パソコン絵画徒然草
== 9月に徒然なるまま考えたこと ==
9月 6日(木) 「幸せな時代」 |
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私が本格的に絵を描くようになって、いったい何年経つのだろう。かれこれ30年近くということになるだろうか。ずっと描き続けてきたわけではなく、社会人になってからは中断した期間も長い。パソコンあったればこその、今日の復活とも言える。 趣味の絵画制作にはまとまった時間の確保が必要になるから、多忙な身にはやり繰りがつらい。パソコン絵画なら何とかなるが、肉筆画だと細切れに毎日15分ずつ描くなんて無理な相談である。おまけに狭い日本の家事情もあって、充分な制作スペースや理想的な照明が得られないこともままあろう。時間も場所も、色々工夫しながらの制作となる。 ただ、趣味の絵画制作は、精神的には気楽である。プロの画家だとこうはいかないだろう。絵を売って食べるというのは、そうそう簡単な芸当ではない。目玉が飛び出るような値段が作品に付くのはごく一握りの有名画家だけ。その他圧倒的多数の画家達は、汗水たらして描いて生活の糧を得なければならない。売れるなら意に沿わない絵も描かねばなるまい。一定額を稼ぐためには量産しなければならないかもしれない。仕事として絵を描くというのはそういうことである。 私は絵が好きだが、それを仕事にしようと思ったことはない。自分の才能がいかほどのものか充分心得ているつもりだし、何より好きなものを好きなように描きたいからである。その点、アマチュア画家は気楽である。誰かにうける絵を描く必要はないし、締切りやら条件やらに縛られることもない。絵を描くなら、趣味としてやった方が幸せだと思う。 しかし、そんなふうに絵を描く趣味というのは、昔から一般的だったわけではなかろう。例えば、江戸時代に好きで絵を描くなんて、一握りの裕福な人たちにのみ許されていた趣味だったと思う。 今でも日本画の画材は高いが、昔ならもっと高価なものだったに違いない。全ては天然原料だったし、一部の絵具は高価な宝飾用の岩を砕いて作っていた。今のような値段になったのは、工業的に顔料が作れるようになって、工場で大量生産が始まって以降の話である。近代以前は、画材店も一般的ではなかったろうし、食べるのに精一杯の庶民にとって、絵を描くなんて手の届かぬ高尚な趣味だったと思う。裕福な層だけが、和歌や俳句、唄や踊りといった文化的な趣味を持ち、その一環として絵もたしなんだということではないか。アマチュアとプロを比べると、圧倒的にアマチュア画家の方が多い現代とは、事情が異なるのである。 近代以前にプロの絵師集団に属することが出来ず、それでも絵を描きたい庶民はどうしていたのだろう。識字率が低かった当時は、筆や墨、すずり、紙といったものも、一般家庭では満足にそろっていなかったように思う。それに、食うや食わずの市井の人々が、そうそう使い捨てに出来るほど安価なものではなかったはずだ。そうなると、墨で紙に落書きというわけにもいかなかったろう。 ただ、庶民でも絵を描くすべはあったと思う。例えば、出家して僧侶となり絵を描くという方法である。もちろん、誰でも僧侶になれるわけではなかったろうが、裕福な金持ちになるよりはチャンスはあったに違いない。雪舟をはじめ、歴史に名を残す画僧も多く、僧侶としての出世よりも絵画制作に傾注した明兆のような例もある。 今の時代と違って、一般庶民が生きるのに精一杯の世の中で、絵画や文学など文化活動を行うなんて考え自体、なかったのかもしれない。それに、庶民が絵を見ることも、稀なことだったのだろう。 そうして考えると、ごく普通の人々が絵を趣味で描ける今の世は、幸せな時代と言える。絵を描きたいと思いながらも叶わず生涯を終えた市井の人々の中には、絵筆を握らせていれば、歴史に名を残すような傑作をものにした才人もいたに違いない。それを思うと、趣味で絵を描きながらタラタラと不満や愚痴をこぼすことが、何だか申し訳なくなるのである。 描けるだけ幸せ。そう思いつつ、また制作に励むことにしよう。 |
9月12日(水) 「季節の変わり目に」 |
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夏から秋へと季節は変わりつつある。まだ残暑厳しい日もあるが、忍び寄る秋の気配が、そこここに漂っている。異常気象とは言うけれど、時間が経てば季節は確実に移る。それが自然の習いというものである。 私はこの時期、一抹の寂しさを感じる。1年のうちで最も輝かしく活力に満ちた季節が翳っていく姿に、何がしかの侘しさを覚えるのである。夏の余韻を残すように鳴くヒグラシの声や、夜になるとどこからともなく聞こえてくる秋の虫の音が、そうした気持ちを一層助長するのかもしれない。この先季節は次第に衰えを見せ、木枯らしが吹く頃には自然は暫しの眠りにつく。 夏から秋への変わり目に感じる侘しさの原因は、とどのつまり無常ということである。世の中の全ては変転して止まず、永遠の姿を留めることはない。ある時期栄え、その極みに達したものも、やがて衰え滅び去る。こうした無常観は、如何にも日本人らしい考え方だと思う。そんな世の理を季節の移ろいが示してくれる。それがまさに、夏から秋への変わり目である。 さて、秋の夜長に虫の音を聞きながら、世の中は無常であると悟りを開いた後にどうするのか。仏陀は、だから執着を捨てろと説いた。どうせそのうちに変化してしまう世の栄華にこだわってどうするのか。その執着が苦しみを生み出す。執着さえなくせば苦しみから開放される。それが仏教の根本原理である。 私は信心がないせいか、そんな高尚な思いには捉われず、無常だからこそ、今ある姿を絵に残しておこうと考える。花は、最も美しく咲き誇ったその直後から枯れ始める。赤や黄色に色づく紅葉は、枯れて散り落ちる葉の最後の輝きである。まもなく滅び去っていくものであるがゆえに、その美しさの頂点を絵に残しておきたいと思う。 しかし、そうして描いた私の絵も、やがてみんなから忘れ去られてしまうときが来る。それこそ無常という世の習いから抜け出すことは出来ないのである。けれど、自然の摂理よりは長く、その姿を画面の中に留めておくことは出来るし、その絵を見て下さった方々と、イメージを共有できる気がする。描きしるす意味というのは、そういうことかもしれないと、絵を描きながら思うようになった。 この夏に感じた全ての美しいものを絵に出来たかというと、何とも心もとない限りだが、その何分の一かは記録に留めた気がする。さて、秋はどうだろうか。全部とはいかないだろうが、幾らかでも、心に残る美しい場面を作品に出来たらと願っている。 私の季節はそんなふうに絵とともに巡る。ある季節に描き切れなかったものは、また来年にと心に誓いながら、さながら輪廻のように時が巡る。去年描き切れなかった秋の美を求めて、また題材探しの旅に出よう。 「うしろすがたのしぐれてゆくか」(草木塔/種田山頭火) |
9月18日(火) 「白い背景」 |
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子供の頃に教えられたことというのは、意外と長く深く心に残っているものだ。そして無意識のうちに、物事の判断の基準になっていたりする。 私は小学生の頃、図工の先生から「白は色ではない」と教えられた。だから、画用紙に白い部分を残すなと指導された。 子供というのは絵を描くとき、どうしても対象物だけに執着して、他の部分は無頓着になる。例えば、花を描くとき、花だけ一生懸命に描いて色を塗り、余白はそのままで良しとしてしまう。今にして思えば、先生は「背景も絵の重要な部分だからきちんと描きなさい」ということを言いたかったのだろう。だが、あまり難しいことを言っても生徒は分かってくれないから、端的に「白は色ではないから、他の色を塗りなさい」と教えたのだと思う。 この教えはその後長く私の心に染み付くことになる。中学になっても、私は白い絵具をそのまま使うことはなかった。一番困ったのは、交通安全のポスター制作などで横断歩道を描くときだった。横断歩道は白いのだが、そのまま白絵具を塗るのがはばかられて、白に少量の黄色を加え、クリーム色を作ってから塗っていた。 白も画面の中で重要な役割を果たすということを知ったのは、有名な画家の絵について色々学ぶようになってからである。とりわけ、藤田嗣治の白の伝説を聞いてから、白という色についてあれこれ考えるようになった。「素晴らしき乳白色」は藤田嗣治のトレードマークである。彼が描く肌の白は、誰にも真似が出来ないと言われ、パリの人々を魅了した。白にも表情があるんだと、その話を読んで思った。それ以来、小学校の先生の教えから解き放たれた。 しかし、完全に白絵具の束縛から免れたのかというと、そうでもない。今でも花の絵を描くとき、白い背景というのは無意識のうちに避けている。本当は白い背景が似合う花もあるのだろうが、たいてい背景に色を付けてしまう。どうやら禁忌の根は意外と深いところにあるらしい。根の深い草を表面的に抜いても、地中深くに根の一部が残ってやがて芽が出てくるのと似ている。 同時に、白という色と向き合うと、その深さ、大きさに戸惑うことがある。同じような感慨を抱くのは黒だろうか。共に単純な色だが、それだけに扱いが難しい。あるいは、この扱いの難しさを避けるために、図工の先生は白を使うのを避けさせたのだろうか。今となっては確かめようもないが・・・。 |
9月26日(水) 「パソコン仕様の絵」 |
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長らくパソコンで絵を描いてきて、自分の題材の選び方、描写の仕方が、「パソコン仕様」になっていないだろうかと不安になるときがある。 例えば、水墨画には水墨画らしい題材があり、表現方法がある。長らく水墨画を描き続けていると、自分の絵が水墨画仕様になる。霧や雲に覆われた幽玄な山水風景を好んで描くようになる。逆に真夏のカンカン照りのハッキリした景色を題材に選ぶことはなかろう。自分の表現力を考えているうちに、題材の選び方、表現の仕方が如何にも水墨画らしくなるのである。 水彩画も同じであろう。色々な表現が出来るとはいえ、水彩に向く題材というものがある。上級者といえども色合いや表現方法に自ずと限界があるから、重厚な暗い画面は避けるようになり、明るい景色を好んで選ぶようになる。油絵、日本画にもそれぞれ特徴があるから、いい絵を描こうとすればするほど、得意分野の作品構成となりがちである。 人は環境に順応しやすい生き物である。昨日違和感があったことも今日には当たり前になったりする。パソコンで絵を描く場合も、目は画面を追いながら手はタブレットの上をさまよう不思議な感覚に、誰しも当初は面食らう。しかし、それもやがて慣れてきて、思ったとおりの線を引き色を塗れるようになる。絵を描くときの手と目が、パソコン仕様になるのである。 それと同じことが、題材の選び方や描写の仕方で起きていないのか、私は時々不安になるのである。パソコンで描きやすい題材を無意識のうちに選んでいないか、描画ソフトで容易にできる表現に知らず知らずの間に頼っていないか。逆に言えば、パソコンで描きにくいからと、避けている題材はないかということになる。 パソコンでの絵画制作では、描画ソフトがかなり万能なので、たいていどんな表現でも可能である。水彩調にも描ければ油絵調、日本画調、水墨画調と、何でも器用にこなすことが出来る。だが、使っていて、やはり得手不得手はあると思う。 どちらかというと、明るくハッキリした色の方が使いやすい。広い面に均一に色を塗るなんていうのは、パソコン絵画の最も得意とするところである。それこそ、マウスをワン・クリックするだけで瞬時に出来上がる。逆に、もやっとした表現は苦手である。霧に霞む風景は、意外とパソコンでは描きにくい。その特徴からいって、絵画というよりイラストや商業デザインなどに向いている。であるがゆえに、知らず知らずのうちに、選ぶ題材、使う表現にドライブがかかるおそれがある。 私も題材になりそうな景色や素材を見ていて、「これは描きにくそうだな」と思うことがしばしばある。暫く考えあぐねた末に描き始めて、やはり行き詰ったりする。ただ、そういうときでも、諦めずに色々試す姿勢は重要である。一旦苦手意識を作ってしまうと、その題材は避けるようになる。描きたいのに、無意識のうちに選択肢から外してしまう。いわば不戦敗である。 やはり、果敢に挑もうとするチャレンジング精神を捨てないということが重要なのだろう。パソコンで長らく描いて来て、得意な題材、得意な表現が増えて来るほど、そうした姿勢は大切な気がする。 「初心忘るるべからず」(風姿花伝/世阿弥) |
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