パソコン絵画徒然草

== 10月に徒然なるまま考えたこと ==





10月 4日(金) 「風景画はどこから来たのか」

 海外の美術館と日本の美術館とを見比べると、海外の美術館の一角を占領しているのに、日本の美術館では殆ど見かけない一群の絵がある。18世紀以前の絵画である。

 18世紀以前の絵画は、ジャンルとしては宗教画、歴史画、肖像画であり、自然の美を主題にした風景画はまず見かけない。たまに風景画かなと思う作品もあるが、そこに描かれている建物が歴史的遺物だったり、人物が有名人だったりして、メイン・テーマは風景でないことに気付かされる。稀に見る自然を題材にした作品も、歴史画を描くための、背景部分の習作だったりする。

 西洋画の世界では、自然の美を主題にした風景画というのは、長らく認められなかったらしい。名著とされた「遠近法提要・風景画論」という書物がピエール・アンリ・ド・ヴァランシェンヌによってフランスで出版されたのは、19世紀の始まり、まさに1800年のことである。ヴァランシェンヌは、当時の美術界主流派の論客であり画家でもあった人物で、フランス美術界への影響力は大きかった。しかし、この本の中でヴァランシェンヌは、歴史画の背景として風景をどう描くかを論じているに過ぎず、風景画を独立した絵画ジャンルだと認めていたわけではない。今から考えると何だか驚くべきことであるが、それが国立美術学校出身者を核とする主流派の共通認識だったらしい。

 そのヴァランシェンヌの優秀な弟子で、国立美術学校をトップ・クラスの成績で卒業しイタリアへ国費留学したのがアシル・エトナ・ミシャロンである。彼は、ヴァランシェンヌに学びながらも、風景画に傾倒していくのだが、惜しいことに僅か26歳で夭逝してしまう。20台後半にして既にその豊かな才能ゆえ名を知られていたミシャロンの下に、まさに最晩年、同じ年齢の一人の若者が入門して来る。

 従順な性格のその若者は、パリに住む洋服屋の息子であり、本来は父の希望に応えて家業を継ぐ予定であった。しかし、絵への思いは断ちがたく、26歳になって漸くミシャロンの門を叩く。美術学校に縁がなく、スタートが20台後半という、およそ職業画家の本流から外れていたこの若者は、入門と同時に先生であるミシャロンを失ってしまう。

 彼はその後、他の画家の門を一時的に叩いたりするのだが、やがて自然との対話を大切にし、自然の美しさを詩情豊かに再現する風景画の世界を作り出していく。あるときはフォンテーヌブローの森を訪れ、あるときはパリやルーアンの街角にたたずみ、自然のあるがままを見つめ、それを自分なりの解釈で絵にした。生涯を通じて風景画を描き続けたこの画家の作品は、今では多くの人々に愛されている。

 彼の名は、ジャン・バティスト・カミーユ・コロー。我々は、彼が描いた美しい風景画を今でもルーブル美術館をはじめとする世界の有名美術館で見ることが出来る。ヴァランシェンヌは、自分の孫弟子から、風景画という全く新しいジャンルの画家が絵画史に名を残すことを想像出来たであろうか。

 私は、何世紀にもわたり風景画を絵と認めなかったフランスの美術界のこと、傍流としての遅いスタートながら風景との対話を忘れなかったコローのこと、その他風景画というジャンルが生まれて来た不思議な巡り合わせについて、時々思うことがある。私が描く風景画というものが、フランスでつい200年前までは当たり前の絵でなかったことを、どう考えればよいのであろうか。絵画の歴史をひも解くと、不思議な思いに駆られることが多い。

 今の美術界の常識も、200年後に本当に常識なのであろうか。




10月 7日(月) 「宴のあと」

 日本は、西洋画については「遅れてやって来たコレクター」であるから、有名画家の作品のコレクションとなると、欧米に比べて見劣りする。画集に出て来るような有名な絵は、日本の美術館では中々見られない。希少価値があるがゆえ、小品であってもゴッホやモネというと、皆感心して美術館で鑑賞しておられる。しかし、実は、結構な名品が沢山眠っている場所が日本にあるという。どこか?絵画専門の保管倉庫である。して、その作品の由来は、というと、バブルの頃に日本人が高値で購入して新たな借金の担保に差し出した名作絵画のなれの果て、だそうである。俗な言葉で言うと、銀行が抱える不良債権の担保、ということである。

 バブルというのは、行き場を失った投機資金が、値があってないような希少資産に爆発的に向かうという過程をたどる。日本の場合は、土地神話に支えられてまず土地に向かい、ほぼ同時に株に行ったが、そういうものが値上がりを始めて妙味が失せると、今度はゴルフ会員権だの海外の不動産だのに向かっていった。投機資金でそうした資産を買って思惑通り値上がりすると、それを担保に新たに借金して、新しい値上がり候補資産に金が向かう。際限のない投機ゲームが始まるのである。

 投機資金に狙われる資産の共通項は、数に限りがあって再生産がきかず、値段が思惑で自在に動く資産である。歴史をひも解くと、17世紀のオランダのバブルでは、遠くペルシャから渡ってきたチューリップの球根に膨大な資金が流れ込み、家よりも高い値の球根が登場した。要するに、条件に合えば何だっていいわけで、先に目をつけて安いうちに大量に買った者が濡れ手に粟で儲けられる。そして、こういう条件に合ったものの1つが、有名画家達の絵だったわけである。言われてみれば、バブルの頃、海外の有名オークション会場を席巻していた日本人バイヤーの話題は、日本にも伝わっていた。

 しかし、いつまでも膨らみ続けるシャボン玉がないのと同じで、バブルというのはいつかはじける。歴史上、はじけなかったバブルはない。逆に言うと、はじけたからバブルと呼ばれているのかもしれない(笑)。かくして投機は失敗に終わり、借金は返せなくなる。バブル時の時価で担保に差し出した土地や絵画は、宴が終わり元の常識的な値段に下がると、借金を弁済するにはとても足りない。金を借りた人間は仕方なくギブ・アップして破産宣告し、貸し手の銀行は担保を差し押さえた。ただ、誰しもいつかは少し値が戻るのではないかという淡い夢を捨て切れない。土地も絵画も少し相場が落ち着いて値が上がるまで、処分を待とうと銀行は考える。かくして、担保の土地は駐車場に、絵画は保管倉庫へということになった。

 私は、不良債権問題が新聞やテレビで話題になるたびに、保管倉庫に眠る名画に思いを馳せる。様々な悲劇を生み出しながら今日まで引きずられて来た不良債権問題が、こんな形で絵の世界に影を落としていることに、どれほどの人達が気付いているのだろう。そして、そうした作品が保管倉庫から出所して、再び世間の日の目を見るのはいつのことなのだろうか。




10月 9日(水) 「キンモクセイのこと、桂林のこと」

 この頃、外を歩いているとふいに芳しい香りが漂うのに気付く。キンモクセイである。この香りをかぐと、私は遠い昔に行った中国の桂林のことを思い出す。今から10年位前のこと、突然中国に出張してくれと頼まれた。指定された会議の場所が、北京ではなく桂林だった。

 そもそも桂林のことを知ったのは、私が大学生の頃のことで、当時水墨画をやっていた私は、山水画に登場するタケノコのような山がそびえる場所が中国にあると雑誌で知って、仰天したことを覚えている。山水画というのは、てっきりデフォルメされた空想の世界だと、それまでは思っていた。

 桂林の空港には丁度夕刻に着陸したのだが、飛行機の窓から見える光景に度肝を抜かれた。夕暮れの一面金色の世界に、やや靄のかかったタケノコのような山が無数に林立していた。私は今まで息を呑むような美しい光景に何度か出会ったことがあるが、想像をはるかに越えた異次元の風景という意味で、桂林は並ぶものがないほどの威容だった。

 桂林に降り立って、もう一つ驚いたことがあった。6月だったが、とんでもなく蒸し暑いのである。日本の梅雨の比ではない。私は山水画のイメージが先行して、仙人が住まうような地だと思っていたから、てっきりもっと涼しい高山性の気候だと勝手に想像していた。それが完全に間違いだったわけで、しかも激しいスコールが降る。これでは熱帯の国と変わらない。

 もう一つ驚いたのは、桂林の「桂」である。私はてっきり桂の木が沢山生えているから桂林と言うのだと思っていたのだが、私の世話をしてくれた中国人に雑談の際その話をしたら、桂とは日本でいうキンモクセイのことで、この辺りに沢山自生しているんです、と言う。更に、そのキンモクセイの花を使った「桂花珍酒」というお酒があって、桂林の名物ですとも言う。私は一切酒を飲まないのだが、まぁ話のタネにといって、早速晩御飯のときに出してくれた。キンモクセイのものすごくいい香りがする酒で、飲まなくても香りをかぐだけで充分楽しめた。

 会議中はホテルで缶詰め状態だったが、ある日中国側が外国からの参加者に気を使って、昼飯時「漓江(リージャン)下り」に誘ってくれた。「漓江」はタケノコの山の中を縫うように流れる大河で、ここを厨房付きの小型遊覧船で下りながら現地料理を食べるというものである。船上で私は山水画の秘密を一つ知った。あるタケノコ山の中腹から凄い水量の滝が流れている。私はビックリして案内の人に、あの水源はどこにあるのか?と訊いた。案内人はこともなげに「いや、もうすぐ水が尽きてあの滝も止みますよ」と言う。聞けばタケノコ山の中はスカスカの構造になっており、スコールが降ると、それが内部の空洞を伝って落ちて来て、山の中腹の裂け目から噴き出すと言う。スコールで降った分の水が全て出切ると滝は止まる。山水画に描かれる、山の中腹から流れ落ちる幽玄な滝は、実は臨時に出来る滝だったのである。

 桂林の蒸し暑さといい、臨時に出来る滝といい、私が山水画で見て想像していたのとは全く違う現実を目の当たりにして、絵が作り出すイメージがどれほど人の心に強い先入観を植え付けるかを実感した思いがした。私の絵も、「取材した場所と描かれたイメージが全く異なる」と舞台裏をよく知る人から驚かれるが、山水画のイメージもその類であろう。私は、そんな桂林の実態を知らずに、学生時代に一生懸命想像を働かせて山水画を描いた。逆に、桂林から帰って来てからは、1枚の山水画も描いたことがない。別に描かないと決めたわけではないが、山水画の故郷のイメージが完全に変わってしまったことも影響しているように思う。

 毎年秋になってキンモクセイの香りをかぐと、そんな古い話を思い出す。そして、いつかもう一度、キンモクセイの香りが漂う頃に桂林に行ってみたい気がする。




10月15日(火) 「ガラス絵とパソコン絵画」

 「ガラス絵」というのをご存知だろうか。普通の透明板ガラスの片面に絵具を塗って絵を描き、反対側からガラスを通して絵を見るものだが、実際にやっている人があまりいないせいか、中々現物を見かける機会がない。私が初めてガラス絵を見たのは、大学生の頃のことである。実はそれ以来、全く見かけなかったのだが、今年になって小学生の美術作品展にたまたま足を運び、そこでガラス絵を見つけた。

 私自身は描いたことがないのだが、ガラス絵の描き方を聞くとコツがいりそうである。ガラスの内側から絵具を塗って、その反対からガラス越しに絵を見る、ということは、完成後に鑑賞者は左右逆に絵を見ることになる。それを念頭に絵具を塗っていかなければならない。また、普通の絵画とは逆に、一番手前にあるものから色を塗っていくことになる。ここまで聞いて、あるものとの共通点を思い浮かべた方はおられないだろうか。多少の違いはあるが、基本的仕組みはアニメのセル原画と同じである。

 ガラス絵の美しさは、図録や写真で見てもよく分からない。実物に接して初めて、その透明で不思議な塗りを実感出来るように思う。ポイントは、ガラスの透明感と絵具の均一な塗りにあるのだが、これは仕組みが同じセル原画にも通ずることであり、つまりアニメとも共通するものがある。肉筆画の場合、油絵にせよ、水彩画にせよ、日本画にせよ、絵具と紙・キャンバスとが一体となってかもし出される塗りの質感がある。絵具の濃淡や厚み、筆の質感、紙・キャンバスの表面材質感が合わさって、塗りの味わいが出る。ところが、ガラス絵では、絵具はガラス面に均質に塗られるため、ガラス越しに見た色塗り面は、紙やキャンバスの上に絵具を塗ったのとは全く異なった、フラットで一本調子の質感になる。アニメのセル原画も仕組みが同じなので、タッチはこれと似ている。

 ここまでなら、パソコン絵画とは関係ないのだが、私がガラス絵のことを思い出した後に気付いたのは、このガラス絵とパソコンでの色塗りとが似ているのである。私のパソコン絵画では、透明度を変えて色を重ねたり、ぼかしたり、滲ませたりと、色々加工して使っているので、色が均一にのっぺりと塗られていないのだが、例えば、Windows付属の描画ソフト「ペイント」などを使ってパソコン画面で色を塗ると、ガラス面に均一に絵具を塗ったようにフラットで濃淡のない塗り面が出来上がる。モニター画面は表面がガラスだから、何となく光沢のあるツルッとした感じが、ガラス絵と同じである。パソコンでアニメ系の絵を描いておられる方が多いが、これもガラス絵と似たアニメのセル原画の塗りと、パソコンでの塗りと、表現力という点で共通項が多いせいではないか、と私は勝手に思うようになった。

 そこで私が最近考えているのは、ガラス絵的な表現のパソコン絵画というのがあり得るのではないか、ということである。従来の考え方では、パソコンの色塗りはのっぺりとフラットで味わいがない、と思われがちだが、これを逆手にとって、ガラス絵をお手本に画面作りを研究してみると、新しい絵が出来るような気がするのである。私は未だ実際には着手していないのだが、興味ある方はチャレンジされたらどうか。先駆者がいるようには思えないので、きっと新しい分野の開拓者になれる。それだけでも面白いと思う。ちなみにこのガラス絵、歴史は古く、ヨーロッパでは17〜18世紀頃から本格的に描かれたようだ。それが、江戸時代に日本にも伝わって長崎辺りで描かれ出した。日本での呼び名は「ビードロ絵」と言ったらしい。何とも情緒のある呼び名である。




10月19日(土) 「夕焼けの絵」

 「秋の日は釣瓶落とし」と言われ、日が暮れるのが早い。と同時に、清少納言の枕草子に「秋は夕暮れ」と書かれているように、夕焼けがきれいになる季節でもある。夕焼けの空というのは、何度見ても美しい。生まれてこの方、一体何回夕焼けを見たのか数え切れないが、何度見ても見飽きることがない。

 きれいな夕焼けというと、フィリピンのマニラ湾の夕焼けがまず頭に思い浮かぶ。ここは夕焼けの名所として名高いらしく、わざわざ夕焼けを見に来るマニラ市民も多いらしい。その話を聞いて、夕焼けを見にわざわざ集まるというのは、なんて心豊かな人達だろうと感心した。日本人は、そんな心の余裕をとっくに失っている。日本とフィリピン、経済的豊かさと心の豊かさ。少々考えさせられた。

 私も心の豊かさを取り戻そうと、マニラ滞在中にわざわざ夕焼けを見に出掛けた。私がマニラ湾でまず感じたのは、とにかく空が広いのである。その広い空一杯に夕焼け雲が漂い、それが日の傾きにあわせて刻一刻と色を変化させていく。巨大なキャンバスに描かれた雲の絵のようで、いつまでも見飽きることのない光景であった。

 もう1つ、米国のグランド・キャニオンでの夕焼けも壮大だった。夕焼けのきれいに見えるポイントが幾つかあって、宿泊客のために夕焼けの時間に合わせてバスが運行される。宿泊客はバスに乗って各ポイントに集まるのだが、これがすごい人数なのである。

 グランド・キャニオンの夕焼けの見どころは、やはり夕日を浴びて刻々と色を変える渓谷の岩肌である。夕焼け空も勿論美しい。しかし、茶色から深い赤、紫へと色を変えていく峡谷の景観は、他では見られない壮大なショーである。最初はおしゃべりでザワザワしていた人達は、やがて口をつぐみ、沈む夕日が演出する渓谷の色の変化を食い入るように見つめる。まるで魔法にでもかけられたような静寂が辺りを包む。そして、最後に日が地平線に沈むと、人々を現実に連れ戻すように、背後で待っていたバスがエンジンをかけるのである。

 夕焼けが不思議なのは、どこで見ても美しいという点である。マニラ湾やグランド・キャニオンの夕焼けは格別だが、東京都心部の雑然とした街並みを背景にしてさえ、夕焼けは美しい。夕暮れ時に外を歩いていて、ふと夕焼けに気付くと、そのまま暫し立ち止まって見入ることもある。それが電信柱や電線に囲まれた夕焼けであっても、である。

 夕焼けが何故こんなにも人々を魅了するのか、私には分からない。単に美しいという以上の意味合いを、夕焼けは持っているようにも思う。私の場合、夕焼けに対して感じるものの1つに、ある種の懐かしさがある。腕時計を持たなかった子供時代、夕焼けが戸外での遊びが終わる合図であった。長い影を引きながら、友達と家路を急いだ記憶がある。そんな何気ない日常生活の思い出の一コマが、夕焼けを見ていてふと思い出されたりする。夕焼けは時間の壁を超えて、見る人の心に様々なものを呼び起こす。

 ただ、夕焼けにまつわる思いは、人それぞれかもしれない。私が思い起こす懐かしさ以外のものを、他の方々は夕焼けに感じているのかもしれない。従って、夕焼けを描いた絵に対する感慨も、これまた人さまざまであろう。

 私は、夕焼けの絵が好きである。自分なりの思いを込めて、これまで何枚も夕焼けの絵を描いて来た。私がその絵に込めた思いとは別のことを感じる方もおられるかもしれないが、私はそれでも構わない。それぞれに何かを感じ、何かを思い起こして下されば、それで充分である。夕焼けとは、そういうものだと思う。




10月23日(水) 「無為に過ごす時間」

 大学を卒業し社会人になって暫くたつと、時間の貴重さを思い知らされる。いきおい、自分が持てる時間を点検し、重要なものに順番に割り当てていくようになる。時間を無駄にすることは、お金を無駄にすることと同等だと気付かされ、無為に時間を過ごすことに罪悪感さえ覚えたりする。そして、大学時代のおのが時間の使い方をかえりみて、後悔するのである。

 しかし、時間の無駄をいましめる生活を始めると、今度は逆のことに気付くようになる。「無為に過ごす時間」がなくなると、ストレスが増すということである。子供があまりストレスを感じないのは、この「無為に過ごす時間」の長さが1つのカギではないかと思う。よく大人が「童心に返って○○をした」と言うが、実際やったことは、大人にとって重要なことではない。子供と一緒になってザリガニ釣りをする、砂場でトンネル作りに興じる、みんな、大人の日常生活にとって意味のないことである。仕事の役に立つわけでも、家事の助けになるわけでも、知識の形成に役立つわけでもない。「親が一緒になってやることでスキンシップになる」と言う人もいるが、それは、「時間は有意義に使わなければならない」という大人の強迫観念が作り出した言い訳かもしれない。何故なら、当の大人は教育的見地から冷静にやっているのではなく、文字通り「童心に返って」本気でやっているわけで、実際には、大人の側が癒されているのである。

 私はそんなことに気付いてから、生活の中に「無為に過ごす時間」を作るよう心掛けている。つまり、実生活上何の役にも立たないことをして、無駄に時間を過ごすのである。しかし、いざとなると、時間がもったいないように思えて、どこからか罪悪感が頭をもたげる。そこで、取りあえず私は、自分の趣味から、立派な意義や実益といった価値観を追い出すことにした。実は、こうして描いているパソコン絵画も、私にとって「無為に過ごす時間」のつもりでやっている。

 絵を描くという趣味は厄介なもので、芸術の追求といった高邁な意義や、額に入れるとインテリアになるという実益と、背中合わせの関係にある。だから、よくよく気を付けていないと、そちらに引きずられてしまう。例えば、目の前に転がっているダイコンの造形の妙に惹かれて、絵にしてみたいな、と思ったとしよう。しかし、片方で「いや、スーパーから買って来たダイコン描いて、それが芸術か?」とか「ダイコン描いても額に入れて飾れないよなぁ」という疑念がムクムクと湧き出すおそれがある。仮にそういう疑念にとらわれて、芸術的なもの、部屋に飾って見栄えがいいものを描こうと思い直しダイコンの絵を諦めると、それ以降、本当に描きたいものより、意義と実益に縛られて選んだ見栄えのいい主題の方を選びかねない。しかし、自己催眠をかけたように取りあえず納得したつもりでも、そういう主題の選び方をしていては、本当の意味で心は癒されない。結局、心に対して無理をして、いつか続かなくなるのである。

 以前、淡彩でカニを描いたことがあった。このとき、田舎から送られて来たカニを私が絵の題材にしようとすると、家人から「本当にそれ描くつもりなの」という驚きの声が上がった。意味するところは、「そんなもの描いてどうするの」ということだが、別にどうもしない。ただ描きたいから描く。それだけである。趣味とはそういうものだと思っている。何の意味もないこと、何の役にも立たないことでも、心が望んでいればやる。やることに意義があるのであって、やった結果に意義は求めない。だから、人から勧められても、意に添わないものは描かない。夏になったからといって、条件反射的にアサガオやひまわりは描かない。それを自分の目で見て美しいと感じたときに、初めて題材として選ぶ。「所詮、無為を標榜しているのだから、心の赴くままに好きに描こう」といつも肝に銘じている。

 私達はいつの間にか、自分の時間や生き方に意義や重要性の点数を付けて管理するようになった。そして、いつも自分の過ごしている時間、やっていることを、点数表とにらめっこして満足したり反省したりしている。しかし、社会の在り方や、各人の生き方そのものが問われている時代、そんな昔ながらの点数表とにらめっこするのは止めて、「無為に過ごす時間」の価値を見つめ直してはどうだろうか。




10月25日(金) 「戸外で描く」

 外を歩くにはいい季節になって、休みの日など公園に散歩に行ったり、何かの用で出掛けた先でちょっと足を伸ばしたりする機会が多くなった。私は絵を描くせいか、こういうときに戸外で絵画制作に精を出しておられる方の姿に目が行く。あまり若い人は見かけず、年配の方々が、ときとしてグループでスケッチブックを広げたり、イーゼルを立て掛けたりしておられる。秋の柔らかな日を浴びながら、草の匂いを嗅ぎ、風を頬に受けながら絵を描くのは、さぞかし気持ちのいいものだろう。

 私は、家族連れで外出することが多いので、もうスケッチブックを開く機会は殆どないのだが、昔、スケッチブック片手に野外に写生に行ったときのことが思い出される。野外スケッチをすると色々発見がある。絵に描く気になって景色を眺めると、今まで気付かなかったような自然の有り様を発見出来る。健康な葉だけがきれいに並んでいるような木などないこと、自然な枝振りとはどういうものか、草むらではどんな形の草がどう生えているのか、などなど。そんな何気ないことを知っているかどうかが、絵を描く上で決定的に重要なことを、私は写生から学んだ。

 風景画を戸外で描くことを本格的に始めたのは、印象派の画家達からだという説がある。それまでは、風景画といえども室内のアトリエで描かれていた。今でも日本画は、その画材の制約上屋内で本制作が行われるが、油絵も昔はそうだったのである。最初にイ−ゼルと画材一式を持って戸外に出掛けて行った印象派の画家達は大変だったろうなと思う。元々屋内のアトリエに置くことを考えて作られた画材を抱え、野外に出るのである。売れない画家の卵だった彼らには、手伝ってくれる弟子がいるわけでも、運搬用の車があるわけでもない。今に伝わる話は少ないが、きっと色々失敗談もあったに違いない。

 それに比べて今では、戸外で絵が描けるように、色々工夫された画材が売られている。絵具箱とイーゼルをうまく組み合わせられるものとか、持ち運びに便利なコンパクトな画材セットとか、画材店で見ているだけで楽しくなるものが多い。水彩画の旅行用セットなどは、道具それ自体が芸術的で、見ていると夢が湧いて来る気がする。

 実は、パソコンで描く絵は、こうした点で非常に遅れをとっている。戸外で描くことが出来ないのである。勿論、ノートパソコンにタブレットをつないで持ち出せば、バッテリーの続く限り描き続けられるだろうが、手元が安定しないし、日の光を浴びるとクリアーに液晶画面が見られず、現実的ではない。電子手帳などの携帯情報端末(PDA)で、絵を描くソフトを載せられるものがあるようだが、今のところ画面が小さく本格的に描くのには向かないと思う。

 もしかして将来、屋外にも旅行先にも持ち出せる、パソコン絵画の道具が売り出されることがあるのだろうか。戸外に出かけて森の片隅に腰を掛け、草の匂いを嗅ぎながら電子スケッチブックを開き、日の移ろいを感じながら入力ペンを走らせる、なんてことを一度はやってみたい気もする。まぁ、パソコン絵画を戸外で描くというのは、当分の間、夢のまた夢でしかないのだろうが…。




10月29日(火) 「チュートリアル」

 「休日画廊」の「パソコン絵画のすすめ」コーナーには、実際の作画例(いわゆるチュートリアル)を載せていない。実のところ、パソコン絵画の作画例は、使う描画ソフトによって操作方法や機能がまちまちなので、汎用性がないという問題点がある。例えば、私が絵を描いていく過程を載せたとしても、私と同じ「Paint Shop Pro」を使っておられる方にはソフトの操作方法を理解するうえで何がしかの参考になるかもしれないが、別のソフトを使っておられる人にとっては、さしたる役に立たないだろう。「休日画廊」は、「Paint Shop Pro」ユーザーのためのホームページとして開設したわけではないので、特定のソフトに偏った解説を載せるのは少々気が引ける。それに、ソフトごとの操作方法やチュートリアルは、それこそインターネット上に溢れかえっており、今さら私が他にないような付加価値を付け加えられるとも思えない。

 そもそもチュートリアルは、ソフトの機能を理解するためにあるのか、上手な絵の描き方を学ぶためにあるのか、どちらなのだろうか。

 前者であれば、ソフトのマニュアルや市販の解説本が親切な内容である限り、わざわざ個人がホームページで解説せずとも利用者には充分な手当てがなされていることになる。要は、各人が面倒臭がらずにそれらを読んでいるか否かの問題である。勿論、特定の機能を使った珍しい描き方や、ある部分について深く掘り下げて書いた解説などは、マニュアルや解説本を補完するものとして役立つのだろうが、一般的な解説なら、プロが作ったマニュアルや解説本の内容を大きく超えるものを個人が作るのは、中々難しいのではないか。

 仮に後者、つまり森の描き方や川面の表現方法を学びたいということなら、これは個別の描画ソフトの操作方法というより、絵画表現そのものの話になる。その場合、チュートリアルが一体どれだけ役に立つのか、私には疑問がある。例えば、自然な感じの木の枝の描き方を学びたいとしよう。そのために、木の枝を描いていく過程が実例で示されているチュートリアルがあったとしても、それを克明に見て描き方を覚えれば、自然な感じで木の枝を描けるようになるのだろうか。私は、どうもそうではないような気がする。それは例えば、車の運転と同じではないかと思う。ドライビング・テクニックに関する本は沢山あるが、それを読んだら明日からプロ並みの運転が出来るかというと、そんなことはない。

 自然な感じで木の枝を描きたければ、まず木の枝をしげしげと自分の目で見なければならない。枝はどう生えているのか、曲がり具合に法則性はあるのか、表面の材質感はどうか、などなど。そして次に、自分なりに描いてみる。勿論、最初はうまく描けない。もう一度、手直ししてみる。少し良くなる。しかし、未だ自然な感じにならない。ヒントを得るため、有名画家の絵など見て先達の表現方法を探る。そして、そうしたヒント探しの一環として見るのが、チュートリアルではないかと私は考えている。しかも、そのチュートリアルからヒントが得られるか否かは分からないのである。

 私はチュートリアルに多くを期待していない。また、初心者向けの魔法のガイドブックとも思っていない。むしろ、初心者がそうしたものに過大な期待を抱くと、思うように上達しない自分の描写力に失望するケースが多くなるのではないかと危惧している。残念ながら、絵画の世界に安直な汎用マニュアルはない。マニュアルは、各人が実際描いてみて、失敗を繰り返しながら自分で作っていくしかない。世の中に沢山あるチュートリアルは、そうして各人が作った個人用マニュアルなのだと思う。あなたのマニュアルは、結局あなた自身がコツコツと作っていくしかないのである。




目次ページに戻る 先頭ページに戻る


(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.