パソコン絵画徒然草
== 10月に徒然なるまま考えたこと ==
10月 3日(火) 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 |
|
ここ最近、歴史上の有名画家を題材に何篇か書いて来た。最初に書いたのは野獣派についてだったが、別に続けるつもりなどなく完全に単発の読み物として書いた。ところが、次にユトリロを取り上げたとき、ユトリロが暮らし、そして絵の題材にしたパリのモンマルトルの光景が頭に浮かび、同時にゆかりの深い何人かの画家のことを思い出した。それでまずは、ロートレックのことを書いた。さて、今度はルノワールについてである。 私は美術評論家ではないので、ここでルノワールの作品について評論するつもりはない。ただ、絵にちょっとでも興味のある人なら、その名を知らぬ者はないくらい日本で有名なのに、意外と好き嫌いが分かれる画家だと私は思っている。好きな人は、あの印象派の代表選手みたいな柔らかい色のタッチと明るい画風が気に入っている場合が多いし、嫌いな人は、丸々太った女性の描写が気に入らないという。私はどうかというと「まぁ作品によるなぁ」という感じである。 米国に住んでいた頃、時々メトロポリタン美術館に出掛けた。有名な5番街を、セントラル・パークを左に見ながら北上していくと、デーンと鎮座ましましている巨大な美術館である。ニューヨークには他にもたくさん美術館があって、それぞれ得意分野が異なる。近代美術はどちらかというとニューヨーク近代美術館の守備範囲だが、メトロポリタン美術館にもいくつか近代美術の傑作が展示されており、そのうちの一つが、ルノワールの「シャルパンティエ夫人と娘たち」である。これは私のお気に入りの一つだったが、ルノワールの作品で他にお気に入りを挙げろと言われれば、月並みながら「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」だろうか。 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を初めて見たのは、随分昔のことになる。パリのオルセー美術館の上階で無造作に壁に掛けられていた。印象派の傑作が惜しげもなく並ぶこの階からは、実際の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のあるモンマルトルの丘がよく見える。私はここでルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を見てから、あの丘のいずこかにある本物の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を見に行こうと思った。 今振り返ってみると実にバカだったわけであるが、それを思いついた時点で、私は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」がどんなところなのかよく知らなかった。ルノワールの絵では、戸外で陽光を浴びながら人々が楽しげに踊っているものだから、てっきり広場に面して店があり、道から覗けるものだとばかり思っていた。 幸い日本で買ったパリのマップには、観光用ということもあり、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の位置が示してあった。だが、それがどんな場所なのか説明がないし、外観の写真もない。単に地図上の点として存在しているだけである。 モンマルトルを訪れたことのある人なら分かると思うが、あの辺りは路地が入り組んでいて、実に道が複雑である。で、日本で買った地図には、その道の全てが網羅してあるわけではなかった。道路地図ではないのだから、当たり前と言えば当たり前だが、パリ中心部は比較的地図通りで分かりやすいものだから、てっきりモンマルトルの地図も同じ程度の精度だろうと思ってしまった。 まずは定石通り丘の上まで登り、サクレクール寺院からテアトル広場に回り、これから降りる途中に「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」があるのだなと思って降り始めたら、それとおぼしきものは、どこにも見当たらない。仕方なくちょっと戻って別の道に入り、再び探す。そんなことをしているうちに、ついに自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。つまり迷子である。 この場合、丘の上に登るか下界に降りるか迷うところだが、下界は東西南北どこに降りるか分からず、益々迷子になる可能性がある。頂上なら一つしかなく、先ほどまでいたところだから迷うことがない。そこで上に登る道を歩き始めた。観光コースから外れているせいか、通る人もない静かな道だった。両側の建物のたたずまいも感じがよくて、雰囲気のあるいい散歩道だった。私は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のことは忘れて、暫しゆっくりと静かな散策を楽しんだ。そうして片側が緑に囲まれた道を通ったところ、緑の上にアーチの看板が立っていた。何だろうと思って読むと「Moulin de la Galette」。そこが探していた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」だった。 私は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の複製画やら写真やらを見るたびに、あのときの迷子になった30分のことを思い出す。「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を見つけた喜びよりも、あの静かな散策の小道の方がよほど思い出に残っている。百年前には、あの道をルノワールも歩いていたのかもしれない。 |
10月11日(水) 「貨物列車」 |
|
東京なんかに住んでいると、さっぱり見かけなくなったものが幾つかある。中でも、ありそうでいて意外と見かけないのが貨物列車である。 帰省したり出張したりしてローカル線を旅していると、鄙びた田舎の駅で時々貨物車がポツンと置かれているのに出会う。たいていは、駅の隅の方に遠慮深げに並んでいる。貨物車の向こう側は雑草が生えた空き地だったりして、それなりにのんびりした風情が漂う。 こういう駅には、廃線同様に草の伸びた線路が幾つかあって、黄色で塗られた作業用の車両が止められていたりする。絵になるいい光景だなぁと思うが、そうそう長い時間停車しているわけではないし、いい角度からその様子を見られるわけでもないので、スケッチしたり写真を撮ったりする機会はない。まぁ心の片隅の風景として残るだけである。 貨物列車がなくなったせいか、工場や倉庫に向けて引き込まれた作業用線路というのも見かけなくなった。道路に沿って単線の線路が縫うように走り、倉庫脇や工場近くに臨時の荷降ろし場が設けられたりしているのを昔はよく見たが、今では全てトラック輸送に替わったせいか、その痕跡すら見ない。あれもいい味を出している風景だと当時は思ったものだが、今描こうとしても、実物がないのでどうにもならない。 今の電車の車両基地は、実に味気ない。あのアルミのボディがよくないのだろう。地下鉄や私鉄の車両基地は都内に幾つかあって、時々傍らを通り過ぎることがあるが、目を引くものは何もない。近代的な倉庫や工場と同じで、機能的だが絵心を誘う要素がない。妙にこぎれいで人間くさくないのである。 今度帰省する機会でもあれば、故郷の駅に貨物列車でも見に行こうかと考えたりもするが、これではまるで電車好きの幼児と変わりない。私が子供の頃は汽車が好きで、よく蒸気機関車を見に駅まで親に連れて行ってもらったらしい。それとあまり変わらないのではないかと思ってしまう。いや、絵になる風景というのは、子供の心を捉えるようなものでないといけないのかもしれない。子供の心を忘れれば、いい風景に出会えないし、味のある絵も描けなくなる気もする。 世の中が便利になり暮らしが近代化していくにつれて、身の周りの人間くさいものが姿を消していく。貨物列車に限らず、車も家も家具も、何から何まで妙にツルンとした味気ないデザインになってしまう。機能的でスマートという形容詞が似合うものは、意外に絵の題材になりにくい。お蔭で、昔不便だといわれた人間くさい題材を探してうろうろするはめになるのである。思えば因果な趣味である。 |
10月19日(木) 「騙し絵」 |
|
絵に興味のない人でも、エッシャーの版画・リトグラフについては、一度は見たことがあるのではないか。上れない階段や上から下に永久循環する水など、現実には存在し得ない不条理の世界を視覚化した作品で有名である。エッシャー作品の解説を読むと、位相幾何学だのトポロジーだの難解な言葉が登場することが多いが、下世話に一言で言えば「騙し絵」である。 エッシャーだけが特別な存在というわけではない。「騙し絵」の制作は古今東西行われており、16世紀の有名な宮廷画家であるジュゼッペ・アルチンボルドは、果物や野菜、動植物などを組み合わせた肖像画で知られている。また、日本でも昔から一種の遊びとして「騙し絵」が制作されており、有名なものでは、江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である歌川国芳が、複数の人物を組み合わせて一人の人物の顔を描く「寄せ絵」というジャンルを確立して人気を博している。 しかし考えてみれば、我々も普通に絵を描くとき、無意識のうちに「騙し絵」に近いことをしている。現実にない心の中の風景を題材にしている私の絵も、一種の「騙し絵」かもしれないが、誰しも絵を描く際のもっと基礎的な部分で、ある種の「騙し」を行っているのである。 例えば、青系の淡色を幾つか混ぜ合わせながらモヤッとした画面を作る。これだけだと単なるまだら模様である。しかし、この上に陰影を付けながら何本か木を描いていくと、先ほどのまだら模様は、霧にかすむ背後の森に見えて来る。これは目の錯覚を利用した一種の「騙し」である。人は、過去の視覚的記憶から、目の前に描かれたものと最も近い外見のものを結び付けて、脳内でそれが何かを判断する。従って、脳内に蓄えられた記憶の風景と、現実の模様とを結び付ける何かの符号を見せれば、人は模様を具体的な画像と判断する。この場合、その結び付けを行う鍵が、描き加えた何本かの木である。 それは「騙し」なんかではなく、正当な絵の描き方ではないかという反論もあろうが、私が言いたいのは、現実の風景を絵に描く際には、それを正当な描写方法と呼ぼうが呼ぶまいが、多かれ少なかれ目の錯覚を利用しているということである。それは当たり前のことで、およそ3次元で存在する現実世界を、2次元の狭い画面に閉じ込めて表現するのだから、ある種の「騙し」、言い換えれば目の錯覚を駆使しないと現実らしく見えない。そして、その「騙し」や目の錯覚を生むテクニックを極限まで駆使すれば、エッシャーのような本格的な「騙し絵」が描けるのである。 彼が使っているのは、陰影に対する人間の目の錯覚であり、影になっている部分は現実世界では奥に存在したり下に存在するという思い込みを上手く利用している。これとても、我々が絵を描く場合に利用している錯覚の延長線上に過ぎず、例えば色の明暗差を利用して光の方向を暗示するような描写方法は、普通の絵画作品で当たり前のように使っている。 では逆に、そうした「騙し」なしに、現実世界の通りのリアルさ・緻密さで描くと、絵はどういうことになるのだろうか。例えば、木には一枚々々葉を描き入れる。森の木も、一本ずつきちんと描く。理屈から言えば、そうして出来た絵は、見た目に忠実な写実調の作品になるはずだが、実際にやってみると、どこかおかしな画面になる。緻密なリアルさが勝り過ぎて、かえって現実の風景に見えないのである。これは、現実にはあり得ない世界を目の前に存在するかのように見せるエッシャーの世界と好対照の結果である。 そんなふうに考えると、我々の描く絵とエッシャーの「騙し絵」とは、別世界の作品ではなく、ある種の延長線上にそれぞれ共存していることが分かる。この同じ線上にある感覚は、シュールレアリズムの作品群が、普通の具象画の先につながっている感覚とどこかしら似ているようにも思う。エッシャーやシュールレアリズムの作家は、何も特別な技術を使っているわけではない。我々が普通に絵を描くときに用いる技法を使い、我々が普通には描かない世界を作品にしているだけである。それは言い換えれば、我々が描く絵も、ちょっとした境界線を越えれば、日常空間から離れた別の世界に踏み込んでしまいかねないことを意味している。普通の人は、ただ単にそっちにハンドルを切らないだけなのである。 |
10月24日(火) 「絵にならない休日」 |
|
休日の朝、ゆっくりと食事を取り、のんびり寛いでから、女房、息子とウォーキングに出掛けた。我が家から光が丘公園まで歩き、公園内のジョギング・コースをウォーキングするという計画である。 天気はうす曇で、時々日が差す。秋の陽光は心地よい。公園前のコンビニでスポーツ・ドリンクを買い、スタート地点のグラウンドを目指す。グラウンドにはいつも大勢の人がいて、トラックを走ったり、歩いたり、はたまたトラック内の芝生にシートを広げて寛いだりと、思い々々の休日を過ごしている。しかし、今日はちょっと様子が違うと思ったら、グラウンドは貸切になっており、運動会をやっていた。子供たちがトラックを駆け、歓声が上がる。いずこも同じだが、親はカメラやらビデオやらの撮影に大忙しである。 我々はそれを眺めながらスタート地点に向かい、そこからウォーキングを始めた。迷わないように地面に案内が表示されており、これに沿って公園内の道を進めば、3キロ程の行程となる。道の傍らでは、テニスの壁打ちやら、野球やらに興じる人々がいる。他にもバドミントンをしたり、フリスビーをしたり、楽しそうに休日のひとときを過ごしている。それを横目で見ながら早足で歩き、時々立ち止まってスポーツ・ドリンクを飲む。自転車やジョガーに抜かれたり、何組もの犬の散歩と出会ったりしながら、我々は森の中を進んだ。 行く道々の傍らには西洋コスモスが群生して咲き、銀杏並木の葉は少しずつ色づき始めていた。花壇では、ボランティアの人が秋の花の手入れをしている。色とりどりの花が柔らかい秋の陽に揺れていた。いずれものどかで平和な光景である。途中の開けたところから向こうを見やると、森の緑が少しくすんだ色に変わりつつあるのが分かる。そろそろ紅葉の準備といったところだろうか。そういえば、芝生の色も心なしか彩度の落ちた緑になっている。 そんなふうに秋の風景を眺めながら昼頃まで歩き、ゴールにたどり着く頃には、少し汗ばんでいた。ここまでで9000歩少々。日ごろの運動不足解消になっただろうか。 その後公園内の図書館に立ち寄り、音楽CDを物色。これといって目的はなかったのだが、棚を見ているうちに古いフォーク系のCDを見つけて何枚か借りる。今更買おうとは思わないが、懐かしさに負けてちょっと聴いてみたくなった。ベスト・アルバム形式のCDには、友部正人の「一本道」が入っている。どこか哀愁のある生活感が漂うラブ・ソングである。高校生の頃この曲を聴いて、歌詞に出て来る阿佐ヶ谷って、一体どういうところだろうと思った記憶がある。東京に来てから中央線の駅名にその名前を見つけたが、未だに降り立ったことはない。思い返せば、東京に出て来る前から歌詞や小説で、幾つもの東京の地名を知っていた。今でもたまたまそんな場所に行くことがあると、その地名を最初に知った本やらレコードやらを思い出し、懐かしく感じることがある。 借りたCDを抱えて図書館を出てから、ショッピング・センターで昼食。イタリア系レストランで、アラビアータとフォッカチオを食べる。ここのアラビアータは辛さが足りないが、フォッカチオはなかなかいける。食後はダブル・エスプレッソでしめる。イタリア料理の後のエスプレッソは、殊のほかおいしく感じる。満腹したところでちょっと買い物をして家路に着いた。 結局、自然に囲まれて半日近くを過ごしたが、何の画題も拾わず、秋のウォーキングを楽しんだだけである。しかし、それでもいい。歩きながら五感で秋を感じ、気持ちのいい半日を過ごせた。絵は視覚だけで成り立つものではない。こういう秋の日の記憶がこやしとなって、やがて一枚の絵に結実する。私の絵の背後には、幾層もの記憶が積み重なっている。画面に現れるのはそのうちの一部であるが、他の部分も目に見えない重要な構成要素である。記憶の層が厚ければ厚いほど、その絵に対する思い入れは深くなる。 絵は感性で描くというが、それは直感という意味ではない。ものに対する感じ方は、様々な経験を経て練られていくものである。豊かな経験の積み重ねが豊かな感性を築く。習い事の世界で「日々修行」という言葉を聞くが、絵も同じことではないだろうか。 |
目次ページに戻る | 先頭ページに戻る |
(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.