パソコン絵画徒然草
== 9月に徒然なるまま考えたこと ==
9月 6日(火) 「夏の終わり」 |
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夏の終わりの風情は、どこか寂しげでもの悲しく、日本人が昔から持っている無常観を、そこはかとなくくすぐるものがある。私は例年この季節になると、戸外を歩いているときなど、無意識のうちに夏の終わりの情景を探している。 夏の間、肌を突き刺すような勢いだった太陽光線は心なしかやわらぎ、むくむくと地平線から湧き上がっていた真っ白な雲もどこかに消える。盛んに鳴いていたアブラゼミの合唱は影をひそめ、かわって夕方になると、カナカナとわびしげにヒグラシが鳴く。海水浴場や避暑地から人影が消えてゆき、浜小屋はたたまれ、みやげ物店もひっそりと静まりかえる。 夏の終わりのわびしさの正体を分解して考えれば、つまりはそうした周囲の変化の集積に過ぎないのだが、人はその中に、最も活動的で元気な季節が終わり自然の営みが衰えていく兆候を読み取る。それは、やがて時が経てばこの世から消え行く人間の運命とも重なり、人々の共感を呼ぶのだろう。 昨年は、時々立ち寄る公園で、大きな木の根元に何匹かのアブラゼミの死骸を見つけて、夏の終わりを感じた。その木は夏の間、たくさんのセミが取り付き、うるさいほどの蝉しぐれを放っていた木だった。セミは数年の長きにわたり土の中で暮らし、地面にはい出てひと夏鳴き、そしてあっけなく死ぬ。成虫として鳴くのはわずか2〜3週間というところだろう。その間精一杯鳴き命尽きて消える。まさに一瞬の夏である。 セミの抜け殻のことを「空蝉(うつせみ)」というが、万葉の昔から人々は、はかないセミの運命と自分たちの現世での生活を重ね合わせ、いつの間にか、うつせみといえば、人の世、あるいはそこで暮らす人々のことを指すようになった。その言葉の響きの底流には、人の世のはかなさ、むなしさを思う旋律が流れている。夏の終わりとは、そういう命ある諸々のものの1つの終焉を啓示しているのかもしれない。 夏の終わりを象徴する風景は、セミの死骸に限らず他にいくつもあるが、私がとりわけ絵の題材として好きなのは、人影の途絶えた海辺や避暑地の風情である。夏の間あれほどにぎわっていた場所から潮を引くように人影が消え、ひっそりと静まりかえる。盛りから衰退へのわびしさを、これほど対照的に現している場所はそうないのではないか。 そういえば、今は故人となった小説家のエッセーを以前読んだとき、こんなことが書かれていた。彼は軽井沢に別荘を持ち、夏場はそこで仕事をしていた。そんな彼が一番好きだったのは、9月の軽井沢だったと述べていた。同じように軽井沢に別荘を持つ他の文筆業仲間は、観光客が去るのと同時に東京に戻っていたらしいが、彼だけは肌寒くなる頃まで軽井沢に残り、短い秋を楽しんだという。人通りも途絶えひっそりと静まり返った軽井沢はすばらしく、おそらく最初に別荘地として開発された頃は、こんな静けさだったのではなかったかと、エッセーには記されていた。 私も、夏の軽井沢には一、二度観光客として行ったことがあるが、あのにぎわいにはちょっと辟易した。もちろん、自分自身もそのにぎわいを構成する一人だから、文句など言える筋合いではないのだが、また行きたいかと訊かれると答えに窮する。ただ、秋の軽井沢なら行ってみたい気がする。 海辺にせよ避暑地にせよ、秋になって客足が途絶えた風情を前にすると、夏のにぎわいを知っている身としては、しみじみとした寂寥感を覚えるに違いない。それは、松尾芭蕉が詠んだ「夏草や つわものどもが 夢の跡」という句の底流に流れる感慨と同じものである。そしてそうした場所には、私の心に響くような絵の題材が、ひっそりと眠っている予感がするのである。 |
9月14日(水) 「新しい結果は生まれたのか」 |
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油絵や日本画、水彩画といった伝統的な絵画は長い歴史を持っていて、画材や描き方に一定の決まりがある。例えば、油絵で絵具を溶くのに使う油の調合や絵具の塗り方、日本画における紙や絹の張り方、岩絵具の溶き方などについてである。そうした決まりは、画家や画材製造者の苦労と研究の積み重ねから編み出されたものであり、一定の合理性を持っている。決まりを無視して油絵を描いて、絵具がひび割れた失敗例を見たことがあるし、紙の張り方がまずくて展示中に中央から紙が裂けてしまった日本画の作品も知っている。 絵画教室などに行って教えてくれるのは、こうした長い伝統を経て磨かれて来た画材の選び方や描き方である。それは、その時点で最も合理的で安定的な絵の描き方であり、教わった通りにやっていれば、誰でも失敗することはない。油絵具は塗ってもひび割れないし、日本画の作品が裂けたりはしない。絵を始めたばかりの初心者にとってそれは重要なことであり、基本が大切というのはこういうことを言うのだろう。 しかし、時代と共に技術は進歩する。新しい素材、製法が出て来て画材は進化するし、それにつれて、今までは出来なかったような描き方も出来るようになる。そして、そうした進化によって、既存の技法の一部は陳腐化し、守る必要のなくなるルールも出て来る。ある日を境に、それまでのまどろこしい手順は過去のものとなり、新しい画材・技法は光り輝いて見える。かくして機を見るに敏な者は、なだれをうってそちらに乗り換えるのである。 つまり、絵画制作のルールである画材の選び方や使い方は、いつの時代にも不変のものではなく、技術進歩とともに変わっていく可能性がある。今ある常識は、いつか色あせた遺物となるかもしれず、思いも付かなかった可能性の扉が開くかもしれない。ならば、その可能性を自分自身で探ってみたいと思うのは人情であり、幾多の人々が今も昔も、様々なチャレンジをしている。新しい顔料を作ったり画材を開発するといったことは、今や画材メーカーでないと無理だろうが、絵を描く者なら、身の回りのものなどを使って新しい描き方に挑戦できないか試してみたくなる。その心意気やよしと言いたいし、かくいう私も過去色々な試みをした経験がある。だが、中には新しい試みをすることだけが目的化しているような事例も見受けられ、時として首を傾げたくなる作品もある。 例えば、絵具の代わりにコーヒーと紅茶とお茶を使って絵を描いたとしよう。今までにない新しい顔料を試したという意味はあるし、そうした発想を面白いとは思う。私も、「コーヒーと紅茶とお茶で描いたんです」と説明されれば、「それは面白い試みですね」と言葉を返すだろう。しかし、そうして描いた絵が、普通に絵具を使って描いた絵と変わらない、あるいは同じ色が絵具でも簡単に再現出来るとしたら(おそらく実際そうだろう)、その絵に一体どういう新しい価値があるのか、よく吟味してみる必要がある。 勿論、チャレンジ精神は評価すべきだと思うし、そうした幾多の試みから全く新しい画材・技法が生まれる可能性があるかもしれない。だから、そうした努力が無意味だと言うつもりはさらさらない。ただ少なくともその作品が、今までの画材・技法で描いたものと何ら違いがないとすれば、それに特別の新しい価値を認めなければならない理由は見当たらないように思う。つまり、努力はしたが新しい結果は生まれなかったということであり、かろうじて努力賞はもらえても優秀賞はもらえないということだろう。 しかし世の中には、新しい結果を生み出せていないのに、新しい試みだけを売りにするものが多い。それは絵に限られない。例えば、何かの販売店やレストランに行ったとしよう。店員が近寄って来て、したり顔で「今まで○○を原料に使っていたのを、これは△△で作っているんです」と商品や料理の説明をしたりする。取り敢えずこちらは「へぇー」という顔をするのだが、商品を手に取ってみて、あるいは料理を食べてみて、何の違いも感じなければそれまでのはずである。お情けで努力賞はあげても優秀賞の太鼓判は押せないはずである。はずであるが、実際には、その新しい試みとやらを大仰に喧伝されると、あたかもそれに価値があるかのように思い込んでしまいがちである。あるいは、違いが分からない自分の感覚が鈍いのだろうかと妙に卑屈になって、「やっぱり違いますね」と心にもないお世辞を店員に言ってしまったりする。こういうとき、人間は悲しいものだとつくづく思うのである。 絵画の世界でも、新しい試みだけが強調されて、それがさも既存の作品より偉いんだという宣伝のされ方をすることがある。作者が言っているのでなくとも、雑誌の記事やら推薦者のコメントなどで「試みが新しいんだから、作品も素晴らしいってことが分かるでしょ!」みたいに紹介されている場合がある。そういう文章を見ると、私は妙に意固地になってしまう。挙句の果てに、「従来の画材や技法で描かれたものと同じに見ないでくれ」というようなキャッチコピーを付されると、少し腹が立つ。そこまで言うなら試みだけじゃなくて、歴然たる差をきちんと結果に反映してみろと言い返したくなるのは、私が年取った証拠であろうか。 |
9月23日(金) 「9月の紅葉」 |
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残暑がいつまで続くのだろうと思っていたら、いつの間にか風が入れ替わり、秋になっていた。朝夕はしのぎやすくなり、夜、パソコンに向かって絵を描いていると、庭から虫の鳴き声がする。どこか侘しげな音で、秋らしい情緒に満ちている。 ここ数年、仕事のサイクルが晩秋から年末に向けて猛烈に忙しくなるものだから、紅葉の季節をゆっくり過ごすことが出来ない。お蔭で紅葉狩りには無縁の身である。色づく前の葉を見て、紅葉の頃はきれいだろうなぁと想像するしかないが、そんな9月の日々にふと思い出したことがある。 米国で暮らしていた頃のことである。私はニューヨークの郊外に住んでいたのだが、車で2時間ほど北上したところに紅葉の名所があった。実はスキー場なのだが、ここからの紅葉は一見の価値があると、何かの情報誌で読んだか、人づての話で聞いた。そして、その紅葉の時期が9月下旬から10月初旬だった。 ニューヨークは、緯度でいうと北海道辺りに位置する。でも我々が住んでいた地区では、紅葉の最盛期は10月中下旬からだったように記憶している。9月下旬から見ごろというのは、スキー場のある場所がかなり北で、周りに山の多い地形だからかもしれない。ちなみに、ここでの紅葉見学は、スキー場になっている山の頂きまで登って鑑賞する方式である。 我々は、うたい文句に惹かれて地図を頼りにそのスキー場を目指した。内心、本当に9月に紅葉なんか見られるのだろうかという一抹の不安を抱きつつ・・・。道はやがて峠のようなところにさしかかり、周囲の木々が色づいているのが分かる。9月下旬から見ごろというのは、どうも嘘ではないらしい。やがて道は平地になったが、辺りの景色は一変していた。すっかり秋のたたずまいの山間の道を、我々は一路スキー場へと向かった。 スキー場は簡単に分かった。要するに、それ以外は何もないところなのである。駐車場に車を停めロッジに入った。意外なことに、他にも紅葉見物の客がたくさんいて、ロッジはにぎわっていた。私は、米国人も車でわざわざ紅葉をめでに来るということにちょっと驚いた。ゲレンデに出ると、雪もないのにリフトが動いている。紅葉見学のためである。これに延々と乗って、山頂まで登った。リフトを下りて、そのちょっと先の山頂まで行き、辺りを見渡した。 おそらくこんな景色は、日本では見られないだろうと思った。見渡す限り、地平線のかなたまで紅葉している。その規模に、ただ呆然とするばかりである。こういう想像を超えた景色を前にしたとき、人はしばしば言葉を失い、圧倒されて立ち尽くす。そのときの私は、まさにそんな感じであった。 ニューヨーク自体、もともと紅葉の美しいところで、摩天楼都市マンハッタンの中ですら、目を奪われるような美しい秋の景色に出くわすことがある。当時私が住んでいたのは郊外の住宅地で、まるで森の中に家が建っているような風情だった。お蔭で、秋になると近所を散歩しているだけで紅葉狩りができた。しかし、このスキー場から見た紅葉は、その規模において、完全にニューヨーク周辺の紅葉を凌駕していた。いや、そもそも比較すること自体が間違いなのかもしれない。 日本の紅葉は、別の意味で美しい。京都の古寺の紅葉を例に出すまでもなく、日本庭園など周囲のたたずまいとマッチして、小さい舞台ながらいい味を出している。単に紅葉の美しさでなく、舞台設定の妙というか演出がうまいのである。木々の色づきの美しさだけでなく小道具をうまく組み合わせて合わせ技で勝負している。 紅葉を題材にした日本画の名作には、こういう周辺舞台装置と組み合わせてまとめられた佳作がたくさんある。私の好きな川合玉堂の「彩雨」などそうだが、特に掛け軸になっている小品は、ほぼ例外なく合わせ技勝負のように思う。描く方としても、そういう形で構図を組むのは、メリハリがついて画面をまとめやすい。しかし、あのニューヨークのスキー場から見たような紅葉の景色を絵に描いてみろと言われれば、私はたじろいでしまう。 あるがままの自然の美しさ、そして想像を絶するスケール。何の手練手管もない直球勝負のような風景である。申し訳ないが、私はあんなすごい景色を描けない。人間の筆など寄せつけない自然が、世の中にはあるのである。 日本で色づいた木々を見ると、今でもあのスキー場の紅葉を思い出す。いや、おそらく一生忘れることはないだろう。季節は秋の彼岸、そろそろあの紅葉も見ごろを迎える頃だろうか。 |
9月28日(水) 「ホームページ運営」 |
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かれこれ4年近くホームページを運営しているが、個人の開設するホームページの盛衰は激しいものだと気付かされる。沢山の閲覧者が押しかける人気サイトも、あるとき突然更新が止まり、やがて消えていく。その背後では、管理人の生活に何がしかの変化が生じたのだろう。その辺りの事情は気まぐれな訪問者には窺い知れぬが、趣味のページのことゆえ、突然閉鎖されても管理人を責めるわけにはいかない。私だって、いつかそうなる可能性を否定できないからである。 誰だって、出来るだけ長くホームページを運営して行きたいと思っている。少なくとも開設時はそう考えているはずだ。しかし、続けられない事情が生じる。それは、私生活上の問題かもしれないし、付け加えるべきコンテンツが枯渇して更新出来なくなったり、他に興味のあることが出来て関心がそちらに移ったといった事情かもしれない。いずれにせよ、更新が停止すると訪問者の数は減り、管理人の関心も遠のく。やがてBBSのレスや投稿も途絶え、そのサイトは消えて行く。本当に閉鎖されなくても、そのまま放置され生命活動を停止した状態になる。これは、我々がネット上でよく見かける事例である。 ただ、よく考えると、更新停止がサイトの生命活動停止を意味するというのはおかしなことではある。世の中で出版されているあまたの本は、更新もされないのに読み継がれるものが多い。ホームページの中にも、更新が停止した後でも読み継がれるに足るコンテンツのものは沢山あると思うのだが、どうも更新が途絶えると忘れ去られてしまう運命のようである。よく、個人のホームページにある他サイト紹介のコーナーで「最近このサイトは更新が止まっているが…」みたいなコメントが付いているのを見かけるが、これを見てサイト訪問を諦める人も多いのではないか。それほど、更新というのはホームページの命のようである。 しかし同時に、ホームページ運営が長く続くかどうかの鍵もまた、この更新サイクルにあるのではないかと、私は思うのである。 少なくとも1週間とか1ヶ月とか、一定周期でホームページを更新しなければならないと思い始めると、運営にプレッシャーがかかり、管理人に焦りが生じる。本当は、更新すべきことが出来たので更新するという手順のはずが、更新をしなければならないので、更新するネタを探すという状況に陥りかねない。こうなっては、ホームページ運営は苦痛になる。仕事なら苦痛でも何でもやるが、趣味である以上、苦痛を感じながら続けるいわれはない。止めたところで、生活に支障をきたすわけではないから、では止めてしまおうかということになりかねない。 私の乏しい経験から言えることは、ホームページ運営を長く続けるためには無理をしないことが大切である。学生さんは例外かもしれないが、一般の方なら、仕事を持ち、あるいは家族を抱えて、その傍らでプライベートな時間をやりくりしてホームページを運営している。時間的制約もあろうし、繁閑も一定しない。従って、常に一定のペースで更新できるわけではない。最初からそう割り切らなければ、とても長くは続かない。要するに、更新を義務化しないことである。 もう一点重要なのは、閲覧者の受けを狙わないということではないか。ホームページは、人の求めに応じて開設したものではなく、自分が好きで始めたことである。わざわざ時間を割いて自分のホームページを見に来てくれる人を大切にするのは重要なことだし、趣味の世界であっても、他人へのサービスに意を用いるのは貴重な心掛けだが、それに振り回されていては、とても運営は続かない。商売ではないのだから、自分でやりたいことをあくまでも貫いて行く姿勢を保持しないと、誰のためのホームページ運営なのか分からなくなる。 一般の人が自分のホームページを新たに開設するとき、果たして見に来てくれる人がいるのか不安になるに違いない。自分が思い描くコンテンツが独りよがりではなかろうかとか、他人が見ても面白くないのではないかとか、いずれ飽きられ誰も来てくれなくなるのではないかとか、悩み出せば切りがない。訪問者数を測るカウンターが付いていると、そればかりを見てため息をつく人も多いのではないか。そのうち、どうしたら訪問者数が増えるのかを考えるようになり、それがポータルサイトへの売り込みに費やされているうちは未だいいのだが、訪問者が増えるようにコンテンツを変えるなんてことをやり出すと、管理人の理想や希望と、ホームページの中身とが微妙にずれ始める。そして、それが一旦始まると、溝は広がるばかりで縮まることはない。そうして訪問者が増えてくれればいいのだが、費やした努力ほどには、カウンターは増えないのが世の常ではないか。 私は、たとえカウンターが増えなくとも、自分の好きなことをやっていくのが一番よいのではないかと思っている。言い換えれば「カウンター過敏症」にならないということである。それは負け惜しみでも何でもなく、それこそが、ホームページ開設の原点だったと思うからである。それ自体が楽しくなければ、ホームページを運営していく意味がない。自分が楽しいと思わないことをして訪問者が増えても、一体何を喜べばいいのだろうか。 私はそんな姿勢でコツコツとこの「休日画廊」を運営してきた。おそらくこれからもそうだろう。「そんな強がりを言っているが、訪問者がいなくなってもやる気なのか」と思う人がいるかもしれないが、それでも「休日画廊」は続いていくような気がする。それは、私が絵を描くのが好きだからである。私は、私が本当に好きな絵だけを描き続ける。私の心に響くテーマだけを追い求める。「休日画廊」は、ただそれを掲載する場に過ぎない。そして、そうして描いた絵を面白くないと思われても気にしないし、見る人に合わせた絵を描こうとも思わない。それこそがおそらく「休日画廊」の原点であり、そして全てであろう。 |
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