パソコン絵画徒然草
== 10月に徒然なるまま考えたこと ==
10月 3日(水) 「主題」 |
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少し前のことになるが、東京国立近代美術館で開催されている平山郁夫画伯の「祈りの旅路」展に行った。画業60年をたどる大回顧展ということで、作品内容も展示作品数も申し分のないお勧めの展覧会である(期間は10/21まで)。ついでに言うと、同じ美術館で来年3月から「東山魁夷展」をやることになっており、こちらは生誕100周年。代表作100点からなる大展覧会で、混雑必至と見た。 さて、展示されていた平山画伯の作品について、一々ここで解説するつもりはない。ただ、平山画伯の作品には一貫した主題がある。それは遠く、彼の学生時代の被爆体験まで遡るものである。 平山画伯は広島の出身で、学徒動員の最中に被爆する。まさにB29から原爆が落とされる瞬間を目撃した時代の生き証人でもある。級友の多くは亡くなり、彼は生き延びるが、戦後後遺症に悩まされ、死の恐怖と隣り合わせの状態で絵を描いていた。そんな経験が、釈迦の生涯を描く一連の作品を生み出し、やがて中国や日本に仏教を伝えたシルクロードへとつながっていく。平山画伯のファンなら、みんな知っている話である。 そう言えば、来年生誕100周年の回顧展が開催される東山魁夷にも、主題がある。一言で言えば「諦念と祈り」ということになろうか。詳しくは記さないが、それは彼の生い立ちや画業の中から生まれた絵画哲学である。 絵を描くのが好きな人というのは、単に描くのが好きなわけで、紙と鉛筆があって暇が出来れば、そこに思いついたものを描く。描く対象は、そのとき自分の周辺にあるもの、前にどこかで見て印象に残ったもの、あるいは単なる思い付きの落書き、などなど。要は何でもありで、描いて楽しいものなら手当たり次第といったところだろうか。それは、純粋に「描く」楽しさを追求した行為であり、何かを表現しようとするものではない。暇つぶしの手なぐさみと言っていいかもしれない。 だが、やがて描き進めるうちに、人は主題を持つようになる。絵を使って、何かを表そうとする。それは自分の体験や考えに根ざした固有のテーマであり、1枚の絵で描き尽くせるものではない。しかも、何枚にもわたって描き続けながら、決して満足して筆を置くことが出来るようなものは生まれないという宿命を背負っている。絵の主題とはそういうもので、見果てぬ夢を追った長い旅と言ってもいいかもしれない。 平山郁夫や東山魁夷もまたしかりである。平山画伯はシルクロードのテーマについて「もう一度生まれ変わって画家になっても描き終わらないくらいの構想を抱えている」とも語っている。東山魁夷も生前、描くべきものを全て描き終えたとは思っていなかったのではないか。 主題を持つというのは、実はしんどいことである。励みにもなるし、持続する力にもなる。だが、決してゴールにたどり着くことのない道である。描くだけが楽しかった時代と違って、主題がうまく表現できないと、不満を覚えるし、焦りもする。スランプに陥るのも、主題があるからである。手なぐさみの落書きにスランプはない。 けれど、人は主題を持ったときから、画家になるのだと思う。アマチュアにせよプロにせよ、主題を持ったときから、同じ果てなき道を歩み始める。おそらく、画家の鉛筆書きすら芸術とされるのは、主題をたどる道の一端だからではないだろうか。 |
10月 9日(火) 「ファインダー越しの風景」 |
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この前の休日、いつものように散歩に出掛けたら、住宅街の中にある保育園で運動会をやっていた。運動場が道沿いにあるため、子供たちの様子がよく見える。父兄は園内の思い思いの場所に陣取って応援し、柵の周りでは近所の人たちが集まってニコニコしながら園児の様子に見入っている。何とも平和な日常風景で、昔は近所の人たちが集まって、こんなふうに笑いながらみんなで何かを楽しむ機会がいっぱいあったのだろうと思う。殺伐とした今の世相では、隣近所のふれあいも減ったし、みんなで笑う機会もない。 さて、そんな昔ながらの懐かしい光景を眺めながら、ふと父兄たちの方を観察すると、いるいる。ビデオカメラを構えたお父さんたち。自分の息子や娘を画面に捕らえようと必死な様子が見て取れる。これは、昔はなかった光景である。私が子供の頃は、父兄がカメラを持参することはあっても、高価な一眼レフでないと望遠レンズなんてついてなかったから、せいぜい遠方から何枚か撮る程度だった。いい撮影場所を巡る争奪戦もなかったし、お父さんがカメラやビデオの撮影にかかりっきりになるなんて考えられなかった。時代は変わったものだと思う。 かくいう私も、子供が小さかった頃は、よくビデオカメラを回した。ちょっと外出する際にもビデオカメラ持参のことが多かった。ニューヨークで暮らしていた頃は、ドライブに行くたびにビデオカメラを持って行ったし、行事があるたびに撮影に赴いた。お蔭で膨大な量のテープが積み上がっている。 ただ、ビデオカメラというのは写真を撮るのと違い、一定時間回し続けなければならない。そのため、どのアングルから撮るかが重要になって来る。カメラの前を人が行き来するようでは、何度も画面が遮られるためだ。また、パンが速すぎると画面が流れて何を映しているのか分からなくなるから、動きのあるものを撮影するときには、ある程度離れた位置から大づかみに映さなければならない。更に、どの場面を順序立てて並べていくとビデオのストーリーが分かりやすく流れるのかということも考えながら撮影しないといけない。一瞬の風景を切り取る写真と違って、考えなければいけない要素が沢山ある。そんなことに腐心しているうちに、撮影自体が目的化してしまい、それだけで頭が一杯になることもある。 ビデオは後で見ると、色々な思い出が湧き上がって楽しいのだが、以上のようなことに留意しながら撮影しようとすると、現場ではゆっくり風景を見ている場合ではなくなる。子供の運動会では応援している場合でなく、風光明媚なところではのんびり景色を眺めている場合ではない。撮影ポイントを確保し、なるべくうまく被写体が映り込むようにビデオカメラを構える。風景の良し悪しではなく、いいビデオが撮れたかどうかの方が重要だったりする。 そんなことをしているうちに気付いたのだが、ビデオカメラを持っていないときに限っていい風景、いい場面に出会うことが多い。最初は、それは単に運が悪いだけではないのかと思ったが、よく考えてみれば、心構えの問題かもしれない。ビデオカメラを持っていないときは、「いい場面を撮影しなければ」という強迫観念にとらわれないから、素直な気持ちで風景やイベントに接することが出来る。心の余裕が違うから、感じるままに風景やイベントを楽しめる。結局、ビデオカメラなしだといい風景、いい場面に出会う確率が高まるのは、そういう事情によるのではないか。 思えばビデオカメラというのは罪深い道具である。将来繰り返して見られる映像記録を残すために、今目の前で繰り広げられている風景やイベントを楽しむことを犠牲にしてしまう。そして、苦労して撮ったビデオを後々繰り返し楽しむのかというと、意外と見ないのである。更に、後で映像を見たときに、こんな風景だったかなと思うことがある。何のことはない。本人は自分の目で実際の風景を見ていた時間より、ビデオカメラの液晶モニターで録画を確認していた時間の方が長いから、それほどの実感が残っていなかったりするのである。 絵を描く者にとって、その場で見た風景の実感が残らないのでは話にならない。映像や写真だけ残っても、絵は描けないのである。 |
10月17日(水) 「音楽はどこから来たのか」 |
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9月中はとても秋とは思えない気温と湿度の日が多かったが、さすがに10月の声を聞くと風も涼しくなった。いよいよ本格的な芸術の秋到来ということで、私の場合は絵画の方に関心が傾きがちなのだが、今回は趣向を変えて音楽について日頃思っていることを書いてみようと思う。 と言っても、音楽について色々評論するほどの知識も経験も持ち合わせてはいない。ここに記すのはほんの些細な疑問である。そもそものきっかけは、アルタミラの洞窟に残っている古代人の壁画から生じたものだ。 絵に関心がない人でも、アルタミラの壁画については見たり聞いたりしたことがあると思う。アルタミラはスペイン北部にあり、その洞窟の壁には古代人が描いた牛や馬などの絵が残っている。歴史の教科書に出て来るし、写真なども添えられていたと思うから、多くの方が一度は目にしたことがあるに違いない。その素朴な線画を見ていると、既に芸術の芽生えが見て取れる。この壁画を描いた古代人は旧石器時代の人々とされており、今では世界遺産にも指定されている。 石器時代ほど古くはないが、例えば日本の縄文時代の火焔土器を見ると、当時の人々に美意識があったことが覗える。もう少し時代を下ると、有名な高松塚古墳などがあり、既に一級の美術作品としての絵画が存在したことが見て取れる。こうした保存状態のよい出土品が残されていたお蔭で、我々は、古代の人々に美術の心が芽生え発展していった過程が、時代と共におぼろげに想像できるのである。 で、私が日頃疑問に思っているのは、もう一つの芸術である音楽の方は、どのようにして芽生え、どう発展して行ったかということである。 美術作品を創造できるほど知的進化を遂げた古代人なら、絵を描く傍らで音楽を奏で、みんなで聴いていてもおかしくはない。だが、果たして本当にそうであったかは、残念ながら分からない。仮に音楽が誕生していたとして、初期のものはどのような調べで、どんなときに歌われていたのか、初期の楽器とはどんなもので、そこから奏でられる音はどのようなものだったのか。古代の音楽にまつわるこうした謎は、答えを様々に推測することは出来ても、明確な証拠を伴った形では何ら解明されていないのである。 絵画や彫刻などの視覚芸術については、残っているものがたくさんあり、土器などの造形芸術であれば更に古くまで遡れる。だが、古代の音楽については、残念ながら何も残っていない。仮に楽器らしきものが出土したとしても、それで奏でられる音までは推理できるが、どんな旋律の音楽が奏でられていたのかまでは分からない。音楽の歴史を調べてみると、遡れるのは絵画よりもはるかに新しい時代までである。 音楽を記録するのに、現在では様々な録音機材があるが、それは近代になって発明されたものであり、かつては楽譜が音楽を記録する唯一の手段だった。その楽譜にしても、登場したのは中世になってのことであり、それ以前の音楽がどんなものであったのか、正確な記録は残っていない。口伝えに歌い継がれているものはあるが、それも人から人へ伝わるうちにメロディーが変わったり、バリエーションが出来たりした可能性があり、オリジナルが正確に残っている保証はない。 CDやらカラオケ、テレビや映画の主題歌など、今や音楽の方が、美術よりはるかに現代人の生活に密着しているように思うが、そのルーツや歴史が不確かなのには不思議な感を覚える。 人間の科学が如何に発達して古代の様々な痕跡を微細に追えるようになったとしても、古代人が歌った歌だけは再現不可能なのだろう。でも、聞いてみたい気がする、アルタミラの洞窟壁画を描いた古代人が、どんな歌を歌っていたのかを。 |
10月25日(木) 「批評と批判」 |
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何かと言うと、問題点を並べ立てる人がいる。世の中に完璧という事柄はめったにないから、何であれ、探せばアラは見つかる。それを人前で並べ立てると、如何にも洞察力に富んだ見識ある主張のように見えるのかもしれない。ただ、問題は、そういう視点で物事を見続けていると、対象となる物事の良さを見逃しかねないということである。 米国で暮らしていた頃に気付いたのだが、アメリカ人は、実にまめに子供達の良い面を見つけて褒める。そして、ビックリするほど徹底的にヨイショする。小学校の演奏会など聴いていると、不揃いなところも失敗した箇所もあるのだが、演奏が終了すると、親が子供に駆け寄って抱きしめ「Perfect!」「Terrific!」を連発する。まるで音楽コンクールで優勝したかのような騒ぎで、日本人には中々マネの出来ない芸当である。叱って育てるのが良いのか、褒めて育てるのが良いのかについては、様々な意見があって確たることは言えないだろうが、子供の個性の伸ばし方という点で、とても興味のある日米の相違だった。 絵の批評でも同じではないかと思う。世の中には、批評と批判とをごちゃ混ぜにしている人が結構いて、批評するつもりで批判ばかりしている。絵に上級者がいるように、批評をする人にも上級者がいる。問題点の指摘だけなら、未だ々々半人前である。 アマチュアの作品であれば、問題点を見つけるのはそう難しいことではなかろう。だが、どう直せば良いのかを正確に指摘出来る人は少ない。更に言えば、作品の中でキラリと光る部分がどこなのかを見つけ出す眼力を持つ人は、めったにいない。単に褒めるだけなら誰でも出来るが、良い点を正確に見つけ出すには、対象となるものの本質を理解していなければならない。 一流の批評が出来る人に出会えた人は幸せだと思う。いい絵を描く人はたくさんいるが、いい批評の出来る人はめったにいないからだ。美術評論家と称する人は多いが、彼らの全てがいい批評家だとは思わない。美術の知識はあるかもしれないが、何の予備知識もなく無名の絵と向かい合ったとき、その真価を見極められるかというと、さて、どれほどの人が該当するだろうか。パリに印象派が登場したとき、当時の一流美術評論家がことごとく作品をこきおろしたのは有名な話である。美術評論家の眼力というのは、その程度と心得ておいた方がいいかもしれない。 学生時代に美術部で部展をやったとき、各部員が来訪者に作品の批評を求めるのが慣わしだった。知り合いだけでなく、ふらりと入って来た一般の方に対してもである。今にして思えば、随分難しいことを相手に求めていたのだと思う。そして、私自身が他の大学の美術部展に行って、同じように批評を求められたとき、そこで語っていたのは批評ではなく感想に過ぎなかったことを、今さらながら気付くのである。当時はそんなことまで思いが至らなかったが、まぁそれに気付くようになっただけでも、成長したということだろうか。 |
10月30日(火) 「動画」 |
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最近、ネットにおけるビジュアル・コンテンツの主役は、すっかり動画になってしまった観がある。「You Tube」の功罪については、著作権問題も含めて様々に語られているが、少なくともネットに動画を投稿しみんなが見るという文化を一躍メジャーなものにした立役者であることは間違いないだろう。 もちろん、それ以前にも動画を見られるサイトはたくさんあった。だがその多くは、映画の予告編など、いわばプロが商業的に製作したもので、一般人が動画を制作してサイトで広く公開するといったことは、なかなか難しかった。その理由は幾つかある。 まず、動画そのものは昔からビデオカメラがあったから撮影可能だったが、それを編集し圧縮してネットで見られるようにすることが、素人には難しかった。高性能なパソコンと優秀な編集ソフト、それに何より、ある程度鑑賞に堪え得る解像度を保ちつつ容量の少ないファイルを作る圧縮形式がないと、これは出来ないことだった。 そもそもパソコンで動画を扱うというのは、パソコンの能力を極限まで酷使することを意味する。ちょっと前までは、能力の低いパソコンや低性能のソフトを使って動画編集すると、フリーズしたり突然落ちたりしていたと聞く。また、動画を圧縮してサイトで見られるようコンパクト化するのにも、強力なCPUパワーが必要だった。デジカメ写真編集とはわけが違うのである。 第二に、そうして制作した動画をサイトにアップするのに、ホームページの容量がそれなりに必要だった。圧縮しているとはいえ、写真や2Dのコンピューター・グラフィックス(CG)と異なり、動画は1ファイル当たりかなりの容量になる。たった一つの動画だけホームページに掲載するというのでは面白くないし、幾つかアップするとなると、サーバーを借りるのにも、それなりの費用が必要だった。 第三に、そうした動画サイトをストレスなく見るためには、ADSL以上のブロードバンド接続が前提だった。ダイアルアップでは、最後まで見終わる前に回線が切れる危険性があり、ヒヤヒヤもので見るしかなかった。 以上のような問題点は、ドッグイヤーと言われるほど進化の速いパソコンやインターネットの技術革新のお蔭で、近年ほぼ解決した。素人があまりお金をかけずにサイト用の動画を制作し、「You Tube」に代表される無料動画サイトにアップすることが出来る。見る方も、今や光ファイバーがADSLを凌駕するほどに増えているので、サイトの混み具合はともかく、回線の細さが問題になることはなかろう。 さて、そんなふうに動画主体の世の中になると、私のように動かないCGを制作している者の肩身は狭くなる。というか、あまり見向きもされなくなる。動く絵と動かない絵では、明らかに動く絵の方が面白い。盛り込める情報量でも、アイデアのバラエティーさでも、動かない絵は確実に負ける。 新しいものが常に先頭を走り、人々の目もまた先頭集団に釘付けになるネットの世界において、動かない絵というのは、もはや追い抜かれて見向きもされなくなったランナーということになるのだろうか。時代の動きが現実世界よりはるかに速いネットの世界において、それは仕方のないことではあるけれど、動かない絵を制作している者としては、何となく寂しいものがある。 まぁそれでも途中棄権ではなく、自分なりのゴールまで走っていきたいとは思う。沿道の観客は随分少なくなっているのかもしれないけれど。 |
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