パソコン絵画徒然草

== 10月に徒然なるまま考えたこと ==





10月 6日(水) 「歳時記」

 俳句の季語を集めた「歳時記」という本がある。様々な書店から出ており、我が家にも2〜3冊あったと思う。私は、絵の題名を付けるのがあまり得意ではないので、時々歳時記をパラパラとめくり、心に響く言葉を見つけては、題名の一部に使っている。そういう意味では、俳句の趣味のない私にとっても、大変ありがたい本である。

 歳時記の構成は似たりよったりだが、手元にある角川書店の「俳句歳時記」だと、まず春・夏・秋・冬・新年に分けて季語を5分類したうえで、季節ごとに、時候、天文、地理、生活、行事、動物、植物に細分類してある。私は風景画の題名の参考にと思って歳時記をめくるので、基本的には時候、天文、地理の項目、たまに静物画に関連して植物の項目を見る程度だが、気まぐれに覗く生活や行事の項目には、何やら懐かしい気分にさせてくれる言葉があふれている。

 秋の行事や生活を例にとってみると、月見、秋祭、紅葉狩といった辺りは、今でも馴染みがある。新蕎麦、芋煮会も、あまり機会はないが分かる。しかし、稲架、藁塚、蘆刈となると、もう私の身の周りで見かけることはない。冬の項でいえば、年の市、餅搗(もちつき)、年越蕎麦、寒稽古など、今でも生活の中に息づいている言葉がある一方で、煮凝、蕎麦掻、葛湯といった言葉は、次第に馴染みがなくなりつつある。寒施行、寒弾、寒紅、榾(ほた)になると、もう何のことか分からない方が多いのではないか。ただ、馴染みのあるなしにかかわらず、こういう昔ながらの言葉を聞くと、私は子供時代の色々な思い出がよみがえって来るのを感じる。少なくとも昔は、こういう行事やその断片、痕跡が、生活の隅々に息づいていた。

 しかし今や、昔ながらの恒例行事も、時代の流れとともに次第に変化し、あるものはすたれ、またあるものは簡略化・形骸化してしまった。歳時記の中に収録されている行事の中には、名前を聞いてもどういう内容のものなのか全く分からなくなっているものが多数ある。また、生活習慣の変化に伴い、昔ながらの行事の中に込められていた、季節を感じさせる雰囲気もまた、徐々に希薄化し、本来の季節との関係は薄まりつつある。例えば、私も知らなかったのだが、厄払(やくばらい)、厄落(やくおとし)というのは、元々節分の夜に行われた行事であったという。今では、季節を問わず神社で祈祷をしてくれるが・・・。

 四季の変化が比較的はっきりした気候であるせいか、日本人は昔から、季節感を大切にしながら生活して来た。それは、侘び・寂び、無常感といった日本人の感性と深く結びつくものであろうし、生活していくうえでの昔ながらの知恵を反映している部分もあるかもしれない。しかし、科学技術が発達し、食べ物が1年中を通じて手に入り、冷暖房がエアコンのボタン一つで調整可能になるなど、生活が便利になるにつれて、我々は季節の変化を考えずに暮らせるようになった。季節にまつわる恒例行事がすたれていったのは、この生活の変化と無縁ではなかろうし、日本人の季節感の感度が鈍ったのも、その余波であろう。便利さが増すことは、良いこと尽くめとは限らない。

 日本人の生活が西洋化していくにつれて、絵画の世界も西洋化した。今では、絵画と言えば油絵や水彩画が一般的で、日本画は斜陽の身である。結局、絵画は芸術である前に、人々の生活と緊密に関わる文化なのであろう。生活や慣習が変われば、支持される絵画も変わる。昔ながらの慣習がすたれるのと同じく、伝統的な絵もすたれる。伝統を守れるかどうかは、それをどう保護すべきかという政策的な問題ではなく、単に我々が、どういう文化に足場を求めながら生活していくかという問題なのだと思う。

 我々の生活が西洋化していくということは、裏返して言えば、昔からある日本的な伝統や感覚を少しずつ捨てていくことでもある。利便を求める以上、それはある意味致し方ないことではあるが、せめて心の片隅に、捨てていった伝統的なもののリストくらいは残しておきたい気がする。あるいはそれが、歳時記に残っている見知らぬ言葉の山なのかもしれないのだが…。




10月12日(火) 「成功と失敗の分かれ目」

 「休日画廊」では、毎週々々新作を加えてホームページを更新しているから、さぞかし無駄なく効率的に作品を制作しているのだろうと想像の向きもあるかもしれないが、実のところ、描きかけのまま挫折した絵も結構ある。私はこうした作品を、「そのうち手直しして完成させるだろうから」と思いつつ一時保存フォルダに入れるのだが、たいていの場合は、再び手を加えられることなく朽ち果てる。

 振り返ってみると、描いている途中で挫折し、完成しないままボツになった絵は数知れない。如何なる絵も、描き出しの頃はうまく行くように思えるのだが、ある程度まで描いて眺めたときに、その絵の運命が何となく見えてしまう。途中段階でうまく行くと思える作品は、細部の肉付けを施していくほどに、予感が確信に変わって行く。しかし、途中で一旦不安を覚えた作品は、色々補強をしてみても、どんどん深みにはまってリカバリーが利かなくなる。結局、色々苦しんだ挙げ句にボツになるのである。

 制作の途中段階で眺めたときに、うまく行くかどうかの分かれ目は、描いている私自身が、その未完成の作品に何かを感じるかどうかにかかっている。これは、かなり直感的なものである。その作品がすっと心に染み込んで来るようなときには、まず間違いなくうまく行く。未完成ながら、その時点で何か光るものをその作品が持っているという証である。しかし、何も訴えかけるものがないときには、その先どう付け加えてみても、不満足なまま終わってしまう。石ころは、幾ら磨いても石ころということかもしれない。

 この訴えかけるものが湧いてくるかどうかは、当初の構想段階では分からない。いずれの作品もそれなりの思い入れをもってスタートするから、それぞれに感情移入しながら描き進んでいるつもりである。しかし、時として、これは相当いい絵になるはずだという強い確信でスタートしながら、途中で挫折してしまうものもある。こういうときには、少々自己嫌悪に陥る。

 この序盤戦の勝負の分かれ目を決める要素が何なのかは、未だによく分からない。間違いない構図と慣れ親しんだ色使いで始めてみても、ダメなときにはダメである。逆に、今まであまり描いたことのない未知の領域のモチーフなのに、すっとうまく行くこともある。この不可思議さが、絵画制作の魅力といえば言えなくもないが、限られた自由時間しか使えない身としては、出来るだけこうした曖昧さを取り除きたいとは思っている。

 結局、絵画制作というのは、水物ということだろうか。本格的に絵を描き始めてもう25年になろうとするが、この成功・失敗の勝負の分かれ目が何で決まるかだけは、いつまでたっても謎のままである。




10月21日(木) 「屋敷森の柿」

 10月初めの休日、息子と一緒に自転車に乗って練馬区の「光が丘公園」に出掛けた。秋らしい抜けるような晴天で、空気は凛と澄んでいた。広大な芝生広場の片隅でちょっとサッカーの練習をしたあと、バードサンクチュアリーに立ち寄った。ここの観察窓から覗く水際の風景は実にいい。ただ、足を運ぶたびに備え付けの望遠鏡で探すのだが、珍しい野鳥の姿は見えない。発見するには、それなりに年季が必要なのかもしれない。

 その日私は、バードサンクチュアリーの片隅に小さなリヤカーが置いてあるのを見つけた。中には沢山の柿が積まれており、「無料ですからご自由にお持ち帰り下さい」という張り紙があった。ご丁寧に持帰り用のビニール袋まで備え付けてある。張り紙によると、「光が丘公園」内の「屋敷森」で採れたものだという。

 「屋敷森」には、私も何度か足を運んだことがある。沢山の人々で賑わう「光が丘公園」の中にあって、隠れ家のような静けさがあり、どこかほのぼのとした雰囲気が漂う空間である。元々「光が丘公園」のあった辺りは、農家が点在するのどかな田園地帯だったようだが、第2次大戦中に軍が「成増飛行場」を作るために接収し、戦後はその広大な敷地を、そのまま米軍が駐留軍の住宅用地として利用した。日本に返還されたのは、昭和48年のことで、そこに巨大な高層集合住宅群と広い公園が出来た。行ったことのある人なら、それがどれほど広大な土地かが分かるだろうが、この公園の中に野球場が4面あり、それが公園のごく一部でしかないと言えば、知らない人でも想像がつくであろうか。

 しかし、光が丘というのは、まことに数奇な運命をたどった土地だと思う。今公園内を歩いていても、その歴史は容易には分からない。でも東京23区内で、これだけ広大な土地がなぜ周辺の住宅地に侵食されずに今日まで残っていたのか、誰しも不思議に思うだろう。私も最初に訪れたときにはそう思った。「屋敷森」と呼ばれる一画は、その疑問に答えてくれる貴重な場所なのである。

 話が脇道にそれたが、柿の話である。「屋敷森」は昔の農家跡を保護区にしたもので、屋敷跡を囲むように木立がある。その中のどこに柿の木があったのか記憶にないが、果樹園ではないので、昔ながらの柿の木がありのままに生えていることになる。従って、その実は、農薬をかけたり袋をかぶせたりせず自然のまま成ったものであり、スーパーで売られている富有柿のようなきれいさはない。表面に黒い斑点が幾つも付いていたり、ちょっと一部が熟し過ぎていたりと、見てくれは悪い。そんなこともあってか、リヤカーの中を興味本位に覗く人はいても、持ち帰ろうとする人は多くない。ただ、私はその素朴な姿に惹かれて、息子と二人で家族4人分の柿を選んだ。ほのかに色づいた小ぶりの柿を4つ抱えて家に帰り、早速1つ剥いてみた。

 少々茶色味がかった実を口に含むと、ほのかに甘い味がした。水臭いわけでも、未熟な感じでもなく、甘さが控え目なのである。スーパーで売られている柿には遠く及ばない甘さだが、どこか懐かしい素朴さが漂う。おそらくこの味は、野山で野鳥がついばんでいる柿の実と同じものである。そのほのかな味わいを楽しみながら、私は、ありのままの自然というのは、こういうものではないかと思った。

 時々、風景画を描く際のコツのようなものを尋ねられることがある。中々うまく伝えられないのだが、ありのままの自然というのは、我々が思うよりはるかに控え目である。「屋敷森」の柿のように、色も素朴で、形も悪い。しかし、初心者が風景画を描くと、画面の中の風景は妙に整ったきれいなものになる。色は鮮やかだし、木の形も庭師が手入れしたように整っている。まるでスーパーに並ぶ富有柿の如くである。でも残念ながら、そんなこぎれいな自然は、実際にはないのである。

 私達は、日々の生活の中で、人の手入れの行き届いた自然を楽しんでいる。スーパーに並ぶ野菜や果物しかり、公園内の手入れされた木立しかりである。そうしているうちに、本当の自然がどういうものか忘れてしまっている。意識して観察しないと、ありのままの自然の素顔は見えないのである。そして知らず知らず、手入れの行き届いた風景画を描いてしまう。

 「屋敷森」の柿は、忘れかけていた自然の本質を思い出させてくれる。この柿を食べて、「あぁやっぱりスーパーの柿でないとね」と思うようなら、味わいのある風景画は描けない気がする。人の手の及んでいない自然は、この柿の実のようにひっそりとしたものなのである。その素顔を捉えようとすれば、我々もそのほのかな味わいを感じ取る繊細さを持ち合わせていなければならない。

 柿の実ひとつにも、教えられることは多いものである。




10月27日(水) 「セピア調」

 セピアという色には、いつの間にやら「古い思い出」「懐古」といった特定のイメージがつきまとうようになった。昔撮って色褪せてしまった写真が、セピア調になることから来たイメージだが、マイナスに捉えられることは少なく、むしろ古き良き思い出になぞらえて、プラスに評価されているのではないか。

 面白いもので、写真メーカーでは逆に、時が経っても色褪せないプリントの普及に向けて技術開発が進み、百年経っても鮮明であることを歌い文句にしているDPEもある。おそらく、デジタルカメラの売りの一つも、デジタル・データであるがゆえに、時の経過に関わりなくいつまでも画像が劣化しないことにあるのだろう。確かにデジカメ写真は、紙に印刷すれば別だろうが、パソコン画面上で見ている限りは、いつまで経ってもセピア色にはならない。

 ただ、いつまで経っても古びないものが皆から歓迎されているかというと、そうとも言い切れないのではないかと思うことがある。

 パソコンで絵を描くための描画ソフトには、絵具と筆で描くときには考えられないような機能が搭載されていると、この欄でも折に触れて述べて来たが、実は画像全体に特殊効果をかける機能もたくさん用意されている。この種の特殊効果は、描画ソフトに最初から搭載されているものもあれば、ネット上で、有料・無料入り乱れて無数に配布されているアドオン形式のものもある。そして、その定番の一つに、デジカメ写真をセピア調に変える効果を持つものがある。私が使っている「Paint Shop Pro」には、この特殊効果が最初から搭載されている。

 いつまで経っても劣化しないことを売りの1つにするデジカメ写真を、わざわざセピア調に変えることの意味は、一体何なんだろうと時々思ってしまう。写真が劣化してセピア調になるのを防ぐため、写真メーカーはプリントの鮮度維持に向けて腐心して来た。その一つの解決策であるデジカメ写真を、わざわざ劣化させてセピア調にする機能を持つソフトがある。一見矛盾する組合わせの裏には、時を経ても古びないものに対する人々の複雑な思いがあるのではないか。

 昔の人達は、時を経たものには何がしかの霊力が宿ると考えていた。だいたい、日本各地の伝承に残る「池の主」とか「森の主」といった存在は、法外に年を取った魚や亀、キツネ、たぬきの類であることが多い。魚のような下等な動物であっても、人間の寿命を超えるような年月を生き抜くと、霊力が宿り超自然的な存在になると、人々は信じて来た。動物だけでなく、人々の生活の道具なども、相当長い年月が経つと、何かしらの力が宿ると信じられて来たふしがある。私が子供の頃読んだ民話の中にも、そんな話が幾つかあった。つまり、全てのものは、歳月の経過とともに高い次元のものに変質していくと、昔の人達は考えたのである。

 さすがに現代では、そんな迷信は信じられなくなったが、年を経たものに価値を見出す文化は健在である。例えば、骨董品などは典型であろう。私はそちら方面の趣味は余りないので、骨董品屋や骨董市を熱心に覗いたことはないが、フリーマーケットで古道具を並べているのを見ると、古色蒼然とした家具や道具が売られている。人の手を経て長く使われて来たものは、古びて手垢にまみれているが、新品とは違った独特の味わいがある。おそらくそこに宿っているのは、超自然の霊力ではないにしろ、一定の歳月を生き延びて来た年輪のようなものである。古道具の味というのは、昔風のデザインだけでなく、そうしたところから来るものなのだろう。

 しかし、デジカメ写真は、幾ら年を経ても年輪は刻まれない。年と共に宿る味わいも生じない。画像が劣化しないというのは、そういう面も持ち合わせているのだと時々思う。ただ、特殊なソフトの機能を使って画像をセピア調に変えたところで、デジカメ写真が味わいのある存在になるのか、私にはよく分からない。年と共に変わっていくものには、変わっていくなりの悩みがあり、変わらぬものには変わらぬなりの問題が生じる。人は、将来にわたって変わらぬものを追い求めつつ、変わってしまうものにも愛着を持つ。画像をセピア調に変えてくれるソフトの存在は、人の思いのそんな複雑なことを教えてくれるのである。




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