パソコン絵画徒然草

== 11 月に徒然なるまま考えたこと ==





11月 2日(木) 「ネット雑感」

 このサイトに掲載している作品の制作なり、この徒然草なり、いったいいつまで続くのだろうかと思うときがある。「休日画廊」を開設してかれこれ5年が経った。最初始めたとき、なるべく長く運営していきたいとは思ったが、ここまで続くという自信があったわけではない。ただ、逆にそう長くは続くまいという予感もなかった。そのときそのときでやってきたことが積み重なって、ここまで来たというだけである。

 ホームページというものが、パソコンやネットワークに詳しい一部の人たちの所有物だった時代は遠く過ぎ去り、今ではブログといった簡易形式のサイトまで含めると、相当数の人がネット上で情報発信するようになった。しかしその分、個人サイトの寿命は短くなり、1年も続けば老舗サイトと言われるようになったとも聞く。

 たしかに個人でサイトを開くと、最初は全てが目新しく面白い。同じような分野のサイトを訪問して相互リンクを依頼し、掲示板を開設して新しい書き込みと出会いに心を躍らせる。そうしてネットの交流が少しずつ広がり、会ったことはないが親しく語り合う友がたくさんできる。そのうち、自分の方がネット上の先輩となり、同好の士から相談を持ち掛けられたり、先達者として持ち上げられたりするようになる。そこまで行くと、あなたはすっかりネットの住人である。

 しかし、やがてその活動にも陰りが生じることになる。きっかけは様々だろう。実生活が忙しくなってネットに接続する時間が割けなくなるとか、別の趣味が出来てサイトへの関心が薄れるとか。不幸にも病気になってパソコンどころではなくなるケースもあろう。あるいは、更新材料がなくなって、サイトの更新が出来なくなることもあるかもしれない。いずれにせよ、そうした構造的要因でネット上の活動サイクルが一旦狂い始めると、元のペースに戻るのは大変である。やがてネットと疎遠になり、従来の交流の輪から外れてしまう。かくしてサイトは閉鎖されるか、そのまま更新が途絶え放置されることになる。私は、絵の分野に限らず、そうしたケースを過去いくつも見てきた。

 幸運にもこの「休日画廊」は随分長い間維持できているが、「継続のコツは何ですか」と訊かれると、正直答に窮する。「まぁ更新のために無理をしないことでしょうか」と無難に答えるが、それは更新ネタのなくなった人へのアドバイスにはならない。この世界は不思議なもので、更新材料がなくなると、そのサイトは死に絶える。物理的に消滅しないまでも、誰も訪問しなくなり、宇宙に漂流する廃棄人工衛星の如き状態になる。たまたまサイト検索などをしていて、そんなページがヒットすることもある。覗いて見て、最終更新日時と掲示板のリンク切れを見て「あぁ、放置されたままになっているサイトなのか」と気付く。

 私のサイトが続いているのは、結局更新材料である作品と徒然草が途切れないためなのだろう。それ以外のコーナーはほとんど更新しないから、この両方が途絶えるときが「休日画廊」の寿命である。ただ、その時期はなかなか来なくて、5年も続いているというわけである。

 サイトを続けるということは、その基礎にある趣味を続けるということが大前提となる。これは至極当たり前のことだが、サイト運営に熱心になるあまり、時々そこを見落としてしまう場合がある。つまり、趣味がまずあってその紹介の場としてサイトを運営するのではなく、サイトを続けるために趣味を続けるような関係になるのである。こうなると、趣味の世界に無理が生じて、サイト運営のスピードや規模についていけなくなる。それはいわば、サイトにとって終わりの始まりの状態である。こうした本末転倒は、サイトが活気を帯びるに従って起きる。サイトの絶頂期が、ある意味でその後の持続可能性を占う重要局面になるわけである。

 私は以前から、更新がしんどくなったら、いつでもそのコーナーの更新をストップするつもりでいる。パソコン絵画であれ徒然草であれ、制作できない状態になればサイト更新のために無理をするつもりはない。そう思いながら、自然体で出来たものを逐次更新して今日まで来た。サイト運営の継続は、その結果に過ぎない。

 2001年に始まった「休日画廊」は、この11月で5周年を迎えることになる。この先どこまで続くのか、どこに行くのか、私自身にも分からないのだが、私が絵を描き続ける限り、このサイトも細々と生きながらえていく気がする。




11月15日(水) 「里道を歩く」

 秋になって気候が良くなったので、また思い出したように山登りに行った。山といっても、私は本格的な登山家ではないので、300-400メートル級の低山にしか行かない。近くに東武東上線の駅があるので、そこから電車に揺られて埼玉県北部まで出掛け、駅から歩いて行ける範囲の山に登る。

 山歩きを趣味にする人は朝早く起きて出掛けるらしいが、私は気ままな山登りを身上としているので、休みの日に普通に起きて、空のリュックを提げてふらりと出掛け、駅前のコンビニでおにぎりを買って電車に乗る。帰りも早く、5時前には家に着いている。

 私が山登りのために降りる駅周辺は、都内に比べるとひなびた印象が強く、日頃コンクリート・ジャングルに暮らす身にとって、なかなか見られない風景に接することが出来る貴重な機会である。一緒に連れて行く息子は、山登りは楽しみにしているものの、登山入り口までの里道は退屈だと不満を口にする。しかし、絵を描くのを趣味にしている私の目から見ると、山の中だけでなく、里道を歩くのは充分興味深く楽しみなひとときである。

 日本中どこでもそうだろうが、山のふもとには農家が点在し、畑や田んぼが広がっている。その周囲には雑木林や野原があり、農業用水を兼ねた小川が入り組み、農機具を収納するための作業小屋が建っている。私が歩く道の両側では、農家の人達が畑仕事に精を出し、背後の森や林は秋らしい色合いになっている。そこに暮らす人にとっては当たり前の風景だろうが、私にとっては絵の題材がそこここに転がっているような気分になる。私は宝探しでもするかのように時折立ち止まり、里の景色を眺めたり、ちょっと脇道にそれて小川の中を覗いてみたりするのだが、どうやら登山口を一直線に目指す息子にはそういう寄り道が不満らしい。

 私は里道の風景を見ながら、こんなふうに本当の自然を身近に感じ、おだやかな空気の中でのんびり暮らせば、さぞかし豊かな人生を送れそうだと思う。春夏秋冬の変化を肌身で感じ、一歩家を出れば目の前に自然が広がる。流れる時間はゆったりとしていて、騒音や人ごみとは無縁の環境である。傍目に見れば、人間らしい暮らしというのは、こういうものではないかとすら思えてしまう。そして、そう思いながら、私は里道の風景から素材を選び、絵を描いている。

 ただ、そこに暮らす人の思いは、本当はどうなのだろうか。周りに大きなショッピングセンターやデパートは勿論のこと、コンビニさえ見当たらない。バスが通っている様子もないから、どこに出掛けるのも車か自転車に乗って行かざるを得ないのだろう。都内なら幾つもある歓楽街やおしゃれなショッピング・エリアもない。おそらく若者は、そんな変化のない暮らしに嫌気がさして去って行ってしまうのだろう。私が感じる魅力は、所詮週末旅行者の感慨に過ぎないのかもしれない。

 そうした田舎を脱出した若者が憧れるのは、都会の華やかな暮らしなのだろうが、その都会に住んでいる我が身からすれば、その考えはどこか違うような気もする。確かに、渋谷、六本木などの歓楽街や青山や銀座界隈のセンスの良さには魅力があるが、日頃散歩していて絵にしたいような風景に出くわすことのないこの街の有様が、人間らしい理想的な生活環境のように思われないのである。おそらく私が週末の山登りだのサイクリングだのに出掛けるのは、日々の生活で酸欠気味になった心が、そうした場所での命の洗濯を求めているからではないかと思う。

 しかし、田舎に住む人から見れば、逆のことが言えるかもしれない。田舎に住み続けることの味気なさを、都会の人間は分からないのだろうと。毎日が同じような暮らし。おしゃれや派手さとは無縁に、淡々と日が過ぎていく。息抜きといっても、家でテレビを見たりお酒を飲む程度のことしかない。流行も関係なければ、刺激もない。そんな生活の中から一体どういう楽しみを見出せばいいのかと言われれば、その気持ち分からぬでもない。

 都会と田舎、この両方の中間辺りに、本当の答があるのかもしれないが、そんな好環境のところに住んでいる幸せな人は、実際には一握りしかいないのだろう。田舎の人が都会を求め、都会の人が田舎暮らしに憧れる現状は、どこか不幸である。週末になると、田舎に住む人は華やかさを求めて都会に出掛け、都会に住む私は山登りを兼ねて田舎に出掛けて命の洗濯をする。かくして上り下り両方向の電車が混むことになるのだが、よく考えれば何だか滑稽な図式である。

 私は里道で立ち止まり、傍らの畑で農作業に汗を流す農家の人を見ながら、時折理想的な暮らしというものについて考える。それは人々が永遠に求め、しかし最後まで得られないものかもしれない。そして私が絵に描く風景は、所詮私なりの理想の暮らしから紡ぎ出される一面的なものに過ぎないのかもしれない。色々考えながらふと気付くと、息子が私を促すように服を引っ張っている。かくして私は我にかえって、季節外れのトンボに誘われるように、また登山口を目指し歩き始めるのである。




11月28日(火) 「見つからぬ風景」

 私は長い間、ある風景を探している。それはひなびた洋館の裏手の朽ち果てたような風景なのであるが、どこかで見たわけでも、話に聞いたわけでもない。ただ漠然としたイメージが心に細々と宿り続けているだけである。

 そのおぼろげな風景の原型が何であるのか、私には皆目見当がつかないのだが、海外の観光ガイドの挿絵的な写真の中に、何となくイメージに近いものを見ることがある。つまり、そう珍しい景色ではなく、西洋ではありふれた日常風景なのかもしれない。

 米国に住んでいた頃、そのイメージに近い風景を見たことがある。ちょうど秋になると、都市近郊の観光農園でリンゴ狩りやカボチャの直売を行う。私が住んでいたニューヨークは、ビッグ・アップルというニックネームを持っていて、その由来が何なのかよく知らないが、とにかく周辺にリンゴ農園がたくさんあった。我々も収穫の季節になると、そんな農園に何度か足を運んだことがある。

 日本のリンゴと違って米国のリンゴは小ぶりで、つやのある赤みを帯び、食べると甘さとすっぱさが同居したような懐かしい味がした。そのままでも食べるが、多くの家庭では、業者に頼んでアップルサイダーに加工してもらったり、家で作るアップル・パイの材料にしたり、ジャムを作ったりしていた。

 リンゴ狩りに行ったついでに、農園のカボチャ畑でハロウィーン用のカボチャを品定めする人も多い。日本のカボチャとは異なり、オレンジ色をした巨大なものである。但し、食用には向かない。もっぱら、ジャック・オー・ランタンというカボチャのおばけを作るのに使われる。専用の道具が売っていて、中身をくり抜き、眼や口に見立てた穴を空ける。これは例年、子供たちにとって楽しい工作となる。完成したらハロウィーンの飾りとして、家の外に飾っておく。

 さて、そんな秋の楽しいひととき、買う気はなかったが面白そうなので、リンゴ狩りの後、農園の裏手に回ってカボチャ畑を見て回った。たくさんの巨大なオレンジ・カボチャがゴロゴロした中を歩いていると、ふと農家の納屋の裏手が目に入った。あぁ、探していたのはこんな風景じゃなかったかなぁ、とそのとき思った。

 納屋の外板はペンキが塗ってあったが、日に焼けているうえ所々が剥げていて、下から朽ち果てたような木材が覗いていた。納屋の土台は、天然の石をそのまま積み上げた無骨なつくりで、むき出しの土から草が伸び放題になっていた。その納屋の外壁に沿って、樽だの木箱だのが並んでいる。何ということもない農村風景だが、そういったアイテムが組み合わさって不思議な安心感、静寂感をかもし出している。洋館の裏手というわけではないが、何となくこんな感じなんだよなぁ、とそのとき思った。そして、再びそんな風景にめぐり合うこともなく、米国をあとにし帰国の途に着いた。

 あのイメージが、一体いつごろ、どういうきっかけで心に宿ったのか、全くもって分からない。ただ、「休息の風景」とでも名付けたいようなあのイメージには、心安らぐ何かがある。私は、一度あの風景を絵に描いてみたいと思っているのだが、パソコンの前に向かうとどうにも具体的な形となってまとまりにくい。であるがゆえ、それに近い風景をもう一度見てみたいと思うのだが、今に至るまでめぐり合えないままである。

 しかし、そんな正体不明の心の風景、誰にも一つや二つ、あるのかもしれない。




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