パソコン絵画徒然草
== 9月に徒然なるまま考えたこと ==
9月 1日(水) 「へたうま絵と絵手紙」 |
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今どき滅多に聞かないが、昔「へたうま絵」というのが話題になり、何人かのイラストレーターの作品が代表格として取り上げられていた。共通点はと言うと、一見素人っぽい雑な描き方なのに、どこかしら味があった。要するに、プロで絵はうまいはずなのに、わざと素人っぽくへたに描いて好評を博したから、「へたうま絵」というわけである。 「へたうま絵」で言うところの「実はうまいのに…」という絵のうまさは、リアル感のことを言っているのであろう。輪郭の取り方や質感の出し方でもっと本物らしく描けるのにそういう技術を使わず、わざと稚拙な感じに崩して描く。そして、単に崩すだけなら素人にも出来るが、そこに独特の味わいを持ち込む。その味付けの部分が、素人には中々出来ないプロの業なのである。 私はあるとき、用があって出掛けたデパートでやっていた「絵手紙展」を見て、絵手紙というのは、この「へたうま絵」と本質が同じではないかと思った。 絵手紙がいつ頃からはやり始めたのかは知らない。いつの間にやら出て来て、草の根的に広がり、今では町中のカルチャースクールや通信講座などに、沢山の絵手紙教室が設けられている。インターネット上でも、絵手紙のホームページを開いている愛好家の方が多数おられるに違いない。少なくとも「パソコン絵画」の愛好家のホームページよりも多いはずである。 絵手紙の講師の描いた作品は、素朴なタッチで崩して描いている分、リアルさには欠けるが、私の目から見ると明らかにうまい。デフォルメの仕方、余白の取り方、文字の入れ方、いずれもよく計算されていて、全体としてほのぼのとしたいい味を出している。古道具屋の店頭に並んでいる商品が、素朴ながら味を出しているのと同じである。私はふと、江戸時代にはやった文人画を思い出してしまった。 私が思うに、講師が描くようなレベルの絵手紙を、初心者がいきなり描くのは無理である。一見へたに見えるがプロの手により計算され尽くした絵と、初心者が手始めに描く絵とでは、スタート地点がそもそも違うのである。講師の描く絵手紙は、要するに「へたうま絵」であり、その域に達するには、それ相応の場数を踏まねばならない。 しかし、うまいなぁと思うのは、「へたうま絵」と違って絵手紙は、素人でも何となく講師レベルの作品が描けるような錯覚に陥るのである。それに惹かれて、描いてみようかと思う人が沢山出て来る。それは確かに錯覚かもしれないが、私はそういう宣伝の仕方を悪いとは思わない。多くの入門者が感じる「私なんかが描けるだろうか」という不安を、実にうまく取り除いているからである。こういうことを言っては悪いのだが、正直な話、誰でも最初はへたである。描き進めていくうちにうまくなるのだが、そもそも描き始めないことには話が始まらない。そういう意味で絵手紙は、初心者の不安感を取り除いて最初の一歩を踏ませることに、実にうまく成功していると思う。 もう一つ私がうまいなぁと思うのは、絵手紙は技巧的な巧拙を問うことなく、味わいを大切にしている点である。リアルに描けるかどうかという絵画技巧に関しては、そもそも各人の生まれながらの才能とか、その後の練習の多寡により、スタート時点で個人差がある。スタート時点で明らかな差があれば、周りを見て自分の技術レベルが嫌になる人が出て来るのは必至である。絵手紙では、そうした巧拙ではなく、感動を紙に表すことに集中するよう指導していると聞いた。感動なら誰にでもある。要は表現手法が分からないだけのことである。自分自身の感動を描けと言われて方法論を教えられれば、誰だって出来ないことはない。自分自身の感動なら、人と比べて悩むことはない。ただ、自分の心に素直に歩めばよいのである。 おそらく、絵手紙に手を染めた初心者も、そのうち講師の作品がかなりレベルの違うものだと気付く日が来るはずだ。ただそのときには、絵の本質とは技巧ではなく自分自身の感動にあることも分かり初めているのではないか。そして、そうしたことに気付くこと自体、その人の絵のレベルが着実に上がっている証拠なのだと思う。考えてみれば、実にうまく出来た指導方法である。 |
9月 7日(火) 「台風とシスレー」 |
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この文章を書いているまさにこの瞬間、台風18号が日本海を北上している。台風からかなり離れているとはいえ、東京都内でも時折強い風が吹いているようで、ゴゥーという音が外から聞こえる。それにしても今年は初夏から台風が多い。9月に入っても、毎週テレビで台風情報を見ているような気がする。正確に統計を見たわけではないから自信をもって言えないが、今年の台風襲来数は、例年の平均値を大きく上回っているのではないか。 私の子供時代の記憶では、台風はどう早くても旧盆辺り、通常は秋に来ていたように思う。俳句の世界でも、台風というと秋の季語である。私自身の経験でも、台風一過で爽やかに晴れ渡った秋の空を眺めた覚えが何度かある。本格的な夏になる前に台風が上陸するようになったのは、最近のことではないか 東京都心部で台風といっても、土砂崩れが起きたり、堤防が決壊して床上浸水や床下浸水になるといった心配は殆どないので、強風への備えで戸締まりをしたり、庭に出ているものを片づけたりという程度の準備で足りる。都心部での被害といえば、看板などが風に飛ばされたり、比較的水が溜まりやすい渋谷や赤坂見附周辺で地下街が水浸しになったり、といったところだろうか。そういえば以前、線路への浸水で地下鉄が止まり、家に帰るのに困ったことがあった。 しかし、私の子供時代には、とにかく台風というと一大凶事だった。私が住んでいた町では、堤防が決壊したのも一度だけではなく、町の中心部まで水に浸かったことがあった。家の2階の窓から通りを見ると川のようになっていて、黄土色の濁流の中に色々なものがプカプカと浮いていたのを、子供心に覚えている。そこに至らなくとも、市街地と郊外とを結ぶ橋が殆ど水没しかけて渡れなくなり、学校が臨時休校になったこともあった。水嵩が増した川の様子などは中々の迫力で、渦巻く濁流や、橋げたにひっかかる流木を、興味本意に見に行ったこともある。子供心に、台風襲来で、見慣れた町の風景がすっかり変わってしまうのを鮮明に覚えている。 私は台風が来ると、いつも一枚の絵を思い出す。アルフレッド・シスレーの「ポール・マルリーの洪水」である。シスレーは、印象派の画家の中にあってはあまり目立たない存在なので、一般の方にどの程度馴染みがあるのか知らない。しかし、この絵は比較的有名な作品で、印象派を解説した本などでもよく見掛ける。従って、題名を聞いただけでは分からなくても、写真などで実際の作品を見ると、あぁこれかと気付かれる方も多いのではないか。 私は最初この作品を見たとき、題名をよく読まずに、ベニスかどこかの運河沿いの風景かと思った。しかし、洪水に見舞われた町の様子を描いたものと知って、つくづくシスレーの画題探しに対する熱意というか貪欲さというか、そのひたむきな姿勢に感心した記憶がある。絵の題名にあるポール・マルリーは、パリの西の方にある町の名で、1876年にセーヌ河の氾濫で大洪水に見舞われている。シスレーはその洪水の現場に赴き、連作を描いている。水浸しとなり緊迫した雰囲気の中で、シスレーは実に静かな目で、普段とはすっかり変わった町の様相を描いた。しかも災害現場にありがちな動的な雰囲気ではなく、静的で平和感すら漂う世界を表現することに成功している。 災害の中で美を見出し、現場で落ち着いてスケッチを取るなど、私には到底考えられない所業である。歴史に名を成した画家達のエピソードを知るにつけ、その芸術探求への真剣さ、凄さを思い知るのである。台風が来る度に、私はシスレーのことを思い出すのだが、ついぞ台風の中を画題探しに出掛けようと思い立ったことはない。古今東西の芸術の中には、時に狂気が宿ることがあるが、その芽はシスレーが示すように、芸術に賭ける天才達の真摯でひたむきな姿勢の延長線上にあるのかもしれない。 |
9月15日(水) 「一瞬の風景」 |
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シルクロード沿いに栄えた古代都市に「楼蘭」がある。タクラマカン砂漠の東端にあったロブ湖のほとりに、紀元前に建設された城郭都市で、天山南路と西域南路の交差点に位置し、交易の要衝だった。しかし、5世紀には衰退したと言われ、玄奘三蔵の「大唐西域記」にも廃虚として登場する。やがて幻の都「楼蘭」は、訪れる人もないまま忘れ去られ、千年以上の時が過ぎて、その正確な位置が不明になっていた。その理由は、ロブ湖の位置が、当時と今とで違っていたためである。20世紀になって、スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンが偶然「楼蘭」の遺跡を発見し、ロブ湖自体が一定周期で移動する「さまよえる湖」だという仮説を発表した。かくして「楼蘭」は、千年の時を経て再び人々の注目を集めるようになったのである。 日本画家の平山郁夫氏は、長くシルクロードをテーマに絵を描いておられるが、1986年に初めて、この伝説の都「楼蘭」を訪れている。 「楼蘭」は、タクラマカン砂漠の中でも、砂嵐が襲う非常にアクセス困難な場所で、陸路によるルートは確立されていなかった。平山氏は、上空からだけでも「楼蘭」を見たいと中国側に頼み、特別に仕立てたヘリコプターで出掛けることになる。目印のない砂漠の中で、パイロットが漸く遺跡の一部を見つけ、着陸できそうな場所に30分だけの約束で着陸する。砂嵐の間隙を縫って、平山氏はゴーグルをしたままスケッチを取る。「楼蘭」の遺跡を素早いタッチで描いていると、やがて次の砂嵐が起こり、間一髪ヘリコプターで脱出したとのことだった。まさに、一瞬の風景である。 これほどではないにしても、一瞬の間しか出会えない風景というのがある。それに意識して向き合い心に刻み込むか、何気なく通り過ぎた後に「あれはもう見ることの出来ない風景だった」と振り返るか、それは見る者の心構え一つである。 平山氏の場合、3年後に「楼蘭」再訪を果たすことができ、現地に数日滞在して多くのスケッチを取ったという。しかし、いつでもそんなふうにうまく再訪できるとは限らない。平山氏にもその思いがあったがゆえ、第1回の強行着陸時に、寸暇を惜しんでスケッチを取ったのであろう。 平山氏のような特殊なケースでなくとも、一瞬の風景は我々の日常の至るところにある。例えば、ちょっと出掛けた先で見た風景に心動かされたとしよう。そこでゆっくりできればいいが、日程の都合で早々に現地を離れなければならないことがある。そんなときには、近い場所だからまた来る機会もあろうと自分を納得させがちだが、実際には、その後再訪の機会が得られないまま、時が過ぎてしまうことがある。場合によっては、久しぶりに訪れてみると、工事か何かで現地の景色が変わっていたということだってあり得る。絵の題材にと目を付けていた場所だったりすると、まさに後悔先に立たずである。 茶の世界には「一期一会」という言葉がある。茶席において主人と客が向き合う機会は一生に一度のものと心得て、お互い誠意をもって接すべしという教えだが、実はそれは人と人との出会いだけに限られない。絵を描く者にとっても、そのモチーフとの出合いは、一度限りのものかもしれないのである。言い換えれば風景は、それがどんな平凡なものであれ、常に一瞬のものという可能性があるのである。 私も平山郁夫氏のように、向き合う風景に常に真剣でありたいと思うが、そこが凡人の悲しさで、ついその時々の予定にかまけて妥協してしまう。そんなふうに心に明確な焦点を結ぶことなくぼんやりと過ぎ去ったまま二度と出会えなかった風景が、今までどれくらいあったろうか。それらの風景は今や、かつての「楼蘭」の遺跡のように、私の心の奥深くに埋もれたままとなっているのである。誰に発掘されることもなく・・・。 |
9月23日(木) 「仲秋の名月」 |
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また再び、月の美しい季節が巡って来た。今年の仲秋の名月は9月28日と聞いたが、もうまもなくである。夜空がきれいに晴れてくれれば、素晴らしい満月を拝めるに違いない。 月を愛でる習慣がいつ頃、どういう形で発生したのかは知らないが、おそらくは平安時代の貴族の風習に起源があるのだろう。おぼろげな記憶では、源氏物語や枕草子などの平安朝の文学作品に、月見の記述があったと思う。そうした上流階級の習慣が一般庶民に広がったのがいつ頃かも定かではないが、いずれにせよ貴族は滅びても、月を見る習慣だけはかろうじて我々庶民の生活の中に残っている。 では、元々太古から日本に月を愛でる習慣はあったのだろうか。私は懐疑的である。おそらくそうした風習があったのなら、日本の古代宗教と結びついたものであったろうし、そうならば、神事として何がしか痕跡が残っているはずである。しかし、そんな話は聞いたことがない。では、平安時代にどういう経緯で月見の風習が発生したのかということになるが、当時の貴族の大陸指向を考えると、おそらくは中国から渡って来た習慣が日本流に根づいたとみるのが、素直な考え方ではないか。 中国の漢詩をかじったことのある人なら、月にまつわる作品が多いのに気付かれるだろう。晧晧と冴える月の美しさをうたった作品は、有名なものだけ挙げていっても枚挙にいとまがなく、私が作品の題名に使ったことのある李白の「静夜思」など、代表例の一つである。少なくとも漢詩を吟ずる人々の中には、月を愛でる感覚が広くあったということだろうし、漢詩が当時の支配階級の教養の1つであったことを考えれば、同様の感性は上流階層で共有されていたに違いない。今でも中華系の人々には月を愛でる習慣があるようだし、月に供えるために月餅(げっぺい)という焼き菓子もある。ちょうど日本に月見団子があるのと同じである。昔、9月中旬に出張で東南アジアの国々に行った際、中華系の人々が仲秋の名月を祝うということで、月餅が盛んに売られていた。日本の月見の風習との類似性に驚いた覚えがある。 しかし、前にもこの徒然草に書いたが、月見の風習は東洋的なもので、西洋にはない。西洋ではむしろ、月は魔性に満ちた存在で、その光は人を狂気に駆り立てる悪魔的な力を秘めていると信じられていた。満月になると狼に変身する狼男の伝説しかり、狂気を意味する「lunatic」という英単語の語源(「Luna」はローマ神話の月の女神ルナ)しかりである。 そうした捉え方の違いのせいか、日本や中国に月を主題にした素晴らしい絵画が沢山あるのに比べ、西洋画では、名作の中に月を主題にしたものを見つけるのは難しい。私の乏しい知識の中からめぼしいものを挙げれば、ゴッホの「星月夜」「星月夜の糸杉のある道」、マグリットの「傑作もしくは水平線の神秘」「9月16日」、ルソーの「眠れるジプシー女」「カーニヴァルの夕べ」といったところか。片隅に月が登場する作品は他にもあるだろうが、正面から月を主題にしているものはそう多くない。日本画の中には、殆ど月しか描かれていない作品が多数あるのと対照的である。 私の主観を言えば、上に挙げた西洋画の作品では、月は画面に不思議で怪しげな雰囲気をかもし出している。不気味ではないのだが、非日常的な空間を作り出すのに重要な役割を果たしている。これに対して日本では、月は美しさの象徴として作品に登場する。日本画が伝えようとしているのは、ただただ月が美しい、それだけである。そして、月だけをデーンと描けば充分作品が成り立つほど、美の代名詞として広く認められているのである。 ある対象物に関する感覚が異なれば、絵としての捉え方も違い、表現も変わって来る。それはごく当たり前のことなのだが、月のように日本人の誰しもが美しいと思い、それに一切疑いを差し挟まないような対象物については、ついついそのことを忘れがちになる。花なら誰でも美しいと思うが如く、月も文句なく美しいと捉えられているに違いないという先入観が、我々日本人にはある。しかし、西洋の人々に仲秋の名月の美しさを分かってもらうのは、そう簡単ではないのだろう。同時に、月を描いた日本画の名作についてもである。美の基準というのは人類共通の感覚のように思いがちだが、実は中々複雑なものである。仲秋の名月に魅せられつつ、洋の東西におけるそんな感性の違いについても忘れないようにしたいものである。 |
9月29日(水) 「パソコンの表示色数」 |
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私は前々から、パソコンで描いた絵がモニターによって違って見えることが気になっていた。典型的には、CRTモニター、つまりブラウン管のモニターで見たときと、ノートパソコンなどで使われている液晶モニターで見たときの違いである。私自身はCRTモニターで絵を描いているのだが、出来た絵を液晶モニターで見ると、漂白液でさらしたように絵全体が薄く見える。特に空の色の微妙な変化は液晶モニターでは表示されず、白っぽい平坦な感じになってしまう。「休日画廊」にお越し頂いている皆様の一体何割くらいが液晶モニター派なのか存じ上げないが、その方々と私とでは、実は見ている絵が違うということになる。 それはさておき、最近もう1つ気付いたことがある。画面に表示される色数による違いである。 画面をどれくらいの色数で表示するかは、Windowsの場合、デスクトップの何もない部分でマウスを右クリックして「プロパティ」を選び、上のタブから「設定」を選択すると、「画面の解像度」(画面の大きさ)と「画面の色」(表示される色数をビット値で表したもの)を変更出来る画面が出て来る。初期設定でこの色数がどう設定されているのかよく知らないのだが、私の場合は搭載しているビデオカードが何世代か前の古いものだったので、負荷をかけないよう16ビット表示にしていた。 話は少々それるが、パソコンで絵を描いたり見たりする以上、パソコンにおける色数表示の仕組みは重要なので、ここで簡単に解説しておきたい。パソコンの頭脳に当たるCPUと呼ばれる電子計算機は、処理すべきデータを、電気が通っているか否かという2進法でしか認識できない。このパソコンが認識出来る最低単位の情報量をビット(bit)と呼んでいる。しかし、これだと2種類の情報しか区別出来ないので、普通は1ビットを8つ並べて一単位として認識するようにしている。これをバイト(byte)と呼んでいる。つまり、8ビット=1バイトということになる。パソコンのハードディスクやCD-R・RW、DVD-R・RWなどの容量表示に出て来るメガバイト(MB)、ギガバイト(GB)のバイトとはこれのことである。 1ビットだけで色を表示させようとすると、例えば、①電気が通っていると白を表示、②通っていないと黒を表示、といった具合に、2種類の色しか区別できない。しかし、1バイト(8ビット)単位でデータ処理をするようになると、表示できる色数は飛躍的に向上する。これは、赤と青のカードを8枚並べるとすると、何通りの並べ方が出来るかというのと同じ話で、昔数学で習った順列の公式に従えば、2の8乗、すなわち256通りになる。つまり256色を割り当てて表示させることが出来るということになる。 しかし、256色の表示では写真などはきれいに表示出来ない。そうなると、更に色数を増加させるため、1つの色を表すのに使うビットの数を増やしていくしかない。8ビット=1バイトで256色だが、これを2バイト(16ビット)単位の色表示に切り替えると、2の16乗で6万5536色が表示できる。このように、滑らかな色表示を実現するためにはどんどんビット数を増やせばいいのだが、8ビット表示から16ビット表示になっただけで、パソコンの情報処理量は単純に2倍に増える。その分、パソコンに負荷がかかり、古いロートルのビデオカードにはつらい仕事になる。そんなわけで、私は長らく16ビット表示で我慢していたわけである。 では、パソコンの性能を気にしなければ、一体何色くらいが適正な表示なのだろうか。通常、人間の目が区別出来る色数は数百万色と言われている。それよりもパソコンの表示色数が少なければ、色と色との微妙な境目が不自然に見えることがある。つまり16ビット表示では足りないわけである。これを克服するためには、もう8ビット足して24ビット単位で色を指定すれば、2の24乗、すなわち1677万7216色の表示が可能になる。これだけあれば人間の目で見る限りは充分である。24ビット以上の表示は通常、フルカラーとかトゥルーカラーと呼ばれているが、その理由は、我々が現実の世界を見ているのと同じような見え方で違和感なく表示出来るからである。 そんなわけで私は、いつかビデオカードを買い換えたら表示色数を24ビット以上に上げ、自分の目で認識できる全ての色をきちんと表示させた状態で絵を描けるようにしたいと、常々思っていたのである。 そんなある日、別用で秋葉原まで出掛けた際、ふと覗いたパーツショップで、一流メーカー品でありながらとんでもなく安いバルクのビデオカードを見つけた。モノは現在使っているビデオカードと同じメーカーのAOpen製で「Aeolus FX5700-DV256」という商品だった。NVIDIAのGeForce FX5700チップに256MBのメモリーを積んだモデルで、TV-OUT機能までついている。値段は税込みで8000円弱だった。バルクなのでドライバーを収めたCD-ROMは付属しておらず、まさに白箱にビデオカードが入っているだけのシロモノだが、私は普段、ドライバーはNVIDIAのForcewareをダウンロードして貼っているので、CDが付属してなくとも何ら問題はない。かくして私のパソコンは、数世代分一気に進化したのである。 ビデオカードを入れ替えてドライバーを貼り、表示を最高の32ビットにした。そして、早速「Paint Shop Pro」を立ち上げて、描きかけの作品に手を加え出した。ほんの数分もしないうちに、あることに気付いた。グラデーションをほどこしたときの見え方である。以前は、空を描く際グラデーションを使うと、色の変わり目に沿って縞模様が出来ていたのだが、それがないのである。私は少々唖然とした。 実を言うと、私は長い間、この縞模様が出来るのは「Paint Shop Pro」の仕様だと思っていた。どこかの掲示板でも同じような指摘をした書込みがあり、私は廉価版の描画ソフトなので、これは1つの限界なのだろうと諦めていた。そして縞模様の方は、他の色を重ねたりして消す方策を色々研究して目立たないようにして来た。しかし、32ビット表示にすると、この縞模様がそもそも現れない。つまり縞模様の出現は「Paint Shop Pro」の仕様ではなく、私のパソコンの色数表示のせいだったのである。 そして同時に、頭の中で稲妻が光るように、もう1つ思い出したことがあった。あるとき逆境を逆手に取るつもりで、この縞模様を消すのではなく、むしろ生かして、縞模様を日輪の描写として使った作品を描いたことがある。そしてその絵を当時某サイトに投稿して、制作の意図をあわせて書き添えたのだが、ご覧になられた方々の反応として「確かに日輪のように見えますね」というものと、「そんな縞模様は見えないのですが・・・」という2種類があった。 むくむくと頭をもたげた疑念に駆られて、今では「休日画廊」の展示から外してしまったその作品を32ビットで表示してみた。はたして日輪はなかった。そして、ビデオカードの設定を16ビット表示にすると、日輪は忽然と現れる。つまり、当時日輪が見えなかった人は、24ビット以上のフルカラーの表示で見ていたということだろう。私が見えると書き、それを見えると書き込みした閲覧者がいる中で、見えなかったフルカラー表示の人は、自分のパソコンの表示機能に多少不安を覚えたのかもしれないが、むしろ問題があったのは私のパソコンの方だったのである。そして私は、実際にはありもしない縞模様を日輪に見立てるべく、色々努力して作品を制作したのだった。思えばバカな話である。 いつも思うのだが、パソコンという未知の画材で絵を描いていると、考えもしなかったような事態に直面することがある。そのたびに色々な教訓を得、これもパイオニアの苦労かと思うのだが、今回の場合も間違いなく教訓の1条に加えられるべき事柄であろう。ただ、16ビットだと表示されるあの日輪、我ながらよく出来ていたとは思うのだが…。 |
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