パソコン絵画徒然草

== 12月に徒然なるまま考えたこと ==





12月 4日(水) 「散歩」

 長引く景気低迷に伴って、個人の趣味がより金のかからないものに変化しつつあるという記事を何かで読んだ。例示として挙げられていたのが、散歩である。中高年で散歩が趣味だという人が増えている、とその記事は伝えていた。

 私はリストラの荒波に遭っているわけではないが、散歩は好きである。そもそも人間は、歩くことによって脳に程よい刺激が伝わるような仕組みになっていると、これまた別の雑誌で読んだことがある。歩いている最中に色々なことを考え付くのは、そのせいかなという気もする。

 休みの日の朝、東京都心部は本当に静かである。車は少ないし、外を歩いている人も滅多に見かけない。朝早めに家を出て、「小石川後楽園」や「小石川植物園」まで散歩に出掛けるのは、私のささやかな楽しみである。ちょっと足を伸ばして、「六義園」や「旧古河庭園」まで出掛けることもある。私の絵の題材が、こうした場所をモデルにしていることが多いのは、この散歩の途中で画題を拾うからである。車に乗って眺めていたのでは分からない、通り沿いの変化や小さな発見が、歩いていると見つけられる。昔、自動車教習所で、運転中にはモノの見え方が悪くなると習い、これを動体視力と言うと教えられた記憶がある。人間は、せいぜい歩きながらしか、周囲をじっくり観察出来ない動物らしい。

 絵の題材を探しながら歩くというのは、漫然と歩いている以上に面白いものである。第一、観察眼が鋭くなる。お蔭で、普通に見ているだけでは気付かない自然のさり気ない佇まいに色々なことが感じられて、豊かな気分になれる。以前、俳句を趣味にしている職場の知り合いから、同じような趣旨のことを言われたことがある。俳句の題材を探す気持ちがあると、散歩に行っても、旅行に行っても、物事を深く見て色々なことを感じるようになり楽しみが増えた、とその人は語っていた。私が絵の題材を探す楽しみと、おそらく根は同じものだろう。

 俳句の題材探しにしろ、絵の題材探しにせよ、普通に風景を見ているときと一体何が違うかと言うと、心のフィルターを通して風景や物事を見ているということではないか。目で見るのではなく、心で見ているのである。その分、感じ方は深く、見たままの視覚的な情報から、様々なイメージ、情景が湧き立って来る。それが俳句の題材になったり、絵の題材になったりするわけである。私は、想像で風景を描いたりすることが多いが、その想像のきっかけは、散歩のときに見た何気ない風景に由来する。そういう意味では、形を変えた「現場主義」なのかもしれない。

 季節は冬となり、コストのかからない趣味として散歩を選んでいる人の出足は鈍るかもしれないが、私は寒さを気にせず、今まで通り散歩に出掛ける。殆ど人のいない公園を、休日の朝早く歩くのも冬の散歩の楽しみである。枯れ葉が敷き詰められた遊歩道を、サクサクと音を立てながら歩いていると、驚いたスズメ達が林からサーと飛び立つ。池の隅では水鳥達が羽根に顔をうずめて眠ったように休んでいる。どれも車の中からでは見られない自然の小さな有り様である。我々は常日頃、何か少し急ぎ過ぎているような気がする。散歩は、そんなことも気付かせてくれる。




12月 9日(月) 「雪の日に思う」

 この土日、随分寒いと思っていたら、月曜の東京は朝から雪になった。もう東京に15年以上住んでいるが、12月に積雪というのは珍しいことで、実に11年ぶりだという。朝、窓から雪化粧した通りを見下ろしていて、ふと昔のことを思い出した。

 学生時代に京都に住んでいたのだが、写真撮影を趣味にしていた大学の友人は、雪が降った翌朝、空が晴れ始めるとカメラを片手に、勇んで有名なお寺に出掛けて行っていた。青空を背景に雪景色の金閣寺や清水寺を写真に収めるのだという。京都の冬は、比叡おろしと呼ばれる北風が吹き、底冷えのする寒さなのだが、雪が降り積もる日はそう多くなかったように記憶している。そういう数少ない日に、しかも青空を背景に、新雪を頂いたお寺を見るというのは、めったにないチャンスである。日が差すと雪は次第に溶けて、むごい姿をさらすことになる。そうなる前にカメラに雪景色を収めようとすると、朝一番に出掛けるしかない。京都に住んでいるからこそ得られる貴重なシャッター・チャンスである。

 豪雪地帯に住んでいる人は別にして、自分が住んでいる一帯が雪景色に変わるというのは、滅多にない貴重な機会である。そして、そういう光景はほんの僅かの時間しか続かず、一旦雪があがれば、次の瞬間から溶けたり汚れたりして、雪景色は徐々に変質してしまう。あの人の踏み荒らさない純白の世界は、街中では朝の一瞬だけのことなのである。

 雪というのは不思議なもので、日常の何気ない風景を別世界に変えてしまう。働く身では、いそいそと雪景色を見に出掛けられないが、それでも通勤途上で、鮮やかに色付いて地面に散らばる楓の枯れ葉が、薄く積もった雪に透けて見えたり、黄色く色付いたイチョウの並木を背景に、雪が舞い飛んでいたりと、普段では見られない美しい光景を見ることが出来た。東京のコンクリートジャングルも、降りしきる雪とともに見ると、中々魅力的だと思ったのは私だけだろうか。

 雪景色の美しさは白の美しさであり、昔から日本画や水墨画ではよく画題になっている。特に、雪を題材にした水墨画がいい。雪景色はモノトーンの世界であり、墨の濃淡がよく似合う。しかし、いざ描こうとすると、これほど難しい題材も中々ない。余りにシンプルな美であるがゆえに、それを紙やキャンバスの上で正確に伝えようとすると、却って難しくなる。例えば、すっぽりと雪に被われた田畑の美しさを、何の細工もなく素直に表した絵というのに、今までお目にかかったことがない。雪景色を描いた傑作は幾つもあるが、構図はいずれもシンプルではない。構図がシンプルだと、本物の雪の魅力に絵を描く方が負けてしまうのではないかと、私は密かに思っている。自然の美は、それがシンプルであるほど、絵にするのは難しい。何とも不思議なことだが、如何ともしがたい。

 ひととき東京を被った雪は、私が家路を急ぐ頃にはすっかりなくなり、僅かばかり道路脇に残骸をさらすだけだった。雪の舞い散る都心の光景は、元のコンクリートジャングルに戻り、くすんだ色の日常が目の前にあるばかりである。やはり雪は一瞬のマジックか。夜空を見上げながらそう思った。




12月14日(土) 「余白」

 小学校低学年の頃のことだったと思うが、図工の時間に先生から「絵の余白は残さず、なるべく色々なものを描き込みましょう」と言われたことがある。私に限らず大抵の子供達は、人物など絵の中心になるものだけを一生懸命描くというスタイルだったから、背景にまで気が回らない。従って、背景は普通空白、ひどいときには絵具すら塗られておらず、画用紙剥き出しの状態となる。小学校低学年ではそれも仕方ないのだが、先生はそういう点にも気を配って絵を描くようにという趣旨で指導されたのであろう。そのうち、人物の背景に黒板やロッカーを描き入れる生徒が出て来て、これが先生に褒められる。そうすると、他の子達も色々なものを描き入れるようになり、誰かが背景に凝った絵を描いたりすると、また先生に「よく描けている」と褒められる。そんなことが繰り返されるうちに、みんなの絵が、先生が当初目論んだような形に少しずつ近づいていった。

 しかし、私はそのとき、絵にとって余白はいけないものだという妙な先入観を植え付けられてしまった。先生が言った趣旨はそういうことではなく、背景も絵の一部なので疎かにしてはいけないということだったのだろう。絵具も塗られずに背景部分が放置されていたのを注意したかったのだと、今になれば思う。しかし、小学校低学年にはそういう真意までは伝わらず、ただ何かを描き込まなければならないという点だけが頭に残った。そして実際、背景まできちんと描くと「よく頑張って描いたね」と褒められた。これでは誤解するのも無理はない。

 そんな強迫観念がいつまで続いたのだろうか。あるとき、誰から指摘されたわけでもなく、画面一杯に色々細かく描き込むことが、必ずしも正しくないという気がして来た。それは、プロの絵を色々見るようになったせいかもしれない。特に、水墨画や日本画など余白をうまく生かした作品を見て、何か目から鱗が落ちる思いがした。自分のそれまでの考えが、あまりに杓子定規で窮屈なものであったことが、少しずつ分かって来た。

 よく言われることだが、日本画や水墨画における余白は、そこに何もないわけではない。言うならば、空気や空間が描かれている。見る人は、その空間に何かを見ているのである。そういう意味では、小学生の絵の塗り残しとは全く違い、言わば「故意に作られた余白」なのである。

 ただ、こういう余白を「描こう」とすると、それはそれで結構難しい。単に背景を空けておけば良いというわけではない。ときには、背景をきちんと描き込むより難しいことがある。見よう見まねでちょっとやったらうまく行くというわけではないので、それなりに場数を踏む必要がある。この「空気を描く」という作業を、私はずっと長い間やって来て、今でも悩みながら取り組んでいる。中々終わりがないのである。

 大学の教養課程で、私は個人的興味から「心理学」の授業を取ったのだが、あるとき先生が面白い話をしていた。中を灰色に塗った大きなドームの中に人を入れて照明を暗めにし、その人に「これからほんのかすかにしか見えない映像を流しますから、よく目を凝らして何が見えたか言って下さい」と告げる。しかし、実際には何も映像は流さない。そうすると、ドームの中の人は「○○が見えた」と色々なものを報告するらしい。彼は灰色の画面に、無意識のうちに自分の心の内にあるイメージを映し出し、それを見ているのである。私はその話を聞いて、日本画や水墨画を鑑賞する人が、その空間に見ているものも、それとさして変わらないものではないかと思った。人は絵の余白に自らの心を映し出し、あるべきもの、あるはずのものを見ているのである。言うならば、目の前に見えている現実の絵と、見る人自身の心の内にある情景を、シームレスにつなぐ役割をしているのが、絵の余白だということになる。

 さて、皆さんは絵の余白に一体何を見ているのだろうか。




12月18日(水) 「パソコン絵画出品記」

 この「休日画廊」も開設後1年以上が経ち、私の生活の一部になった感がある。インターネット上にこうした絵の展示スペースを持つことのメリットは、全国、いや世界どこからでも、1日24時間、年中無休でアクセス可能という点であろうか。そして、それ以外にも、維持コストが殆どかからないというメリットもある。これが、町中に画廊を借りて個展を開くとなるとそうはいかない。

 画廊を使った個展だと、立地条件やスペースにもよるが、一般的に1週間程度借りて10万円くらいだろうか。私は東京で画廊を借りたことがないので、その辺りの相場観には自信がないのだが、実際には画廊のレンタル料以外に、案内状の発送やら何やら様々な雑経費が加わる。それやこれやで大層な出費である。おまけに個展会期中、常時画廊に自分か誰かが詰めていないといけない。勤務先が寛大でない限り、家族持ちの現役サラリーマンにはまず無理な話であろう。

 ただ、インターネット上の展示にもデメリットはある。見に来てくれた人との、面と向かったやり取りがないということである。気の合った人との画廊での絵画談義というのもない。私は学生時代、所属していた美術部の部展で、こうした絵画談義やら四方山話やらの中から、沢山のヒントを得ていたような気がする。インターネットの特性からして致し方ないことなのだが、ちょっと淋しいことである。

 そんなことを考えていたら、パソコン絵画を印刷して展示しないかというお誘いがあったので、ちょうどいい機会だと思い参加した。と言っても、子供達が通う小学校の父兄文化祭のような催しで、別に私の絵を目当てに皆さん来てくれるわけではない。2年近く前にも同じ趣旨の催しがあり、そのときにもパソコンで描いた絵を出した覚えがある。当時この「休日画廊」はなく、パソコンで絵を描く試みを手探りで始めたばかりだった。

 パソコンで描かれた絵というのは、当時も今も一般の方にとって馴染みがなく、「一体どうやって描くんですか」という質問をよく受ける。パソコンというとマウスかキーボードで入力というのが普通の理解であるから、タブレットを見たことがない人にとって、パソコン絵画の複雑な線入れと塗りは驚異であろう。

 私はこの出品のため、最近の作品から5枚を選んで印刷したのだが、少々驚いたことが2つある。

 1つは、プリンターの性能が飛躍的に向上したことだ。前回出品した時には、米国在住時代に買ったエプソンの一世代か二世代か前のプリンターを使っていた。これだと、モニター画面で見た感じと、紙に印刷した時の印象が違って来る。仕方がないので、様々に設定を変えながら、一番イメージが近くなるように調整した上で印刷していた。ところがこのプリンターの調子が悪くなって、最近新しいプリンターに買い換えた。そうしたら、モニター画面で見たイメージとそう変わらないものが、一発で印刷出来るのである。私は、技術革新の凄さに舌を巻いた。おそらく、これだけ飛躍的な制作環境の進展は、他の画材ではあり得ないだろう。「ムーアの法則」ではないが、つくづくパソコンの技術進歩スピードに驚いた次第である。

 もう1つはかつて印刷した絵の劣化についてである。前回印刷し出品した絵を、居間の壁に架けて飾っていたのだが、そこは丁度時間帯によって直射日光が当たる位置にあり、プリンターのインクだとかなり色が劣化するだろうと予想していた。実に2年近く放置したままだった絵を外して、今回印刷した新しい絵に入れ替えたのだが、そのときに古い絵を取り出してみると、私が予想していた以上に劣化が少なかった。勿論マットで隠れていた部分と日にさらされていた部分とでは、境目がはっきりついているのだが、西日に当たり続けてもこの程度か、と思うほどのものだった。もっとも、パソコン絵画は何度でも印刷出来るから、色が劣化すればそのたびに印刷し直して入れ替えればよいわけで、色の劣化をそう問題視する必要はないのかもしれない。

 たまには、こうして作品展示をしてみるのも、色々な発見があっていいことだ。ただ、あまり沢山印刷して額入れしてしまうと、パソコン絵画も置き場所に困る。出品した5枚のうち、2枚は押入れに直行する羽目になった。置き場所も考えず、むやみに印刷すべきではない。これが今回得た最大の教訓である。




12月24日(火) 「クリスマスの絵」

 クリスマスには幾つもの思い出がある。その多くは子供時代のものである。本来キリスト教の宗教行事であるこの祝祭が、日本で子供が主役のイベントになっていることは、よく考えると奇異なことである。

 以前、米国で暮らしていた頃に、本場のクリスマスが色々な面で日本と異なることを実感し、少々驚いたことがある。クリスマスツリーを飾りプレゼントを交換し合う、といった表面的なことは同じなのだが、米国でクリスマスは宗教行事であり家族行事である。我々日本人は、一応この点を理解出来ているつもりなのだが、いざ現地でクリスマスを経験してみると、少々面食らう。

 まず、どの家でもクリスマスを祝うわけではない。宗教行事なので、キリスト教徒以外はクリスマスを祝わない。例えば、ニューヨークに多いユダヤ教徒達は、クリスマスを祝わないのでクリスマスツリーは飾らない。その代わり、彼らには「ハヌカ」というこの季節の重要行事があり、9本の蝋燭が立てられる特別な燭台を飾って、ユダヤ教の教義に則ったお祝いをする。当然のことながら、こういう家庭には、「メリー・クリスマス」と書かれたクリスマスカードを送ってはいけないわけである。「アメリカではクリスマス・カードが年賀状みたいなもの」程度の知識しかないと、うっかり間違いを犯してしまう。私はその宗教的境界線の厳格さに少々驚き、宗教が生活の中に占める位置付けの違いを実感した。一方、大抵の日本人は仏教徒ということになっているが、クリスマスツリーを飾ることに何の宗教的抵抗もないのが普通である。そもそもクリスマスを宗教的行事と捉えていないのだから、当然と言えば当然かもしれないが…。極端な話、米国駐在の日本人の中には、この「ハヌカ」の燭台を気に入り、クリスマスツリーと並べて飾ったご家庭もあったらしい。アメリカ人が見たら、さぞかし驚愕したことだろう。

 もう1つの相違点は、クリスマスが徹底的な家族行事ということだろう。米国では、日頃仕事や学校の関係で離れ々々になっている家族が、クリスマスに一堂に故郷(親の家)に集まり、一緒に食事をし、お互いプレゼントを交換し、近況話に花を咲かせる。そうして家族の絆を確かめ合うのである。家族にとって大切な日なので、よほどのことがない限り、皆、クリスマスは休んで家で過ごす。その休み方は徹底していて、郊外のショッピング・モールは丸ごと閉まってしまうし、とにかく外を出歩いたり車に乗ったりしている人が殆どいない。友人や仲間と外でパーティーを開いたりレストランに行くのがクリスマスの楽しみと思っている日本人は、ことごとく店が閉まってゴーストタウン化した街並みに唖然とするのである。私は、あらゆることを犠牲にして休みを取り、家族との絆を確かめ合うことをこれ程大切にするアメリカ人の本質に少々驚いた。クリスマスに友人や職場の仲間と外で飲んで、夜遅く売れ残りのケーキをぶら下げて帰る日本のお父さんは、米国では人間失格である。

 しかし、そういう相違点はあるにせよ、日米ともにクリスマスは心躍る特別な行事であることに間違いはないし、人それぞれにクリスマスにまつわる様々な思い出を持っていることだろう。それにもかかわらず、このクリスマスという有名な行事を題材にした名画というのがあまりないことは、少々不思議である。思いつくのは、ノーマン・ロックウェルの幾つかの作品ぐらいである。単に私が知らないというだけなのだろうか。クリスマスにまつわる小説、劇、音楽などは、枚挙にいとまがない。沢山のアレンジがあるクリスマス・ソングや、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」などの劇・小説のほか、クリスマスになるとテレビで放映する定番映画もある。しかし、この季節、カレンダーやポスター、複製画として登場する定番絵画はあるのだろうか。

 そんなことを思いながら、如何にもクリスマスらしい絵とはどんなものかと考え、はたと詰まってしまった。思いつく題材は、ツリー、リースや室内飾り、あるいはサンタクロース、トナカイ、ソリといったステレオ・タイプの素材ばかりである。これらはいずれもクリスマス・カードには登場するが、絵画として仕上げるとなると少々難儀に思われる。その難儀さは、東京タワーを絵画として真正面から描くのと、どこか似ている。誰もがよく見て知っている当たり前のイメージを、ありきたりでない視点から絵画として仕上げるとなると、相当の工夫が必要である。もしかしたら、クリスマスを題材にした名画が少ない理由はこれかなと思った。

 そして、もう一つ気付いたことがあった。クリスマスだけでなく、日本の正月を題材にした名画というのも中々思いつかない。凧を揚げている絵が浮世絵にあったような気もするが、記憶が定かではない。年賀状用のイラストは、コマや門松、獅子舞など沢山あるが、これらはいずれもクリスマス素材と同じく、ステレオ・タイプのイメージである。

 結局、クリスマスに限らず、正月や盆など、昔から馴染み深い行事というのは、あまりに強烈なイメージが人々の脳裏に焼き付いていて、絵の主題になりにくいということだろうか。しかし、こうした一見絵としてまとめにくい分野にこそ、何か新しい絵画の可能性が眠っているように感じるのは、私だけであろうか。




12月27日(金) 「絵が語りかける1年」

 今年もあと残り僅かとなった。毎年暮れになると、その年を回顧する特集が新聞、テレビや雑誌などで盛んに組まれる。年の瀬になると、人は誰しも回顧調の心のモードになるらしい。私も、この「休日画廊」の足跡について少々振り返ってみたい。

 皆さんが記憶しておられるかどうか定かではないが、年頭に掲示板で今年の抱負を3つ申し上げた。第一に、毎月模様替えしている先頭ページの絵の展示室を作ること、第二に、この「パソコン絵画徒然草」のコーナーを作ること、第三に、何枚かの絵を組み合わせた企画展のコーナーを作ることである。そして、この3つが実現出来たのか年末に検証してみるとも書いた覚えがある。いつの間にかその検証の日が来てしまったわけで、結果は2勝1敗と相成った。

 未だ実現していない企画展コーナーであるが、最近では1枚々々の絵を丁寧に描くようになり、かける労力が大きくなったせいか、1つのテーマの下に何枚かの絵を用意するのが重荷になっている点、率直に認めざるを得ない。所詮、仕事や家庭を抱えて趣味で描いている身には、プロのようにまとまった時間を確保するのは無理なのである。ただ、何枚かの絵を組み合わせて1つのテーマを表現するという構想は、私にとって魅力的であり、実現が難しいとしても諦めたくない気持ちが強い。容易に叶わぬ夢を1つぐらい持ち続けることが、絵を描くうえで励みになるように思う。

 実は、この1年を振り返って、もう1つ思うことがある。毎週少しずつ描いて来た絵を1年分まとめて見たときの感慨についてである。これを、「継続は力なり」というありふれた言葉で評価するのもいいが、ここではもう少し違った角度から、私なりに思ったことを述べてみたい。

 私はこの1年、毎週のように絵を描き、新作として展示して来た。合計すると100枚近くになる。おそらく、油絵や日本画といった肉筆画では、とてもこんなペースで絵を描き続けられない。パソコン絵画ならではのハイ・ペースである。そして、パソコンの中に保存されているこれら100枚近くの絵は、ファイルを開くという簡単な操作で、まとめて見ることが出来る。これも肉筆画では難しいことであり、パソコンならではと思っている。

 これらの絵は、描いた私の心を映し出している。過去に描いた絵を見ていると、その絵を描いた時に、何を見、何を感じていたのか、あるいは、どういう思いを込めようとしていたのか、不思議と浮かび上がって来るのである。その中には、描いた本人にしか分からない様々な事情や感情的な動きも含まれており、今では表面上忘れてしまっていることも、勿論ある。そういった諸々の思い出が、それぞれの絵の端々に暗号のように塗り込められており、絵を見た瞬間にふっと浮かび上がって来るのである。

 年の暮れにパソコンの前に座って、コーヒーでも飲みながら1年分の作品群を眺めていると、今年あった様々な出来事を、絵を通して回顧出来る。まるでアルバムをめくるように、1枚々々の絵から色々な感慨が湧き出して来る。一旦見始めると、夜の更けるのも忘れて次々に見てしまう。普段ならそんなことはないのに、こちらの気持ちが年末の回顧調モードになっているせいだろうか。こんな形で、1年間の歩みを思い返すことが出来るとは、思ってもいなかった。

 あと僅かで今年も終わる。皆様にとって今年がどういう年であったのかは、人それぞれであろうが、慌しい年の瀬にあっても、大晦日には心静かに除夜の鐘を聞きたいものである。除夜の鐘は、人の煩悩を消してくれるという。こんな形で年の区切りを付けるのは、日本人らしい知恵だと思う。時は過ぎ、年は変わる。来年が皆様にとって素晴らしい年となることをお祈りしたい。




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