パソコン絵画徒然草
== 12月に徒然なるまま考えたこと ==
12月23日(火) 「木守り」 |
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この数週間、仕事が多忙を極め、プライベートに過ごす時間を満足に作れなかったのだが、そんな生活を続けていると、やがて身体も心もいびつな生活パターンに麻痺してしまう。睡眠時間の短さにも少しずつ慣れて来るし、ロボットの如く仕事に埋没するようになる。これがどんどん進むと仕事中毒になるのだろうが、こちらは中毒になるほど仕事好きではないので、今回も「ワーカホリック」には陥らずに済んだ。 そんな多忙なある朝、通勤のため歩いていると、よその家の庭に植えられた柿の木がふと目についた。柿の実はあらかた家人によって採り込まれたのであろう、殆ど見当たらない。一番高いところにある小枝に、僅かに2つか3つが残っているのみで、それを目当てに来たすずめが2〜3羽止まっていた。いわゆる「木守り」である。冬の澄み切った朝の空に、柿のオレンジ色が映えて美しかった。 それは本当にさりげない光景だったが、そのときの私の心にはしみた。忙しい毎日の中で、ふと心のやすらぎを得られたということも勿論あるのだが、ただそれだけではない。「木守り」という昔ながらの素朴な風習が、まだこんな都会の真ん中で生き続けていたのを見たためである。 「木守り」の起源は知らないが、この風習を知ったのは小学生のときである。知り合いの方から、庭の柿の実を採りに来ないかと誘われた。一家ではとても食べ切れないし、そのまま実を残しておくと木が弱るから、好きなだけ採って行ってくれと言われた。「木守り」の話を聞いたのは、そのときである。実がなるまでに木や葉につく虫を食べてくれた鳥のことを考えると、全部人間様が食べるのは悪いから、鳥達のために幾つか実を残しといてやるんだと言う。そうやって、これから来る厳しい冬に備えて栄養を貯える鳥達を助けるという共存共栄の知恵に、子供ながら感心したものである。 その後、本か何かで「木守り」は、翌年の豊作を願って僅かばかりの果実を残しておく昔ながらの風習だと知った。その本当の由来が原始宗教的なものか、先人達の鳥との共存共栄の知恵なのかは知らない。しかし、我々が生きていくためには、自然の恵みを人間だけが独り占めしてはいけないという気持ちが根底にあることは間違いない。私は、そういう自然に対する小さな思いやりの気持ちと、それを具体的行動に移した「木守り」という素朴な風習に、昔ながらの日本人の自然観を垣間見るのである。 おそらく「木守り」の実を残す人は、そこまで大上段に自然との共存哲学を練っているわけではなかろう。しかし、次々に実を収穫していって、最後の1つ2つ、しかも鳥達が食べやすいように、木の先の方になっている実を残す。たとえそれが、由来も分からぬ単なる習慣に堕していたとしても、そうした行動が今でも都会で引き継がれ、実際に行われていることに、私は心の安らぎを覚えるのである。 私は、「木守り」の心と、風景画を描く心は、本質的に同じものだと思っている。自然を見つめる目が思いやりに満ちていればいる程、我々は自然の中に潜む美をはっきりと捉えることが出来る。自然を目で見つめるのではなく、心で見つめる。それが出来れば、絵の技術など何ほどのこともない。 あの朝見た「木守り」は、私の絵を描く心に確かにしみた。そんなふうにして、私自身の絵画制作の原点を確かめることは、とても大切なことである。日々歩く街並みにも、教えられることは多いものだと悟った。 |
12月29日(月) 「偉大なる勘違い」 |
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先月の中旬、夫婦で上野まで足を運び、日展を鑑賞した。日展に出掛けるのは、我が家の恒例行事である。毎年親戚が作品を出しているので、それを見るという目的もあるのだが、何より私にとっては、現在の日本画の水準や傾向を確認することの出来る絶好の機会である。創画会や院展は、年によって見逃すことも多いが、日展はほぼコンスタントに見続けている。 初めて日展を見たのは大学生の頃だったと思う。大規模な公募展を見るのは、それが最初だった。何よりも、作品の多さと水準の高さに圧倒されたことを覚えている。そして、東京に出て来て上野で日展を見たら、更に規模が大きかった。地方巡回時には何割かの作品が間引かれているからだが、率直に言って、全部を丁寧に見ると疲労困憊になる程の作品数である。お蔭で、未だに彫刻は間近でじっくりと鑑賞したことがない。たいてい最後に、ホールの上から覗き見るだけである。 最初日展を見たときには、こんな立派な展覧会を子供時代に見られたら良かったのになと、うらやましく思った。私の故郷の町では、絵の展覧会といえば、秋の市民文化祭があるばかりである。私も小学生の頃、この展覧会に作品を出させてもらったが、つまりはその程度の作品水準に過ぎない。大人の方でかなりの腕前の方もおられたが、所詮少数派だし、作品の大きさも公募展の出品作のような規模ではない。当時は、高名な画家の作品は、写真で見るよりほかになかった。もし、日展のような質と規模を誇る展覧会を子供の頃から見続けられたら、自分の描く絵も様々な好影響を得られただろうと思い、都会に住む子供達がうらやましかった。 そんな思いもあって、私は東京で公募展を見るとき、まだ小さい頃から我が家の子供達を連れて行った。米国にいるときも、有名な美術館には子供同伴で出掛けた。お蔭で我が家の子供達は、小学校低学年にして、ニューヨークのメトロポリタン美術館や近代美術館、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリィーにはじまり、ボストン美術館、フィラデルフィア美術館、はたまた、ルーブル、オルセー、ウフィッツェなどの世界の有名美術館を訪れ、数々の名作を生で見たことになる。 しかし、そうした努力の結果はどうだったか。意外なことに、今やすっかり美術展嫌いになってしまった。いつの頃からか、子供達は絵の鑑賞には行かないと言い出し、今では、結婚した当時に戻って、夫婦二人だけで見に行くようになった。我が家の子供達が特別に絵に関心がないのか、あるいは子供というのは所詮そんなものなのか、私にはよく分からない。ただ、初めて日展を見たときの、私のあの思いは何だったのかと、ふと思う。所詮は、「隣の芝生は青い」式の羨望に過ぎなかったのだろうか。 あるいは、一定水準以上の美術作品から感銘を受けるのには、それなりの精神的な成長が必要ということだろうか。確かに、私は絵を鑑賞するとき、作品の中に自分の人生の何がしかを投影しながら見入っているような気もする。作品が人生の映し鏡なら、何ほどの人生経験も持たない小さな子供には、絵画鑑賞は退屈な時間なのかもしれない。 そんなことを考えると、私は少し安心する。小さい頃からふんだんに大規模な展覧会を見ることの出来た都会育ちの人に対する羨望が、実のところ、さして意味を持たなかったのかもしれないと思うからである。しかし、そうしたハンディがあると信じ、その溝を出来るだけ埋めたいという焦燥感が、学生時代の私を、ひたむきに絵に打ち込ませたことも、また事実である。そんな勘違いにより、私の絵への取組みが深化したというのは、今から振り返って見れば、何やら皮肉な感じがする。 人がある時期に何かに必死に打ち込むのは、そうした焦燥感やら、一途な向上心やらによることが多いように思う。もちろん、それが勘違いに基づくものであったとしても、である。そうだとすれば、私の長年の勘違いは、私の画業に、実に偉大な影響を及ぼしたということかもしれない。 |
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