パソコン絵画徒然草

== 12 月に徒然なるまま考えたこと ==





12月 6日(水) 「関帝廟」

 先月、仕事の用で横浜に出掛けた。着いてみると、まだ約束の時間まで余裕があったので、暫し中華街を散歩した。中華街に来るのは久し振りのことで、少なくともここ5年ほどは来ていない。

 朝陽門から入り、中華街大通りに沿って歩く。両側には中華料理店やみやげもの屋がひしめき、普通の街並みとは異なった華やかさがある。まだ時間が早いせいか道を歩く人の数は少ないが、建物のデザインやディスプレイが派手目なので、賑やかな感じがする。時々ひやかしに売っているものを眺め、ゆっくりとした歩調で道を進んだ。善隣門に突き当たると左に折れて、長安道から関帝廟通りに入る。しばらく歩くと、左手に関帝廟があった。

 関帝廟は、三国志にも出て来る中国の武将「関羽」を祭った建物で、中華街のシンボルとなっている。関羽は、後漢から三国時代に活躍した武将で、張飛・劉備とともに黄巾の乱の平定に尽くしたが、敵味方を問わず義侠心あふれる態度で接したため、広く庶民から慕われる存在となった。それが後世になって崇拝の対象になったわけだが、性格が良かったという理由で生身の武人がこうして廟に祭られ民衆の信仰の対象になるというのは、ちょっと日本人の感覚とは違う。日本人は、戦国武将をはじめ歴史に名を残す有名な武人の銅像を建てることはするが、戦う態度が立派だったからといって信仰の対象にすることはない。平将門のように祟りをなしたから鎮める必要があったとか、神の如く強かったので武士が鏡とするため祭ったといったケースがせいぜいではないだろうか。

 関帝廟の外観はとにかく派手である。如何にも中国風の造りの建物が極彩色に塗られ、威風堂々とそびえたっている。その絢爛豪華なデザインを見ていて、私はふと宇治の平等院鳳凰堂を思い出してしまった。

 平等院鳳凰堂は、1053 年に藤原頼通が建立した阿弥陀堂で、現在国宝に指定されている。十円玉に描かれているので、誰でもご存知だろう。藤原頼通は、この世に極楽浄土を再現しようと、内装を極彩色の絵画で飾り、天井や柱にも模様を施した。今の鳳凰堂内部は、古木の表面が浮き出て渋い感じになっているが、所々に当時の彩色の跡が見える。平等院に付属する平等院ミュージアム鳳翔館に行くと、当時の内装がコンピューター・グラフィックスで再現されており、その鮮やかな姿を見ることができる。

 往時の鳳凰堂の内装は、関帝廟の色使いとよく似ている。平安貴族は強く中国の影響を受けていただろうから、両者が似ていても不思議はない。また、鮮やかな色を出す顔料はその頃貴重品だったろうから、希少価値という点からしても、こうした極彩色のデザインが貴族の間で珍重されたことは理解できる。庶民からすれば、鮮やかな色自体が高嶺の花だったのである。当時、一般民衆が鳳凰堂内に入ることは許されなかったが、仮に立ち入ったとすれば、日ごろ見かけない極彩色の装飾に、極楽のよすがを感じ取ったに違いない。

 しかし、いつの間にやら日本のデザインからこの極彩色が消えた。我々はどちらかというと渋色好みとなり、原色系で組み合わせたキンキラキンのデザインを好まなくなった。中国では、関帝廟のデザインに見られるように今もああいったデザインが好まれているのだろうが、日本の寺社で、往時の鳳凰堂をしのばせるような色使いをしているところはない。むしろ今そんなデザインにしたら、一般の人からは変わった寺社だと色眼鏡でみられる可能性がある。

 こうしたデザインの変化はいつ頃起きたのだろうか。少なくとも貴族たちの間では極彩色の内装が好まれたのであるから、おそらく武士の台頭辺りから変化が生じたのであろう。質実剛健をもってなる武士たちには、キンキラキンに建物を飾る気風はなかったということである。あるいは、貴族に対する対抗意識があったのかもしれない。織田信長や豊臣秀吉は派手好きな一面を持っていたと伝えられるが、基本的には武士の生活は質素であり、渋めの色合いが似合う生活をしていた。鎧や刀など武具の装飾に多少のきらびやかさを見ることができるが、日ごろの暮らし向きの中に、極彩色で何かを飾る要素はない。

 歴史に「もし」は禁物であるが、もし武士が台頭せず貴族が政治の実権を握り続けていたら、日本のデザイン文化は変わっていたのだろうか。そうだとしたら、日本の寺社は引き続き絢爛豪華なデザインで彩られ、横浜中華街の関帝廟も、今ほど人目を引くことはなかったのかもしれない。昔から不変だとみんなが信じている日本の伝統というヤツも、実はちょっとしたことで違う方向に行っていたやもしれぬ。歴史というのは、なかなか面白いものである。




12月19日(火) 「Paint Shop Pro」

 私のパソコン絵画は、Paint Shop Proというソフトウェアで描かれている。それは先頭ページにも記してあるので、ご存知の方も多いだろう。私が使っているのは「Paint Shop Pro 9」である。しかし、現在出ている最新版はバージョンの11であり、今年の10月13日にCorel社から発売になっている。では、何故バージョンの11に更新していないのか、皆さんは不思議に思われるかもしれない。

 元々Paint Shop Proというソフトウェアは、この世界の最高峰であると同時に業界標準でもあるAdobe社の「Photoshop」というソフトの廉価版的位置付けで開発が始まったと聞いている。Photoshopは、ちょっとやってみようかという入門者が手を出すには、少々勇気がいる価格帯だからである(最新版のPhotoshop CS2で実勢価格8-9万円)。私が初めてPaint Shop Proを買ったとき、米国のJasc Softwareという会社が開発元だった。その頃は、バージョンアップがあるたびに律儀に更新を行っていた。そうして現在の「Paint Shop Pro 9」までバージョンを上げて来たわけである。

 ところが2004年10月に、同じような描画ソフトである「Painter」の開発元であるCorel社が、Jasc Software社を買収した。かくしてCorel社は、PainterとPaint Shop Proという似通った2つのソフトを手にすることになったのである。しかし、一つのソフトウェア会社が、同じコンセプトのまま似たソフトを持ち続けるのは不合理である。その後のCorel社の判断は至極常識的なもので、昔からの看板商品であるPainterを描画ソフトとして位置付け、Paint Shop Proは写真のレタッチに重きを置いた内容に路線変更されることになった。

 これに伴い、Paint Shop Proはバージョン10以降、写真のレタッチ機能の充実が行われながら進化している。バージョン・ナンバーもローマ数字に変わり、バージョン11からは「Paint Shop Pro Photo XI」と、名前に明確に「Photo」の字が入ることになった。目指す路線が商品名にも明記されるようになったのである。

 私がバージョンアップをやめたのは、もはや現在のPaint Shop Proが、パソコン絵画とは違う路線に向けて進み出したからである。もちろん、最新版の「Paint Shop Pro Photo XI」には、私が使っている「Paint Shop Pro 9」の機能は引き続き盛り込まれているはずだから、同じように絵を描くことは出来る。しかし、こと絵を描くという観点から言えば、私が使っているバージョン以上の進化はないだろう。Corel社は、自分自身で開発したデジタル描画技術を、看板商品である「Painter」の方に振り向けるはずだからである。それは企業として合理的な判断であり、おそらく誰が経営者でも同じことをしただろう。

 かくして、私の描画ソフトのバージョンアップは未来永劫ないはずである。Painterに乗り換えれば、引き続き最新の描画機能を享受出来るだろうが、今さら手に馴染んだソフトに別れを告げ、新しいソフトの操作をイチから学ぶ気力もない。

 ただ、私は時々寂しさを感じる。Jasc Software時代のPaint Shop Proのバージョンアップは毎回楽しみだった。パソコン絵画を描く上で便利な機能が次々に追加され、新しいバージョンになるたびに描く楽しみが増えたからだ。もうあの楽しみはやって来ないわけである。企業買収というビジネス戦略上の出来事について、株主でもない私が文句を言える筋合いではないが、自分の趣味がこんなことで影響を受けるというのは、何ともやり切れない気がする。

 もしかしたら、やがてCorel社はPaint Shop Proというソフトそのものを捨ててしまうかもしれない。別にそんな兆候が今あるわけではないが、企業の商品開発というのは、時に冷淡なものである。売れ筋を見ながらターゲット商品を絞り込むなんてことは、どこの業界にもあることである。そして、そのターゲットから外れた商品は、企画開発の予算と人員を引き揚げられ、商品ラインナップから消え去っていく。Paint Shop Proがそうならない保証はどこにもないのである。

 Paint Shop Proが市場から消え去っても、私は手持ちの「Paint Shop Pro 9」を使いながらパソコン絵画を描き続ける気がする。しかし、そのときにはもはやどこにも売っていない過去のソフトになっているわけである。そんな状態になれば、やがて最新のOSで動かなくなる日が来るかもしれない。そのときに果たしてどうするのか。いつまでも続くと思っていることでも、突然終わりが来ることがある。あまり考えたくないことではあるが、そんな日が来るかもしれないことは、肝に銘じておかなければなるまい。とても寂しいことではあるけれど・・・。




12月28日(木) 「年の瀬」

 今年も早いもので、残すところあと僅かとなった。おそらくこれが今年最後の徒然草となるだろう。そう考えると、どうも締め括りにふさわしく、今年1年を振り返って展望してみたくなる。不思議なことではあるが、人は年末になると、年頭からの出来事を振り返ってしまうものである。だからこの季節、今年1年を振り替える特集記事や特集番組が、やたらと目に付く。

 年を取ると、過去を振り返るのが好きになると聞く。若者は振り返らない。振り返るほど人生の厚みがないからだろうという解説もあるが、見方を変えれば、充分過ぎるほどの未来があるということでもある。後ろを見るより前を見た方が、展望が開けているわけである。年を取ると、逆に前よりも後ろの方が広くなる。悲しいが、それが現実である。

 以前にも徒然草に書いたが、私は年末になると、自分が描いた絵を過去1年分見ることにしている。絵には、それを描いたときの思い出がこもっている。既に忘れてしまっていることもあるが、絵を見ると不思議と色々思い出す。そして、絵画制作にまつわる出来事だけでなく、絵を描いた当時の日常のあれこれを、芋づる式に手繰り寄せることが出来るのである。

「休日画廊」を始めてから、私はほぼ毎週1回のペースで作品を描いている。従って、年末になると50枚近くの絵を見返すことになる。そうして年の初めから色々起こったことを思い出すのである。これは、「休日画廊」を始めてからの儀式のようなものであり、年末の楽しみの一つとなっている。そして、こんなふうに順序だてて過去の作品を眺められるのは、ホームページという形にまとめているからである。

「休日画廊」は既に開設後6年目に入っているが、これだけの年数やっていると、年末になっても翌年の抱負はこれといってない。最初の頃は、来年はこんなコーナーを作ってみようとか、こんな企画をやってみようという思いが年末ごとに湧いて来たが、今では淡々と、また来年も今年同様、毎週のように絵を描くことが出来れば幸せだと思うだけである。

 こんなサイトはもう退屈だと思う訪問者もいらっしゃるかもしれないが、管理人としては、訪問者を飽きさせないように次々に新機軸を打ち出していく気概はもはやない。季節の移り変わりに沿って、心に感じたことを淡々と絵にしていくだけである。そして、そのときに感じたこと、日ごろ思っていることを、不定期にここに書くだけである。愛想のないサイトではあるが、それでも訪問して下さる方々には、いつも感謝している。

 今年もかくありなん、来年もまたかくあるべし。年末に思うことは、今やそれだけである。枯れたわけではないが、気負いもない。そんな姿勢でやっている限り、また来年も続けられる気がするのである。




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