パソコン絵画徒然草
== 10月に徒然なるまま考えたこと ==
10月 1日(水) 「月の夜に思う」 |
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また再び、月の美しい季節が巡って来た。私にとって、月は昔から不思議な存在である。 月ではうさぎが餅つきをしているという話を、幼い頃に聞いた覚えがある。確かに、月の不思議な陰影は太陽にはないもので、何がしかの形をそこに見たくなる。洋の東西を問わず、様々なものの姿を昔の人は描いていたようである。 しかし、私が小学生になると、米国のアポロ11号が月に着陸して、そこが実際にはどんなに無味乾燥な世界か、日本国中の人が生々しい中継映像で見てしまった。私は当時9歳だったはずだが、あの闇の中に浮かび上がった異世界の光景を、はっきりと覚えている。それは強烈な映像だった。そして、持ち帰られた月の石を一目見ようと、大阪の万国博覧会では、アメリカの展示館に長蛇の列が出来た。確か3時間待ちとか言われ、とても待っていられないと私は諦めた記憶がある。しかし、我慢して並んで見たという友達もいて、子供心にうらやましかったことを覚えている。 当時は、月といえば最先端科学の対象であり、白いサターンV型ロケットや、複雑な形をした月着陸船に子供達は魅了された。人類が初めて降り立った「静かの海」という月の地名も、不思議な響きがして、人々の記憶に残った。私が、「NASA」という米国の航空宇宙局の略称を覚えたのも、この頃だった。そういうブームの中で「月でうさぎが云々」といった夢のようなイメージは、どこかに消し飛んでしまった。 そんな熱狂的なアポロ熱も、やがて少しずつ冷めていき、アポロ11号のアームストロング船長も、まだ見ぬ月の石も、記憶の片隅に追いやられてしまった。いつの間にか宇宙計画は、火星に向いたり、宇宙ステーションに行ったりと、月から徐々に離れ始めた。そのせいか、月は再び昔のように魅力的に空に輝き始め、高校になって古文の授業が始まると、「夏はよる.月の比はさら也」という清少納言の枕草子の一節が、妙に心に響いたりするようになった。 私が、月を主題に絵を描くようになったのは、大学生になって日本画を始めてからである。その頃には、アポロ計画も遠い昔の記憶のひとコマに過ぎず、月というと、むしろ李白の有名な漢詩「静夜思」を思い出すようになっていた。「頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を思う」という、あれである。 そんなふうに、「静かの海」の光景が記憶から消えかかった頃、初めて米国に行った。ワシントンで「航空宇宙博物館」を覗くと、展示室の片隅で見学者達が何やら小さな黒い石を触っている。後ろから覗き込むと、これが何と、アポロが持ち帰った月の石だった。私もそっと、その黒い石に触った。沢山の人に触られたせいか、表面がつるつるしている。子供の頃、大阪の万国博覧会で3時間待ちと言われて諦めた月の石に、待ち時間なしで、しかも見るだけでなく直に手で触れることになるとは、思ってもみなかった。そのつるつるした感触を楽しみながら、私は再び、月面に初めて人類が降り立ったときの、あの荒涼とした風景を思い出した。 私にとって月というのは、今でも捉えどころのない不思議な存在である。夜空に柔らかく輝き、時として吸い込まれるような錯覚を覚える月の光を見ていると、かつてアポロ11号のカメラが映し出した、荒涼とした「死の世界」がそこに広がっているとは、到底思えない。月の絵を描こうとするとき、私は「静かの海」の闇の世界を暫し忘れ、清少納言と同じ気持ちで絵と向き合う。私にとって、月の真実の姿はどちらなのだろうか。あるいは、どちらもが本物であり、その相反する二面性が、月の妖しい魅力につながっているのかもしれない。 「これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」(人類史上初めて月面に立った、アポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉) |
10月 9日(木) 「逃げ水」 |
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よく晴れた日、アスファルトの道路の向こうが、水に濡れたようにゆらめいて見えることがある。近付くと消えて、更に向こうにゆらめきは逃げる。アスファルトが太陽光線で熱せられて空気の密度が不均一になり、光が不規則に屈折することによって、あの地面付近のゆらめきが見える。陽炎という人もいれば、逃げ水という言い方もある。あるいは地鏡という呼び名もあるようである。 私は絵を描いていて、時々この逃げ水のことを思い出す。絵画制作というのは不思議なもので、あるときは、心に描いた通りにスラスラと描けるかと思えば、同じようなつもりで取り組んでいるのに、どうしても思った通りに描けないことがある。一度うまく描けると、これでこの種の絵はマスターしたと思い込んでしまうのだが、次回もその通りに描けるとは限らない。そんなとき、私は逃げ水のことを思い出す。習字と違って絵に段位はないが、あるときは2段と認定されたのに、次回は2級に落ちてしまった、という感じで、自己嫌悪に陥ることがある。 芥川龍之介の「侏儒の言葉」に、「地獄」と題した、こういう一節がある。 「人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。」 芥川の描写する人生の有様は、そのまま私の絵画制作にも当てはまる。しかし、私が遭遇する、あるときは悪戦苦闘しながら描けず、またあるときは易々と思い通りに描けるという状況は、「地獄よりも地獄的」と言えなくもないが、むしろ絵画制作の奥深さの表れなのかもしれないと、私は思う。絵の対象となるものの本質を紙やキャンバスに正確に描き出すことは、容易なことではない。あるときは簡単に描き出せるのに、次のときには七転八倒してもうまくいかないというのは、絵の対象が持つ本質的な美がワンパターンの手法では表し切れないことを、絵の神様が教えてくれているのではないか。 ただ、疑問に思うのは、スッと簡単に描けるときは、何故あんなにもうまく行くのだろうか。そのときだけたまたま腕前が上がっているということはないのだから、絵の対象と向き合うときの心構え、ないし精神状態と関係しているのかもしれない。私の場合、対象への感情移入が深いときほど、スラスラと描けるような気もする。しかし、本当にそうなのかどうか、自信はない。 絵を描き始めてからもう随分と経つが、今でも逃げ水を追う日々である。いや、これからもずっと、追いかけっこをし続ける気がする。ひょっとすると、それが、いつまで経っても絵を描くのをやめられぬ理由かもしれない。 |
10月15日(水) 「秋の虫の声」 |
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今年は異常気候なのか、夏のうちから少々肌寒く感じる日が続き、秋が来ても季節の変わり目がはっきりとは感じられなかった。ただ、気温で明瞭な違いはなくとも、それらしく秋を感じられるものはあった。例えば、空の色や雲の形が、夏空と明らかに違って来た。もう一つ挙げれば、虫の声だろうか。 昼間には姿が見えなかったが、辺りが宵闇に包まれる頃、草むらで虫が鳴き始める。僅かの草むらでも虫はいつくようで、様々な鳴き声を耳にする。秋の夜長に聴く虫の声は、多少の哀愁を帯びていて、格別のものがある。 近頃はどうなのか知らないが、私の子供時代には、方々の家で夏場、鈴虫を飼っていた。うまく飼育すれば、卵から幼虫が孵り、翌年も鳴き声を聴くことが出来る。8月に入ってから鳴き始めていたような記憶があるが、晩夏の夕暮れに鈴虫が鳴き始めると、夏の終わりを惜しんでいるようで、中々情緒があった。 ところで、学生の頃に聞いた話だが、秋の虫の鳴き声を美しいと感じながら聴き入る文化は、世界では大層珍しいらしい。確かに西洋文化にはそんな習慣はなかったと思う。私は米国に住んでいた時期があるが、周りのアメリカ人達からその類の話を聞いたことがない。そのせいか、秋に鳴く虫の名前も、英語ではあまり使い分けられていないように思う。 こおろぎは、「ピノキオ」にも登場するせいか比較的有名で、「クリケット(cricket)」と固有の名前がある。あと、バッタ類では、作物に害をなすいなごが「ローカスト(locust)」という名前を付けられているくらいで、残りは押し並べて、バッタ一般を指す「グラスホッパー(grasshopper)」の名で呼ぶか、こおろぎの一種と片づけられているような気がする。これが日本だと、こおろぎの他に、鈴虫、松虫、かねたたきなど、様々な名前で呼び分けられており、虫の音を愛してきた日本人の感受性の豊かさが、そこはかとなく感じられる。そう言えば、どんな鳴き声なのかよく知らないが、「邯鄲(かんたん)」という名の虫もいた。「邯鄲の夢」で有名な中国の都市と同じ名前なので、最初は同じものかと混乱した覚えがある。 ところで、虫の鳴き声に関する感じ方の違いと似た話は、絵の世界でもあるのだろうか。私は確たる答を持ち合わせていないが、もし美術に対する感じ方に、東洋と西洋で決定的な違いがあるとして、それにお互いが気付いていないとすれば、知らない間に、それぞれの美術作品に対する誤解が生じている可能性がある。日本の伝統美術に込められた日本人の感性が、我々が思っているのとは違う形で西洋で理解され、賞賛されている可能性すらある。またその逆に、我々が西洋美術を見て覚える感銘とは違う感動を、西洋の人が持っているのだとすれば、我々は作者の意図通りに西洋美術を理解していないことになる。 本当のところどうなのかは分からないが、少なくとも、そんな感性の食い違いは、あっても不思議ではないと心得ておく必要があるのではないか。だからといって、日本美術が正しく理解されていないと嘆く必要はない。我々も西洋美術を正しく理解していないかもしれないのだから。文化の違いというのはそんなふうに、知識や理屈だけでは克服しがたい部分があるのかもしれない。 |
10月21日(火) 「基本に返る」 |
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この「パソコン絵画徒然草」もそうなのだが、今や文書は、パソコンで作成するのが当たり前になってしまった。 私が社会人になった頃は、みんな手書きで文章を書き、どうしても活字にする必要があるものだけ、和文タイプで打っていた。回って来た書類の字を見ると、誰が書いたのか分かるような具合だった。最初に職場にワープロが登場したときは、かなり巨大な機械であり、値段もウン百万円すると聞いた覚えがある。それが、あれよあれよという間に価格が下がり、オフィスのみならず家庭にまで普及し始めた。やがて家庭に一巡したかと思うと、今度はパソコンが主流となり、ワープロはすたれ押し入れにしまい込まれた。 パソコンが家庭に普及した後、文書作成ソフトは、「バージョンアップ」の名の下にどんどん進化した。カラーは当たり前として、グラフや表、地図に写真と何でも取り込める。今や使い方に通ずると、カラフルな雑誌と遜色ない本格的な文面を家庭で作ることが出来ると、文書作成ソフトの説明書には出ている。こんなことは、昔は考えられなかった。 しかし、よく考えてみると、実際そこまでソフトを使いこなせている人はいるのだろうか。いやそもそも、そこまで使いこなさないといけない事情のある人は、一体どれ程いるのだろうか。 私が最初に使い始めた文書作成ソフトは「Word97」で、その後「Word2000」にバージョン・アップした。しかし、このバージョン・アップで私が得たものは、実のところ殆どなかった。理由は、「Word97」すら満足に使いこなせていなかったからだ。そのことに気付いてからバージョンアップにそれ程こだわらなくなり、ついに最近では、逆に進化の階段を降りるように、フリーのテキスト・エディターを多用するようになった。「Word2000」とフリーのテキスト・エディターでは、機能面に雲泥の差があるが、使わない機能なら、あってもなくても同じである。むしろ、起動時間が早く軽快に動くテキスト・エディターの方が、簡単な文章やメールの下書きなど、普段使いには便利である。 パソコン・ソフトというのは、多機能であればある程便利、というわけではない。使う目的や、そのためにどういう機能が必要なのかをよく見極めて、必要最小限の機能を備えたものを選ぶ方が、使い勝手もよく軽快に作業が出来る。これは文書作成ソフトだけでなく、絵を描くのに使う描画ソフトも同じではないかと思う。 パソコン・ソフトの売り場に出掛けて、コンピューター・グラフィックス(CG)ソフトのコーナーを見ると、実に沢山の製品が並んでいる。値段はピンキリで、3Dのソフトだと20〜30万円するものがザラにある。私が絵を描くのに使う2DのCGソフトでも、ものによっては10万円近くする。しかし、高くて機能が沢山ついている方がいいというわけではない。何をしたいか、そのために必要なものは何かを見極めて、それに丁度合ったソフトを選ぶ方が、使い勝手や操作の軽快性で優れていることがある。 ただ、そんなことは、これからパソコンで絵やイラストを描くのに挑戦してみようかという方には分かるまい。店頭まで行ってみて、人気ソフトだとこんなに高いのかと、購入を諦める方もおられるかもしれない。何ともミスリーディングな話だと思う。 私は今まで試行錯誤しながら、廉価版の「Paint Shop Pro」というソフトでパソコン絵画を描いて来たが、「やっぱりもっと高価・高機能な描画ソフトでないとダメだ」と思い知らされたことは、実は一度もない。描画ソフトの高機能というのは一体何なのか、時々考えさせられる。「Word2000」の機能を極め尽くせる人が殆どいないのと、同じことなのだろうか。思えば、罪作りな話ではある。 |
10月30日(木) 「忘れた風景」 |
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私は風景画を描くとき、現実の景色の通りに写実的に描くわけではない。しかし殆どの場合、実際に自分で足を運び、我が目で見た風景に触発されて、絵画制作が始まっている。現実の景色の一部が絵の構成要素として取り入れられていることもあれば、全く違った風景として再構成されている場合もあるが、たいていは、何がしか下敷きとなる風景があって、そこに自分自身、足を運んだうえで、絵を描いている。 絵のイメージが浮かび上がって来るのは、全く突然である。ぼんやりと景色を眺めていて、ふと心に完成した絵のイメージが湧いて来る。私は日頃スケッチブックを持ち歩かないので、そういうときには、浮かんだイメージを心に留めておくしかない。そして、忘れないうちに絵にするのである。 今のパソコン絵画は大変便利で、パソコンのスイッチを入れて描画ソフトを立ち上げさえすれば、すぐにでも描き始められる。極端な話、家に帰ってそのままパソコンの前に行き、イメージを忘れないうちに制作に取り掛かれる。別に一気に完成まで持っていく必要はないわけで、絵のイメージがおおよそつかめる程度に、構図と色合いを描いておけば、それで備忘録代わりになる。 しかし、以前、絵具と絵筆で描いていた頃は、そうはいかなかった。まとまった時間がないと絵を描けないので、必然的に、作品の構想が湧いた後、一定期間が経過してから絵を描き始めることになる。そうすると、いざ描こうとキャンバスや紙の前に向かったときに、明確なイメージが思い出せないことがある。覚えているように思っていたのだが、いざディテールを呼び起こそうとすると、指の隙間から砂がこぼれ落ちるようにイメージが抜け落ちていき、結局、おぼろげな構図と色合いが記憶に残っているだけであることに気付く。現場で得たインスピレーションには、もっと重要なディテールや魅力的な構成要素があったように思うのだが、心の底を幾らすくってみても、それが掘り出せない。そんなときは諦めて筆を置き、絵のイメージというのは旬のものだと、つくづく感じるのである。 そうして考えると、何気ないときにふと心に浮かぶ風景の何割かは、かつてインスピレーションを得たものの、絵になる前に記憶から抜け落ちて、心の奥底に埋もれてしまったイメージだったのかもしれないと思う。それが、何かの風景を見たことをきっかけに、記憶の深い淵から浮上してくるのではあるまいか。時として、自分が描く風景がどこか懐かしいものであるかのように感じられることがあるのだが、そうした風景の幾つかは、私自身が昔直接見た風景というわけではなく、あるとき心に思い浮かんだまま絵に描かれずに心の中に眠っていたものかもしれない。 風景画を描くというのは、時として、そんなふうに心の底に埋もれている風景を、何かのきっかけで掘り起こしていく作業なのかもしれない。一体幾つの風景が私の心の中に埋もれているのか知らないが、首尾よく掘り出して見つけることの出来た風景については、今度こそ忘れぬよう、大切に絵に残したいと思う。 |
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