パソコン絵画徒然草

== 11月に徒然なるまま考えたこと ==





11月 7日(水) 「ついに6年」

 毎年この時期になると、「休日画廊」の越し方行く末について色々考えることになる。ちょうど11月3日の「文化の日」が「休日画廊」の誕生日であり、今年で早6周年を迎えた。思いのほか長く続くこのサイトに、本人自身も驚いているというのが正直なところである。

 だが、「休日画廊」を取り巻く環境は、サイト開設当初と随分変わった。

 6年前は、個人がインターネットで情報発信する場は自分のホームページというのが当たり前だった。自分なりのコンテンツを持ち、交流のために掲示板(BBS)を併設し、メールアドレスも記す。これがごく一般的なサイト活動のスタイルだった。

 しかし、今はどうだろう。個人のホームページは少なくなり、「休日画廊」開設当初にはなかったブログが主流となっている。現在ブログは多くが無料で、ほぼ容量無制限に使える。お蔭で無料ホームページの影は薄く、サービスを停止する業者も増えた。同好の士が出会う場だったBBSも、設置しているところはかなり少なくなっている。これは悪質な詐欺業者による洪水のような宣伝書き込みが原因の一つで、こちらも利用者の減少に合わせて無料提供業者は減った。当然のことながら、メールアドレスも掲示しないところが増えた。スパム・メール対策のためである。

 「休日画廊」設立当初は、同好の士たちのホームページとたくさんの交流があったが、それもここ数年めっきり途絶え、今では離れ小島の観がある。交流のあった方々も、多くはネットの表舞台から姿を消されたようで、お見掛けしなくなった。1年、また1年と経過するごとにその傾向は強まっており、私はこの「休日画廊」にこもり、好きな時に絵を描き、思い付いたときにこの「徒然草」を綴るだけの日々である。どこか現役を引退した選手のようで、このまま一人、また一人と人々から忘れ去られて朽ちていくのかなと思うこともある。

 そんな寂しい気になるのも、開設記念日が11月という晩秋であるためかもしれない。夏の盛りは既に遠く、自然は冬ごもりに備えて準備を始めている。無常を感じざるを得ないこの季節に、例年サイト運営についても無常を感じることになる。

 「休日画廊」を開設したときには、6年後のことなど思いもよらなかった。そんな先までこのサイトが続いていくことは、想像することすら難しかった。そして、6年経った今、このサイトを取り巻く状況が、こんなに大きく変わってしまったことに驚きを禁じ得ない。それは、サイトがここまで続いた驚きよりもはるかに大きなものである。

 さて、来年の7週年にはどうしているのだろう。まだ「休日画廊」は続いているのだろうか。やめる予定もないが、続いている確信もない。ネット界も含め、全てこの世は無常なのである。

「風景は風光とならなければならない。
音が声となり、
かたちがすがたとなり、
にほひがかをりとなり、
色が光となるやうに。」
(種田山頭火)




11月14日(水) 「風俗画と寓意」

 今月初めに、新聞・テレビ・雑誌などで大々的に宣伝している「フェルメール展」を、六本木の国立新美術館まで見に出掛けた。

 これから行く予定のある人のために書いておくが、「フェルメール展」というのはかなり眉唾モノで、実態は「オランダ風俗画展」である。内容はオランダの風俗画や陶芸、楽器などを展示するもので、その中に1点だけフェルメールの絵がある。主催者側も、看板に偽りありと言われないように予防線を張っており、「フェルメール」と特大活字で書きながら、その下に小さく「『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」と、本当の展覧会の内容をごく小さく添えている。まぁ日本でよくある「一点豪華主義」的展覧会の典型である。

 フェルメールは、17世紀のオランダの画家で、現存する作品は三十数点である。それが世界の美術館に散らばっており、どの美術館でも自慢のコレクションとなっている。どう考えても、そう何点も日本に集められるわけがない。だからちょっと考えれば、日本で「フェルメール展」と大々的に言えるような展覧会が開けるはずがないことくらい分かるはずだが、まぁついつい題名に期待して行ってしまうのだろう。

 そう言うとみんな行く気をなくすだろうから、若干擁護めいたことを言っておくと、「牛乳を注ぐ女」はオランダのアムステルダム国立美術館蔵なので、実際に見に行くのは大変である。それを考えると1500円のチケット代は安いと思っていいかもしれない。ただ、この種の有名絵画の展覧会では毎度のことだが、とにかくフェルメールの絵の前は黒山の人だかりで、とんでもない騒ぎになっている。

 閑話休題。今回は、フェルメール展の悪口を書こうと思って筆を取ったのではない。実は、この展覧会で多数紹介されているオランダの風俗画がなかなか面白かったのである。

 風俗画の構成は、絵画と版画からなっており全部で数十点ある。その多くは、あまり聞いたことのない画家の手になるもので、当時の庶民の何気ない日常風景を描いている。私は音声ガイドを借りて聞きながら鑑賞したのだが、作品解説によれば、かなりの絵に様々な寓意が込められている。これがなかなか面白いのである。

 絵に込められている寓意は、一作品に一つというわけではなく、画面を構成する様々なパーツにそれぞれ謎解きのような意味が含まれているものもある。例えば、「鸚鵡の鳥籠」と俗に呼ばれるヤン・ハ-フィクスゾーン・ステーンの作品では、幾つもの寓意が画面の中に織り込まれている。画面の左隅で少年が猫に餌をやっているのだが、当時猫は愚かさの象徴とされていたようで、それに餌をやっても人の言うことを聞いたりはしない、つまり、愚かな者に躾を教えようとしても無駄だという意味を込めたものとされている。こんな調子の絵が何枚も続く。

 こうした寓意は、パッと見ただけでは分からない。おそらく音声ガイドがないと、そのまま意味も分からず通り過ぎていただろう。当時の人々なら、絵に隠された意味をどれくらい理解したのだろうか。ある程度の教養と常識を兼ね備えていないと、絵解きは難しかった気もする。

 感心しながら見ているうちに、これらを描いた画家は、いったい誰に見せたくてこんな絵を描いたのだろうと思った。肖像画などと違って金持ちから頼まれた仕事とも思えないので、おそらくは自分自身の楽しみも兼ねて描いたのだろう。誰がこれを買ったのかは分からないが、当時の世相から言って、一般庶民が気軽に絵を買って部屋に飾るなんてことはなかったろうから、購入できる余裕のあるのは一定の富裕層に限られていたに違いない。買った者は、その絵の寓意を楽しむだけの教養があったことになる。

 今やごく普通の人でも、有名画家の絵を別にすれば、部屋に飾るための絵画を購入することは、さして難しいことではない。ただ、選ぶならインテリアとして好みのものを、あるいは部屋の雰囲気に合ったものを選ぶだろう。要するに外観勝負である。オランダの風俗画のように寓意に満ちた絵を買う人はそんなにいないだろう。であるがゆえに、現代ではこの種の絵は、売り絵目的ではそれ程制作されていないはずだ。

 もしかしたら、17世紀のオランダ人の方が、我々よりウィットに富んでいたということだろうか。風俗画は、そこに描かれた世俗風景から人々の日常生活を垣間見ることが出来る点で興味深いのだが、今回は、この絵を受け入れる世相や人々の嗜好の方に、より興味が募った。負け惜しみではなく、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」より、そっちの方がよほど面白い。見に行く人には、音声ガイドを借りることをお勧めする。




11月20日(火) 「ものの見方の違い」

 東京は国際都市で、至るところで外人さんを見掛ける。六本木や麻布など、そもそも外人さんの住居が多い地域だけでなく、私の住んでいる練馬辺りでも時々お見掛けする。住んでいる人も多いが、観光客もまた多い。皇居周辺や銀座、浅草は言うに及ばず、最近では築地の場外市場や秋葉原でも、海外からの観光客の団体がガイド付きで闊歩している。

 観光客の団体と行き会った際、彼ら彼女らの行動を見ていると何かと面白い。特に欧米系の人々は、表情や身振り手振りなどの表現力が豊かなので、何に関心を寄せているのか、近くで見ているとよく分かる。中でも私の興味を引くのは、彼ら彼女らが、何を写真に収めようとしているかである。

 如何にも日本の観光名所的なもの、例えば皇居周辺の風景、神社仏閣、日本庭園などをパチパチ撮るのはよく分かる。だが、いったい何故そんなものを写真に収めようとしているのかよく分からないものを撮影していることもある。何気ない街角の風景、道行く人々、雑然とした路地裏、などなど。我々日本人の感覚では、被写体として写真に収める価値があるのか首をひねるようなものを、熱心にカメラに収めている。

 そんな海外観光客の行動を見ているうちに、思い出したことがある。米国に住んでいた頃のことである。街中や家の周りを歩いていて、何気ない風景が妙に魅力的に見えるのである。どこにでもある住宅街のたたずまい、雑然とした都会の街角の光景、名も知れぬ公園の片隅の様子、などなど。観光ガイドマップには出て来ないありきたりの景色に心惹かれるのである。日本人の私には、そうした全てが、絵になりそうな味のある題材に見えた。

 だが、そんなありふれた光景を描いた現地の絵はめったに見かけなかった。米国人から見れば当たり前の日常風景であり、絵の題材にするなんて思いつきもしないということだろうか。確かにこうした普通の風景は、毎日見ていると何の特徴もない平凡な風景になってしまい、魅力を見失いかねない。そうなると、人はその景色を見ているようで見ていなくなくなる。絵の題材としても意識されなくなるということだろう。

 東京都内を闊歩する海外からの観光客の行動を見ているうちに、もしかしたら、我々が日常生活の中で無意識のうちに通り過ぎている景色の中にも、そうした魅力的な絵の題材が転がっているのかもしれないなと思ったのである。ただ、あまりにもそれがありふれているがゆえに、我々日本人は気付かないわけである。

 私は、外人さんたちがカメラを向ける先をついつい見やってしまう。いったい彼ら彼女らの目には、何が映っているのか。我々とは全く異なる文化や生活環境の中で育った人たちから見た日本の風景は、どんなふうに見えているのだろうか。

 日本文化に対する外人さんたちの賛辞には、「エキゾチック」という形容詞がよく使われる。そのエキゾチックさを追い求める目を通して日本の景色を見たとき、いったいどこに魅力を感じるのか、一度彼ら彼女らに聞いてみたい気がする。昔、国鉄の宣伝に「ディスカバー・ジャパン」という観光キャッチ・フレーズがあったが、きっと我々が気付かない新たな発見があるに違いない。




11月28日(水) 「日展」

 秋の展覧会シーズンもそろそろ終わりというところだろうか。12月に入ると有名な公募展も終了し、年末までめぼしい美術展はお休みとなるのが、毎年の傾向である。

 今年もまた日展を見に行った。都合が付かずに行かなかった年もあるが、だいたい毎年夫婦で鑑賞に出かけるのが慣わしになっている。従来は上野の東京都美術館で開催されていたが、今年から装いも新たに、六本木の国立新美術館に場所を移しての開催となった。

 例年のことながら、日展はかなり大規模な展覧会で、出品数も相当なボリュームがある。上野の東京都美術館はやや手狭だったので、作品によってはちょっとかわいそうな場所に展示されているものがあった。その点、国立新美術館はゆったりしていて、展示スペースが立派である。各室の通路部分も広いし、照明も明るくていい。

 さて、そんな環境の下で気持ちよく鑑賞したのだが、何となく感じるところもあった。いや、これは今年初めて感じたことではなく、近年日展に来るたびに思っていることである。

 何と言ったらいいのだろうか。ちょっと寂しくなったのである。いや、作品数は多いし内容も従来に比べて見劣りするものではない。ただ、馴染みの作家の作品が少なくなり、次第に知らない画家の作品が占める割合が多くなった。今年は、高山辰雄氏の作品に黒いリボンがかかっていた。そんなふうに一人また一人と古くからの画家の作品が消えて行く。

 私が日展に通い始めたのは学生時代で、当時は無数の作品の中から有名画家の絵を見つけて感動し、一般にはそれ程有名ではないながらも自分好みの画家の作品を開拓するのが楽しみだった。まだ東山魁夷が元気に大作を発表していた時代の話である。マークしていた若手画家の作品を毎年会場に足を運んでチェックするのは、馴染みの友人の活躍を確認するようで楽しかった。好みの画家の範囲を少しずつ広げ、作品集や絵ハガキを買い求めた。

 だが、社会人になり仕事が忙しくなり始めると、日展会場で新たに好みの画家を開拓する習慣はすたれていった。何故なのかは分からない。そうした心の余裕を失っていたのかもしれない。そうこうしているうちに、会場で見掛ける馴染みの画家は少しずつ減り始めた。新規に好みの画家を増やさないまま、旧来の馴染みの画家は徐々に亡くなっていくのだから、当然のことではある。かくして今や、知らない画家たちの割合が毎年高まっている。そんな会場の様子に、どこか寂しさを感じるわけである。

 現在展示されている作品中に自分好みのものを見つけられないのかというと、そんなことはない。毎年、これはいい絵だなぁと立ち止まって見入る作品が幾つもある。そして、題名と作者の名前を一度は頭に刻むのだが、やがてそれが消えていってしまう。物忘れがひどくなったということではなく、作者の名前にこだわらなくなっているのだろう。現に、作品のイメージは結構長く心の中に残っている。

 このままいくと、そのうち日展の中に馴染みの画家がいなくなってしまう日が来るのかもしれない。そうなっても日展に行くかと問われれば、寂しさを感じつつも行き続ける気がする。何故だろうか。やはり、そこが自分の絵画制作の始まりに近い地点だからかもしれない。あるいはそこに、自分の長い絵画遍歴の一端があるからという気もする。その時々の思い出もまた少し埋もれているのだろう。




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