわれる。歴史に名を残した画家たちが、職業画家として生きることを決断する過程は様々である。もちろん絵画への情熱に抗しきれず、絵を描いて生活の糧を得るという困難な道を志すわけだが、そのために証券マンとしての安定した境遇を捨てたゴーギャンや、大学教授のポストを投げ打ったカンディンスキーなど、ひとかどの社会的地位を犠牲にした者が少なからずいる。さて、ロートレックの捨てたものは何だったか。それは他の者とは比べ物にならない優雅な境遇、すなわち裕福な貴族としての地位である。 更にロートレックの場合特殊なのは、好むと好まざるとにかかわらず、そういう道に追いやられた側面がある。南仏アルビの伯爵家の跡継ぎとして生まれながら、画家の道を選択せざるを得ないような境遇に置かれたのは、彼がまだ子供の頃である。彼は、子供時代に2回事故に見舞われた。いや、事故という言い方は大仰かもしれない。1回は、部屋の中でイスから転んだというものだし、もう1回は乗っていた馬から落ちたのである。いずれも、世の中ではそう珍しくないアクシデントである。しかし、この2回の事故で、ロートレックは両足の大腿骨を損傷し、その後足が成長しないという身体障害を負ってしまったのである。 彼が育った19世紀のフランスでは、身体障害はまだ社会的差別の対象だった。彼は身体障害者となって以降、絵画制作に傾注していき、父の友人であるルネ・プランストーという画家の手ほどきを受けながら油絵に取り組む。元々子供時代からデッサンに興味を持っていたと言われるロートレックだが、事故がなかったとしても絵の道を志したのかは定かではない。ただ、身体障害者となった後の彼には、他の貴族の娘と結婚して家を継ぐという選択肢は、事実上なかったのである。父の強い反対を押し切って、ロートレックはパリに出る。 その後の彼の活躍は、絵に興味のある人なら誰でも知っている通りである。ゴッホと親交を暖め、浮世絵に興味を持ち、モンマルトル界隈の夜の歓楽をこよなく愛した。その全てが、彼の芸術の基礎を成している。彼を一躍有名にしたムーラン・ルージュのポスターには浮世絵の構成が取り入れられ、激しく踊るムーラン・ルージュのラ・グーリュやヴァランタンの姿が描かれている。 私はいつも思うのだが、夜の歓楽街には光のような華やかさがあると同時に、その裏に暗い影がある。光の部分が華やかな分、影はいっそう暗い。それはロートレックの人生そのものである。 彼はシルクハットをかぶり杖で身体を支えながら、連日のようにムーラン・ルージュに通い、酒を飲みながら、足を振り上げフレンチ・カンカンを踊る踊り子たちの激しい動きをスケッチした。彼が、激しい動きを絵で捉えようとしたのは、身体障害となり運動が出来ない我が身への思いからだと言われている。そう考えると、娼婦など夜の世界の女性をこよなく愛したのも、貴族の娘と結婚して家を継ぐという当たり前の人生が、もはやかなわぬ夢となったことへの裏返しの感情なのかもしれない。 ただ、彼の絵画に対する鋭い感性や、ドガに匹敵すると言われる類まれなデッサン力は、彼を身体障害者とした貴族の濃い血がもたらしたものかもしれない。イスから落ちたり落馬したりした結果足の発育が止まったのは、何代にもわたる近親結婚により、血が濃くなって虚弱体質になっていたからだというのが定説になっている。しかし、貴族の濃い血は同時に、普通の人間とは異なった鋭敏な感性をもたらすことがある。ロートレックの父親も奇抜な格好をして人を驚かせることが多かったと言われており、そうした特異な感性がロートレックにも受け継がれ開花したのだろう。それもまた、彼にとっての光と影である。 ロートレックの作品に「ムーラン・ルージュにて」という油絵がある。その中には、ムーラン・ルージュに集う客たちが描かれているが、背後に小さくロートレック自身が描き込まれている。その小さな身体が他の客に埋もれるようであるが、とにかくロートレックはありのままの自分をキャンバスに描いた。私はパリで、ムーラン・ルージュの赤い風車を見上げたとたん、シルクハットをかぶったその横顔をふっと思い浮かべたのである。 彼はアブサンをこよなく愛し、そしてそれが元で亡くなった。1901年、まさに20世紀の幕開けの年のことである。 |
8月23日(水) 「スローな生き方」 |
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「スローフード」とか「スローライフ」とか、「スロー○○」の類がいったいいつ頃から新聞、テレビ、雑誌などに登場したのか知らないが、今や一般的な言葉として受け入れられた観がある。 私の記憶が正しければ、最初に出て来たのは「スローフード」で、身体にやさしい昔ながらの食べ物を見直そうという話だったと思う。文字通り、ジャンクな雰囲気のファストフードへのアンチテーゼだった。それが人々の共感を呼び、やがて食べ物ではなく、人間らしい生活を追い求める「スローライフ」へと話が及んでいったように記憶している。「スローライフ」は結局、自然と共存する田舎暮らしという方向に落ち着き、カントリーライフ的な視点から人々の生き方そのものが議論されるようになっている。 「スローライフ」が人々の共感を呼ぶのは、やはり現実の社会が忙し過ぎるという背景があるからだろう。長い通勤時間、過労死を引き起こすほどの長時間勤務、休みなく働き続ける日々。それで大金持ちになれたのならいいが、そんな人はごく一握りの例外であろう。現実には、身を粉にして働いても、それ程生活にゆとりがないという人が多いのではないか。そこまでしないと生きていけない社会が果たして幸せな社会なのか、疑問が残る。そうした実態にみんなが薄々気付いているから、「スローライフ」に共感するのではないか。 元々日本人は無理をしているのだろうか。本当はこんな高水準の生活を維持できるだけの余力がない国なのに、みんな無理に無理を重ねて今の暮らしを維持しているということか。いやもしかしたら、「幸せ」とか「豊かさ」ということの意味をよく考えないまま、経済的な繁栄だけを目標に突っ走って来たことの歪みが出ているのかもしれない。仮にそうだとすれば、我々はもう一度「幸せ」や「豊かさ」の意味を考え直した方がいいのだろう。そうした疑問なり思いなりが「スローライフ」に人々が向かう底流にあるのだと思う。 しかし他方で、今の日本人、とりわけ大都市に住む人達が「スローライフ」に耐えられるのだろうかとも思う。やり始めたら、きっと大変なはずである。私の見るところ、「スローライフ」には我慢がいる。田舎風の暮らしには、時間はあるが便利さはない。大きなコンビニエンス・ストアで一気に済ませられる用事を、小さな個人商店を少しずつ周りながら片付けていくような努力を強いられる。雑誌やネットで紹介される「スローライフ」には、いい面ばかりが強調されていて、その辺りの苦労がなかなか出ていないのだと思う。今の過労生活は嫌だが、かといって日々享受している便利さを捨てるのも耐えられないということになると、都会にも田舎にも暮らす場所がなくなる。あちらを立てればこちらが立たずである。 今の生活から抜け出して新しい幸せを追い求めるのなら、我々は今持っている何かを捨てねばならない。様々なものを抱えすぎて溺れ死にしそうになっているのだから、つかんでいるもの、抱えているものを手放さないといけない。幸せになるにも、それなりに勇気と決断がいるのである。 |
8月31日(木) 「2DCGと3DCGの差」 |
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最近パソコンで絵を描いていて時々思うのは、「手描き」というのは一体どこまでをいうのかということである。2DCGと3DCGの違いについては、以前どこかで書いたようにも記憶しているが、今回は、ちょっと別の視点から考えてみたい。 バーチャル・リアリティーを売り物にする3Dのコンピューターグラフィックス(CG)では、人間が絵を描くのではなく、人間が出した指示に従ってCGソフトが絵を作っているのだという解説を、この「休日画廊」の中でしているし、以前この「パソコン絵画徒然草」でも触れたことがある。つまり、2Dの描画ソフトを使ってタブレットで描くパソコン絵画は手描きだが、3DCGソフトで作られる写真のような画像はそうではないという前提で、今まで2DCGと3DCGの違いを語って来た。しかし、よくよく考えてみると、本当にそこまではっきりと区分け出来るのだろうか。 私はタブレットの上で入力ペンを走らせながら、線を引き色を塗っている。その行為だけを見れば、絵具と筆でキャンバスや紙に線を引き色を塗るのと同じように見えるのだが、実際の制作過程を考えていくとかなり違ってくる。 例えば、風景画で空を描く場合を考えてみよう。絵具と筆で描く際は、キャンバスや紙の隅々まできっちり水色の絵具を塗り込んでいく。全ては手作業であり、文字通り手描きである。他方パソコンで描く際は、色を指定しマウスを1回クリックするだけで画面全体に色が塗られる。手描きなどと言いながら、この場合は全く入力ペンを走らせる必要がない。更に言えば、空は一面同じ色ではないから、真上の高い場所から地平線に近い場所に向けてグラデーションをかけるとしよう。これを絵具と筆でやろうとすると、そこそこ手間がかかる作業となる。同系色で明度の異なる色を幾つか塗り、境界線で色を混ぜてぼかしていく。しかしパソコンなら、始点と終点の色を指定してグラデーション効果を施せば、これまた1回のマウスクリックで作業が完了する。またしても、入力ペンを握る必要がない。 こうした違いは、手順や手間だけの問題ではない。私が現在絵を描くのに使っている描画ソフトの機能の中には、実に様々なものがある。ある一つの色を似通った幾つかの色に分散させる機能、凹凸観のある面を作り出す機能、一定方向に塗面をゆがませて引っ張る機能、輪郭をぼかす機能など書き出せばきりがない。例えば、単色で塗った面を、色を分散させる機能を使ってまだら模様に変えると、山や森などを遠くから見たときの描写が比較的容易に出来るし、凹凸を生じさせる機能を適用すると、木肌や葉の表面などの描写がリアルになる。 しかし、そうして出来た木肌は、果たして手描きで塗ったのかと訊かれると違うように思う。むしろ描画ソフトが作ったと言った方がぴったりくる。勿論、そうした機能をどこにどういう形で適用するかは人間が判断しているのだし、元になる色はこちらで選んで特定の形に塗っているのだから、全てパソコン任せというわけではない。ただ、人間の指示に従ってパソコンが処理しているという点では、3DCGと変わらないのではないかと考えてしまうのである。 一方、3DCGでは、絵を作っているのはパソコンであり、人間がやっているのは、描写の対象となる建物なり人物なりを、面や線や点を組み合わせて粘土細工のように作り、表面材質や光の当たり方など具体的な描写の仕方についてパソコンに指示を出しているだけである。ただ、そこには徹頭徹尾、制作者の意図が反映しており、作品がイメージ通りに仕上がらないと、制作者は何度もモデリングを修正し、描写の仕方を調整していく。つまり、レンダリング作業で作り出される絵は、確かにパソコンが作っているのだが、画面の隅々まで制作者の意図が行き渡っているのである。 こうして考えてみると、2DCGと3DCGの差はそう大きくない気がする。私が感じる差とは、タブレットを使う「手描き」らしさの要素が、3DCGの制作過程にはないことくらいだろうか。逆に言えば、その部分こそが、パソコン絵画が「手描き」だと感じる重要な要素なのだが、それを除けば、両者ともパソコンが絵を描いていると言っても過言ではない。しかしそうなると、2DCGと3DCGの差よりも、絵具と筆で描く肉筆画と、パソコン上で制作する2DCGとの差の方が大きいようにも思えて来る。 私は「手描き」という行為を厳密に定義し、それにこだわりたいと言うつもりは毛頭ないし、「手描き」の価値を語るのがこの文章の本旨ではない。ただ、仕上がった作品を見るとさして外観が違わない肉筆画とパソコン絵画とが、実は考えていた以上に別々の世界に住まうものではないかと、最近思い始めたのである。今更どうしてそんなことを気にし出したかというと、描画ソフトが持つ様々な機能の価値が分かって来て、そういうものをドンドン活用するようになって来た、そしてそれにつれて、入力ペンを握る時間が減って来たからである。 パソコンで絵を描き始めた何年か前には、ソフトの特殊機能は必要最小限しか使わず、かなりの部分を入力ペンで直接描いていた。時には、筆で絵具を塗るときと同じく、ある面を全て入力ペンを動かしながら塗っていたこともあった。そのうち、描画ソフトの幾つかの機能を使えば、それと同じか、それ以上の効果が得られると気付き、次第にそうした機能を取り入れ出した。お蔭で、制作時間は縮まり、表現力にも幅と深みが出て来たように思うが、あるとき、入力ペンを握っている時間よりもマウスで調整している時間の方が長い場合があることを発見し、はっとした。制作手法の変化に伴い、今までずっと「手描き」と思っていた世界が徐々に変質し、いつの間にか3DCGに近い世界にいる自分に気付いたのである。 私は、絵具と筆で描く肉筆画の延長線上でパソコンを画材として使い始めた。その2つは切れ目なく続いている一種の親戚同士と長らく考えていたのだが、パソコンで絵を描き始めたその日から、私はルビコン川を越え異世界をドンドン歩き始めていたのかもしれない。 |
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