パソコン絵画徒然草

== 11月に徒然なるまま考えたこと ==





11月 3日(日) 「開設1周年によせて」

 この「休日画廊」を開設したのは昨年の11月3日であり、今日で丁度1周年になる。まずは、これまでご来訪頂いた皆様に心からお礼を申し上げたい。

 1年前には、パソコンで絵を描くことについて未だ手探りだったことを覚えている。パソコンで絵を描くというのはふとした思いつきで始めたことで、果たしてうまくいくのか、確たる成算がなかった。タブレットとソフトを買って来て、最初に入力ペンを握ったときのとまどいは、今でもよく覚えている。私が想像していたイメージと全く違っていた。これで果たして、油絵や日本画並みの絵が描けるのか、再び不安になった。

 目はモニター画面を見ながら手はタブレット上を動かす、という奇妙な感覚に漸く慣れた頃、試みに描いた絵を、ある投稿サイトに出してみた。皆さんご存知のように、コンピューター・グラフィックス(CG)の世界は、3DCGで作られたバーチャル・リアリティーの作品やアニメ系の絵が支配的である。私のような絵画調のCGが果たして受け入れられるのか、全く分からなかったが、投稿してみるとそれなりに好意的なコメントを頂いた。それに勇気付けられて、何枚か描いているうちに、自分でホームページを開いてみようと思い立ち、この「休日画廊」が生まれた。

 「休日画廊」は最初、私的なサイトのつもりであった。遠く離れて住む自分の両親や親戚、知人・友人に、最新の作品を手軽にいつでも見てもらえると思って開設した。そもそもCGで絵画を描くこと自体、マイナーで「隙間産業」のような位置付けであったし、宣伝もあまりしなかった。1年経った今日、こうして様々な方が訪問して下さり、交流の輪が広がるとは、全く予想だにしていなかった。

 1年経って、絵の描き方も変わって来たと思う。何より、ソフトの機能やクセが少しずつ分かって来た分、描写方法や表現技法が深まった。使える手法が増えて来るにつれて、制作時間も長くなり、重ねるレイヤーの枚数も増えた。1年前には、レイヤー4〜5枚、制作時間30分という作品もあったが、今ではレイヤーが20枚を超え、制作が延べ10時間以上かかっている作品も珍しくない。その分、描写がかなり細かく丁寧になったと自負している。お蔭で、1年前には1週間で平均3枚以上の新作を量産出来たが、今では週2枚の更新ペースも苦しくなって来た。質を高めていく過程で、致し方ないのかもしれないが、更新スピードを緩めなければならない時期が早晩来るような気もする。

 しかし、1年近くあれこれ探求したつもりでも、私にとってパソコン絵画というのは、未だ々々奥の深い領域である。試してみたいことは沢山あるし、未だ思いつきもしない表現方法が眠っている気がする。

 この先、「休日画廊」がいつまで続くのかは分からないが、基本的なコンセプトを守りながら、可能な限り続けていきたいと思う。皆様が、ここで何がしか心の休日をお見つけになられたのなら、制作者としては望外の幸せである。




11月 7日(木) 「無常といふ事」

 今年は比較的長い間、暖かい日が続いていたが、さすがに11月ともなると冷え込みの厳しい日が多くなった。そのせいか、東京都内でも急に木々が色付き始め、冬の訪れが近いことを告げている。テレビの話題にも紅葉に関するものが目につくようになり、北の地からの中継では、美しい紅葉を目にする機会が増えた。

 毎年この時期になると思うのだが、紅葉は一瞬の美である。1週間違っただけで盛りを過ぎてしまう。葉が色付く仕組みは、中学だったか高校だったかで習ったが、一言で言えば散りゆく葉の生物学的変質である。あのきれいな葉は、老いて死にゆく葉なのである。我々は、老いて死にゆく葉を見て美を感じているのである。これは考えてみれば何とも不思議なことのような気がしてならない。動物でも植物でも、年を経て朽ちていくことは、若々しい美しさが失われていくことなのだが、紅葉の場合は違うらしい。

 先日、色付き出した街路樹の葉を見ていて、ふいに小林秀雄氏の「無常といふ事」を思い出した。この名作の誉れ高い評論を、私は高校のときに読んだのだが、実はそのことを長い間忘れていた。記憶の中に埋もれていたその本の題名がどうして突然よみがえって来たのか不思議なのだが、まもなく散りゆく街路樹の葉の姿が、無常観を切々と物語っていたからかもしれない。紅葉する葉が、散る前の最後の輝きを放つのは、まことに短い時間である。最高の色になった次の瞬間から、葉は枯れ始める。時の流れに沿って刻々と姿を変えていく葉の姿は、まさに「無常」なのである。

 短い命しか持たない紅葉との出会いは、ある一瞬を逃すと翌年まで待たなければならない。多忙な日常の中にあって、そうした鑑賞の好時期は逃しがちであるし、日程の余裕があっても天気に邪魔されることもある。そしてまた、我々人間も永遠に生き続けるわけではない。我々の生が有限である分、紅葉との出会いの回数もまた有限である。そうであるがゆえに、その盛りの頂点にある木々にたまたま出会った際の喜びはひとしおなのである。我々は日程をやりくりしながら、その一瞬の出会いを求めて紅葉狩りに繰り出す。

 日本人が遠い昔から絵に描き表そうとした紅葉の美とは、そういう常ならむ世の中にあって、まさにその最高の瞬間に行き当たった者の一期一会の感動なのではないかと、ふと思った。そう思いながら紅葉の絵を鑑賞すると、制作者の感動が伝わって来るような気がする。

 今年の紅葉の盛りはいつ頃であろうか。そしてこの先、何度その瞬間に行き逢えるのだろうか。




11月12日(火) 「旬について」

 今回は前回の続きのような話で、「旬」(しゅん)について考えてみたい。

 我々の生活から旬がなくなりつつあると言われて久しい。魚も野菜も果物も、保存技術や栽培方法に改良が加えられて、年中出回るようになった。今では気候の違う海外で栽培したものを輸入するといった新しい技も開発されていると聞く。

 旬がないということは季節感がないということである。例えばサンマは、冷凍技術のお蔭で年中食べられる。しかし、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を読んで、そのしみじみとした叙情を感じ取るためには、サンマという魚が持っている季節感が大切である。それは知識としての季節感ではなく、肌身で感じる生活の中での季節感である。年中サンマ定食を食べている現代人に、それが瞬時に感じられるのだろうか。

 もう1つ思うのは、食卓に上ったときの感動が薄らいだ、ということである。私が子供の頃は、未だ栽培方法や保存方法が普及していなかったせいか、季節ごとの食べ物が食卓に上っていた。母親が夕食のおかずを買いに出掛け、その日その日で店に並べられていたものが、季節ごとの定番料理として食卓にあがった。「○○が出回る季節になった」と言って旬の食材に舌鼓を打ち、「○○はもう終わりだ」と言って、小さな季節の節目が終わっていた。私は子供ながらに食卓に並ぶもので季節の区切りを感じていたし、ある時期だけ食べられる食材には、1年待って漸くまた食べられるという、ささやかな感動があった。勿論その頃でも季節外れの野菜があるにはあったが、やはり冬のトマトは青くすっぱかった。現在では、年中赤く熟れたおいしいトマトが食べられるようになり、それはそれでありがたいのだが、初夏になって漸く店頭に並ぶ、赤く熟れたトマトにかぶりつく感動は、今はない。

 上に述べたようなことは食材だけの話ではなく、色々なものから少しずつ季節感がなくなりつつある。お蔭で、我々はその季節にしか味わえなかったこと、あるいは経験できなかったことを、年中楽しむことが出来るようになった。とても便利になったが、感動は薄まり、その分感謝の心も失われた。感謝といっても、別にたいしたことではない。「ありがたいことに、今年もおいしいトマトが食べられる季節になったな」という、ただそれだけの思いである。しかし、そうした日々の思いの積み重ねが、我々を取り巻く自然への感謝に、どこか細い糸でつながっていたような気もする。

 私は、少なくとも絵に関しては、季節感を意識しながら描いている。春には春の、秋には秋の画題を描く。私の場合、実際の風景から離れて想像で描いているケースが多いので、描こうと思えば、秋に新緑の風景を描いたり、夏に雪景色を描いたりすることも出来るのだが、そうすると、何か私が描こうとしている自然から、どんどん切り離されていくような気がするのである。

 私は自然の有り様を描きながら、その風情に何がしか感謝の念を抱いている。あるいはささやかな尊厳といっていいかもしれない。そうした思いがあればこそ、風景画が描き続けられるような気がするのである。




11月15日(金) 「鋭い指摘に唸った日」

 昔、あるマイナーな公募展に応募して絵を出品したことがあった。私が提出した作品は、湖に浮かぶ小さな島を岸辺から眺めた構図だった。幸い入選して、選者であった日展所属の日本画家よりコメントを戴いた。彼曰く「画面手前に描き込んだ水鳥はない方がいい」。私は少々うなった。さすがにプロだけあって慧眼である。

 私はその後この絵を売ってしまったので、正確には確認出来ないのだが、画面中央に島を持って来て、手前が少々淋しかったので、羽根を休める水鳥を小さく隅に描き込んだ。選者が指摘したのはその水鳥だった。その水鳥は、何も特別な役割を持っていたわけではない。構図バランス上、ついついそこに置いたのである。はっきり言うと、我慢がきかず誘惑に負けて描き入れたのである。その水鳥を、選者はずばりと突いてきた。

 私は、この指摘について色々考えさせられた。おそらく、そこに描かれたのが水鳥ではなく水草だったら、そういうコメントは受けなかったのではないかとも思う。鳥にせよ犬にせよ、動物は画面の中に登場すると、見る者に何かしら雄弁に語りかける。構図の穴を埋めるためだけにそこに何かを置くのだとすれば、動物では不都合な場合があるのである。私の場合には、構図バランスのためだけに水鳥を描き込んで、意図せざる意味を持たせてしまったようである。静まり返った湖に浮かぶ島と、手前で羽根を休める水鳥とをあわせて描けば、見る者はそれを対比的に捉えて、水鳥に感情移入する。そうなると、その水鳥は、この画面の中で何を象徴しているのかと、見る人は考えるだろう。しかし、描いた私の側は、単に構図のバランス上描いただけである。要するに、点景の入れ方が不用意なのである。

 私はそれ以来、風景画に点景を描き入れることに慎重になった。特に、点景としての人物はそうである。人物は、鳥や小動物以上に、見る人が感情移入しやすい。作者がその効果を意図して人物を描き入れたのならいいのだが、そこまで計算せずに安易に風景の中に人物を描き入れると、作者が意図していない物語を、見る者の心に湧き起こさせる可能性がある。そして、その物語は、作者が画面の上に表そうとしたイメージと全く違うものであるかもしれない。作者は、見る者の心の中で勝手に始まるそのストーリー展開をコントロール出来なくなるのである。まぁ、そういう偶然な展開を意図して、絵を見る者の解釈に完全に委ねるというのも1つの手法なので、そういう使い方自体が悪いわけではないのだが…。

 点景は便利である。構図を組む上で、こんなに頼りになる補強材料はない。ただ、便利だからといって、余り深く考えずに多用すると、時として思わぬ方向に絵が独走する危険性がある。私も、そのことを必ずしも分かっていなかったわけではないが、構図に煮詰まり誘惑に負けてしまったということだ。その安易な用法を戒めてくれた、公募展の選者は、さすがプロだと思った。

 人は、うまくいったことについては気に掛けないが、失敗したことは比較的長く覚えている。人からそれを指摘されると、なお更である。そういう意味で、あのときの選者のコメントは、私にとって貴重なものだった。そのお蔭で、以後、点景を安易に使わなくなった。いい批評というのは、絵を描く者にとって尊い財産である。




11月19日(火) 「季節の色」

 四季折々の風景画を描いていると、季節によって画面を支配する色が変化して来る。春には若葉の黄緑、あるいは明るい花の色。夏は青い空、海、そして森の濃い緑。秋は紅葉の赤、黄。冬は雪の白、枯れ木の茶。それぞれ季節を代表する色がある。こうして見ると、秋から冬にかけては、赤、黄も含めて茶色系統の色が多くなる。東京にいると雪の日はめったにないものだから、冬になっても雪の絵は少ない。そうすると、益々茶色が支配する絵が多くなる。これは、季節の色がそうだから致し方ないといえばそれまでだが、どれも色合いが似て来て、絵が単調になりがちである。それが悩み、というほどのことでもないのだが、「休日画廊」に展示した絵を眺めていて、少々気になった時期があった。

 そういう似た色の絵が集中する傾向を脱するために、季節を無視した色使いというのを何度か考え、試したことがある。しかし、新機軸だと思って描いているうちに、どこか違和感が出て来る。見る人からすればたいしたことではないかもしれないが、描く側の立場では「この色調、何か違うなぁ」という感覚になる。パソコン絵画は色の塗り直しが簡単なものだから、幾つか色を置き直してみると、やがてこちらの感覚に合う色合いとなる。しかし、ふと気が付くと何のことはない。いつも通りの季節の色が画面の多くを占めるようになっているのである。要するに、描く方の心がその季節のモードになっているから、別の季節の色合いを持って来てもしっくり来ない、ということが分かって来た。

 季節の色と心が結び合っているのに気付くのは、例えば公募展などに行ったときである。通常、公募展は「春の院展」みたいな催しを除くと年1回だから、1年分の作品が一堂に並ぶ。ほぼ全て大作だから、完成までにかなり時間がかかっている。構想、取材、スケッチ、試作を経て、漸く本作にとりかかり、時間をかけて仕上げられる。従って、先週見た風景が絵になって登場するわけではない。季節も春、夏のものが多く、未だ来ぬ冬の絵もある(実際に絵の題材になっているのは去年の冬なのだが…)。

 例えば、秋の公募展で春の若葉の絵を見る感覚というのは、何とも言えぬものがある。何より、日頃秋の景色しか見ていないから、若葉の鮮やかな色は、展示室に足を踏み入れた瞬間に、遠くからでも人目を引く。そして、絵自体、どこか遠く過ぎ去ったものを見るような感覚がする。自分の周りに今はない、過去の記憶の色が甦って来るという感じだろうか。違和感というのではないが、その色使いが妙に心に残ることがある。何かうまく表現出来ないが、不思議な気分になるのである。そんなときに私は、自分の色彩感覚の中で、色と季節が如何に強く結びついているかを、改めて思い知らされるのである。

 東京の暮らしには、中々季節の色がない。コンクリートのビルも、アスファルトの道路も、年中色を変えない。それでも私は生活の端々で、季節の色の微妙な変化を感じ取り、心の色調モードを季節が巡るのに合わせて変えているのである。それはおそらく、我々が遠く祖先から受け継いで来た季節の記憶とも、深いところで結びついているのであろう。そうして考えると、季節ごとに絵の色調が変化していくというのはごく自然な成り行きであり、これを無理に変える必要はどこにもないような気がして来る。最近では色調を変える試みは止めて、多少単調になってもいいから季節の色合いに従うようになった。お蔭で、最近の絵は茶色系が多い。

 結局、心のままに色を選ぶことは季節の色の感覚を大切にすることである。そんな単純なことに気付くのに、随分回り道をした気がする。頭で考えずに心で描く、そんな基本姿勢を無視して、新機軸を打ち出すべく小賢しく策を労そうとした報いかもしれない。自然はいつも偉大な教師だということだ。私はそこからほんの僅かしか学んでいないことを痛感する。




11月21日(木) 「工芸作品」

 統計上正確なところは知らないが、美術関係の愛好家というと、大半は絵画ファンなのではないか。美術関係の本も、画集を中心に絵に関するものが一番売れているはずだ(違ってたらお許しを…)。しかし、美術には、陶芸、七宝、染色、書など絵画以外の分野もある。絵画に比べたら庶民的な人気は少々劣るかもしれないが、みな美術分野の一角を占める重要なジャンルである。

 このうち、一般に親しまれているのは陶芸、書くらいで、染色や七宝、漆、籐細工となると、まずどこに行けば本格的な作品を見られるのか、一般の人はご存知ない。かくいう私もよく知らず、せいぜい以前淡彩で描いた「東京国立近代美術館工芸館」に足を運んだことがある程度である。そういう中で、一般人がこうしたジャンルの高水準の作品に出会う、最も簡単な機会は、毎年秋に開かれる「日展」だと思う。

 私は上野でやっている「日展」に毎年足を運んでいるのだが、相当大規模な公募展である。まず日本画部門を見て、次に1階上がって洋画部門を見たところで、一般人は疲れるように出来ている。そこから更に力を振り絞って、もう1階上がって書・工芸部門まで足を運ぶ気力のある人は、そうした分野の愛好家か、美への探究心が強い人だと私は勝手に解釈している。私はそのいずれでもないのだが、事情があって毎年書・工芸部門まで行っている。ついでに言うと、私は未だかつて、地下でやっている彫刻部門には行ったことがない。吹き抜けのホールの上から、居並ぶ彫刻を見下ろして終わりである(笑)。しかし、全作品を鑑賞するのは疲れるとしても、ここに行けば、美術界の幅広い分野の一級作品を一度に見ることが出来る。

 どうして私が毎年「日展」の工芸部門を見に行っているかと言うと、親戚が毎年陶芸作品を出品しているからで、最初はその作品を探して見るだけが目的だった。ところが、じっくり見て回ると、展示されている工芸作品というのが中々面白いのである。美しいというのは勿論として、絵を描く者からは思いつかないような発想の作品が沢山ある。率直に言って、その美的想像力には脱帽の連続である。

 長年絵画作品を見て来て、自分でも絵を描いていると、絵画に関する限りある程度パターンが分かって来る。従って、毎年「日展」の日本画や洋画を見ても、想像の範囲内か、良くてもその延長線上である。度肝を抜くような奇抜な作品は、現代絵画の最先端の展覧会にでも行かない限り、まずお目にかからない。そして、現代絵画の展覧会でも、想像を絶しながら、なおかつ美しいと感動する作品は、残念ながら見たことがない。しかし、工芸作品の中には、何故かそういう作品があるのである。

 何故工芸作品には、今まで見たこともないような美が未だ存在するのだろうか。単に自分がそうしたジャンルに疎いから珍しく見えるということだろうか。あるいは作品自体の自由度が絵画とは全然違うから、絵では描けないような新しい形の美を生み出せるということだろうか。私はここでその答を整然と書き並べられるほど工芸作品への造詣は深くないのだが、一つだけ言えることは、美術分野の中で、さしたる根拠のない先入観で特定ジャンルについて食わず嫌いになるのは良くない、ということだ。

 もしここまで私の拙文を読まれて、工芸作品に興味を持った方がおられれば、早速、上野まで足を運ばれたい。24日が「日展」最終日である。




11月30日(土) 「パソコン騒動記」

 実はこの1週間ほど、我がパソコンは「役立たずの箱」として、部屋の片隅に放り出されていた。この間の顛末をきっと私が「パソコン絵画徒然草」に載せるのだろう、と家人が冷やかし半分に言うので、ご期待に応えて書いておこう。パソコン不調のため更新をさぼっていたので、今回は多少長編であり、かつ、ややマニアックな内容なので、一般的読み物としては面白くないかもしれないが…。

 そもそもパソコンが不安定になったのは、この1ヶ月ほどのことである。一般のご家庭では、パソコンは買ったときの設定のまま使い続けておられるのだろうが、私はセキュリティー対策や安定性確保の観点から、マイクロソフトのホームページにある「Windows Update」をたびたび利用してOS(Windows98SE)の各種機能のアップデートをして来た。それ以外にもドライバーなどを繰り返し最新版と入れ替えているし、ウイルス対策ソフトについても、ほぼ毎日ウイルス定義の更新チェックをしている。安定性確保の点から行ってきた、そうした数々のアップデートや新しいソフトの導入に、おそらく私の古いパソコンがスペック的に耐えられなくなったか、Windowsのレジストリーが壊れてしまったのが、不安定化のそもそもの原因ではないかと思っている。気を使った挙句に壊れたとは、思えば皮肉な話である。

 私のパソコンは、買ってから既に2年近く経つ。市販のパソコンは1年で性能が格段に向上し、1年前の高級機が最低価格帯の商品になったりするから、私のパソコンは立派なロートル・マシンである。そう考えてみると、何か起こってもおかしくはない状況だったと言える。不安定化が起こってから、デフラグなどの一般的手段のほか、取りあえずメモリーの増設、ビデオ・カードの入替え、そしてついにBIOSのアップデートまで行ったが、余り効果はなく、騙し々々使って来たパソコンは、ついに立ち上がっては強制終了を繰り返す重病になった。最後の建て直しのためにと、新しいハードディスクを取り付けてWindowsを入れ直してみたが、どういうわけだかSafeモードでしか立ち上がらない。BIOSのアップデートで、マザーボードまでダメージを受けたのかもしれない。ことここに至って、マザーボードごと入れ替えるしかないかと諦めたわけである。

 一般的に、買ったときの状態のまま使い続けるならまだしも、ドライバーの更新やソフトの導入・アップグレードなどを繰り返すとなると、同じパソコンをずっとそのまま使い続けることは出来ない。いつか限界が来て、中身を入れ替えるか、丸ごと買い換えるかしなければならない時期が来る。今回のトラブルも、たまたまそういう時期になっていたということであろうか。そうだとすると、パソコンで絵を描いている人なら誰しも、いつか私と同じような目に遭う可能性は充分ある。そういう場合に備えて、一体何をしておくべきなのか。バックアップの話を中心に少しばかり考えてみたことを、以下に記しておきたい。

 パソコンで絵を描いている人にとって最大の問題は、使っているパソコンがクラッシュした場合に、それまで描いた絵を失わないよう、予めどういう手を打っておくことが出来るかである。一番確実な方法は日頃からコツコツとバックアップを取っておくことだが、如何せんパソコンで描いた絵は、1つのファイルの容量が大きく、大抵フロッピィーに入り切らない。その点、CD−RやCD−RWなら大丈夫だが、そうなると手間がかかるため頻繁にバックアップを取るのは面倒になる。しかし、「まぁ、そのうちに・・・」と油断しているときに限って、危機はやって来るのである。

 我が家には2台パソコンがあり、お互いLANでつながっている。私は、描いたパソコン絵画を両方のパソコンのハードディスクに入れてバックアップする形にしている。これだと、バックアップがとても簡単で、毎日やるとしても特に面倒なことはない。こうしておくと、どちらか一方のパソコンが物理的に破損しても、もう一方のパソコンにデータは残る。今回は、元のパソコンのハードディスクが物理的に壊れたわけではないので、データは無傷で残っていた。お蔭で、新しくパソコンを組み直して、従来のハードディスクをslaveに接続し、データをそのまま取り出して移植した次第である。

 しかし、仮に、私がもう1台のパソコンにデータを保存しておらず、かつパソコン・ケースを自分で開けることも出来ない初心者だったとしよう。この場合はかなり困った事態となる。大抵の人はパソコンが立ち上がらなくなると、ハードディスク自体もダメになったと思ってしまう。しかし、ハードディスクの回路が焼き切れたりディスク自体が壊れたりといった、物理的破損の場合を除いては、データはそのままハードディスク内に残っている。要するに、WindowsというOSが壊れただけのことで、全てのデータが消えてしまったわけではない。従って、ハードディスクを新しいパソコンのslaveに接続するという簡単な手順さえ知っていれば、描いた絵だけでなく、メールやアドレス帳、文書、その他のデータを、ほぼ全て復旧出来る。

 今回の私のケースでは、マザーボードを入れ替えたため、Windowsを一からインストールしなければならなかった。そのためにmasterに接続するハードディスクを新しく買って来た(1万2千円で80GBのハードディスクが買えたのには少々驚いたが・・・)。データを取り出すため古いハードディスクをslaveにつないだのだが、データを移した後、外さずにそのままツイン・ドライブにしている。これからは、master とslaveにつないだ2つのハードディスクにそれぞれ描いた絵を保存してバックアップを取るようにしようと考えたからだ。それだと、LANでつないだもう1つのパソコンに接続するより、一層簡単である。

 こういうバックアップに関する最低限の知識は、パソコンで絵を描く以上、危機管理として必要ではないかと思う。もし、「機械に弱いのでそれはどうも…」と言うのであれば、CD-RやCD-RWなどのメディアにバックアップを取るようにするしかないであろう。ただ、これをこまめにやれる人は、かなり几帳面な人だと私は思う。

 もう1つ、バックアップとは関係ないことで、少々考えさせられたことがある。絵を描く上でパソコンの機能に関し重要なことは何かということである。

 私は、パソコンを自分で組む程度のことは出来るが、それ自体が趣味ではない。世の中にはパソコンの自作を趣味にしている人が沢山いて、秋葉原のパソコン・パーツ店に行くと、皆さん熱心にパーツ談義に花を咲かせておられる。こういう方々の多くは、組み立てたパソコンの速さを1つの目標にしておられると聞くが、絵を描くことを前提に必要な機能を考えると、速さはさして重要でない気がする。これが同じコンピューター・グラフィックス(CG)でも3DのCGソフトであれば、レンダリングの時間短縮の観点から、情報処理速度が重要な要素になって来ようが、私のように2DのCGであればさして問題にはならない。逆に問題になるのは、安定性とメモリーの容量だと思う。

 パソコンで絵を描くと、かなりメモリーを食う。パソコンが処理作業に必要とするメモリーの量が、マザーボードに取り付けられたメモリーの容量を超えると、パソコンはハードディスクの中に作業領域を確保し、メモリー代わりに使う。これをスワップ・メモリーと言うが、問題は、ハードディスクのデータ伝達速度はメモリーに比べて格段に遅いので、スワップ・メモリーが働くとパソコンの動きが極端に落ちる。そうなると、タブレットで引こうとしている線が飛んだり、勝手に線が引かれたり、トラブルが起こる。これは、あとで修正がきくとは言え、誠に不快なことである。それを防ぐための手段は、タスクトレイ常駐型のソフトの数を減らすとか、こまめにクリップボードのデータをクリアするとかだが、一番手っ取り早いのはメモリーを増設することである。

 私なりの基準で考えれば、例えばメモリーに関しては、速さを重視するのではなく量を重視するということになる。現在市販されているメモリーの主流は、ランバスやDDRなど読書き速度を従来のSDRAMから引き上げたものになっているが、速度が向上した分、値段は格段に高い。そうであれば、絵を描くためにパソコンを組む以上、マザーボードが合う限り、SDRAMで大容量のメモリーを確保した方がよいのではないか。例えば、秋葉原で2100というDDRでは遅いタイプのメモリーでも、512MBで1万5000円程度する。その分でSDRAMを買うと、3倍の1.5GB相当は買える。スワップ・メモリーをなるべく起こさないという方針に立てば、この差は無視出来ない程大きいような気がする。今回、SDRAMをサポートするマザーボードがショップからほぼ消えていたので、私はやむなくDDRを選んだが、この点は少々悔やまれる。「スピードより量」という需要があることをマザーボードメーカーは分かって欲しいが、そんなことを要望しているのは私だけであろうか。

 何だかつまらないマニアックな話題が長々と続いたが、パソコンで絵を描く以上、描画ソフトやタブレットだけでなく、パソコン自体のことも日頃から色々考えておいた方が良いような気がする。パソコンの世界では、問題が起きてからでは間に合わないこともある。皆さんがそういうことにどこまで関心を寄せておられるのか知らないが、何かの参考になれば幸いである。




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